「キリストの愛から私たちを引き離せない」
詩編118:5~18
ローマ8:31~38
主日礼拝
井ノ川 勝
2023年11月5日
1.①新しい讃美歌になって、逝去者記念礼拝で歌う讃美歌があります。讃美歌21-385です。この讃美歌は日本人が作詞、作曲された讃美歌です。
「花彩る春を この友は生きた、いのち満たす愛を 歌いつつ。
悩みつまずくとき、この友の歌が 私をつれもどす 主の道へ。
緑もえる夏を この友は生きた、いのち活かす道を 求めつつ。
悩みつまずくとき、この友のすがた 私をふりかえる 主の道で。
色づきゆく秋を この友は生きた、いのち 他人のために 燃やしつつ。
悩みつまずくとき、この友は示す 歩みつづけてきた 主の道を。
雪かがやく冬を この友は生きた、いのちあたためつつ やすらかに。
この日、目を閉じれば 思いうかぶのは この友を包んだ 主の光」。
春、夏、秋、冬、四季折々に、信仰の友を想い起こす。信仰の友が歌った讃美歌、信仰の友の姿、それが主の道へ私を連れ戻す。友の信仰に倣って、主イエスに従う信仰を新たにしてくれる。
信仰は教会の教え、教理として言葉で表現されます。しかし、同時に、信仰は生きた人物を通して証しされます。私はこのことがとても大切なことだと思っています。信仰が本当に生きたものとなるためには、教会に教え、教理に留まらず、生きた人物を通して証しされることを求めています。ああ、この方も、キリストによって生かされ、キリストを証しした歩みをしたね。一人一人の信仰者の歩みを想い起こすと、本当にそう思います。
②金沢教会は今年、教会創立142周年を迎えました。実に多くの信仰の証人が、この教会で礼拝し、この教会で信仰の歩みをしました。今日、皆さんにお渡ししました逝去者名簿には、数え切れない程の教会員のお名前が記されています。礼拝後、教会墓地で墓前祈祷会を行います。教会墓地に納骨された多くの教会員のお名前が、墓碑に刻まれています。一人一人が私どもの信仰の先達として、生けるキリストと出会い、キリストによって生かされ、キリストを証しして生き、死に赴かれました。この一年間、逝去された教会員と御家族は5名おりました。吉田正孝さん、遠藤芳子さん、北川美智子さん、高橋弘滋さん、今村仁子さんです。
吉田正孝さんは4月下旬、胆管癌の末期で、医師から後2,3日の命であるとの宣告を受けられました。コロナ禍で、御家族だけは面会が許されていました。私も家族の一員となって、面会しました。正孝さんは痛みのため、横になることが出来ず、ベッドの上で座ったまま点滴を受けていました。「正孝さん、金沢教会の牧師の井ノ川です。共に讃美歌を歌い、祈りましょうね」と語りかけますと、頷いておられました。「慈しみ深き友なるイエスは」を讃美しました。
「慈しみ深き 友なるイエスは、罪とが憂いを とり去りたもう。
こころの嘆きを 包まず述べて、などかは下ろさぬ、負える重荷を」。
讃美歌を共に歌い、祈りを捧げた1時間後、逝去されました。
遠藤芳子さんは入院されていましたが、コロナ禍で、オンラインを通してしか面会出来ませんでした。7月の初め、面会が出来るようになり、讃美歌を歌い、祈りを捧げました。「慈しみ深き、友なるイエスは」を歌いますと、目を開かれ、私どもの顔をじっと見ておられました。それから2週間後、逝去されました。
北川美智子さんは8月上旬、ご自宅を訪問しました。ベッドに横になっていました。「美智子さんのお好きな讃美歌を歌いましょうね」と語りかけますと、「どの讃美歌も好き」と答えられました。「慈しみ深き友なるイエスは」を讃美し、祈りを捧げました。それから1週間後、逝去されました。
今村仁子さんは8月の初め、入院している病院を訪ねました。コロナ禍で、オンラインで面会しました。愛唱讃美歌「慈しみ深き友なるイエスは」を歌い、祈りを捧げました。私どもの語りかけに、頷きながら応えて下さいました。訪問してから2ヶ月後の10月15日の日曜日の朝、息子さんから電話がありました。母が亡くなり、家族だけで葬りをする。私は無宗教だけれども、母の信仰を重んじて、葬りの前に祈りを捧げていただけないかと依頼を受けました。礼拝前、斎場に行き、棺の前で、仁子さんの愛唱讃美歌「慈しみ深き友なるイエスは」を讃美し、祈りを捧げました。
皆、亡くなる直前に、「慈しみ深き友なるイエスは」の讃美歌を歌い、祈りを捧げ、主の御手にお委ねしました。「主よ、大切な信仰の友の命を、あなたの御手に委ねます」。
2.①私どもは普段、余り死を意識しないで生きているかもしれません。死はまだまだ先のことと思いながら生きているかもしれません。しかし実は、私どもは日々、死の力に囲まれて生きています。ある日、突然、死がやって来て、私どもの家族の命を奪い去ります。もっともっと家族と共に過ごしたい。そのような願いがありながらも、死の力は家族との絆を断ち切り。家族の命を呑み込んで行きます。死を前にして、私どもは誠に無力です。言葉を失います。どうすることも出来ません。
しかし、主が教会に託して下さったものがあります。それは讃美歌です。私どもは讃美歌を歌って、死に立ち向かうのです。しかも一人で歌うのではありません。信仰の仲間と共に歌うのです。讃美歌は主なる神が私どもに与えて下さった、死に立ち向かう武具なのです。
私は神学校を卒業し、伊勢の教会に遣わされ、ずっと伊勢で伝道していました。伊勢神宮のある町です。市民の8割が神道で葬儀をします。伊勢市民が教会に初めて足を踏み入れるのは、葬儀の時です。教会の葬儀に出席された方が葬儀が終わった後、感想を述べられました。「教会は葬儀の時にも讃美歌を歌うのですね」。教会の葬儀で讃美歌を歌ったということが、印象深かったようです。そこに教会の葬儀の特色があります。私はしばしば思います。もし教会の葬儀に讃美歌がなかったら、こんなに寂しいことはありません。私どもはどうやって死に立ち向かったらよいのでしょうか。悲しみの涙を流しながらも、皆で共に歌える讃美歌がある。悲しみの涙をながしながらも、私どもは讃美歌を歌いながら死に立ち向かうのです。
キリスト教会の多くの殉教者は迫害を受けながらも、讃美歌を歌って殉教して行きました。讃美歌こそが、死に立ち向かう信仰の歌だからです。私どもは讃美歌を通して、一体どのような信仰を言い表しているのでしょうか。
②逝去者記念礼拝で、私どもが聴きました御言葉は、ローマの信徒への手紙8章31節以下の御言葉です。とてもテンポのよい御言葉が繰り返されていました。前半の讃美歌はこのような歌詞です。
「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か」。
後半の讃美歌はこのような歌詞です。
「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かし勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。
これらの御言葉は最初の教会が礼拝で歌っていた讃美歌ではないかと言われています。あるいは、葬儀の時に歌った讃美歌とも言われています。生まれたばかりのキリスト教会は小さな群れでした。ところが、ローマ皇帝はキリスト教会を目の敵にしました。何故、武器を持たない弱いキリスト教会に迫害を加えたのでしょうか。ローマ皇帝は自らを神の子、救い主と称し、皇帝礼拝を強要しました。しかし、キリスト者たちはキリスト以外の者を礼拝することは出来ないとし、皇帝礼拝を拒否しました。日々、厳しい迫害が加えられ、教会は愛する家族、信仰の友を殺され、毎日のように葬りをしました。その葬りの時に、涙を流しながら歌った讃美歌でもあったのです。同じ言葉が繰り返し歌われています。
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう」。
「死も、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。
死も、どんな力も、キリストの愛から私どもを引き離すことは出来ない。
死の力は家族の命を奪って行きます。家族との命の絆を断ち切ります。しかし、死も、どんな力も、キリストの愛から私どもを引き離すことは出来ない。キリストの愛が、死を超えて、私どもと家族との絆を結ぶのです。キリストの愛が死に勝利したからです。
3.①私は大学生の時、大学に講義に来ていた牧師に導かれ、教会の礼拝に出席するようになりました。大学2年のクリスマスに洗礼を受けました。私にとって母教会、信仰を与えられた母なる教会となりました。その教会で、ある母親が中学生のわが子と洗礼を受けられたことがありました。その母親が教会の会報に、自らの受洗のことを書かれた文章で、キリスト者の詩人、肺結核で若くして逝去された八木重吉の詩「解決」を引用されたことが印象深く心に刻まれました。
「基督が解決しておいてくれたのです。ただ彼の中へはいればいい。彼につれられてゆけばいい。
何の疑もなく、こんな者でも、たしかに救って下さると信ずれば、ただあり難し、生きる張合がしぜんとわいてくる」。
この母親にはもう一人男の子がいました。しかし、事故でわが子を幼くして亡くされました。ずっと自分で自分を責め続けて来ました。生きている心地がしなかった。教会に導かれ、御言葉を通して、十字架につけられたキリストをひたすら仰ぎ続けました。キリストがあの十字架の上で、私の罪、重荷、痛み、悲しみ、全てを代わりに負うて下さった。執り成して下さった。私が解決出来ない問題を、キリストが十字架の上で引き受けて下さった。こんな罪深い、救いようのない私をも愛して、あなたは生きなさいと語りかけて下さった。ただキリストの中に入ればいい。キリストに連れられてゆけばいい。
このローマ書8章の讃美歌は、このように歌います。
「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです」。
ここで強調されていることは、「キリストが私どものために執り成して下さる」ということです。キリストは十字架の上で、私どものために執り成されました。キリストは甦られて、私どものために執り成されました。そして今、キリストは天に上げられ、父なる神の右に座し、私どものために執り成しておられます。「執り成す」ということは、「私どもに代わって」、「私どものために」、心血を注いで祈って下さることです。
家族を亡くした悲しみ、痛みは、家族でなければ分からないものです。親しい友でさえも、その悲しみ、痛みを真実に共有することは出来ないことです。しかし、キリストだけが真実にその悲しみ、痛みを知り、共有して下さるのです。あの十字架の上で、私ども以上の苦しみ、痛みを背負われたからです。父なる神とのいのちの関係、愛の関係を断ち切られることが、どんなに光の見えない絶望であり、滅びであるかを身に負われたからです。キリストが私どもに代わって、私どものために執り成して下さった。それ故、私どもが、私どもの家族が死に直面した時、神とのいのちの絆、神との愛の絆を断ち切られる死を死ななくてもよくなったのです。生きる時も死ぬ時も、キリストのいのち、愛の中にあるのです。
②ローマ書8章の讃美歌で、もう一つの言葉に注目しましょう。
「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」。
私どもの家族が死に直面した時に、死が勝利をしたのではありません。キリストが勝利をしたのです。死が私どもの家族の命を呑み込んだのではなく、キリストの命が死を呑み込んだのです。この「輝かしい勝利」という言葉は面白い言葉です。以前の口語訳ではこのように訳されていました。「勝ち得て余りがある」。勝って、余りがある。おつりが来る。
大相撲で、相手力士に押されて、一気に土俵際まで追い詰められ、片足がかろうじて徳俵に残っている。体をかわし、相手力士を土俵下に突き落とす。将に、薄氷の勝利です。しかし、勝ち得て余りがある勝利は、同じ勝利でも全く異なります。立ち会いから相手力士を圧倒して、土俵の外へ突き出します。圧倒的な勝利です。キリストが死に勝利をしたのは、薄氷の勝利ではなく、圧倒的な勝利であったのです。勝ち得て余りある勝利であったのです。それ故、私どもは葬儀において、悲しみの涙を流しながらも、キリストの勝利の讃美歌を歌うのです。
「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。
4.①私を教会へ導き、私のために心を傾けて御言葉を語られた牧師は、目をつぶり、ひと言ひと言、瞑想するように静かに御言葉を語られました。しかし、核心部分になりますと、まなこを開かれ、口角泡を飛ばして、心血を注いで御言葉を語られます。その核心部分は、キリストの十字架の出来事でした。今日の御言葉と響き合う、コリントの信徒への手紙二5章14節の御言葉を引用し、語られます。「キリストの愛、われを挟めり」。キリストの愛が両側から私を挟み込んで、離さない。私どもは死に挟まれているのではない。死に勝利されたキリストの愛に挟まれているのである。
金沢教会142年の歴史において、最高齢の受洗者は、百歳で洗礼を受けられた今井きよさんです。施設で洗礼式を行いました。「今井きよさん、イエスさまを信じますか」。「勿論、信じますとも。残りの人生全て、イエス様に献げて生きて行きたいです」。今井きよさんの信仰告白です。いつ死がやって来るかもしれない日々にあって、キリストの愛に挟まれて私は生きる。私のために十字架で、いのちを注がれたキリストの愛に、全てを委ねて生きて行きます。
②本日の逝去者記念礼拝に初めて出席された方がいます。その中に、高橋喜輿さんの御遺族がいます。今年の6月、アメリカのシアトル在住の小児科医・高橋正人さんからお手紙をいただきました。金沢教会のホームページでの説教を聴き、自分たちの信仰のルーツを確かめ、訪ねたいという願いを抱いたということでした。祖母である高橋喜輿さんが金沢教会の教会員であったこと、恐らく金沢教会の墓地に納骨されているのではないか。それを確かめたいということでした。その後、横浜在住の高橋正人さんの妹君・山崎みちさんと手紙のやり取りをしました。本日、山崎みちさんとそのご兄弟、北海道在住の高橋啓(ひらく)ご夫妻が礼拝に出席されています。
高橋喜輿さんは、ウィン宣教師の路傍伝道によって金沢教会に導かれた大勢の女学生の一人でした。1889年(明治22)に受洗されています。16歳の時です。その年は実に48名の方が受洗されています。金沢教会142年の歴史において、最も多い受洗者です。教会創立8年目でした。
高橋喜輿さんは金沢教会最初の女性長老でした。秋保孝次牧師時代で、1938年(昭和13)~1940年(昭和15)まで長老として奉仕をされています。夫も教会員でしたが、中風のため亡くなられ、その後、裁判官であった子息と共に各地に転居され、1957年(昭和32)金沢に帰って来られ、翌年1958年(昭和33)7月16日、逝去されました。葬儀をされたのは、上河原雄吉牧師ですので、教会の墓地に葬られたと思われます。
『金沢教会百年史』に、秋保孝次牧師時代の長老会のメンバーの写真があり、和服姿の高橋喜輿さんが写っています。また『百年史』にこう記されています。上河原雄吉牧師は1941年(昭和16)金沢教会に赴任されました。時代は太平洋戦争へと進む時代でした。上河原牧師一家は着任時に住宅の手配がなかったため、高橋喜輿長老宅にしばらく身を寄せたこともあった。また、こう記されている。上河原牧師任職式の前後に有力な会員が金沢を離れた。その一人が高橋喜輿長老であった。裁判官の令息のおる香川の善通寺に移られた。高橋喜輿さんは結婚後信者であった夫・俵蔵に倣って小立野講義所で求道し、明治22年、阪野牧師より洗礼を受け、後に中風の夫の世話をしながらよく教会に仕え、堅固な信仰の持主で愛情深く、牧師に対して丁寧に行きとどいた配慮をもって助け、信者間の人望も厚く、婦人会の中心的な存在であった。昭和13年女性としてはじめて長老に選ばれてから3年半、忠実に長老としての包めを果たした。この後裁判官の子息と共に各地に転居されて、昭和32年金沢に帰って同年33年7月16日に召天した。
金沢教会の遠い歴史が、高橋喜輿さんを通して、身近に感じるようになりました。キリストの愛に捕らえられた高橋喜輿さんの信仰を生き生きと感じました。信仰は生きた人物を通して生き生きと証しされるのだと確信しました。キリストの愛によって、高橋喜輿さんを初め、信仰の先達と私どもとがしっかりと結ばれているのだと確信することが出来ました。私どももキリストの愛に捕らえられて、私どもの存在を通して、キリストを生き生きと証しする歩みを、キリスト賛歌を歌いながらして行きたいと願います。
「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」。
お祈りいたします。
「くすしき導きによって、キリストの愛に捕らえられた私どもです。多くの信仰の先達と後に続く私どもが、ただキリストの愛によって繋がれていることを実感させて下さい。どうかキリストに生かされた信仰の先達に倣い、私どももその信仰を受け継がせて下さい。私どもの存在を通して、生けるキリストを証しする歩みをさせて下さい。愛する家族を亡くされ、悲しみの中にある御遺族を、主にあって慰めて下さい。午後、行われる墓前祈祷会、納骨式を主にあって導いて下さい。
この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。