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「つかみ取る人生、つかまれる人生」

イザヤ65:1~5a
マルコ5:21~34

主日礼拝

牧師 井ノ川 勝

2023年5月21日

00:00 / 39:49

1.①私は以前、幼稚園のある伊勢の教会で伝道していました。牧師であり、幼稚園の園長でもありました。園児たちが園庭で交わす何気ない日常の会話に、いつも新鮮な驚きを感じていました。ある日のことです。けんたくんが空を眺めていました。空に向かって手を差し伸べていました。かよちゃんがけんたくん近寄って、尋ねました。「けんたくん、何しているの」。「かぜさんを、手でつかもうとしているの。でもな、かぜさんをつかもうとすると、ぼくの手からするりと逃げて行くの」。「けんたくん、かぜさんは手でつかむことできないのよ。かぜさんのほうが、わたしたちのところに飛んで来て、わたしたちをきゅっとつかんでくれるの」。「ふうーん、かぜさんにも手があるんだね」。


 私どもは一人一人、それぞれの人生において、確かなものこの手でつかみたいという願いを持って歩んでいます。これさえつかめば、私の人生は大丈夫、そう言えるものをつかみたいと願っています。そのために学び、努力を積み重ねています。皆さんは、今、何をつかもうとしていますか。自分が希望する大学をつかみ取ることでしょうか。自分が望む職業をつかみ取ることでしょうか。しばしば、私どもが確かなものだと思ってつかみ取ったものが、実は確かなものでなかったという経験をします。


 先日、教会で葬儀を行いました。長く金沢教会で信仰生活を歩まれた教会員の葬儀を行いました。そこで改めて問われたことがあります。私どもは人生において、努力して様々なものをつかみ取ります。しかし、死に直面した時に、つかみ取ったものを手放さなければならなくなります。どんなに人から羨ましがられるようなものをつかみ取ったとしても、死に直面したら、それを手放さなければならなくなります。しかし、たとえ死に直面しても、手放すことのできない確かなものなどあるのでしょうか。



②一橋大学の歴史学者であった阿部謹也さんが、自伝の中で、人生に決定的な影響を及ぼした言葉を紹介しています。大学の卒業論文のテーマに悩んでいた時、指導教授からこのように言われたというのです。「どんなテーマを選んでも良いが、それをやらなければ生きていけないと思われるようなテーマを選ぶべきでしょうね」。印象深い言葉ですね。大学の先生が語らないような言葉ですね。普通なら、「あなたの興味あるテーマを選びなさい」と言うでしょう。「それをやらなければ生きていけないと思われるようなテーマを選びなさい」。しかし、これは卒業論文を書こうとしている大学生だけではなく、私どもにも問われていることでもあります。私どもも、それをやらなければ生きていけないようなテーマを探し求め、つかみ取ろうとして格闘しています。言い換えれば、これさえつかみ取れば、平安の内に死ぬことが出来る。そういうテーマを探し求め、つかみ取ろうとして格闘していると言えます。



2.①聖書には、私どもと重なり合う人物が登場します。聖書に自分を発見するのです。そういたしますと、聖書が断然、私どもに身近な書物となります。聖書は、私のことを語っている御言葉なのだと気づきます。この朝、私どもが聴いた御言葉の中に、一人の女性が登場しています。名も無き女性です。分かっているのは、12年間という長い期間、病を負い続けていたということです。いろいろな医者にかかったけれども、治りませんでした。医者からも見放され、望みを失い、生きる力が尽き果てそうになっていました。


 私どもも一人一人も、病、悲しみ、挫折、後悔、様々な重荷を抱えながら歩んでいます。一方で、私が抱えている痛みを理解してほしいと願います。しかし、誰も私の抱えている痛みを表面的には理解してくれても、真実に共有してはくれません。それ故、私が抱えている痛み、傷に、安易に触れてほしくないと、心を閉ざしてしまいます。孤独になってしまいます。


 また、私どもは病や重荷を抱えてしまいますと、自分と周りの人々を比べます。周りの人が皆、健康そうに見えます。幸せそうに見えます。何の悩みもないように見えてしまいます。自分が益々惨めになってしまいます。もし私が病を抱えていなければ、その分、勉強に打ち込むことが出来たのに。スポーツに打ち込むことが出来たのに。全く違った充実した人生を送ることが出来たのに、と思ってしまいます。神さまは何と不公平なんだと、神さまに不満をぶつけてしまいます。私も小学生の時、なかなか治らない病を抱え、8ヶ月間入院生活をしていたことがあったので、そのような思いになっていました。


 12年間病を負い続けた女性は、ある日、うわさを耳にしました。主イエスという男が病人を癒しているらしい。主イエスに一縷の望みを託そうと思いました。ところが、大きな障害がありました。女性が抱えていた病は、出血の止まらない婦人病でした。律法では汚れた病と言われ、聖なる場所、祈りの場所に出席することを禁じられていました。また、聖なる人に触れることも禁じられていました。従って、主イエスに真っ正面から近づき、対面し、手を置いて祈ってもらうことも出来なかったのです。


 しかし、女性は諦めませんでした。主イエスに近づくただ一つの道がありました。群衆に紛れ込み、後ろから主イエスに近づく道は唯一残されていました。しかも後ろから主イエスの服に触れれば、もしかしたら病が癒されるかもしれないという淡い期待がありました。女性は群衆に紛れ込み、後ろから主イエスに近づき、手を伸ばし、主イエスの服に触れました。その時、女性の病が癒されました。



②しかし、主イエスと女性との出会いの物語は、ここから始まりました。先を急いでいた主イエスは歩みを止めました。振り返って、「わたしの服に触れたのはだれか」と問いかけられました。弟子たちは答えました。「こんなにも大勢の人々が、あなたを取り囲んでいるんですよ。皆があなたの服に手を触れているのですよ」。しかし、主イエスは答えられました。「一人の人が違った触れ方をしたのだ」。そこで振り返って、服に触れた人を見つけようとされました。 


 主イエスの服に触れて、病癒された女性は、自分の長年の苦しみから解き放たれたのですから、群衆に紛れ込んで、そっと静かに立ち去ろうと思っていました。しかし、主イエスが歩みを止め、後ろを振り返って、辺りを見回しておられるのを見て、その場から立ち去ることが出来なくなりました。そこで恐る恐る震えながら、主イエスの前に進み出て、ふれ伏して、全てをありのまま話をしました。その時、主イエスは語られました。


「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」。


 不思議な主イエスの言葉です。この女性に信仰と言えるものなど、あるのでしょうか。女性は後ろから主イエスに近づきました。それも確信があったからではありません。主イエスの服に触れたら、もしかして、万が一、病が癒されるかもしれないという淡い期待でしかありませんでした。それは信仰と言うより、迷信に近いものです。日本でも、お寺に仏像が安置されていて、自分の痛む場所を触れると、痛みが和らぐと言われます。仏像の頭や、背中が多くの方に触れられ、光輝いています。この女性の信仰も、それと同じ迷信とも言えます。


 しかし、女性は必死でした。藁をもつかむ思いで、がむしゃらに、後ろから近づいて、主イエスの服に触れたのです。しかも女性が伸ばした手の方向には誤りはなかった。主イエスへ向かって手を伸ばした。それを主イエスは、驚くべきことに、「あなたの信仰」と呼んで下さるのです。


 主イエスが歩みを止めて、後ろを振り向き、女性の前に立って下さる。その時、女性は初めて主イエスと対面出来ました。それが女性にとっての祈りの場、礼拝の場となったのです。



3.①もう大分前になります。金沢教会の昔の会堂の時代です。内藤留幸牧師の許で、神学校を卒業し、伝道師をされた一人に、西永兼康伝道師がいました。私の大学の後輩で、同じサークル、キリスト者学生会に属していました。大学時代、ある集会で、西永君がどのようにして教会へ導かれ、キリストと出会い、洗礼を受けられたのか、信仰の証しを聞いたことがありました。とても印象深い証しでした。


 本日も北陸学院の高校生が多く、礼拝に出席されています。西永君もキリスト教の高校に入学され、教会の礼拝に出席するようになりました。家の近くにあった仙川教会でした。高校でも毎日、礼拝を捧げ、聖書の学びをし、日曜日は教会の礼拝に出席をし、聖書の御言葉を聴く。高校3年生の時に、洗礼を受けたいと思うようになりました。そして洗礼準備会に出席をしました。ところが、同じ志願者は皆、聖書のことをよく知っており、熱心に様々な質問をしていました。それに比べて、自分の信仰はとても洗礼を受けるには、まだまだふさわしくない。そこである夜、牧師を訪ね、洗礼を受けることを取りやめようと思うと相談しました。仙川教会の牧師は大串元亮牧師でした。その時、大串牧師はこの御言葉を引用し、こう語られました。


「この女性には確かな信仰の思いなどなかったかもしれない。『せめても』という思いであった。しかし、『せめても』という思いで主イエスに伸ばした手を、主イエスは受け入れて下さり、『あなたの信仰があなたを救った』と語りかけて下さった。君のまだ淡い思いも、主イエスが『あなたの信仰』と認めて下さるのだよ」。牧師のこの言葉に、はっとさせられて、西永君は安んじて洗礼を受けることが出来たと言うのです。


私どもも恐る恐る「そっと」主イエスに向かって手を差し出します。しかし、その「そっと」差し出した私どもの手を、主イエスは御手をもって、「ぎゅっと」握り締めて下さった。それが主イエスとこの女性に起こった出来事であり、西永君にも起こり、私どもにも起こる出来事なのです。


 私ども日本人は、「信仰」を「信心」と勘違いをします。「信心」とは信じる心です。私が信じている心。しかし、私どもが信じている心ほど、不確かなものはありません。小さな苦しみにも、信心は大きく揺れ動きます。しかし、「信仰」は信じて仰ぐこと。信仰の確かさは、私どもの内にあるのではなく、私どもが信じて仰ぐ、キリストの内にあるのです。私どもが主イエス・キリストをつかむ信仰の握力は、苦しみや悲しみに直面しますと、すぐに弱まってしまいます。主イエスをつかんでいた手を離してしまいます。しかし、主イエス・キリストが私どもをつかむ愛の握力は弱まることがありません。どんな試練に直面しても、死に直面しても、主イエス・キリストの愛の握力は私どもを手放すことは決してないのです。



②金沢教会も、北陸学院も、同じ宣教師の伝道によって生まれた、プロテスタントの信仰に立つ教会とキリスト教学校です。日本のプロテスタント教会の第二世代を代表する伝道者に、髙倉徳太郎牧師がいました。東京の信濃町教会の初代牧師であり、日本神学社、今日の東京神学大学の校長でもありました。髙倉牧師は京都の綾部出身でしたが、金沢の第四高等学校で学ばれました。三三塾がありまして、第四高等学校の学生たちが西田幾多郎等から教えを受けていました。その塾に、髙倉も通っていました。その塾のノートに、髙倉が記した言葉が残っています。


「最も愛すべきは自己なり」。言い換えれば、自我の問題です。最も愛すべきは自己なのに、自分は何と罪深く、弱く、不十分な人間なのか。自我の問題から髙倉はキリストへと導かれました。しかし、生涯、髙倉は自我の問題に悩み苦しみました。髙倉牧師は優れた説教者でした。このような説教があります。


「我らは自己に克つことのいかにむずかしいかをよく知っている。我らは自分の気分に勝てない。何となく不安である、めいり込むような重い気分、どうしてもこれから脱することはできない。緊張しようとしてもまたしてもだれる。夏の飴のごとくだれて、自分で自分がどうにもならない。自分ではどこでふんばったらよいのかわからない。ふんばる足の下がズルズルとずりこんでしまう。どうもあきらめるよりしかたがない。どうしたら自分に克てるのだ、どうすれば自分の気分から自由になれるのだ」。


 そして髙倉牧師はこう語られます。


「伝道者パウロは、キリストに執らえられていると言っている。キリストを執えるのではなくて、キリストに執えられるのである。我らがキリストを執えるというところに重心がおかれては、我らの信仰は弱く、偶然なものにあやつられやすい。しかしキリストに執らえられるのである。ここに我らの信仰のたしかさがあり、必然がある。これは恩寵の把握だからである。キリストに執らえられるとは強い言葉である。これはキリストの捕虜となり、戦利品となることである。キリストにむんずと掴まれて、まったくキリストのものとなりきることである。ここにキリストの完全なる我に対する勝利がある。そしてかく、キリストによって勝たれることが、実は、我らの真の勝利となる」。


 「キリストにむんずと掴まれて」。髙倉牧師の愛用の言葉です。髙倉牧師の信仰の核心です。私もこの表現がとても好きです。どんなことがあっても、キリストにむんずと掴まれている。キリストは私どもを掴んだ手を、決して離されることはない。「あなたの信仰があなたを救った」と主イエスが私どもに語られる信仰は、キリストにむんずと掴まれているキリストの御手によって支えられているのです。



4.①キリストにむんずと掴まれた女性に向かって、主イエスは語りかけます。


「安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」。


「安心して行きなさい」。この言葉は、十字架に架かり、死に打ち勝ち、甦られた主イエス・キリストが、恐れと不安の中にいた弟子たちに向かって語られた言葉でもあります。「平安あれ」です。シャーロームです。「わたしはあなたと共にいるではないか。主の平安の中に、あなたはいる」。「安心して行きなさい」「平安の内に行きなさい」。この言葉が、礼拝の最後の祝福の言葉となりました。私どもは甦られた主イエス・キリストの祝福を受けて、キリストの平安の内に、キリストと共に遣わされるのです。


 「元気に暮らしなさい」。新しい聖書協会共同訳聖書では、以前の口語訳聖書に戻り、こう訳されています。「病苦から解放されて、達者でいなさい」。日常生活の言葉です。愛する友を送り出す言葉です。キリストにあって達者でいなさい。いい言葉ですね。


 元々、主イエスは会堂長ヤイロのひれ伏しての必死の願いにより、ヤイロの12歳の娘、死と向き合っている娘のところへ向かっていました。その途中、12年間病を抱え、死と向き合っている女性に、歩みを止め、振り返り、顔と顔とを合わせられたのです。主イエスは絶えず死と向き合っている者と向き合われ、死に打ち勝つ平安を告げられるのです。「あなたは主にあって平安の中にある。平安の内に行きなさい。主にあって達者でいなさい」。


 この女性がその後、どのような歩みをしたのか分かりません。しかし、私は想像します。この女性も十字架に架けられ、甦られた主イエス・キリストと出会い、「平安あれ」と再び対面したのではないか。そして最初の教会を支えるキリスト者になったのではないか。主イエス・キリストとの出会いの物語を繰り返し語り続けたのではない。だから、福音書にこの物語が語り継がれて来たのです。女性はキリストにむんずと掴まれることにより、私に起こったキリストとの出会いの物語を語り伝える使命に生きたのです。


 説教の冒頭で、大学の教授の言葉を紹介しました。「それをやらなければ生きていけないと思われるテーマを選びなさい」。誰もがこのようなテーマを探し出し、つかみ取るために、生きています。しかし、それをやらなければ生きていけないテーマは、自分が探し出し、つかみ取るものではなく、向こうからやって来るのです。それがキリストにつかまれることです。皆さんの中に、キリストにつかまれる人とは特別な人であって、私には関係ないと思われるかもしれません。しかし、キリストにつかまれることは、キリストから使命を与えられて遣わされることであるのです。あなたも、キリストにつかまえられ、キリストから与えられた使命があるのです。それをやらなければ生きていけないテーマが、キリストから与えられているのです。その使命とは何か。その使命を、私どもは聖書を通し語りかけるキリストの言葉から聴くのです。



②教会学校の教師が子ども達に聖書の御言葉を伝えるための教案誌に、『教師の友』があります。もう大分前になりますが、春名康範牧師が書かれた四コマ漫画「がんばれ石川くん」がありました。教会学校を舞台にした、教会学校の教師である石川くんの奮闘記です。牧師でありながら、漫画の賜物まであって、羨ましいと思いました。この漫画がとても面白いのです。教会学校で起こる日常の出来事を綴った漫画だからです。この連載の漫画がまとめられ、一冊の書物となりました。その本の題名がまた、面白いのです。『人生一歩先は光』。明らかに、「人生一寸先は闇」という言葉をもじったものです。私どもの人生の一寸先は闇に覆われて、先を見通せません。しかし、甦られた主イエス・キリストが私どもと共に踏み出して下さる一歩先は、光なのです。キリストがどんな闇も、死の闇も、打ち破り、甦って下さったからです。


 先日、葬儀を行った教会員は、亡くなる1時間前に、面会し、共に愛唱讃美歌を歌い、祈りを捧げました。最後まで、甦られたキリストにむんずと掴まれて、キリストと共に生き、キリストと共に死ぬことを証しされました。



お祈りいたします。


「私どもは人生において、多くのものを努力して、この手でつかみ取ります。しかし、私どもは真実につかみ取るべきものをつかんでいるのでしょうか。どんな苦しみに直面しても、たとえ死に直面しても、私どもを生かすものをつかみ取っているのでしょうか。主キリストよ、私どもをつかんで下さい。むんずと掴んで、離さないで下さい。主キリストの御手に掴まれて、私ども一人一人を生かして下さい。あなたが私に託した使命に生きさせて下さい。今、迷いの中にある者、苦しみと向き合っている者、死と向き合っている者、主キリストよ、あなたのいのちの御手で掴んで下さい。この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。


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