「この息子は死んでいたのに生き返り」
エゼキエル33:10~11
ルカ15:11~24
主日礼拝
牧師 井ノ川 勝
2023年12月10日
1.①欧米では、クリスマスは、故郷を離れていた者たちが、故郷へ帰る季節です。家族と共にクリスマスをお祝いするためです。私ども日本人がお正月に、故郷に帰り、家族と共にお正月を迎えることに似ています。私どもに故郷がある。帰るべき家がある。これは大きな慰めです。故郷には私どもの帰りを待っている家族がいるからです。私どもを迎え入れてくれる家族がいるからです。
クリスマスのこの季節、聖書が私どもに問いかけていることがあります。あなたの魂の故郷は何か。あなたは魂の故郷を持っていますか。言い換えれば、このような問いかけでもあります。あなたは人生の苦境に立った時、悲しみのどん底に突き落とされた時、立ち上がることの出来ないような試練に陥った時、あなたは帰るべき場所を持っていますか。
先週も病院、施設に入られている3名の教会員のクリスマス訪問をしました。3名の教会員共、前回お会いした時よりも体が弱られていたかもしれません。しかし、信仰の姿勢は変わることなく真っ直ぐでした。讃美歌「きよし、この夜」を賛美し、主の祈りを祈りますと、共に讃美歌を歌い、祈りを捧げて下さいました。ああ、この方々は魂の故郷を持っている、帰るべき場所がある。だからこそ、体は衰えても、信仰の姿勢は衰えないのだと思いました。
私どものとっての魂の故郷はどこなのでしょうか。それは神さまの懐です。主イエス・キリストの父なる神の懐です。その神の大いなる懐に、私どもはいつでも迎え入れられている。父なる神の懐に逃げ込み、そこから命を注がれ、そこから再び立ち上がり、歩みを始めることが出来る。これは何と幸いなことでしょうか。
しかし、現代の多くの人々が神の懐を失いました。神の懐から旅立ちました。神の懐がなくても、自分の才能、力だけで生きることが出来る。神さまに頼らなくても、自分の力だけでやって行ける。それこそが自立して生きることだと思うようになったのです。神の懐という魂の故郷に帰らなくても、生きて行ける。そこに現代人の姿があります。
②クリスマスを待ち望む待降節の第二の主の日、私どもは主イエスが語られた譬え話を聴きました。「放蕩息子の譬え話」と言われています。主イエスが語られた譬え話の中心にある譬え話です。「放蕩息子の譬え話」と言われていますが、「失われた息子の物語」と呼んだ方が、内容にふさわしいと思います。
ある息子が父から財産を分与してもらい、父の懐から離れ、旅に出て、父の手が及ばない外国の地で生活を始めます。兄のように父の許にいたら自由がない。息が詰まって、自分らしく生きられない。自立して生きたい。そこで、今日の言葉で言えば、自分探しの旅に出ました。自己実現を成し遂げようとして旅に出ました。もう父の手が及ぶことはない。何でも自分のやりたいことが出来る。ところが、放蕩に身を持ち崩し、財産を失う。誰も手助けしてくれるものはいない。行き着いた先が、ユダヤ人が最も嫌った豚飼いの仕事でした。豚が食べていたいなご豆を食べてでも腹を満たしたいと願った。そこまで落ちぶれてしまった。その時、「我に返った」。以前の口語訳では「本心に立ち帰った」。よい訳ですね。「自分に返るって、自分を発見した」ということです。我に返り、本心に立ち帰った時に、何が起きたのか。父がいる故郷を思い出したのです。父の懐を思い出した。そして故郷へ帰る決心をした。父の許へ帰る決心をしたのです。
オランダの画家レンブラントが、放蕩息子の絵を何枚も描いています。若い頃から晩年に至るまで、何枚も描いています。レンブラントは放蕩息子と自分自身を重ね合わせていたと思われます。放蕩息子は将に、私なのだと受け留めていました。レンブラントが妻サスキアと結婚した時に、片手に妻を抱き、片手に杯を高く上げ、満面笑顔の自画像を描いています。人生を謳歌している絵です。題名は「酒場の放蕩息子」です。実際、レンブラントは身を持ち崩しています。神の懐から旅立ち、自分の力だけで生きようとした私が様々な欲望に支配され、行き着く先は身の破滅であったことを証言している絵です。それからレンブラントは、父の許へ立ち帰った放蕩息子の絵を何枚も描きました。
2.①故郷へ帰る帰り道、息子は父にどのように謝ろうか、何度も何度も口で復唱したと思います。私どもも大切な面接の時に、試験官からこのように問いかけられたら、こう答えようと、何度も復唱します。緊張して言葉が上手に出て来ないかもしれない。でも、これだけはきちんと言って、自分の思いを伝えようと何度も復唱します。息子が故郷への帰り道、復唱した言葉はこのような言葉でした。
「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」。
不思議な言葉です。息子は父だけに謝るのではなく、真っ先に天に対して謝っています。天とは、天におられる父なる神です。私どもに命を与え、私どもに肉親である父を与えたのは、天におられる父なる神です。天におられる父なる神を見失うことは、肉親としての父を見失うことでもあります。肉親である父の許へ帰ることは、天におられる父なる神の懐へ帰ることでもあります。それが魂の故郷へ帰ることです。
主イエスは語られました。神を愛すること、自分を愛すること、隣人を愛することは一つであると。父なる神を見失うことは、自分を見失うことであり、最も身近な隣人である父を見失うことでもあるのです。
息子は何度も悔い改めの言葉を復唱しながら故郷へ帰って行きました。段々、故郷が近づいて来た。父の家が近づいて来ました。父は果たして、私を迎え入れてくれるだろうか恐れと不安がどんどん大きくなって行きました。故郷へ向かう足取りが重くなって行きました。
②しかし、ここで思い掛けない事件、出来事が起こりました。この物語の核心部分です。
「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけ、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。
父は息子の帰りを待っていた。まだ遠く離れていたのに、息子を見つけたということは、父は毎日、家の外に立って息子の帰りを待っていた。そして遠くに息子の姿を見つけるや否や、憐れに思い、父の方から猛然と駆け出した。一目散に走り寄り、息子の首を抱き、接吻した。父の凄まじい走りです。
チェコの神学者にロッホマンがいました。日本にも来られ、東京神学大学で私ども神学生に講演をされたことがありました。チェコは歴史的に厳しい時代を何度も経験しました。1938年には、ヒットラー率いるナチスによって支配されました。戦後は共産主義政権が樹立しました。1968年、人間の顔をした社会主義社会を作ろうと民主が立ち上がりました。おわゆる「プラハの春」の運動です。しかし、ソ連の軍事介入で蹂躙されました。ロッホマンは祖国を脱出し、スイスに亡命しました。愛する故郷を失う悲しみに生きた。ロッホマンがスイスのバーゼルで語った説教集があります。『駆け寄ってくださる神』。この説教集の題名になったのは、この「失われた息子の物語」を説教したものです。「神の憐れみの走り寄り」という題の説教です。故郷を失ったロッホマンにとって、神の憐れみの走り寄りこそ、将に、自らの福音の中核にあるものです。神の憐れみが走り寄って、私を抱き締め、父なる神の懐の中に入れて下さる。そこに魂の故郷がある。厳しい戦いの中にいる自分が立ち帰るべき故郷がある。父なる神の憐れみの懐の中で、慰められ、力を得、再び戦いのために旅だって行く。
主イエスが語られたこの譬え話の主題は、「失われた息子の物語」ではなく、「神の憐れみの物語」である。この譬え話の中心に立つのは、父の懐に帰還した息子ではなく、息子に走り寄り、息子を迎え入れた父であるのです。
ロッホマンがこの御言葉の黙想を記した文章で、ある説教者の説教を紹介しています。
「崇高な父、謹厳な父、年老いたオリエントの誇り高い父は走らない。何位が起ころうと、ゆったりして歩む以外にないのである。だがこの父は走る。尊厳も何もない。なお遠くへ走って行く。家を出て走って行く。父は走る!父は走る!」。何故、父は走り出すのか。失われた息子を見つけた喜びがあるからです。失われた息子を見出した喜びが、父を走らせるのです。それが、主イエスが語られる父なる神のお姿であり、特徴であるのです。
私どもはしばしば考えます。神はどのようなお方であるのか知りたい。私が神を探しに行くのです。私が神がおられるかどうかを証明しようとします。私が神がどのようなお方なのかを探求しようとします。しかし、主イエスは語られます。神があなたをどこまでも探し求めておられる。神はあなたを見つけると、自分の方から走り寄り、首を抱き、自分の懐の中に入れて下さる。神の懐、それこそが父なる神の懐である。父なる神の懐に抱かれて、私どもは初めて神はどのようなお方なのかを知ることが出来る。神は私たちの父、憐れみ深い父。アッバ、父よと呼べる神。
3.①息子は父の懐の中で、帰り道、何度も復唱した悔い改めの言葉を語り、父に謝ろうとしました。
「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」。そして最後の言葉を語ろうとしました。「雇い人の一人にしてください」。ところが、父はその言葉を言わせないのです。その言葉を封じるように、僕たちに命じました。
「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足には履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう」。
破格のもてなしです。何故、父を裏切り、放蕩に身を持ち崩し、悔い改めの言葉も十分述べていない息子を破格のもてなし、喜びの食卓へと招かれるのでしょうか。父は最後に語られます。
「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」。
放蕩に身を持ち崩した息子に向かって、「この子」「わたしの子」と呼んでいるのです。大切な失われた息子が見つかった。それは死んでいた息子が生き返った出来事です。滅びるべき息子が生き返って、再生する出来事です。父のこの言葉は、預言者エゼキエルのこの言葉と響き合っています。
「わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」。
父なる神の懐に立ち帰る。それは私どもが十分悔い改めの言葉を語って、立ち帰るのではありません。父なる神が私どもを見つけ出し、憐れに思い、自ら走り寄り、首を抱き、懐の中に入れて下さる。「この息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と父なる神の喜びの中へ招いて下さる。それが神の懐への立ち帰り、悔い改めなのです。それこそがクリスマスの出来事であるのです。神の愛する独り子イエス・キリストが遣わされた出来事は、失われた私どもを見つけ出し、憐れに思って、走り寄り、首を抱き、懐の中へ招き入れて下さる父なる神の喜びの出来事です。父なる神の懐へと、魂の故郷へと私どもを招き入れて下さる父なる神の喜びの出来事なのです。
クリスマスは父なる神の懐へ、魂の故郷へ立ち帰る出来事です。父なる神から離れて生きていた者が父なる神の懐へ招かれる。信仰が揺らぎ、さまよい歩いていた者が父なる神の懐へ立ち帰る。礼拝から離れていた者が、父なる神の懐へ立ち帰る。そこに父なる神の喜びがあります。一人の死んだ人間が生き返り、再生して生きることを、父なる神は破格の喜びを喜んで下さるのです。
②画家レンブラントは放蕩息子と自分とを重ね合わせていました。それ故、「放蕩息子の帰郷」の絵を何枚も描いています。晩年になればなる程、放蕩息子を迎え入れた父の姿が大きくなって行ったと言われています。しかし私は、晩年になればなる程、放蕩息子を迎え入れた父の懐が大きくなって行ったのだと思います。レンブラントが死の直前に描いた「放蕩息子の帰郷」の絵があります。父の大きな懐の中に、息子の顔が埋まっています。もはや息子がどのような表情をしているのか分かりません。レンブラントはただ父の大きな懐さえ見えればそれで良いと考えたのではないでしょうか。失われた息子を自らの懐に招き入れる父の両手が、しっかりと息子の肩に大きく描かれています。レンブラントは自らの死を強く意識していた。そして死を迎えることは、父なる神の御手にしっかりと捕らえられ、父なる神の懐に招き入れられることであると確信し、最後の「放蕩息子の帰郷」を完成したのだと思われます。
4.①ところが、主イエスが語られた失われた息子の物語は、ここで完結していません。続きがあります。もう一人の兄弟である兄の物語です。弟とは異なり、父の許で真面目に働いていた、模範的な兄です。しかし、主イエスはここに「もう一人の失われた息子」がいると語られたのです。元々、主イエスが語られたこの譬え話は、このようないきさつから始まりました。15章1節です。
「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている』と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを離された」。
主イエスはこの譬え話を、信仰の模範生であり、優等生であったファリサイ派の人々、律法学者たちに向かって語られたのです。
父の許を離れ、放蕩に身を持ち崩した弟とは、徴税人、罪人を指し示しています。父の許で真面目に、模範的に歩んだ兄とは、ファリサイ派の人々、律法学者たちを指し示しています。
兄は一日の労働を終え、畑から帰って来ました。家から音楽と踊りのざわめきが聞こえて来ました。いなくなっていたのに見つかり、死んでいたのに生き返った弟の帰郷を喜ぶ喜びの音楽です。この「音楽」という言葉は、「シンフォニア」という言葉です。交響曲と訳される言葉です。「音が共に響き合う」という意味です。しかし、兄は弟の帰郷の喜びの調べに、心の琴線は共鳴することが出来ませんでした。兄は怒って家に入ろうとしませんでした。喜びの宴会に加わることをしませんでした。父の弟の受け入れ方に不満を持ったからです。父を裏切り、家を飛び出し、放蕩に身を持ち崩した弟。その弟を受け入れるなら、段階を踏まなければならない。まず雇い人の一人として働かせ、誠実に父と兄に仕える姿勢を見せ、十分に自らの非道を悔い改めたら、息子として受け入れるべきではないか。しかし、父は何の条件も付けずに、弟を息子として受け入れている。こんな立ち帰りはしめしがつかない。兄は父に不満をぶつけます。
「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。
兄は、「わたしの弟」と呼びません。「あなたのあの息子」と呼びつけています。怒って家に入ろうとしない兄。それは心を頑なにして父の懐、父の家に入ろうとしない兄でもあります。ここにも故郷から失われた息子がいます。怒って家に入ろうとしない兄を見た父は、家から出て来てなだめました。私はこの時も、兄の姿を見て、家から走り出して来た父の姿があると思います。家から走り出して来た父は、兄をなだめました。慰めるという意味です。兄に向かって、こう語りました。
「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。」
父は、怒って家に入らない兄に向かっても、「わたしの子よ」と呼びかけます。わたしはあなたといつも一緒にいると語ります。そして、弟に語った言葉を、兄に向かっても語ります。
「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」。
父は、「お前のあの弟」と呼んでいます。お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかった。それは同時に、父の許にいながらも、実は失われた息子であった兄に語りかけている言葉でもあります。
「あなたも死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだ。あなたもわたしの喜びの中にいるのだ」。父は兄をも喜びの食卓へ招いているのです。
しかし、主イエスのこの譬え話を聞いたファリサイ派の人々、律法学者たちは、父なる神の破格の喜びに躓きました。父なる神が送られた愛する独り子を殺す怒り、殺意が芽生えました。主イエスを十字架につける殺意は、この譬え話を聞くことから生まれました。
②主イエスが語られた「失われた息子の物語」は、十字架抜きの父なる神の赦しの物語ではないかと批判されることがあります。果たしてそうなのでしょうか。主イエスが語られた核心部分は、この御言葉でした。
「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」。
「憐れに思って走り寄った」。ロッホマンは「神の憐れみの走り寄り」という題で説教されました。この「憐れみ」は父なる神だけにしか用いられない特別な言葉です。単なる同情ではありません。「自らの腸を引き裂く」という激しい動作です。将に、主イエスの十字架の出来事を指し示す激しい動作です。愛する独り子イエスが十字架で腸引き裂かれる出来事は、父なる神も腹引き裂かれる出来事でもあったのです。主イエスの十字架の出来事は、御子も御父も、腸引き裂かれる出来事であった。何故、そこまでのことをされたのか。理由はただ一つです。失われた私どもを見出し、憐れに思って、走り寄り、首を抱き、父なる神の懐に迎え入れるためです。あなたはいなくなっていたのに見つかり、死んでいたのに生き返った。父なる神の喜びの中に、私どもを招き入れるためであったのです。
クリスマスは、故郷に立ち帰る時です。父なる神の懐に立ち帰る時です。神から離れて、自分の力だけで生きていたあなたも。信仰に迷い、さまよっていたあなたも。礼拝から離れていたあなたも。そして神の御許にいながら、実は失われていたあなたも。父な神はあなたを見つけ出し、憐れに思い、走り寄り、首を抱き、懐の中に招き入れ、喜びを爆発させて下さるのです。
お祈りいたします。
「父なる神の懐から飛び出し、自分の力だけで生きようとしていた私どもです。自分を見失い、どのように生きたらよいのか、さまよっていた私どもです。父なる神のお側近くにいながら、実は失われた存在である私どもです。しかし、父なる神はそのような私どもを見つけ出し、走り寄り、首を抱き、懐に迎え入れて下さるのです。そのために愛する独り子を十字架に引き渡し、自ら腸を引き裂いてまで、私どもを立ち帰らせて下さるのです。神の憐れみの走り寄りが、私にも、あなたにも迫っていることを実感させて下さい。
父なる神の懐に立ち帰った私どもの一人一人の神の喜びを十分の味わうクリスマスを迎えさせて下さい。
この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。