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「しっかり立とう」

イザヤ書57:14~19
エフェソの信徒への手紙6:10~20

主日礼拝

井ノ川勝

2024年10月6日

00:00 / 33:47

1.①先週の水曜日、朝の祈祷会の前に、メールを開きました。富山二番町教会の勇文人牧師が、今朝、逝去されたとの知らせが飛び込んで来ました。余りにも突然のことで、驚き、心の鼓動が高まり、押さえることが出来ませんでした。一ヶ月前、膵臓癌との診断を受け、治療を始めた矢先に、突発性の心筋梗塞が起こり、急逝されました。遺された御家族、教会員のことを思いますと、心が痛みます。現任の牧師を失うことは、牧者を失った羊の群れのように、これからどうのように歩んで行ったら良いのか、戸惑い、途方に暮れる状態に置かれていると思います。今、主の日の礼拝を、教会員がどのような思いで捧げているのでしょうか。

 勇牧師は神学校卒業後、輪島教会、若草教会、富山二番町教会で、伝道、牧会をして来られました。私と同じで、ずっと中部教区の教会で伝道して来られた伝道者でした。勇牧師は私にとって、教区、教団で、キリストの兵士として共に闘って来た同志、闘士という思いがあります。いつも傍らに勇牧師の姿があった。大切なキリストの兵士を失ったという思いが強くあります。その姿が見られないことは、本当に淋しいことです。

 勇牧師の前夜式で、勇牧師の愛唱讃美歌を歌いました。その一つが『こどもさんびか』の「主に従い行くは」でした。しかも以前の讃美歌の歌詞でした。牧師の子として生まれた勇牧師が幼い頃から、教会学校で歌って来た讃美歌です。牧師の葬儀に、『こどもさんびか』を歌うことは異例なことです。

「主に従い行くは、いかに喜ばしき、心の空晴れて、光は照るよ、

 御跡を踏みつつ、共に進まん、御跡を踏みつつ、歌いで進まん」。

お名前の「文人」と「踏みつつ」とが重ね合わせられているのだと、葬儀説教で紹介されていました。勇牧師はこの『こどもさんびか』を歌いながら、キリストの兵士として、主イエス・キリストの御跡を踏みつつ、共に進み、歌いて進んで来たのだと、心に刻みました。

 

私どもに信仰が与えられる。それは座り込んでしまった私どもに、「あなたはそれでよいのだ」と慰めの福音が告げられることだと言われます。しかし、それだけではないと思います。私どもに福音が告げられることは、立ち上がることでもあります。しかもキリストの兵士となって立ち上がるのです。そのように言われますと、「とてもとても私には無理です」と言われる方がいると思います。

 しかし、信仰生活は戦いの生活でもあります。異教社会であるこの日本で、キリストへの信仰に生きようとする時に、そこには様々な戦いがあります。戦うためには座り込んだままでは戦えません。立ち上がらなければ戦えません。しかも私どもは一人では戦えません。それ故、キリストの教会に加えられ、キリストの兵士となって立ち上がって戦うのです。古より教会が大切にして来た信仰の言葉があります。「戦いの教会」です。地上を生きる教会は、歴史を生きる教会は、様々な戦いに遭遇し、戦いの教会として立ち上がり、戦って来たのです。昔の教会は戦って来た。しかし、今日の教会は「戦いの教会」という信仰を失っていないかとしばしば言われます。

 実は、新しい讃美歌21の中には、以前の讃美歌にあった「霊の戦い」の讃美歌が納められていません。意図的に省いたのかもしれません。例えば、「見よや、十字架の旗たかし」があります。元の歌詞は、「キリストの兵士たちよ、前進せよ」です。また、「立てよ、いざ立て、主のつわもの」があります。これらの讃美歌は讃美歌の軍歌とも言われて来ました。このような勇ましい讃美歌は、今日の時代にはふさわしくないと、讃美歌委員は考えたのでしょうか。しかし、このような勇ましい讃美歌を歌わなくなることにより、教会が「戦いの教会」「キリストの兵士」としての信仰を失ってしまったら、教会は益々弱くなって行きます。

 

2.①今朝、私どもが聴いた御言葉は、伝道者パウロがエフェソの教会の信徒に宛てた手紙です。こういう言葉から始まっていました。「最後に言う」。ただならぬ言葉です。この手紙の最後に言うという意味だけではありません。私の最後の言葉として言う、という思いが込められています。伝道者パウロはこのようにも語っています。

「わたしはこの福音の使者として鎖につながれています」。

伝道者パウロは今、獄の中にいます。しかも鎖に繋がれています。いつ殺されるか分からない。死と向き合っている。そのような中で、私の最後の言葉として聴いてほしいと、最後の力を振り絞り、魂を注いで、この言葉を語っているのです。

 「最後に言う。主に寄り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」。

アジア州にあるエフェソの町は日本社会と重なり合うところがあります。様々な異教の神々が祀られていました。祈禱師、占い師が人々の心を惑わしていました。そのような中で、キリストを人々に伝道して行くのです。そこで何よりも求められることは、キリストの教会が強くなることです。教会が強くなるためには、どうしたらよいのか。自分たちで力を振り絞っても強くはなれません。ただ主に寄り頼み、主キリストの偉大な力によって、強くしていただくのです。「主キリストの偉大な力によって」。元の言葉は、「主キリストの力の力によって」です。「キリストの力」が重ね合わせられています。主キリストの力を幾重にも重ね合わせて、キリストの教会を強くしていただくのです。

 

今日の御言葉で、繰り返し語られている言葉があります。「立つ」です。「悪魔の策略に対抗して立つことができるように」。「しっかりと立つことができるように」。「立って、真理を帯として腰に締め」。実に三回も「立て」「立て」「立て」と語りかけています。主に寄り頼み、主の偉大な力によって強くなることは、主によって立つことです。本日の説教題は「しっかり立とう」です。この御言葉から採られたものです。「しっかり立つ」。それは「固く立つ」ことです。「揺らぐことなく立つ」ことです。何故、立ち上がるのでしょうか。戦うためです。戦いの姿勢を執るためです。

 私どもは礼拝で、聖書朗読の時、座って聴きます。ところが、ヨーロッパの教会では、聖書朗読の時、会衆は立って聴きます。祈りの時も立って祈ります。立ち上がることは何よりも、御言葉を聴くためです。主に向かって祈るためです。御言葉を聴くことなしに、祈ることなしに、教会の戦いはあり得ません。

 信仰生活には戦いがある。教会の歩みには戦いがある。戦いがあるということは、敵がいるということです。一体、どのような敵なのでしょうか。伝道者パウロは語ります。

「悪魔の策略に対抗して立つことができるように」。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」。私どもが生きる世界には、悪魔的な力としか見えない悪の諸霊が存在し、大手を振るっています。悪魔的な力は、私どもを神から引き離そうとする力です。「お前が信じている神は本当に生きておられるのか」と、ささやき、惑わします。悪魔はいかにも悪魔の顔をしないで、私どもに近づき、誘惑します。そのような悪魔の策略に対抗するためには、どうしたらよいのか。

 

3.①「立つ」という言葉と共に、伝道者パウロが繰り返し語っている言葉があります。「神の武具を身に着けなさい」です。

「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」。「しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」。

「神の武具を身に着ける」ことと、「立つ」ということとが、一つになって語られています。

 「身に着ける」という言葉は、洗礼式の時に用いられた言葉です。最初の教会は主の日の朝、太陽が昇るとともに、川で全身、水に浸りました。その時、白い衣を身に纏いました。私どもは洗礼によって、古い着物を脱ぎ捨て、新しい衣を着せられるのです。キリストの衣を身に纏うのです。キリストの衣を身に纏う。それは同時に、神の武具を身に着けることでもあったのです。当時は、ローマ帝国のキリスト教会への迫害の時代でした。洗礼を受け、キリスト者になることは、殉教を覚悟することでもありました。自らの死と向き合うことでありました。悪魔的な力の誘惑の中で、信仰生活を貫くことでもありました。信仰に生きることは、戦いに生きることでした。それ故、神の武具を身に着ける必要があったのです。

それでは、神の武具とは何なのでしょうか。伝道者パウロは三つのものを上げています。「真理の帯を腰に締め」、「正義の胸当てを着け」、「平和の福音を告げる準備を履物としなさい」。

 三つ目の言葉が面白いですね。「平和の福音を告げる準備を履物としなさい」。私ども一人一人がキリストから遣わされた使者となって、「平和の福音」を告げ知らせるのです。「平和の福音」。キリストが来て下さったことにより、神があなたと共におられ、あなたと共に生きておられる。そこに神の平安がある。この「平和の福音」を告げ知らせるためには、履物を履かなければならに。キリストの出撃命令があったならば、キリストの使者として、いつでもすぐに立ち上がり、一歩を踏み出すために、履物を準備しておかなければならない。平和の福音を告げる準備が履物なのだと言うのです。

 これらの神の武具を身に纏うキリストの兵士である私どもの戦いは、キリストを伝える伝道の戦いであるのです。

 

私どもが身に着けるべき三つの神の武具。真理の帯を腰に締め、正義の胸当てを着け、平和の福音を告げる準備を履物とする。しかし、伝道者パウロは、なおその上に、三つのものを手に取りなさいと勧めます。信仰の盾を手に取りなさい。救いの兜を被りなさい。霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。そして更に、祈りが加えられるのです。

「どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」。「また、わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください」。

祈りは自分のためだけではなく、共に戦っている信仰の友のため、そして伝道者のため、伝道者パウロのためにも執り成し、祈ってほしいと語るのです。執り成しの祈りの支えなくして、私どもは立つことも出来ないし、戦うことも出来ないからです。

 そして伝道者パウロは最後に語ります。

「わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも、語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください」。

 伝道者パウロは今、牢屋で鎖に繋がれています。いつ死を迎えるか分からない、緊迫感にあります。しかし、どんな時にも語るべきことを大胆に、憚ることなく語れるように、祈ってほしいと教会員にお願いしているのです。パウロは若き伝道者テモテに宛てた手紙でこう語りました。

「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖に繋がれています。しかし、神の言葉はつながれていません」。

誠に大胆な言葉です。この世の権力者は悪魔の策略を受けて、神の言葉をこの世界から抹殺しようとする。そのために福音の使者を捕らえ、鎖に繋げようとする。しかし、たとえ福音の使者が鎖に繋がれても、神の言葉を鎖に繋げることなど出来ない。それ故、パウロはここでも、鎖に繋がれた福音の使者である私が、大胆に、憚ることなく、語るべき神の言葉を語れるように祈ってほしいと、教会員に願うのです。伝道者の切実な祈りです。

 

4.①祈ることは、同時に、歌うことでもあります。祈ることは、讃美歌を歌うことでもあります。それがキリスト者の戦いの武器であるのです。恐らく伝道者パウロは獄に入れられ、鎖に繋がれても、暗い牢の中で、讃美歌を歌ったと思います。エフェソの教会員も、教会に集い、パウロ先生を覚えて祈り、讃美歌を歌ったことでしょう。

 10月末に宗教改革記念日を迎えます。宗教改革の時代、フランスで、プロテスタントの信仰、改革派の信仰に改宗した人々を、ユグノーと呼びました。ローマ・カトリック教会はユグノーを捕らえ、弾圧を加えました。火あぶりにしました。しかし、火あぶりにされても、ユグノーの人々の讃美歌を歌う声は途絶えることはなった。カトリックの人々はそれに恐れを感じました。誠にすさまじい信仰です。

 主の日の朝、主に招かれて、主の御前に立ち、神の民が讃美歌を歌う。様々な権力者が支配し、皇帝賛歌が鳴り渡る世界の只中に、主を賛美する讃美歌を歌う群れが存在している。このこと事態が信仰の戦いです。神の武具を身に着けたキリストの兵士が、真理の帯を締め、正義の胸当てを着け、平和の福音を告げる備えを履物とし、信仰の盾を手に取り、救いの兜を被り、霊の剣、神の言葉を取り、立ち上がって、祈りつつ讃美歌を歌うのです。「キリストの兵士たちよ、前進せよ」。「十字架のイエスこそ、われらの主なり」。

「見よや、十字架の旗高し、君なるイエスは先立てり、

 進め、つわもの、進み行き、雄々しく仇に立ち迎え、

 進め、つわもの、いざ進め、十字架の御旗、先立てり」。

 

先週の水曜日、富山二番町教会の伝道者・勇文人牧師が逝去されました。膵臓癌の治療のため入院をされた時、妻に、聖書と讃美歌と、もう一冊の本を持って来てほしいと頼みました。もう一冊の本とは、東京神学大学の近藤勝彦先生の説教集『中断される人生』でした。説教集の題名となりましたこの説教は、私が神学校に入学した年、礼拝堂で語られた説教でした。今でも深く心に刻まれている説教です。近藤先生の父は48歳、妻の父は46歳で、突然亡くなりました。二人とも、今や人生の佳境に入り、これから仕事を完成に向けて、果たすべき責任を果たして行こうとする時、やらなければならないことがふんだんにある。まさにその時に突然死を迎えた。それは中断された人生であった。

 実はこの二人の父が特別であったのではなく、私どもも中断される人生を生きている。私ども一人一人にも、やらなければならない仕事がある。果たさなければならない責任がある。しかし、死によって私どもの仕事と責任は中断されてしまう。地上の人生において完成することはない。そういう人生を私どもは生きている。

 主の日、私ども一人一人は、平日にやりかけた仕事、責任を中断して、主の御前に立って礼拝を捧げている。主の日の礼拝ごとに、私どもは中断される人生を生きている。そして真実の完成とは何かを、主に問いかけ、主の御言葉を聴きながら、礼拝を捧げている。

 勇牧師が何故、『中断された人生』を持って来てほしいと、妻に頼んだのか。突然の癌の宣告、死の宣告を受け、中断された人生に直面し、残された人生をどのように生きるべきか、近藤先生の説教の言葉を聴きたいと願ったからなのでしょうか。勇牧師は教区、教団で、幾つも責任ある仕事を担っておられました。地震で被災された輪島教会の再建委員の大切なお一人でした。最初の赴任地であり、転任する最後の主の日の朝、能登半島で地震が起こり、後ろ髪を引かれるように輪島教会を後にしました。輪島教会には特別な思いがあり、輪島教会の再建を誰よりも強く願っていました。最後まで心にあった教会でした。自らの葬儀のお花料も輪島教会の再建のために用いてほしいという遺言からも、そのことが窺えます

 

実は、勇牧師は10月13日は東京の教会で特別伝道礼拝、20日は富山二番町教会で特別伝道礼拝を予定していました。癌という病を負うた今でなければ語れない福音がある。それが「中断された人生」であったのです。病室において、伝道礼拝の説教の準備をするために、近藤先生の説教集『中断された人生』を持って来させた理由であったのです。伝道者パウロの祈りと重なり合っています。

「わたしはこの福音の使者として、死の鎖につながれています。しかし、それでも、語るべきことは大胆に、憚ることなく語れるように、祈ってください」。

 勇牧師が死に至る最後まで残された祈りです。死の床までも、伝道者としての伝道の戦いの姿勢を崩されなかったのです。その伝道者の姿勢は、今、主の日の礼拝を捧げられている富山二番町教会の信徒たちにも受け継がれているのです。それは今、主の御前で、キリストの兵士として礼拝を捧げている私ども主の群れにも受け継がれるべき伝道のスピリットなのです。

 

 お祈りいたします。

「悪魔の策略が私どもを惑わし、誘惑します。しかし、主よ、あなたは私どもをキリストの兵士として選び、主の群に加えて下さったのです。主の偉大な力によって強くして下さい。神の武具を身に着けさせて下さい。真理の帯を締め、正義の胸当てを着け、平和の福音を告げる備えを履物とし、信仰の盾を手に取り、救いの兜を被り、霊の剣、神の言葉を取らせて下さい。私どもの戦いの武器は御言葉です。祈りです。讃美歌です。どのような時も、死を前にしても、見よや、十字架の旗高しと歌って、前進させて下さい。死に至るまで、伝道の戦いのために用いて下さい。

 この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。

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