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2024年1月31日

「ヨハネの黙示録を黙想する21~見よ、小羊がシオンの山に立っており~」

ヨハネの黙示録13章11節~14章5節

井ノ川勝

1.わたしはもう一匹の獣が地中から上って来るのを見た

(1)ヨハネの黙示録は、ローマ帝国の迫害の時代、流刑されたパトモスの島で、主の日、僅かな者と礼拝を捧げていた伝道者ヨハネに、甦られたキリストが現れ、天の幻を見させた。その天の幻を書き留めた言葉です。天の幻を見ることは、現実から逃避して、空想に耽ることではありません。歴史に起こる厳しい現実を見るまなざしが与えられることです。同時に、厳しい現実の中に、神の御業が働いている、その見えない神の現実を見るまなざしが与えられることです。

 伝道者ヨハネは歴史の中に起きた厳しい現実に目を留めています。12章18節「そして、竜は海辺の砂の上に立った」。「竜」とはサタンです。天上で小羊キリストと戦い、打ち負かされ、地上に投げ落とされた竜であるサタンは、海辺の砂の上に立ち、態勢を整えて、小羊キリストとの最後の戦いに挑みます。竜であるサタンはどんな手段に打って出たのか。13章1節「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た」。竜であるサタンに導かれて、一匹の獣が海の中から上がって来ました。この「獣」とはローマ皇帝です。自らを神として拝まないキリスト者を呑み込む獣です。サタンは獣であるローマ皇帝に、悪魔的な力と権力を与えました。悪魔的な力と権力を授けられた獣であるローマ皇帝は、更に残虐な行為に打って出ました。それが今日の御言葉です。

(2)13章11節「わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た」。獣であるローマ皇帝は、もう一匹の獣を地中から呼び出しました。もう一匹の獣とは何を指しているのか。「この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた」。「小羊」とは主キリストです。この獣は主キリストに似ていた。竜であるサタンのように言葉を話していた。偽預言者、偽キリストです。主イエス御自身、終末が到来する前に、偽預言者、偽キリストが現れることを警句されていました。12節「この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた」。偽預言者、偽キリストは、第一の獣であるローマ皇帝から悪魔的な力と権力を授けられ、獣であるローマ皇帝を拝ませた。皇帝礼拝を強要しました。

カルヴァンが『ジュネーヴ教会信仰問答』で、神を神として拝まない者は、人間性を失い、獣と化すと語りました。獣の支配を受け、獣を神として拝む者は、自らも獣の心になってしまう。人間らしさを失ってしまう。恐ろしいことです。国家、権力者は悪魔的な力で従わせるために、国民を獣にしてしまうのです。「致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた」。これは自殺した皇帝ネロを指しています。今、教会を迫害しているドミティアヌス帝はネロの再来と呼ばれました。

 

2.獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた

(1)13節「そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた」。偽預言者、偽キリストは、「大きなしるし」を行った。ヨハネ黙示録は同じ黙示文学的表現をしているダニエル書が基になっています。預言者ダニエルはバビロンの王ネブカドネツァルを神として拝まず、燃え盛る炉の中に投げ込まれました。また獅子の洞窟に投げ込まれました。しかし、ダニエルは無傷でした。これと全く同じことを皇帝ネロの再来であるドミティアヌス帝はキリスト者に行いました。伝道者ヨハネが牧会していた教会員が、燃える炉の中に投げ決まれ、獅子と格闘させられて、殺されて行ったのです。伝道者にとって耐えられないことです。「人々の前から地上へ火を降らせた」。預言者エリヤがカルメル山で、バアルの預言者と闘った時、神は天から火を降らせて、主こそが神であることを現されました。預言者マラキは、「主の日が来る前に、預言者エリヤが遣わされる」と語りました。偽預言者、偽キリストは将に、自らがエリヤであると、大いなるしるしを行い、惑わしたのです。

 14節「更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた」。「剣で傷を負ったがなお生きている先の獣」とは、自殺した皇帝ネロです。ネロの再来であるドミティアヌス帝です。偽預言者、偽キリストは、獣の像、皇帝の像を造らせ、神として拝むよう命じました。15節「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた」。預言者は偶像礼拝と戦い、厳しく批判しました。偶像は「きゅうり畑のかかしのようで、口も利けず、歩けないので、運ばれて行く。そのようなものを恐れるな。彼らは災いをくだすことも、幸いをもたらすこともできない」(エレミヤ10・5)。ところが、第二の獣である偽預言者、偽キリストは、神のごとくに、獣の像に息を吹き込み、ものを言うことさえ出来るようにした。ローマ皇帝こそ生きた偶像です。サタンに支配された偶像です。生きた偶像であるローマ皇帝を拝まない者は、皆殺しにされました。それはどんな時代にも起こる歴史の現実です。

(2)16節「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた」。年齢、貧富、身分を超えてあらゆる者に、右手か額に、獣であるローマ皇帝の支配下にある者を現す刻印を押させた。17節「そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった」。ローマ皇帝の刻印を押されていないと、商売をすることも、物の売買もすることも許されなかった。村八分とされ、生活の基盤を失い、交わりから追放された。

 17b節「この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は666である」。右手か額に押された刻印は、獣の名か数字であった。その数字とは「666」であった。この数字は人間を指していた。一体誰を指しているのか。今日のようにアラビア数字が用いられるようになったのは、後の時代です。当時は、自分たちが用いていた言語で数字を表しました。Aを1,Bを2,Cを3と言うように数字で表しました。ネロをヘブライ語にして数字で表すと、666となるそうです。666は皇帝ネロを表している。また、777は完全数ですが、666は不完全数です。皇帝ネロは神ではない、不完全な王であることを表しているとも言われています。

 

3.見よ、小羊がシオンの山に立っており

(1)14章1節「また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており」。伝道者ヨハネは、パトモスの島で、竜であるサタンの支配、獣であるローマ皇帝の支配という厳しい現実を見ていました。しかし、同時に、天の幻を通して、神の御支配、神の現実を見ていました。「わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており」。小羊キリストがシオンの山、エルサレムに立っているのを、伝道者ヨハネは見ました。預言者ゼカリヤの預言を想い起こします。ゼカリヤ書14章4節「その日、主は御足をもって、エルサレムの東にある、オリーブ山の上に立たれる」。救い主はシオンの山、エルサレムに立たれる。

 小羊キリストは一人でシオンの山に立っているのではありません。「小羊と共に14万4千人の者たちがいて」。「14万4千人」という数字は、7章4節で語られていました。「わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは14万4千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた」。イスラエル12部族の一部族が1万2千人です。その12倍が14万4千人です。12は完全数で、共同体が成り立つ数字です。しかも、イスラエル12部族は、9節「見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数え切れないほどの大群衆」であった。小羊キリストによって12使徒を中心として立てられた新しいイスラエル、すなわち、キリスト教会を表しています。「その額には小羊の名と、小羊の父の名が記されていた」。洗礼によって、私どもは小羊「キリストの者」という名が記されている。小羊の父の名、「アッバ、父よ」が記されている。

(2)2節「わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった」。ヨハネ黙示録は画家たちの絵心を誘いました。同時に、音楽家の歌心を誘いました。一方で大水の轟くような音、激しい雷のような音が天から響いて来た。他方で竪琴の繊細な音も響いて来た。キリスト者の一人一人の賛美は繊細な声です。しかし、14万4千人が集まると、大水の轟くような音、雷のような音となります。「新しい歌」となって響きます。3節「彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた14万4千人の者たちのほかは、覚えることができなかった」。小羊キリストの十字架の贖いの血によって、新しくされたキリスト者が、14万4千人の聖歌隊に加えられ、「新しい歌」を大合唱している。その賛美こそが、サタンの支配、ローマ皇帝の支配に立ち向かう唯一の武器なのです。

 4節「彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである」。教会にとって厳しいことは、礼拝者を失うことである。しかし、小羊に贖われ、神と小羊に献げられる初穂として、14万4千人の天の聖歌隊に加えられ、「新しい歌」を大合唱して、地上に生きる私どもキリスト者の戦いを支え、励ますのです。

 

4.御言葉から祈りへ 

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳)1月31日 イザヤ62・1 「主よ、われらの神よ、われらは祈ります。あなたは至るところでわれらを迎えてくださり、われらの地上に、あなたの栄光を明らかにしてくださる方です。あなたにふさわしく自分のすべてにおいてあなたを代表しうるような人間にしてください。戦いや試練にあっても、耐え忍びうるだけの力を与えてください。救い主イエス・キリストによって、常にわれらに恵みの神となってください。そしてみ手のうちに身も魂もとどまり、聖霊によって生まれかわったあなたの正しい子として、天の父であるあなたのもとに赴くことを得させてください。アーメン」。

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