「神を見たものはいない」
詩編103:8~22
ヨハネ1:14~18
主日礼拝
井ノ川 勝
2023年3月26日
1.①3月は旅立ちの季節です。今朝の礼拝を最後に、4月より新しい地で学びを始められる方もいます。それぞれの学校で卒業式が行われました。卒業式の話を聞いたり、卒業式の映像を見たりいたしますと、卒業式の思い出が心によぎります。自分の卒業式、わが子の卒業式、教え子の卒業式。私は以前伝道していた伊勢の教会で、幼稚園の園長もしていました。30回卒園式に出席し、最後の年は創立100回目の卒園式でした。一回一回の卒園式に思い出があります。卒園式に向けて、園児たちは神さまへの手紙を書きます。その一つ一つの園児の神さまへの手紙、お祈りの言葉を忘れることが出来ません。その中に、このような手紙、お祈りがありました。
「神さま、いつも私たちのお祈りを聴いて下さって、ありがとう。でも、なぜ、神さまはお姿が見えないの」。
純粋な祈りです。でも、はっとさせられる祈りです。神さまのお姿は見えない。とても不思議に感じています。でも、神さまのお姿が見えないからといって、神さまがおられないのではない。神さまのお姿は見えなくても、神さまはいつも私たちのお祈りを聴いて下さる。私どもを見守って下さる。そのことを信じて、感謝し、神さまに向かってお話をしています。園児たちの純粋な祈りは、私ども大人が忘れている大切なことを気づかせているのではないでしょうか。
②受難節の日々を送っています。主イエスが十字架へ向かわれたご受難を覚えて、私どもも祈りながら日々を送っています。受難節の主の日、私どもはヨハネ福音書の冒頭の御言葉を聴きました。ヨハネ福音書の9章で、主イエスが生まれつき目の見えない人を癒され、見えるようにされた出来事があります。この出来事が切っ掛けとなって、主イエスと信仰の指導者であった律法学者たちとの間で、論争になりました。主イエスは律法学者に向かって、最後にこう語られました。
「しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある」。
私どもは何でも見えている。いや、他の人が見えないことまで見えている。見えているものこそ確かなもの。見えないものは存在しないもの。しかし、主イエスは語られました。「見えると言い張るところに、あなたがたの罪がある」。今日の世界に生きる私どもに向かって語られている主イエスの問いかけです。
2.①聖書を読んでいて、驚くような御言葉と出会います。その一つが、ヨハネ福音書の冒頭で語られていました。
「いまだかつて、神を見た者はいない」。
この御言葉は、旧約聖書の出エジプト記33章で、モーセがシナイ山に登り、神から十戒を受け取った時に、神が語られた御言葉と響き合っていると言われています。
「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである」。
「いまだかつて、神を見た者はいない」。何と大胆な言葉であろうかと思います。「いまだかつて、神を見た者はいない。一人もいない」。そのような思いが込められた言葉です。しかし同時に、このような大胆な言葉が語られた背景があったと思われます。私は神を見た。私も神を見た。私は神を見る不思議な体験をした。私は神を見る神秘的な体験をした。そのようにして、新しい宗教が次々に生まれて行った現実があった。それは今日でもなお続いています。私は神を見たと言って、新しい教祖が生まれ、新しい宗教が生まれて行く。しかし、ヨハネ福音書は大胆に語ります。
「いまだかつて、神を見た者はいない」。
ところが、ヨハネ福音書はこの言葉で終わっていません。後に続く言葉があります。この言葉がとても大切です。
「父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」。
私どもは神を見ることは出来ません。しかし、ただお一人の方が神を示された。そのお方こそ、父のふところにいる独り子である神。
ヨハネ福音書は、独特な始まり方をしています。
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」。
日本語で最初に訳された言葉です。リズムを刻むように言葉を紡いでいます。最初の教会の礼拝で歌われた讃美歌であったと言われています。「初めに言があった」。この「言」とは誰なのか。1章17節で初めて、それが明らかにされます。ここで初めて、「イエス・キリスト」という名が登場します。そしてイエス・キリストの物語が始まる。私どもとの出会いの物語が始まります。「イエス・キリスト」という名が登場し、イエス・キリストとは誰なのかを語り始める時に、真っ先に語った言葉が、この言葉であったのです。
「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」。
唯一神を示されたお方は、父のふところにいる独り子である神、すなわち、主イエス・キリストだけであったのです。私どもは神を見ることは出来ません。しかし、父のふところにいる独り子である神、主イエス・キリストにおいて、神を知ることが出来る。神がどのような神であられるかを知ることが出来る。私どもの信仰の要は、父のふところにいる独り子である神、主イエス・キリストであるのです。
②「父のふところにいる独り子である神」。私はこの言葉に心惹かれます。私の好きな信仰の表現です。「父のふところ」。素敵な表現です。私どもの命はお母さんのふところに抱かれることから始まりました。お父さんのふところに抱かれることから始まりました。お母さんのふところのおっぱいを吸うことから始まりました。お母さんのふところの愛情に包まれることから始まりました。お父さんのふところの心臓の鼓動を聞くことから始まりました。私どもの記憶には残っていません。しかし、私どもの体の記憶にはしっかりと残っています。
主イエスは父のふところにいる独り子である神。父のふところに抱かれ、父のいのちの鼓動をいつも聴いておられた。父のいのちの鼓動をいつも聴いておられたということは、父の御心を聴いておられたということです。主イエスは父なる神といつも一体であられた独り子である神。それ故、父のふところにいる独り子である神イエスこそが唯一、神を示すことがお出来になった。
実は、ヨハネ福音書において、「ふところ」という言葉がもう一箇所用いられています。13章25節です。主イエスが十字架につけられる前夜、弟子たちと最後の晩餐をされました。弟子たちの中で、「イエスの胸もと」に寄りかかっていた弟子がいました。主イエスの愛しておられた弟子、愛弟子です。ヨハネではないかと言われています。「イエスの胸もと」、これが「イエスのふところ」です。最後の晩餐の絵は多くの画家が描いています。教会の信仰にとって大切な場面であるからです。ペトロよりも、もっと近く、主イエスの胸もとに寄りかかっていたのが、主イエスの愛弟子ヨハネでした。主イエスの胸もと、ふところに生きたヨハネが、主イエスの十字架へ向かわれる激しいご決意、弟子に裏切られる痛み、それでもなお、弟子たちを愛し抜こうとされる愛。主イエスの胸もと、ふところから伝わって来る様々ないのちの鼓動を感じながら、この福音書を綴ったのです。私どもを主イエスの胸もと、ふところへ招くためです。主イエスの胸もと、ふところへ招き入れることが、父なる神のふところへ私どもを招くことと一つなのです。
私どもは、遠くから主イエスの胸もと、ふところを眺めていたのでは、主イエスの愛を真実に実感出来ません。主イエスの胸もと、ふところに招き入れられて、初めて主イエスの愛の鼓動、いのちの鼓動を実感することが出来るのです。主イエスは今、あなたを主イエスの胸もと、ふところへ招き入れておられるのです。
3.①ここで改めて、本日の中心聖句に、私どもの焦点を合わせたいと願います。「父のふところにいる独り子である神」。「イエス・キリスト」という名を初めて紹介し、イエス・キリストとは誰かを紹介する時に、初めて語った言葉です。ここで注目すべきは、「父のふところにいる独り子」ではなく、「父のふところにいる独り子である神」と紹介していることです。父のふところにいる独り子である主イエス・キリストも、神であると告白しているのです。父なる神と一体であるからです。
私が神学生の時、新約聖書神学を教えておられた一人が、松永希久夫先生でした。日本におけるヨハネ福音書研究の第一人者でした。恐らく、ヨハネ福音書の註解書と説教集を出版したいと願っていたことでしょう。しかし、東京神学大学の学長という激務で、心筋梗塞のため逝去され、その志は果たされませんでした。それは日本で伝道する私ども伝道者にとっても、大きな損失でした。しかし、ヨハネ福音書の註解書全5巻の内、第1巻だけは出版されました。その本の題名は『独り子なる神イエス』です。今日の御言葉から採られた題名です。松永先生の主イエスへの信仰告白です。異教の地日本で伝道された伝道者の信仰告白です。しかし、主イエスを「独り子なる神」と告白することで、キリスト教会はユダヤ教の会堂から追い出され、厳しい迫害を受けることになりました。ユダヤ教の信仰は天地の造り主なる神以外に、神を告白することはあり得ないからです。しかし、キリスト教会は「独り子なる神イエス」と告白することを厭いませんでした。主イエスの胸もと、ふところで生きることが、父なる神のふところで生きることと、一つであると信じたからです。「独り子なる神イエス」という告白に、信仰の闘い、殉教者の血が流れているのです。
ヨハネ福音書は独り子である主イエスへの信仰を、とても大切にしています。今朝も礼拝で、聖書の信仰を凝縮して言い表した「使徒信条」を告白しました。全てのキリスト教会が信仰の土台としている信仰告白です。その中心は、主イエスへの信仰です。主イエスへの信仰を三つの言葉で言い表しています。
「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず」。
イエスは独り子、われらの主、キリスト、救い主。その中で、主イエスは独り子であるという信仰は、このヨハネ福音書から導き出された信仰です。しかし、私どもは、イエスはわれらの主、キリスト、救い主であるという告白の意味は知っていても、イエスは独り子であるという告白の意味は余り知らないのではないでしょうか。私どもに信仰にとって、どのような意味があるのかです。
②スイスのチューリッヒで牧師であったブルンナー牧師は、第二次世界大戦が始まりますと、「使徒信条」の講解説教を始めました。世界が揺れ動く戦争の最中にあって、教会の信仰に堅く立つためでした。後に、『我は生ける神を信ず』という説教集になりました。ブルンナー牧師はチューリッヒ大学の神学者でもありましたが、戦後、日本に来られ、国際基督教大学の教授として2年間奉仕され、日本伝道のために身を献げられました。ブルンナー牧師が「われはその独り子イエス」への信仰を説教された時、このように語られました。
「世界は今、レーニン、スターリン、ヒトラーといった独裁者が、世界の諸国を脅かしています。もしキリスト教世界が真に聖霊の『独裁』の下に服したとするなら、今日の無法者たちの『独裁』はなかったでありましょう」。
面白い表現です。しかし、内容は深刻です。「独裁」という言葉は、国家の絶大な権力が独りの人間に委ねられ、独りの人間に支配する権力が集中することです。独断で政治的な裁きをすることです。今日でも新たな独裁者が生まれて、諸国を脅かしています。
ブルンナー牧師は、支配者たちの「独裁」と対比して、「聖霊の独裁」という言葉を敢えて用いています。聖霊の独裁、神の霊の独裁は、独り子の独裁と言い換えてもよいでしょう。「独り子」と「独裁」が結び付けられています。神から権能を委ねられ、その権能を神の御心に適って正しく行使するのは、独り子イエスのみ。独り子イエスのみが、神から委ねられた権能を正しく行使して、世界を支配することが出来る。地上の独裁者は世界の諸国を支配するために、権力を力ずくで行使します。しかし、独り子主イエスは全く異なった仕方で、神の権能を行使されました。父のふところにいる独り子は、どこへ向かわれたのでしょうか。
1章14節でこう語られています。
「言は肉体となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。
神の独り子イエスは私どもと同じ肉体を纏われ、私どもの間に宿って下さった。「宿る」という言葉は、テントを張って、一緒に住むということです。私どもと共に歩み、生きて下さった。更に、独り子イエスは最後の晩餐の席で、弟子たちの前にひざまずき、弟子たちの足を洗って下さった。主人が僕の仕事をされ、仕えて下さり、愛の支配を示されました。そして十字架に至るまで、低きに降られ、愛をもって仕えて下さいました。全ては私どもを力で支配するのではなく、愛をもって私どもを支配し、生かすためであったのです。それは独り子イエスのみが行える愛の独裁、愛の支配であったのです。
4.①父のふところにいる独り子である神イエス。「独り子」には、他のものに替えることの出来ないいのちであることを現しています。先週の水曜日の祈祷会で、ヨナ物語の結びの言葉を黙想しました。大きな魚に呑み込まれたヨナの物語は、幼稚園の園児、教会学校の子どもたちも大好きな物語です。そのヨナ物語の結びは、異邦人の町ニネベをも惜しまずにいられない神の愛の御心で閉じられています。惜しまずにいられない神。これは創世記22章のアブラハム物語でも語られています。神はアブラハムに語りかけました。百歳にして漸く与えられた独り息子を、神への献げものとして、自らの手で殺して献げなさいと。アブラハムにとって、大切な独り子です。他に替わりのいのちはいないのです。アブラハムの心の中の葛藤は一切語られていません。心引き裂かれる思いであったと思われます。黙々とモリヤの山へ行き、神のご命令に従います。祭壇を築き、息子イサクを縛って、祭壇に載せ、アブラハムが斧を振り下ろそうとした時、神は語られました。
「あなたは自分の独り子である息子すら惜しまなかったので」。
伝道者パウロは、自分の独り子である息子すら惜しまれなかったアブラハムの思いを、父なる神の思いと重ね合わせて語りました。ローマの信徒への手紙8章32節です。
「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」。
父のふところにいる独り子を、十字架へ向かって手放される決意をされた父なる神。それは独り子を自らの手で神に献げようとした父アブラハムの心と重なり合って、心引き裂かれる痛みが伴う決意であったと思われます。しかし、全ては私どもがニネベの町のように滅びず、父なる神へのふところへ招き入れるためであったのです。独り子。それは十字架へ向かわれる独り子です。それは主イエス以外にはおられない独り子であるということです。
ヨハネ福音書は独り子イエスの十字架の出来事を、このように言い表しました。ヨハネ福音書の心臓部です。3章16節。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。
②「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」。
ヨハネ福音書の冒頭にあるこの御言葉は、この福音書の結びを目指していると言われています。20章24節以下です。主イエスの弟子トマスだけが、十字架で死なれた主イエスが甦られたことを信じることが出来ませんでした。私は私の目で、主イエスの手に十字架の釘跡を見、私の指を、主イエスの十字架の釘跡に入れ、私の手で主イエスの十字架のわき腹の槍の跡に入れてみなければ、私は絶対信じない。しかし、日曜日、甦られた主イエスはトマス一人を目指して、鍵の掛かった弟子たちの家に入って来られました。そして主イエスはトマスの前に立たれ、語られました。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。甦られた主イエスは、自らのふところへトマスを招かれたのです。トマスは答えました。「わたしの主、わたしの神よ」。甦られた主イエスに向かって、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白しています。このトマスの信仰告白が、私ども教会の信仰告白になりました。甦られた主イエスは最後に、トマスに語られた。
「あなたはわたしを見たから信じたのか。それも幸い。しかし、あなたの後の世代は、わたしを見なくても信じる。それは更に幸である」。
ドイツの彫刻家バルラッハはこの場面を木彫で造り上げました。バルラッハはナチに反旗を翻しました。そのため、多くの作品がナチに奪われ、破壊されました。しかしこの場面の木彫は残りました。「再会」という作品です。甦られた主イエスがトマスの両脇に手を伸ばし、トマスを主イエスのふところに招き入れ、トマスを支えています。主イエスの手には十字架の釘跡がある。トマスは若者ではなく、皺だらけの老人として彫られています。ナチと闘い、疲れ果てたバルラッハ自身でもあります。甦られた主イエスが両手で支え、ふところに招き入れて下さらなければ、トマスはくずおれてしまいそうです。トマスは霞んだ目で、しかし、甦られた主イエスのまなざしを見上げています。甦られた主イエスのふところの中に、父なる神のふところを見、今、自らがそのふところの中に招き入れられている。その甦られた主イエスのふところの中で生まれたトマスの信仰告白こそ、この言葉でした。「わが主よ、わが神よ」。「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」と響き合う信仰告白です。
先程、紹介した第二次世界大戦下のブルンナー牧師の説教の中で、こう語られていました。
「ちょうど幼な子が恐ろしいことにあったとき、母親のエプロンのなかに身をかくすように、わたしたちもイエス・キリストにおける神の恩寵のなかに身を投げ出して、それに包まれなければならないということです。そのエプロンのなかでは、幼な子はどんなに泣いてもいいのだし、そこでなだめられ、そしてまた喜びながら道に飛び出して行けるのです」。
私どもにとっての母親のエプロンは、甦られた主イエス・キリストのふところです。私どもにはそこに逃れ場があるのです。主イエス・キリストのふところで涙を流せるのです。そこで慰められ、力を注がれるのです。そして主イエス・キリストのふところから、新たに立たせていただくのです。「主こそ、わが逃れ場、わが避け所」「わが主よ、わが神よ」と告白して、新たに立たせていただくのです。
お祈りいたします。
「父のふところにいる独り子である神イエスが、私どもと同じ肉体を纏って来られ、私たちの間に宿り、私どもと共に生きて下さったのです。私どもの罪の足を、ひざまずいて洗って下さったのです。十字架にまで低きに降られ、私どもに仕え、愛を注いで下さったのです。疲れ果てた私どもを、甦られたふところに招き入れて下さったのです。甦られた主イエスのふところの中で、私どもを慰め、立たせて下さい。わが主よ、わが神よ、と告白しつつ立たせて下さい。
この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。