top of page

2026年7月15日

「アブラハム物語を黙想する4~アブラムは主を信じた、主はそれを彼の義と認められた~」

創世記15章1~21節

井ノ川勝

1.恐れるな、私はあなたの盾である

(1)「アブラハム物語」の中心となる御言葉はどれでしょうか。アブラハムが「信仰の父」と呼ばれる所以はどこにあるのでしょうか。皆さんはどう答えられるでしょうか。「アブラハム物語」の冒頭の創世記12章、主の御言葉に導かれ、行く先も分からずに旅立ったアブラハムの信仰を挙げる方もいるでしょう。あるいは、「アブラハム物語」の結びとも言える22章、主の御言葉に導かれ、息子イサクをモリヤの山で献げたアブラハムの信仰を挙げる方もいることでしょう。しかし、今日、私どもが黙想する15章6節を挙げる方もいます。「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」。聖書の中で初めて、「主を信じ、義と認められた」という言葉が登場します。この御言葉に注目したのは、パウロです。ローマの信徒への手紙4章で、アブラハムは行いではなく、信仰によって義とされたとし、「信仰の父」である所以がここにあると語ります。更に、ルターはローマの信徒への手紙の「信仰によって義とされる」に注目し、「信仰義認」が宗教改革を切り拓く御言葉となりました。創世記15章の御言葉は、私どもプロテスタント教会の信仰の原点となる御言葉です。

 

(2)「アブラハム物語」は神の約束から始まりました。「あなたは祝福の基となる。地上のすべての氏族は、あなたによって祝福される」。アブラハムに約束された「祝福」は、具体的には一つは約束の地が与えられること、もう一つは子どもが与えられることでした。神の約束は何年も、信じて待ち望むことです。ところが、神の約束は何年経っても実現しません。アブラハムも妻サライも高齢ですから、一年一年、人間の現実からすれば、子どもが与えられる可能性が少なくなって行きました。神の約束を信じて待つことに、苛立ちがありました。

 そのような中で、主の言葉がアブラムに臨みました。全ての始まりは、いつも「主の言葉が臨んだ」「主は語られた」にあります。1節「これらのことの後、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ」。「これらのことの後」とは、神の約束を受けて以来、様々な出来事を経験したことを指しています。

 「恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい」。主はアブラハムの不安を知っておられます。それ故、「恐れるな」と語りかけます。「私はあなたの盾である」と語りかけます。この言葉は、モーセが最後を迎える時、神がモーセを祝福された結びの言葉です。申命記33・29。詩編3・4を始め、詩編に用いられます。

 

2.アブラムは主を信じた、主はそれを彼の義と認められた

(1)2節「アブラムは言った。『主なる神よ。私に何をくださるというのですか。私には子どもがいませんのに。家の跡継ぎはダマスコのエリエゼルです』」。アブラハムは主の約束を信じて待ちきれなくなります。日に日に老いて行く自らの現実と向き合いながら、人間の手立てで跡継ぎを設けました。家の僕ダマスコのエリエゼルです。

 3節「アブラムは続けて言った。『あなたは私に子孫を与えてくださいませんでした。ですから家の僕が跡を継ぐのです』」。アブラハムは約束を実現してくれない主に向かって、不平を述べます。

 4節「すると、主の言葉が彼に臨んだ。『その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなた自身から生まれる者が跡を継ぐ』。主はアブラムを外に連れ出して言われた。『天を見上げて、星を数えることができるなら、数えてみなさい』。そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる』」。

 アブラハム物語の中で、最も美しい場面です。神は約束を忘れてはおられない。天を見上げ、夜空に輝く満天の星を数えてみなさい。あなたの子孫は星の数だけ与えられる。この御言葉から、「数えてみよ、主の恵みを」という言葉、讃美歌が生まれました。

 6節「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」。満天に輝く夜空の星を見上げ、アブラハムは主を信じました。主の約束を信じました。主はそれを彼の義と認められました。「義」とは神との義しい関係が成り立つことです。

 

(2)7節「主は言われた。『私はこの地をあなたに与えて、それを継がせるために、あなたをカルデアのウルから連れ出した主である』」。主を信じたアブラムを義とされる神の自己紹介です。「十戒」でも冒頭で神が自己紹介されます。

 8節「アブラムは尋ねた。『主なる神よ。私がそれを継ぐことを、どのようにして知ることができるでしょうか』。主は答えられた。『三歳の若い雌牛、三歳の雌山羊、三歳の雄羊、それに山鳩と鳩の雛を私のもとに持って来て来なさい』。アブラムはこれらのものをみな持って来て、真ん中で二つに切り裂き、切り裂いたものを互いに向かい合わせて置いた。鳥は切り裂かなかった。猛禽がこれらの死体の上に降りて来ると、アブラムはそれらを追い払った」。

 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。神はそれを契約で示されました。神がアブラハムと結ばれた契約です。

 12節「日が沈みかけた頃、アブラムは深い眠りに落ち、恐怖と深い闇が彼を襲った」。神との契約は、アブラハムが深い眠りに落ちた時になされました。この言葉は創世記2・21にも出て来ました。神は人を深い眠りに落とされ、人のあばら骨から女を造られました。神の重要な御業は、人が眠っている時になされます。神の独占活動です。

 13節「主はアブラムに言われた。『あなたはこのことをよく覚えておきなさい。あなたの子孫は、異国の地で寄留者となり、四百年の間、奴隷として仕え、苦しめられる。しかし、あなたの子孫を奴隷にするその国民を、私は裁く。その後、彼らは多くの財産を携えてそこから出て来る。あなた自身は良き晩年を迎えて葬られ、安らかに先祖のもとに行く。そして、四代目の者たちがここに戻って来る。それまでは、アモリ仁の悪が極みに達していないからである』」。神がアブラハムの子孫に土地を与える約束の実現は、四百年以上後、四代目のこと。気の遠くなるような年数です。しかし、それが神の約束を信じて待つこと。

 

3.その日、主はアブラムと契約を結ばれた

(1)17節「日が沈み、暗くなった頃、煙を吐く炉と燃える松明がこれらの裂かれた動物の間を通り過ぎた。こうしてその日、主はアブラムと契約を結んで言われた。『あなたの子孫にこの地を与える。エジプトの川からあの大河ユーフラテスに至るまでの、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を与える』」。神とアブラハムとの契約の出来事です。神は天から降られ、裂かれた動物の間を通り過ぎました。契約を破ったら、動物のように裂かれてもよいという制約です。しかし、契約は本来、双務契約です。アブラハムは深い眠りに落ち、裂かれた動物の間を通り過ぎていません。「主がアブラムと契約を結ばれた」。その契約とは、神の一方的な恵みの契約です。

 

(2)「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」。「その日、主はアブラムと契約を結ばれた」。この御言葉に注目したのが、パウロです。ローマの信徒への手紙4章で、「信仰によって義とされる」土台に、アブラハムの信仰を見ました。

1節「では、私たちがアブラハムを肉による先祖としていることについては、何というべきでしょう。もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書は何と言っていますか。『アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた』とあります。ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされます。しかし、不敬虔な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます」。

 3章31節「しかし今や、律法を離れて、しかも律法と預言者によって証しされて、神の義が現されました。神の義は、イエス・キリストの真実によって、信ずる者すべてに現されたのです。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっていますが、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです」。1・16~17.

 ガラテヤの信徒への手紙2章15節「私たちは生まれながらのユダヤ人であり、異邦人のような罪人ではありません。しかし、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるものだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の行いによってではなく、キリストの真実によって義としていただくためです」。

 ルターはパウロのこれらの御言葉から、私たちが救われるのは行いによるのではなく、ただ信仰によってのみ、キリストの恵みよってのみ救われることを強調し、宗教改革の旗印としました。私たちプロテスタント教会の原点となりました。

4.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 7月15日の祈り イザヤ61・10 「主よ、われらの神よ、われらは祈り願います。聖霊の力を見いださせ、われらの生が高められ、低いところにとどまることのないようにしてください。強められて人生の戦いを身にひきうけることができるようにしてください。われらを聖霊の子とし、聖霊のうちをあゆませてください。あらゆる怠慢からわれらを守り、われらが常に強く、しかもよろこびあり、われらのすべての道にあって忠告と助けを得てあなたの栄光のためのものとなり、あなたがわれらの神であり、われらの真実の助けであることを証言することができるようにしてください。アーメン」。

石川県金沢市柿木畠5番2号

TEL 076-221-5396 FAX 076-263-3951

© 日本基督教団 金沢教会

bottom of page