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「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」

イザヤ書40:27~31
使徒言行録3:1~10

主日礼拝

井ノ川勝

2024年5月19日

00:00 / 39:28

1.①私どもは誰もが、讃美歌と出会った経験を待っています。今まで歌ったことのなかった歌、神を賛美する歌、讃美歌を口ずさむようになる。これは考えて見れば、私どもの人生において、大事件が起こったことでもあります。キリスト教幼稚園で、初めて讃美歌を歌われた方がいます。北陸学院の入学式で、初めて讃美歌を歌われた方がいます。教会の礼拝で、初めて讃美歌を歌われた方がいます。それは私にとっては、余り心に留まらない小さな事件であったかもしれません。しかし、神さまのまなざしからすれば、大きな事件があなたに起きた出来事であったのです。

 私どもの人生において重要なことは、どのような歌を歌いながら生きているのかです。私どもが愛唱し、口ずさんでいる歌に、私どもの人生観がよく表れているからです。私ども教会に生きる者にとっての愛唱歌、それは何と言いましても、神を賛美する歌、讃美歌です。神こそが私どもの人生を導いているからです。悲しみの時、涙を流しながら歌える讃美歌がある。病と向き合いながら歌える讃美歌がある。体力衰えて、もはや自分で歌うことが出来なくても、家族が、信仰の仲間が代わりに歌ってくれる讃美歌がある。自らの葬儀に、神の御許へと送ってくれる讃美歌がある。讃美歌によって、私どもは一つになることが出来る。それは素晴らしいことです。讃美歌は何よりも、神が私どもの口に授けて下さる歌です。

 

本日はペンテコステです。天から聖霊、神の霊が祈っていた弟子たちの群れに降り、教会が誕生した日です。聖霊が注がれ、教会が誕生いた時、主の弟子たちは何をしたのでしょうか。イエス・キリストの名によって御言葉を語る群れとなりました。そして、イエス・キリストの名によって、神を賛美する群れとなりました。

 この朝、私どもが聴いた使徒言行録3章は、生まれたばかりの教会に起きた一つの小さな事件が語られています。しかし、この小さな事件が、その後の教会を導く決定的な出来事となりました。教会は一体、何をするために誕生したのか。それが明確にされた事件であったのです。それをこの小さな言葉で言い表しています。

 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。

 

2.①エルサレム神殿へ通じる門の一つに、美しの門がありました。毎日、その門の前に、一人の男が運ばれて来ました。生まれつき足の不自由な男でした。自分の足で立つことも、歩くことも出来ませんでした。それ故、家族、友人によって運ばれ、美しの門の前に置かれました。恰も物のように運ばれ、置かれることが日課となっていました。何故、この男が運ばれ、置かれたのか。エルサレム神殿で礼拝し、祈りを捧げるためにやって来る人々から、施しを受けるためでした。それがこの男の生活の糧となっていました。

 この男の前に、主イエスの弟子であったペトロとヨハネが通りかかろうとしていました。エルサレム神殿で祈りを捧げるためでした。その道すがらに、一人の男が座っていたのです。皆と同じように神を礼拝し、祈りを捧げようとせず、座り込んでいる人間です。私もが礼拝へ向かう道すがらに、礼拝堂に入ろうとせず、座り込んでいる人々が何人もいるのです。それは礼拝する私どもに対する問いかけに、いつもなっています。あなたはこれらの人々に、何を語りかけることが出来るのか。何を差し出すことが出来るのか。

 美しの門の前で座っていた男と、その前を通りかかろうとしていたペトロとヨハネ。通り過ぎれば、何の出来事も、対話も生まれなかったこの両者に、一つの出来事、対話が生まれました。ここで注目してほしいのは、「見る」です。この言葉が繰り返されています。「見る」ことから一つの出来事、対話が生まれたのです。

 「男はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた」。「ペトロはヨハネと一緒に男をじっと見て、『わたしたちを見なさい』と言った」。「男が、何かもらえると思って二人を見つめていると」。

 ここで注目すべきは、ペトロのこの言葉です。ペトロは男をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と語りかけた。ペトロがこの男に語りかけた最初の言葉です。「わたしたちを見よ」。一体、わたしたちの何を見るのでしょうか。一体、わたしたちは何を見せることが出来るのでしょうか。ペトロとヨハネは生まれたばかりの教会を現しています。教会は座り込んでいる人々に向かって、「わたしたちを見よ」と、何を見せることが出来るのでしょうか。

わたしたちを立たせ、わたしたちを生かしているものを見なさい。

 「わたしたちを見よ」と言われれば、男は当然、何かもらえると思って、ペトロとヨハネを見つめました。その時、ペトロが語った言葉が、この言葉でした。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。

 

今から8年前、日本伝道北陸大会が金沢教会で行われました。200名に近い出席者がありました。その講師は、先日亡くなられた加藤常昭先生でした。使徒言行録3章、4章の御言葉を説き明かされました。最初の教会の伝道の姿勢に、今こそ私どもの教会も倣おう、生きようではないかと、強調されました。そして若草教会時代の金沢伝道を語られました。加藤先生は、金沢教会の伝道によって生まれた若草教会の初代牧師でした。

教会には物もらいがよく訪ねて来ます。私も伊勢の教会、金沢教会でその対応に苦慮します。いつも心痛めます。特に、伊勢の教会では苦い想い出がたくさんあります。神学校を卒業したばかりの加藤先生はどう対処されたのでしょうか。この御言葉を読みました。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。

 物もらいは、教会にはお金がないのかと言って、帰って行ったというのです。

 ペトロがこの時、語った短いこの言葉は、教会は一体、何によって立っているのか。教会が差し出すものは一体、何なのか。それが明確に語られています。その後の教会の歩みを決定づける言葉となりました。教会は只、イエス・キリストの名によって立っている。教会が差し出し、伝えるものは、只イエス・キリストの名による以外にはない。

 「ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。ペトロのこの言葉により、男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち上がり、歩き出した。立ち上がり、歩き出しただけではない。神を賛美するようになった。ペトロとヨハネと一緒に、神殿の境内に入り、神を賛美する礼拝の交わりに入れられたのです。

 美しの門の前に座り込み、神を賛美しなかった男が、イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩き出し、神を賛美する人間となる。神を賛美する礼拝の交わりに入れられたのです。金と銀のみを手にすることを追い求め、讃美歌を歌わなかった人間が、喜んで讃美歌を歌い、神を賛美しながら生きるようになる。教会は将に、そのような人間を生み出すために立てられているのです。

 生まれつき足が不自由で立てなかった男が、イエス・キリストの名によって立ち上がり、神を賛美するようになる。しかし、この出来事はここで終わっていません。ペトロはこの後、神殿の境内で、この男が何故、立ち上がり、神を賛美するようになったのか、人々に説教を語っています。更に、この出来事が波紋を呼び、ペトロとヨハネはユダヤの議会に召喚され、そこで弁明をさせられます。3章、4章が一つの物語となっています。その物語の中心にあるのが、「イエス・キリストの名」です。この言葉が繰り返し語られているのです。

 8年前、日本伝道北陸大会が金沢教会で行われ、その午前の主の日の礼拝で、説教をされたのは、加藤常昭先生でした。「この名による以外に救いはない」という題で説教をされました。あの時の説教が金沢教会での最後の説教となりました。使徒言行録4章10節以下の御言葉を説き明かされました。

「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人がよくなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。・・ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」。

 ペトロとヨハネはユダヤの議員に向かって、大胆にイエス・キリストの名を証ししました。加藤先生は語られた。どうも今日の教会は、最初の教会のように、大胆にイエス・キリストの名を語っていないのではないか。どこか口ごもるような姿勢があるのではないか。今こそ、大胆に、イエス・キリストの名を証しすべきではないか。

「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名、イエス・キリストの名のほか、人間には与えられていないのです」。

 

3.①ここで、皆さんも疑問に思われるかもしれません。何故、「イエス・キリストの名」に集中するのかです。何故、「名」なのかです。名にこそ、命があり、人格があり、力があり、権威があるからです。教会の中心に立つ名は、伝道者の名でもなく、長老の名でも、信徒の名でもありません。ただイエス・キリストの名が中心に立つのです。教会はイエス・キリストの名によって立つ主の群れです。説教はイエス・キリストの名によって語られます。讃美歌はイエス・キリストの名によって賛美されます。祈りはイエス・キリストの名によってなされます。洗礼はイエス・キリストの名によって授けられます。聖餐はイエス・キリストの名によって行われます。伝道はイエス・キリストの名を伝えます。教会の全ての業が、イエス・キリストの名によってなされるのです。

 教会が命と存在を懸けて伝えるべきものは、教会の教えではなく、イエス・キリストの名です。イエス・キリストの名が、座り込んでいた人間を立たせ、神を賛美する人間へと新たに造り替えるからです。イエス・キリストの名が、私どもの名にいのちを注ぐのです。

 聖書は、旧新約聖書を貫いて「名」を重んじる信仰に生きています。生まれ足の不自由な男が、イエス・キリストの名によって立ち上がり、神を賛美する人間となる。この出来事と響き合っているのが、出エジプト記3章のモーセの召命の出来事であると言われています。97頁。

 モーセは挫折した人間です。エジプトで奴隷であった同胞を見捨てて、逃げ去った人間です。立ち上がることの出来ない日々を過ごしていました。そのようなモーセがホレブの山で、主なる神と出会いました。神はモーセに語りかけます。「今こそ、行きなさい。エジプトに戻りなさい」。しかし、モーセはためらいます。神に遣わされて、エジプトの同胞の許に帰っても、誰も私を信用しないでしょう。そこでモーセは問いかけます。私をエジプトの同胞の許に遣わされるあなたの名は何と言いますか。神はその時、答えられた。

「『わたしはある。わたしはあるという者だ』。イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと」。不思議な神の名です。「わたしはある、わたしはあるという者だ」。「わたしは必ずあなたと共にいる」という意味の名です。更に、神は語られた。

「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたがたのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名。これこそ、世々にわたしの呼び名」。

 「わたしはある、わたしはあるという者だ」という神の名が、挫折したモーセにいのを注ぎ、立ち上がらせ、神を賛美する人間として造り替え、新たな使命を与えられ、エジプトへ遣わされたのです。

 

ペトロは神殿の境内で、何故、生まれつき足の不自由な男がイエス・キリストの名によって立ち上がり、神を賛美する人間になったのか、人々に説教を語られました。その説教の中心が、この言葉です。使徒言行録4章15節以下。

「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです」。

 ここで注目すべき言葉は、イエスを「命への導き手」と呼んでいることです。あなたがたは「命への導き手」であるイエスを十字架につけて殺してしまったのだ。しかし、神はイエスを死者の中から復活させて下さった。「命への導き手」として立ち上がらせて下さった。「命の導き手」と訳されている言葉は、「命のパオイニア」「命の開拓者」という意味でもあります。死で全てが終わるのではない。死の前では私どもは倒れ伏すのではない。主イエスは命の開拓者となり、死を超えて命の道を拓いて下さった。キリストの甦りの命に立つ者として下さったのです。

 先週の主の日、体調を崩し、矢澤副牧師に説教を急遽代わっていただきました。伝道者40年の歩みで初めてのことでした。これまで高熱でも、がらがら声でも、松葉杖を突いてでも、説教壇に立ち続けて来ましたが、それが適いませんでした。午後の定例長老会の議長も書記長老に代わっていただきました。何とも申し訳ないことでした。午前はライブ配信の礼拝に初めて出席し、午後は一冊の書物を読んでいました。かつて金沢教会で長く長老として奉仕された深谷松男長老から贈られて来た『福音主義教会法と長老制度』です。法学者の立場から今日の日本の教会、教団の教会の弱い点を論じたものです。その「あとがき」でこう述べています。私に影響を与えた三名の伝道者がいる。私に洗礼を授けた福島伊達教会の本宮幸四郎牧師、福音の深みへと導いてくれた仙台の広瀬河畔教会の秋保孝次牧師、そして改革派の信仰を生き生きと体現された金沢教会の上河原雄吉牧師。上河原牧師のことをこう語っています。

「『私のような者でも救われる』。先生がよく言われた言葉です。先生は、若さゆえの不正行為により中学を中退し、病にかかり、そのどん底から、イエス・キリストの名によって立ち上がり、献身されました。このことを知らない者でも、この言葉を聞くとき、キリストの救いの確かさと豊かさを覚えずにはおれないのでした。また先生は、しばしばこう言われました。『最後はキリストが握っておられる』。この言葉を聞いた人は誰であれ、忘れられない力ある言葉となったことでしょう。今、この時も、私を支える言葉です」。

 死と向き合っている者にとって、「最後はキリストが握っておられる」。その言葉こそ、「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。「命の開拓者イエス」の名の信仰を表す言葉なのです。

 

4.①先週の12日の主の日の午後、能登半島地震で被害を受けた輪島教会が、仮設のプレハブの礼拝堂を立てて、その祈りの会が行われました。教団の内外から31名が出席されました。本日のペンテコステ礼拝より、仮設の礼拝堂で信徒8名が集い、礼拝を始められます。イエス・キリストの名によって立ち上がった主の群れが、新しい歩みを始められます。被災され、立ち上がることの出来ない輪島市民に向かって、「イエス・キリストの名によって立ちが上がり、歩きなさい」と、命の開拓者イエスの名を伝えます。小さな主の群れが聖霊を注がれた器として、大胆にイエス・キリストの名を伝える歩みを始められるのです。全国の諸教会が輪島教会を覚えて、祈りを合わせています。

 

先週12日の主の日は母の日でした。「天声人語」に先月28日に、78歳で亡くなられた星野富弘さんの詩が紹介されていました。

「神様がたった一度だけ、この腕を動かして下さるとしたら、母の肩をたたかせてもらおう。風に揺れる ペんペん草の実を見ていたら、そんな日が来るような気がした」。

 体を動かすことが大好きで、体育の教師になった。ところが、事故により自分の力で体を動かすことが出来なくなってしまった。どうすることも出来ない辛い思いを、毎日、母にぶつけた。ある日、友人が置いて行った聖書が、富弘さんの人生を大きく変えた。聖書を通して、この声を聴いたのです。「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。富弘さんはイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩き出し、神を賛美する人間へと変えられました。イエス・キリストの名は、人間を新しく造り替える命があり、力があります。そして口に筆を加え、四季折々の花を描き、詩を添えました。詩画集を通して、イエス・キリストの名によって生かされている喜び、神への賛美を綴りました。ここにも聖霊の道具、器として生かされたキリストの証人がいました。

 ペンテコステの日、聖霊が降臨し、教会が誕生したこの日、改めて神が教会を立てて下さった、その使命を問い直します。教会はイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩く主の群れです。そしてイエス・キリストの名を伝えるキリストの証人の群れです。教会に生きる私ども一人一人が、その使命のために召し出されているのです。

 

 お祈りいたします。

「天から聖霊が降り、教会が誕生しました。主は今尚、聖霊を注ぎ、教会を新しく造り替え、教会に連なる一人一人に、新たな使命を託されます。イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩き出した主の群が、大胆にイエスの名を伝える器として用いられますように。うずくまり、立ち上がることの出来ない者たちに、命の開拓者イエスの名を伝えることが出来ますように。

 この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。

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