「主よ、今こそ僕を安らかに去らせてくださる」
イザヤ書57:14~19
ルカによる福音書2:22~37
主日礼拝
井ノ川勝
2024 年12月29日
1.①クリスマス礼拝直後の主日礼拝は、一年最後の礼拝となります。皆さんは今、どのような思いで主の御前に立ち、礼拝を捧げられているのでしょうか。過ぎ去り行く一年を振り返りながら、礼拝を捧げておられることと思われます。
この一年は何と申しましても、能登半島地震から始まった一年でした。多くの方が犠牲となり、多くの方が被災され、多くの家屋が倒壊しました。能登の教会も大きな被害を受けました。被災された教会員が県内に避難され、金沢教会で礼拝を捧げられた教会員もいました。
金沢教会におきましても、新年礼拝を共に捧げた教会員が急逝され、新年早々、悲しみの葬儀を行いました。また、クリスマスを直前に控えた待降節に教会員が逝去され、クリスマス礼拝の前日に、葬儀を行いました。この一年間、6名の教会員と御家族の葬儀を行いました。涙が乾かない内に、また新たな涙を流す日々でした。昨年のクリスマス礼拝を共に捧げた方です。また、クリスマスの喜びを届けた御家族でした。また、皆さんの中で御家族や親族、友人を亡くされた方もおりました。涙が乾かない日々でした。
一年を振り返って見ると、私どもはいつも死と向き合いながら歩んでいたと言えます。一年が過ぎ去り行く、一年最後の礼拝において、私どもは改めて、自らの命もまた過ぎ去り行く命であることを実感せざるを得ません。
②待降節からクリスマスにかけて、ルカ福音書が綴るクリスマス物語に耳を傾けながら、共に礼拝を捧げて来ました。ルカ福音書が綴るクリスマス物語には、一つの特徴があります。それは讃美を中心として、クリスマスの出来事を物語っていることです。今日の教会学校の子どもたちが歌と台詞で綴るキリスト降誕劇の台本の土台となっています。
4つのクリスマスの歌が歌われています。「マリアの賛歌」。「わたしの魂は主をあがめ」。「ザカリアの賛歌」。「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を」。天使の讃美。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。そして最後の登場するのは、「シメオンの賛歌」です。「主よ、今こそ僕を安らかに去られてくださいます」。
クリスマス直後の年末の礼拝で、歌われる歌です。夜の歌と言われています。死と向き合う歌、人生晩年の歌でもあります。
クリスマス物語の最後に登場するのは、シメオンと女預言者アンナです。アンナは84歳であったと年齢が記されています。シメオンには年齢は記されていません。しかし、アンナと共に登場することから、シメオンも老人であったのではないかと言われて来ました。ルカ福音書は、シメオンとアンナに登場なくして、「シメオンの賛歌」を歌うことなくして、クリスマスの物語は完結しないと、私どもに告げているのです。
2.①幼子イエスが誕生してから40日後、ヨセフとアリアは幼子イエスを抱いて、エルサレム神殿で礼拝を捧げに行きました。神から与えられた命を、感謝して神に献げるためでした。このエルサレム神殿で、救い主が現れるのをずっと待ち続けていた人がいました。シメオンです。シメオンは主が遣わす救い主に会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていました。
その日は、多くの幼子が両親に抱かれて礼拝に出席していました。幼子イエスも他の幼子と全く変わらない可愛い赤ちゃんでした。幼子イエスだけが光輝いていたわけではありませんでした。しかし、シメオンがマリアが抱いていた幼子イエスこそが、自分が待ち望んでいた救い主であると、聖霊によって確信しました。
シメオンは幼子イエスを腕に抱き、神をたたえて言いました。それが「シメオンの賛歌」です。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。
シメオンはひたすら救い主を待ち続けて来ました。救い主を待ち続けて、老人になりました。もしかしたら、自分が生きている間に、救い主にお会い出来ないのではないか、と思う日々もありました。何故、シメオンがそれ程までして、一筋の心で救い主を待ち続けたのでしょうか。自分の救いのためだけではありません。わが民族イスラエルの救いのためでした。しかし、わが民族の救いのためだけではありません。全世界の全ての民の救いのためであったのです。日本人の救いもまた含まれていました。全世界の民の救いをもたらす救い主が現れるのを、ひたすら待ち続けていたのです。シメオンは全世界の全ての民の救いを執り成し祈りながら、ひたすら救い主を待ち続けていたのです。女預言者アンナも、シメオンの傍らで共に祈り続けていました。自分たちの一生を懸けて、全ての民の救いをもたらす救い主とお会い出来ることをひたすら待ち望み、祈り続けていたのです。
そのシメオンが遂に、幼子イエスとお会いすることが出来た。その時、シメオンの口からこの言葉が生まれたのです。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。わたしは今こそ安らかに去ることが出来る。わたしはもはやいつ死んでもよい。
②待降節、クリスマスに、礼拝に出席出来ない高齢、病気の教会員を訪問しました。先週も、自宅で療養されている教会員を訪問しました。ベッドで横になっておられ、その枕元で、「シメオンの賛歌」の御言葉を朗読し、短く説き明かし、祈りを捧げました。涙を流しながら御言葉に聞き入っておられました。
この方も主のために、たくさん御奉仕をされて来られました。主のために良い働きをされて来られました。まだまだ主のために、なすべき業が残っているかもしれない。やり残したことがあるかもしれない。しかし、私どもの人生の究極の目的は何でしょうか。それはシメオンの言葉で言えば、救い主イエスとお会いすることです。救い主イエスがもたらして下さった私のための救いを、この目で見ることです。全ては救い主イエスとお会いするために、私の人生があった。このことを確信した時、私どもも「シメオンの賛歌」を、私の賛歌として歌うことが出来るのです。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。
2.①「シメオンの賛歌」を口ずさむ時、必ず想い起こす絵があります。オランダの画家レンブラントが晩年に描いた「シメオンの賛歌」です。昨日も、レンブラントのこの絵の写真を見ながら、説教の準備をしました。年齢を重ね、死と向き合うレンブラントが、シメオンと自らとを重ね合わせて描いた絵です。レンブラントの信仰が表れています。
暗い礼拝堂の中で、赤い衣を着た老人シメオンとその傍らにマリアが立っています。シメオンは白髪で、長い白髭を生やしています。目は霞み、手は皺だらけです。その老人シメオンが幼子イエスを腕に抱いています。
私どもも幼子を腕に抱いた時、神から与えられた命を抱いているとの感動を覚えます。柔らかで、小さな命。しかもちょっと手に力を入れれば、すぐに壊れてしまうかと思われる程の弱さです。神の御子が、人間の手の中に納まってしまうまで、小さな命となって来て下さった。シメオンの手は感動に震えたと思います。
レンブラントの絵をよく観てみますと、シメオンは両腕の上に幼子イエスを載せ、自分の懐に引き寄せています。幼子イエスの前に、シメオンの皺だらけの両手を重ね合わせています。祈りの姿勢を執っています。そして霞んだ目で幼子イエスを見つめています。
幼子イエスは赤ちゃんですから、何も出来ません。しかし、たとい赤ちゃんであってもしていることがあります。それは自分を抱いている老人シメオンを、しっかりと見つめていることです。霞んだ目で幼子イエスを見つめる老人シメオンのまなざしよりも、幼子イエスが老人シメオンを見つめるまなざしの方が強く、確かなのです。死と向き合っているシメオンは、幼子イエスの確かなまなざしの中に置かれているのです。
それは言い換えれば、こう言えます。老人シメオンが幼子イエスを腕に抱いている。しかし実は、幼子イエスが老人シメオンをしっかりと御手の内に置いておられるのです。老人シメオンは確信しました。わたしは幼子イエスのまなざしの中で、幼子イエスの御手の中で、安らかに死ぬことが出来る。
しかし、シメオンのこの言葉は、死ぬ覚悟が出来たという意味ではありません。「安らかに」という言葉は、私どもの心の状態を表すものではありません。「安心して」という意味ではありません。「平安の内に」という意味です。幼子イエスが与えて下さる神の平安です。神の平安の内に、わたしは死を迎えることが出来るという意味です。
クリスマスは、父なる神の大切な独り子を私どもにお与えになられた出来事です。そのクリスマスに、私どもは大切な家族を、信仰の仲間を父なる神にお送りしました。父なる神にとっても、私どもにとっても、いずれも悲しみと痛みが伴う出来事でした。それ故、私どもの悲しみ、痛みは、誰よりも愛する独り子をお与えになられた父なる神が知っておられるのです。私どもにとって確かなことは、救い主イエスがもたらされた神の平安の中で、私どもの家族が、信仰の仲間が生き、死を迎えることが出来たことです。救い主イエスがもたらされた神の平安こそ、死に打ち勝たれた平安であるからです。
②一方で、今、死につつある老人シメオン、もう一方で、今、生まれたばかりで、これから生きようとする幼子イエス。その二人の対照的な命が、ここで交錯しているのです。シメオンは幼子イエスの中に、驚くべき救いを見ています。
「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています」。
驚くべき言葉です。「反対を受けるしるし」とは、十字架の死を指し示しています。幼子イエスは十字架の死を目指してお生まれになられた。十字架で死ぬためにお生まれになられた。死につつある老人シメオンよりも、もっともっと過酷な死を死ぬためにお生まれになった。何故、幼子イエスは十字架の死を目指してお生まれになったのか。そこに幼子イエスがもたらされた救いがあるからです。神の平安があるからです。
神に立てられながらも、神に背く神の民イスラエルの頑なな罪を打ち砕き、倒し、新しく生まれ変わらせて立ち上がらせるために。神に敵対する全ての異邦の民を神に立ち帰らせるために。幼子イエスは十字架で身代わりの死を死ななければならなかったのです。
3.①スイスのジュネーヴで改革を行ったカルヴァンは、ジュウネーヴの教会の礼拝で、聖餐に与った後、「シメオンの賛歌」を歌いました。何故、聖餐の与った後、「シメオンの賛歌」を歌ったのでしょうか。そこにカルヴァンの信仰が表れています。「わたしはこの目であなたの救いを見た」。シメオンのこの言葉は、私どもが聖餐を通して体現すべきものです。
ヨハネの手紙一は、クリスマスの出来事をこのような言葉で言い表しました。
「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。この命は現れました」。
神の御子イエスは、聖餐を通して、私どもが目で見、耳で聴き、手で触れ、口で味わう命の言葉となられたのです。聖餐によって私どもは、救い主イエスとお会いするのです。救い主イエスといのちの交わりを与えられるのです。死に行く私どもが、死に打ち勝ついのちである救い主イエスの平安の中にあることを確信するのです。
カルヴァンは聖餐を一期一会の出来事と受け止めました。聖餐を通して、救い主イエスとお会いしたら、相見えることが出来れば、わたしは今こそ平安の内に去らせていただけるのだと受け留めました。その時、賛美したのが「シメオンの賛歌」でした。
讃美歌21の180に、「シメオンの賛歌」があります。
「去らせたまえ 今こそ主よ
み言葉のごと このしもべを
喜びもて 平和のうちに」
日本キリスト改革派教会は、ジュネーヴの教会で歌いましたジュネーヴ詩編歌を全て日本語に訳し、讃美歌集を編纂しました。『みことばをうたう』です。カルヴァンは何よりも御言葉を歌うことを重んじました。改革派教会の讃美歌集では、「シメオンの賛歌」をこう訳しました。より元の言葉に近い響きで訳しています。
「主よ 今こそ 御旨のまま
御言葉により、このしもべを
逝かせたまえ 心静かに」
2009年7月、カルヴァン生誕500年の記念行事が、東京神学大学で開催されました。200名を超える出席者でした。私は伊勢にいたので出席出来ませんでした。最後に、カルヴァンの時代のジュネーヴ礼拝を際限する試みがなされました。カルヴァンの説教、祈りが翻訳されて朗読されました。カルヴァンの作成した式文で聖餐に与りました。聖餐を裂く時、陪餐者は二列になって前に進み、二手に分かれて奉仕者が持っているフランスパンを自分でちぎって葡萄酒に浸して食べました。聖餐に与った後、「シメオンの賛歌」を賛美しました。その時の訳が、改革派教会の讃美歌集の訳でした。
「主よ 今こそ 御旨のまま
御言葉により、このしもべを
逝かせたまえ 心静かに」
今年の4月逝去された加藤常昭先生が、この時は80歳を迎えられ、聖餐に与った後、「シメオンの賛歌」を歌った時、目が潤んだと語っています。カルヴァンが聖餐に与った後、「シメオンの賛歌」を歌ったのか、その意味が体で分かったと語っています。死と向き合いながら生きている者にとって、キリストの命である聖餐に与る。そこでキリストと相見え、死に打ち勝つキリストの平安を体現するからです。
②昨夜、説教の準備をしていた時に、ある伝道者からメールをもらいました。
鎌倉雪ノ下教会で長く長老をされて来られた望月克仁長老が、27日に逝去されたという知らせでした。鎌倉雪ノ下教会の長老だけでなく、80歳を超えても、全国連合長老会常置委員、日本基督教団常議員を長く務められました。日本の伝道のため、日本の全体教会のために、先頭に立って祈り、教会の秩序を整え、的確な分析をし、導いて来られました。私ども伝道者にとって、将に、シメオンのような存在でした。
私どもは日々老いて行きます。肉体が衰えて来ますと、心まで衰えてしまいます。前向きになれなくなります。もはや私の役目は終わったと思ってしまいます。私の働き場所、居場所などないと思ってしまいます。しかし、教会にはシメオン、アンナが必要です。80歳を超えて、自らの死を見つめながらも、ひたすら救い主が来られることを待ち続け、全世界の人々の救いのために、先頭に立って祈り続けたシメオンとアンナです。
教会の高齢化ということが叫ばれています。消極的に捉えられています。しかし、金沢教会もそうですし、日本の全国の諸教会もそうです。教会を支えているのは、80歳代の信徒の方々です。シメオンとなって、アンナとなって、教会の先頭に立って礼拝をされています。教会の先頭に立って祈って下さっておられます。教会の先頭に立って奉仕して下さっておられます。私どももその後ろ姿を見ながら、シメオン、アンナの礼拝と祈りと奉仕に続いて行くのです。
シメオンとアンナは、何よりも一回一回の礼拝を一期一会の姿勢で捧げる存在です。救い主イエスとお会いすることを喜びとしています。救い主イエスのために奉仕することを喜びとしています。そしていつも祈りと賛美の中心に、シメオンの祈りと賛美があります。私どももシメオンとアンナに倣い、シメオンの祈りと賛美に生きるのです。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかにさらせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。
お祈りいたします。
「この一年間、愛する家族を、友を、信仰の仲間を何人も、あなたの御許にお送りしました。私どもの涙が乾くことはありませんでした。私どもの救いのために、幼子となって来られた主イエスよ。どうかあなたの愛のまなざしと、命の御手で私どもを捉えて下さい。救い主イエスがもたらされた神の平安の中で、生き、死なせて下さい。一回一回の礼拝を一期一会の礼拝として捧げ、奉仕し、シメオンの賛歌を私どもの賛歌、祈りとさせて下さい。主よ、今こそ、僕をあなたの平安の内に去らせて下さい。
この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。