「主イエスと同じ夢を見つめて」
詩編89:25~38
マタイ9:1~8
主日礼拝
副牧師 矢澤 美佐子
2023年4月30日
チューリップの花が優しく揺れる季節になりました。この季節になりますと私が7年滞在していたアメリカ、ミシガン州、グランドラピッツの町を思い出します。そこはオランダのカルヴァン派の誠実な信仰を受け継いだ人たちによって設立された、とても魅力的な湖畔の町です。カルヴァン派の教会が多数建ち、教会の庭にたくさんのチューリップが、虹色の絨毯がしかれているように仲良く優しく揺れていました。
その町は日本人が少ないのですが、車で数時間離れたバトルクリークやアンアーバーという町まで行きますと、日本人が比較的多く住んでいました。国際結婚で移住された方、海外赴任で単身アメリカへ、或いは家族で来られた方、日本企業の海外進出の加速と共にアメリカで生活される日本人は増えています。アメリカの大自然に囲まれた田舎町で、ゆったりとした暮らしがあります。しかし、日本に残したままの愛する家族が心配という方、外国で小さい子供たちの育児で悩む方、病気を患い高額な治療費や、慣れない環境で苦労している方がたくさんおられました。
「もうここで生涯を終えるつもりよ」と優しく語る高齢の方は、流暢な英語でも、やはり日本語で悩みを聞いて欲しい。そういう方たちが日本人教会に集りました。私は、そこで礼拝説教のご奉仕をし、婦人会で聖書のお話をし、お一人お一人の悩みをお聞きしました。誰もが、日本語で語りかけて下さるイエス様に抱きつくようにして御言葉を大切にしておられました。貴重な日本の食材でささやかな梅干しのおにぎり、日本茶一ぱいを味わいながら共に生きている幸せをかみしめ、神様との時間を大切に過ごしました。
魂の奥底にある悲しみは、生まれ育った日本語でこそ溢れ出てきます。今も遠く離れた外国で、魂に届く日本語での礼拝を必要とされる方が多くいらっしゃいます。毎週の金沢教会のライブ礼拝が、遠く離れた異国で神様を求める方々にも届いて欲しいと願っております。
私は、ミシガン州のジョン・ノックス長老教会で伝道のご奉仕をしました。神学者のジョン・ノックスという牧師。彼は、カルヴァンから改革派神学、長老制度を学びスコットランドで宗教改革を進めた神学者です。ですからジョン・ノックス長老教会は、御言葉によって悔い改め、行動し、深い祈り、信徒同士の牧会が非常に成熟した教会でもありました。毎主日には、洗練され美しく整った礼拝が聖霊に導かれておりました。そして、そのような礼拝と同じように大切にされていたのが毎年、夏7月と8月の礼拝でした。 この2ヶ月は、礼拝の司式、受付、奏楽を、身体の不自由な方、障害のある方がご奉仕をされ神様の恵みを分かち合います。
朝早く受付では、言葉がうまく発音できない方が、教会の入り口に立たれます。言葉の代わりに笑顔と愛で、一人一人に握手をし、子供たちを抱きしめていました。
礼拝では、目の見えない方が点字でゆっくりゆっくり聖書朗読をされます。百数十人の会衆が心の中でアーメンと温かな信仰で応援し、優しく見守ります。
奏楽は、この日のために1年かけて練習をされてきた、身体の不自由な方がオルガン奏楽をされます。その音色は緊張でとっても震えていましたが、神様への震えるほどの畏れと感謝があらわされ、百数十人の会衆の信仰も熱く震え、讃美の歌声が優しく神様へ届けられていました。
神様は「あー美しい礼拝」と慈しみに満ちた眼差しで喜んでおられたことでしょう。
苦難の時もありました。教会は付属幼稚園がありましたが、園児の減少や財政難のため閉校が決定。園長不在のまま最後の1年となった時がありました。そこへ教会に転会して来て間もない一人の女性が「私は以前、園長をしていました。何か助けになりたいわ。最後の1年、園長を引き受けます」と、ささやかな給与で働くと言って下さいました。その方の名前は、Msエンジェル。その名の通り天使のような女性です。
幼い魂に神様を畏れ敬い、愛する信仰、息づく美しい伝統を伝えたい。最後となる園長は、4人の子供を育てながらどんな小さな働きにも愛を込めとっても丁寧でした。いつも優しい笑顔で、たくさんの方へ感謝のカードを送り、感謝のメールを送り、一緒に働いている人たちへコーヒーを入れ、お菓子を差し入れ、感謝の花をプレゼントされました。どんな人にも「愛しているわ I Love You.」と伝え優しく抱きしめていました。
その姿を見て一人また一人と奉仕に加わる人が現れました。私は大きな病気をして退院すぐ、まだ体調が十分でありませんでしたが、Msエンジェルの愛に満ちた信仰に動かされ、幼稚園のボードメンバー(理事会)に加わりご奉仕をしました。会議に出席し、幼稚園で聖書の話や折り紙を教え、一緒に讃美歌を歌いました。先生方と夜遅くまで一緒に手作りの看板をたくさん作り、大通りにどんどん立てていく。そして、そこにはいつも微笑んだ主イエスが共におられました。
ファミリーレストランやスーパーマーケットに、幼稚園の案内チラシを置いてもらうように頼みました。ある時は、先生方とハンバーガーショップを手伝うことで、その売り上げの一部を幼稚園に寄付してくれるお店もありました。雨風の強い日は、手作りの看板を一つ一つ確認しに行き、立て直し、作り直す。幼稚園のオープンスクールを繰り返し行い、朝は、主イエスとMs.エンジェルと一緒に「I Love You.」と言いながら子供たち一人一人抱きしめて迎えました。そうして、まさに神様のみ業としか言いようがありません。1年後、入園児童が増え閉校は取りやめ、存続が決定したのです。そんな風にしてアメリカでも、この世へ向かってキリストに深く愛された子供たちが、愛の人となって送り出されています。
教会が苦しみの時、Msエンジェルがこんな風に話してくれたことを思い出します。「困難な出来事に、私たちは、いらだちを感じる時があるかもしれません。けれど、神様を見つめ、誠実に歩んでいれば、その姿を見て、誰かの生き方に影響を与えている時があるかもしれませんね。いつも初心に戻って、神様の救いを伝える。この一点に焦点を合わせ働きを進めていきたいわ」そう話してくださいました。
金沢教会でも、神様が用いて下さるお一人お一人のその姿を通して、信仰を持たない方や誰かの生き方に影響を与えている時があるのですね。そして、用いられているその人自身は気づいていないことが多いのです。神様は、お一人お一人の素敵な賜物を慈しんで大切に用いてくださいます。
旧約聖書には「慈しみ」が繰り返し語られております。ヘブライ語で「ヘセド」。今日の詩編89編は神の慈しみ・ヘセドへの信頼の頂点とも言われます。
今、詩人は苦しみの中にありました。目の前に祖国滅亡の混沌が広がっています。詩人は涙が枯れ果て、力を失い地にうなだれていました。神様を信じる人々イスラエルは、鎖に繋がれ悲しみを宿してうつむき、大国バビロニアに連れて行かれるのです。王冠は地に投げ打たれ、その砦は壊された。歴史的に言いますとこれはバビロン捕囚と言われるものです。ダビデ王国は400年あまり続きましたけれど、ついにここに至って滅んだのです。詩人は訴えます。「このまま、神を信じる人々は消滅してしまうのですか」。
旧約聖書の列王記によりますとこの滅亡は、「神の正しい裁きの結果であり、預言されていたことが実現した」というのです。「人々は神に背く。神を捨てる」。聖書は預言していたのです。神を信じていた人々は、時代と共に神を忘れていきました。これまでどんなに大きな救いによって導かれて来たのか。今、生きているのは神の助けがあったから。しかし人々はそれを忘れ、自分が誉め讃えられることを求め、欲望を満たしてくれるものを崇め、金銀に額ずきはじめたのです。それは人間よりも価値の低い物にひれ伏し、それによって自らの存在を辱めていることでした。これは旧約聖書の初めから、神によって警告されていたことでした。人々は言われていたにも関わらず、言われていた通りに背き、そして警告されていた通りに、今、詩人の目の前でついに滅びたのです。
しかし、詩人は神に迫ります。「主よ、その通りです。これは、あなたの正しい裁きの結果です。しかし主よ。人々の不誠実にもかかわらず、主よ、あなたは「慈しみ」を取り去ることはしないと約束して下さったではないですか」(詩編89:34)。
サムエル記下7章にも記されております。(サムエル記下7:8~16)「人々が過ちを犯すときには懲らしめがある。しかし、私は慈しみを取り去ることはない」。詩人は今、この預言を思い出しているのです。
東京神学大学の旧約聖書の授業で、用賀教会の礼拝説教で、この箇所の熱い解き明かしをこのように聞きました。「神の裁きに服することも、神に対する一つの従順です。しかし、そうであっても、人々の神への背きによるとは言え、愛する人々を滅びに任せた、主よ、あなたの「慈しみ」はどこに。詩人は人々を愛するゆえに、神に迫ります。人々の背きの罪とは言え、主よ、あなたの慈しみはどこにと迫る、この詩人の信仰こそ、神の慈しみへの信頼そのものなのです」そう聞きました。
そして、まさに「神の慈しみ」は絶たれることはありませんでした。この背きの罪による断絶を超えて、神のみ子イエス・キリストはこの世に来て下さったのです。「父よ、彼らをお赦しください」。私たちの背きの罪を全て負い、神のみ子が身代わりに十字架につき命を捧げてくださいました。神の私たちへの慈しみは、決して耐えることがありません。神は約束を果たして下さるのです。
アメリカの伝道者、信仰者を思い出す時、「神よ、神よ、あなたの慈しみを」と求める、神への信頼が強かったように思います。ミシガン州の南西部にイリノイ州があります。そこはトマス・ウイン宣教師、イライザ夫人の信仰が育まれた場所です。
時が満ち、二人は神様からの声を聞き、日本伝道へ宣教師と女性宣教師となり派遣されます。アメリカから、まだ知らない世界へ、日本へと向かって帆をあげて大海原へ船を進めます。風のうなり声を聞きながら、嵐の夜は故郷の祈りに背中を押され、聖書を握りしめ、日本へ神様の愛を伝えようと船は進みます。32日間の船旅の末、1877年横浜に到着。S. R. ブラウン宣教師宅にしばらく滞在後、1879年再び神様の声を聞きます。さらに、まだ見ぬ土地へ、船を幾度も乗り継ぎ2週間近くかけてたどり着いた土地。そこが金沢です。あまりに遠く、過酷な旅のためウィン宣教師は「ここは地の果てか」とこぼしたそうです。しかし、まさにそこが「地の果てまで福音を」と神様に示された土地でした。
イライザ夫人は幼子を抱えながら、近所の人など誰にでも福音を語りました。伝道の風が少しずつ勢いを増すにつれ、迫害の逆風も強烈に吹き荒れました。岩盤のように分厚く固い仏教王国地域、金沢です。「耶蘇」「耶蘇」とののしられ石が飛んで来ます。仲間同士の意見の対立も経験します。さらに、幼い長男ウイラードは2歳半で病気によって神様のもとへ召されていきました。聖書が涙で濡れる眠れない夜、幾度もあったことでしょう。主イエスにこぼれる涙を拭って頂き、また疲れた時は、主イエスにもたれかかるようにして伝道を続けられたことでしょう。
北陸各地に宣教を広げ、ついに1881年金沢教会が誕生しました。イライザ夫人は、西洋料理を教え、パンやクッキーを一緒に作りました。バザーの開き方、編み物、パッチワークの仕方を伝え、教会に好意を抱き、礼拝に出席する人も現れました。1885年には北陸学院の前身、金沢女学校が開校され、人々が信仰をもち愛の人へと変えられていきました。1890年この地方は大飢饉に見舞われ餓死する人が多く出ました。親を失った子供たちが街のゴミ箱をあさっているのを見たイライザ夫人は、自分たちの宿舎を開放して孤児院を開き、多い時には50人もの孤児が集まりました。ボロボロの服を着た子供たちに、彼女は服を着せ、食べ物を与え、勉強を教えました。自らも資金を出し、多くの方に援助をお願いし、この救済活動は9年続いたと言われています。暗闇にいた子供たち。イライザ夫人が「愛しているよ」と一人一人抱きしめ、食べ物を分け合えば、貧しくても、みなが幸せに包まれたことでしょう。夕暮れに、亡くした父や母を思い出し寂しくなった子供には、みんなで寄り添い讃美歌を歌い、夜明けを待ったことでしょう。
教会の神様の家族と共に、子供たちを育て、イエス様が見つめている景色を、子供たちにも届けたい。同じ明日を、同じ夢を見つめて生きる時、神様の家族の瞳は光、輝きます。
私たちも同じです。今こうして同じ時代に、同じ場所に生まれ出会えたことは、まさに神様の奇跡です。そして、一緒に主イエスが見つめている同じ景色、同じ夢を見つめて生きています。神様の国へ。貧しくても心は豊かで、イエス様の愛のバトンは今、私たちにも受け継がれています。
皆さんの中には今、苦しみの中にいらっしゃる方もおられると思います。苦しみの意味が分からないまま、現実を背負って生きて行かなければならない。解決もなく、苦しいのですね。そういう時は、神様のみ言葉に、もたれかかればいいのです。そして、神様の長い時の中では、神様がその救いのみ業を進めていくためになくてはならない「今、この時」なのです。ですから、たとえすぐに「今、この時」どのような意味があるか分からなくても、その答えは神様がきちんと、大きなみ手に握っておられます。神様の中には、きちんと意味はあるのです。そのことを知って今、神様にもたれかかるように、神様を信じいのちを生きてほしいのです。そこから本当の安らぎが神様の方からやってきます。
本当の安らぎです。それは、決して自分の力でつかみ取れるものではないのですね。キリスト教牧会学、パストラルケアでこう言われます。「私たちは、むしろ得ようとするよりも、手放すことによって安らぎは訪れて来る」。そのような逆説的なことを神様はなさるのです。「この苦しみ、思い通りの人生ではない、こんなはずではない」と私たちは、自分自身にしがみついてしまい安らぎが得られない。そういう時があります。そういう時は、自分のいのちや人生を、自分のものとして握りしめるのではなくそれを手放していく。あるいは手放して、もう一度、神様のものとして新しく受け取り直していく。そうして、以前とは違った新しい形、本来の形をとって、自分に与えられることに気づかされ、安らぎを得ることができるのです。握りしめているものを手放し、もう一度、神様のものとして新しく受け取り直していきます。
今日の新約聖書では、限界ある人同士が、自分たちを超えた存在、神様を信じる姿が描かれています。そして、そこから奇跡の出来事が起こるのです。
中風という病の人がおりました。身体が麻痺し寝たきりでした。その当時、主イエスは病の人、苦しみを抱える人に福音をお語りになり、人々を癒し病を治しておられました。「さあ、主イエスに会いに行こう」。友人たちは、病の人を床に寝かせ、皆で担ぎ、主イエスのもとへと向かいます。これはまさに教会の姿です。教会が一つになって動きます。主イエスに会いに行こう。
しかし、主イエスのおられる家は、群集で入れません。その中には厳しい戒めを実践する律法学者たちが目を光らせています。彼らの前を通るために、理由や論理で説得するには、地球を一周しなければならない、それほど距離は遠く感じます。友人たちは、それならとアイディアをしぼり屋根にのぼります。マルコやルカ福音書ではその様子が描かれております。友人たちは屋根をバリバリバリとはがし始めたのです。必死に屋根をはがします。けれど、もしこの友人の中で一人でも「大変だ、やめよう」と言えば実現しなかったでしょう。しかし友人たちはただ一点、病気の仲間を主イエスに会わせたい。ここに「愛」があります。愛から生まれた信仰です。困難に直面した時、愛からは、斬新なアイディアが生み出され、クリエイティブな力が発揮され、未来への大きなビジョンへと繋がります。そしてなんと、天井から病気の人がつり降ろされて来たのです。律法学者たちは睨みつけていました。
しかし、そこで主イエスは病の人にそっと近づき手を置きます。友人たちは微笑みが溢れます。主イエスは、友人たちの微笑みのかげに潜む苦悩の涙も見えていました。罪と罪とがぶつかり合う現実の中で、信仰を、愛を、目指して生きようとする人たち。主イエスは「あなたたちの信仰、愛は、素晴らしい」とご覧になるのです。そこで主イエスは病の人に語られます。
「あなたの罪は赦される」それは全く思いがけない語りかけでした。
「あなたの罪は赦される」。ここに主イエスが大切にされる語りかけの順番があります。最初に罪の苦しみ、魂に触れられます。その次に肉体を癒されます。私たちは、何よりもまず罪に苦しみられているからです。誰もが死を意識するようになった時、これまでを振り返り、背負ってきた罪に押しつぶされそうになります。自分を守るために人を傷つけてしまった、家族、友人にひどいことをしてしまった、自分の言葉で人を病気へ、死へ追いやってしまった、多くの人が罪に押しつぶされそうになっています。
病気や今の不幸は、あのためかもしれない。時には疑いを超えて、間違いなくあのため、という確信にまで凝縮し、自分自身を苦しめてしまうこともあります。信仰をもち、神様の赦しを知っているけれど、人生の消せない過去の重さに耐えかねている人もいます。またキリスト者でありながら教会に通っていない方の場合、想像以上の罪意識をもって苦しむ方もおられます。多くの人が罪に苦しんでいます。
主イエスは、まず最初に罪の苦しみに手を置いて癒してくださいます。隠していたい罪、誰にも触れられたくない罪。その私たちに主イエスは「わが子よ」と呼びかけ、染み入るように入ってこられる。「あなたの罪は赦される」と、慈しみをもって染み入るように入ってこられるのです。あなたの苦しみは、私の苦しみ。主が、あなたへと入ってこられた時に、隠したい罪を暴き出して「どうだ参ったか」とおっしゃるのではなく「あなたの罪は赦される」と仰せになって下さるのです。
私があなたの罪を負い十字架で命を捨てる。それゆえに「あなたの罪は赦される」。本当に思いがけない語りかけを私たちは聴くのです。全く新しい世界へと包み込んで、新しい命へと立ち上がらせてくださる。
人間の罪を赦すことがおできになるのは神だけです。
それゆえ、この言葉に反応したのが律法学者たちでした。心は色めき立ち、怒りに燃えます。簡単に罪の赦しを口にするとは神を冒頭している。偽物だ。
確かに「あなたの罪は赦される」ということは、目に見えないことです。実感することはできません。そこで、主イエスは、なんとそれを目に見える形で現されたのです。主イエスは、病の人に呼びかけます。「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」。すると今まで寝たきりで全く歩けなかった人が、すくっと起き上がって家に帰ったのです。興味深いことは、主イエスが言われた、そのまま全くその通りに起き上がって家に帰ったのです。
これは、もう人々の目には疑いようもない事実でした。
そして、それと同じだけ確かに、疑いようもない事実として「あなたの罪は赦されている」。そのことをここではっきりと証明されているのです。ここで聖書が伝えていることは、神のみ子が罪の赦しの権威を持って、確かにこの地上に来られたという事実です。罪を赦す権威を持ってこの世にこられたのです。
しかし、律法学者たちは認めらません。人々の怒りをあおり、群衆が主イエスを捕らえます。群衆が怒りにまかせて「十字架につけろ、十字架につけろ、殺せ、殺せ」と叫び、主イエスを鞭打ち、唾を吐きかけ、ののしります。
その様子をこれまで主イエスを師と仰ぎ、従って来た弟子たちはどう見ていたでしょう。それぞれが、これこそ救いという理想を持っていたのです。この主について行けば、自分の名が崇められる、力を得ると理想を描いた弟子もいたでしょう。しかし今、主イエスは鞭で打たれ、唾をはきかけられ、十字架にかけられ死んでいこうとされるのです。自分たちの望みと違う。情けない。思い描いていた救い主と違う。弟子たちは一人残らず逃げたのです。こんな所に自分の救いなんてない。そう言って私たちは主イエスを捨てるのです。
しかし、聖書は伝え続けます。これこそ、あなたを救う、救い主。
これは考えてみれば恐ろしいことです。私たちが、こんなもの違うと鞭打ち、捨てたものを神様は、これこそあなたを救う、全ての人を救うメシア、神の独り子とおっしゃるのです。
そして、殺してみたら「神の子だった」。私たちは青ざめて倒れるほかありません。そして、血を流される主イエスのお姿は、罪のために本当ならこの私が、負わなければならなかった姿、死であったと分かった時、全身の血の気が引いていきます。
私たちの罪は、神が、私たちの代わりに罪を負わなければ解決しない、と言うのです。
主イエスは人々から「十字架から降りるがいい、力を見せてみろ」とののしられます。しかし、主イエスは、黙ったままです。十字架から降りることができない。奇跡を行えない。そう思われたまま耐え忍ばれるのです。このようなあざけりの中で、神の偉大な力を発揮して、十字架から降り、人々を見返して、信じさせればいいのにと思います。病の人を起き上がらせ、家に帰すこともおできになる。ここで力を見せれば、この世の支配者になるかもしれません。ここで見返せば、人々の上に立つことができるかもしれません。しかし、主イエスは十字架から降りることをなさらないのです。「父よ、彼らをおゆるしください」。主イエスは祈られました。主イエスは、私たちの罪を全て負って、私たちが経験する、あざけりも、ののしりも、理不尽な苦しみも、全て負って、十字架について下さっているのです。
私たち人間を、罪から、全ての苦しみから救い出すために、そのためには、主イエスは十字架から降りるわけにはいかないのです。主イエスが、この世の権威にひれ伏さず、この世のニーズに従わず、ただ黙ってののしられ続け、私たちの罪を全て負って、十字架から降りず、血を流し続けられたから、私たちは救われたのです。
神のみ子が、私たちのためにそれをして下さいました。
これは今日の詩編89編の姿です。人々の背きとは言え、神よ、慈しみを忘れないでください。時を超えて、神の慈しみは実現されました。神は決して慈しみを忘れません。父なる神様は、私たちを、どこまでも、どこまでも慈しんで、愛してくださるがゆえに、私たちが罪を犯し、滅んでしまうことを黙って見ていることができない神様です。私たちが罪を犯した時、父なる神は、怒りと愛の引き裂かれる感情の狭間で苦しまれる。そういう神様です。怒りと愛、裁きと救いの間に引き裂かれ、苦しみの末、驚くべき救いを行われたのです。
怒りと愛。裁きと救い。それをご自分の中に、両方、持ってその間で引き裂かれ、愛する神のみ子を犠牲にして、私たちを救うこととなさった。私たちへの愛をお選び下さったのです。私たちは、十字架にかけられた主イエスの中に、その引き裂かれた神のみ子の姿の中に、この父なる神様の引き裂かれた姿を見ます。
父なる神様は「私ほど、あなたを愛する神が他にいるだろうか。私こそ、私こそ、あなたをどこまでも、どこまでも、永遠に愛し続ける神なのだ、私のあなたへの愛を分かってほしい」そう語られます。私たちは、これほどまでに神に愛され、赦され、新しい命を生きています。
今週は、金沢教会墓地、ウィン宣教師墓地の清掃が行われ、次週主日は、金沢教会創立記念礼拝、ウィン宣教師、墓前祈祷会が行われます。神様のみもとへ召された信仰の先達たちを思い出します。
2015年6月には釜土純雄長老が神様のみもとへ召されました。井ノ川先生は、釜土長老の存在をかけた「いのちの授業」を葬儀説教して下さいました。私たちの信仰は熱く震え、命は死で終わらず、永遠のいのちへと開かれていきました。私はそれ以来、釜土長老が最後の授業で、もし子供たちに宿題を出していたなら、どのような宿題だったかしらと思い巡らす時があります。そのような想像は、私には畏れ多いことかもしれません。けれど、もし出されていたなら、それは「幸せになるんだよ」だったかもしれないと想像しています。この地上でイエス様にたくさん、たくさん愛されて神様からの命をめいっぱい生きて「幸せになるんだよ」。そして神様の国で話を聴かせてほしい。釜土純雄長老だけでなく、先に天に召された方々から、そんな語りかけが聞こえてくるように思うのです。
私たちの人生は、学校の試験のように、正解がある問いばかりではありません。正解が分からないまま、進んでいく時もあります。正解をして、笑顔が輝く日々、それだけが「幸せ」と呼べるものではないと思うのですね。何が正解なのか分からず、苦しい中を進んでいる時に、祈り合うことができる、手を差し伸べ、肩を貸し、支え合うことができる。そこに本当の「正解」があり、それを本当の「幸せ」と呼ぶのではないでしょうか。
だから、ここに神様の家族があります。「幸せになるのだよ」。私たちは、神様の家族と共に生きていく時、そこに、ちりばめられている、たくさんの幸せに出会うことでしょう。主イエスと同じ景色を、同じ夢を見つめて、愛のバトンを次の人へと渡してゆきたいと思います。