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2026年5月13日

「天地創造物語を黙想する7~主は地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた~」

創世記6章1~22節

井ノ川勝

1.ノアの箱舟物語は何を語りかけるのか

(1)創世記6~9章はノアの箱舟物語、洪水物語が語られている。この物語は現代を生きる私たちに、何を語りかけているのか。今日も自然災害により河川の氾濫、洪水が起き、人々の命を吞み込んでいる。また、人的災害である戦争という洪水が、人々の命を呑み込んでいる。ノアの洪水物語は人間の罪に対する神の警告、神の審きである。1973年、大江健三郎が『洪水はわが魂に及び』を書いた。現代社会、人間の罪が生み出す洪水は、人間の魂の内面のまで及び、瀕死の状態を生み出している。詩編の詩人、ヨナも叫ぶ。「神よ、わたしを救ってください。大水が喉元に達しました。わたしは深い沼にはまり込み、足がかりもありません。大水の深い底にまで沈み、奔流がわたしを押し流します」(詩編69・2~3,ヨナ書2・4~7)。現代を生きる私たちの叫びでもある。

 一般に、「ノアの箱舟物語」「ノアの洪水物語」と呼ばれる。しかし、厳密に言えば、「神の箱舟物語」「神の洪水物語」である。主人公はノアではない。ノアはひと言も語らない。神が語られ、神が御業を行われ、神が心の内面まで曝け出される。神が神であられることはどういうことかが主題である。神は滅びをもたらすことができるが故に、神こそが救いをもたらすことができる。

 

(2)「ノアの箱舟物語」はこのような御言葉から始まる。「さて、地上に人が増え始めたとき、彼らに娘が生まれた。神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。主は言われた。『私の霊が人の内に永遠にとどまることはない。人もまた肉にすぎない。その生涯は百二十年であろう』」。

「神の子ら」が誰を指すのか。一つは主が遣わされた御使いと言われる。主の御使いが人の娘たちを妻として選んだ。神の領域を越えてしまった。そのことに対して、主は審かれた。人の生涯を百二十年とされた。

 5章に「アダムの系図」があった。最初の人・アダムは九百三十年であった。その子孫も皆、九百年であった。驚くべき年数である。当時は年齢の数え方が違うとも言われる。また、年齢は神の恵みを表すので、神に造られた人間は神の恵みを多く与えられているとも言われる。九百三十年あった年数が百二十年になった。今日の人の生涯に近づいている。人の生涯も限りがあることを強調している。

 4節「その頃、またその後にも、地上にはネフィリムがいた。神の子らが人の娘たちのところに入り、娘たちが彼らに産んだ者たちである。昔からの勇士で、名の知れた男たちであった」。

 神の子ら、主の天使と人の娘たちとの間に生まれた者を、「ネフィリム」と呼んでいる。勇士であり、名の知れた男たちであった。どのような存在なのか。旧約聖書にもう一個所登場する。民数記13章32~33節。エジプトを脱出し、40年の荒れ野の旅を経て、約束の地カナンの一歩手前にやって来たモーセと神の民は、偵察隊を遣わした。その報告の言葉が記されている。「私たちがそこで見た民は皆、巨人だった。私たちはそこでネフィリムを見た」。「ネフィリム」とは巨人を意味する。

 創世記6章1~8節は、神の名が「主」(ヤハウェ)である。「ヤハウェ資料」が用いられている。紀元前10世紀のソロモン王時代にまとめられた文章である。「神の子ら」とは王を意味する。王に対する批判である。列王記上11章3節で、ソロモンには七百人の妃と三百人の側室がおり、彼女たちがソロモンの心を誤らせ、他の神々へ向けさせた。豊かな時代に生じた王の罪を厳しく批判する。

 

2.主は人を造ったことを悔やみ、心を痛められた

(1)5節「主は、地上に人の悪がはびこり、その心に計ることが常に悪に傾くのを見て、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた」。

 驚くべき言葉が語られる。主は人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。主の後悔と心痛が語られる。聖書が語る神は人格的な神である。無表情、無感動な神ではない。怒りを表し、愛を表す神である。主が後悔し、心痛められる。それはご自分が造られた人間をこよなく愛しておられるからである。人間が神に対して心を向けない時、神は後悔し、心痛められる。

 7節「主は言われた。『私は、創造した人を地の面から消し去る。人をはじめとして、家畜、這うもの、空の鳥までも、私はこれらを造ったことを悔やむ』」。

 主はご自分が造られた人間、この世界を滅ぼす決心を断腸の思いでされた。8節「だが、ノアは主の目に適う者であった」。

 

(2)9節「ノアの歴史は次のとおりである。その時代の中で、ノアは正しく、かつ全き人であった。神と共に歩んだのがノアであった。ノアは三人の息子、セムとハムとヤフェトをもうけた」。

 ノアの紹介がなされる。人が造り主を忘れ、地上に悪が満ちる中、ノアだけが神に対して正しく、全き人で、神と共に歩んだ。「全き人」とは神に対して真っ直ぐな人という意味である。

 11節「だが、地は神の前に腐敗していた。地は暴虐に満ちていた。神が地を見られると、確かに地は腐敗していた。すべての肉なる者が、地上でその道を腐敗させたからである」。

 再び、地上の腐敗が語られる。6章9~22節は、「神」(エロヒーム)が主語となる。「エロヒーム資料」(祭司資料)である。紀元前5世紀、バビロン捕囚時代にまとめられた。「ノアの箱舟物語」は「ヤハウェ資料」と「祭司資料」が交錯している。洪水物語をそれぞれの視点から見ている。

 

3.箱舟を造りなさい

(1)13節「神はノアに言われた。『すべての肉なるものの終わりが、私の前に来ている。彼らのゆえに地は暴虐で満ちているからである。今こそ、私は地と共に彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を設け、内側にも外側にもタールを塗りなさい。その造り方は次のとおりである。箱舟の長さは三百アンマ、幅は五十アンマ、高さは三十アンマ、箱舟には屋根を造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の戸口は横側に付けなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。私は今こそ、地上に大洪水をもたらす。命の息のあるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすためである。こうして地にあるすべてのものは息絶える』」。

 「滅ぼす」「終わる」「息絶える」という言葉が繰り返される。神の決断が語られる。しかし同時に、「箱舟を造りなさい」とノアに語られる。「箱舟」という言葉が繰り返される。しかもその箱舟は、長さ135メートル、幅22.5メートル、高さ13.5メートルという大きな箱舟である。バビロン捕囚時代、預言者エゼキエルが幻の中で見た新しいエルサレム神殿の寸法と同じである(エゼキエル書40~42章)。「箱舟」は生まれたばかりのモーセを入れたパピルスの籠(出エジプト2・3)と同じ言葉である。ノアの救済物語とモーセの救済物語が重ね合わされている。

 

(2)18節「だが、私はあなたと契約を立てる。あなたは、息子たち、妻、息子の妻たちと一緒に箱舟に入りなさい。また、あらゆる生き物、すべての肉なるものの中から、二匹ずつを箱舟に入れなさい。あなたと共に生きるためである。それらは雄と雌でなければならない。それぞれの種類の鳥、それぞれの種類の家畜、それぞれの種類の地を這うあらゆるもの、すべてが二匹ずつ、生き残るためにあなたのもとへやって来る。あなたは食べることのできるあらゆるものを自分のもとに集めなさい。それがあなたと彼らの食物となる」。

 「私はあなたと契約を立てる」。聖書で初めて「契約」が語られる。「ノアの箱舟物語」は神と人間を代表するノアとの契約の物語である。しかし、神が結ばれる契約は双務契約ではなく、神の一方的な恵みの契約である。「箱舟に入りなさい」。神の招きが繰り返し語られる。ノアだけでなく、その家族、あらゆる生き物が招かれる。神は地上を全て滅ぼすのではなく、神の審きを潜り抜けて、ノアとその家族、あらゆる生き物を残される。「残りの者の信仰」が語られる。それが神が結ばれた契約である。僅かに残った者から、神は新しい救いの御業を行われる。6章13~22節は「祭司資料:、バビロン捕囚時代にまとめられた資料である。バビロン捕囚という神の審きを潜り抜けて、残された僅かな者を通して、神は新しい救いの御業を行われることと重なり合わせている。

 22節「ノアはすべて神が命じられたとおりに行い、そのように実行した」。

 「箱舟を造りなさい」。神の命令に対し、ノアはひと言も反論することなく、従った。

 

4.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 5月13日の祈り ヨハネ12・46

「主よ、われらの神よ、あなたは闇のうちから光を照らし、明るい輝きをわれらの心に与えてくださいます。われらは自分が見ることをゆるされる多くの善きことのゆえに感謝します。そしてそのことによって明るくなり、大胆になりたいと思います。たとえなお、われらの周囲が暗く、不安のたねがつきませんでも、確固として大胆であり、あなたがわれらの心のうちに置いてくださったものを常に見て、そこであなたを認識したいと思います。聖霊においてわれらと共にいて、われらを導き、われらが、自分たちはあなたの栄光のためにつくられているのだということを、ますます明瞭に認識できるようにしてください。アーメン」。

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