「主イエスはあなたを遣わされる」
エレミヤ書1章1~10節
マタイによる福音書10章5~23節
主日礼拝
井ノ川 勝 牧師
2025年10月5日
2025.10.5.「主イエスはあなたを遣わされる」
エレミヤ1:1~10、マタイ10:5~23
1.①私どもが日々の生活において、しばしば問いかけることがあります。呟くことがあります。「私は何故、ここにいるのだろうか」。「私は何故、ここでこんな苦しみを負わなければならないのだろうか」。恐らく、誰もが日々の生活の中で問いかけ、呟いていることではないでしょうか。私は何故、この家庭にいるのか。私は何故、この学校にいるのか。私は何故、この職場にいるのか。私は何故、この教会にいるのか。そして私は何故、ここでこんな苦しみを負わなければならないのか。誰にも打ち明けられず、一人で涙を流しながら、苦しんでいます。
しかし、主イエスは私どもの小さな問いかけ、呟きを聴き漏らされることはありません。耳を傾けて聴いておられます。そして私どもの苦しみを受け止め、寄り添って下さいます。主イエスは今朝の御言葉を通して、私どもに語りかけておられます。
「あなたは、わたしから遣わされて、そこにいるのである」と。
私どもは偶然、ここにいるのではありません。たまたまここにいるのでもありません。逃れられない運命として、ここにいるのでもないのです。私どもは主イエスによって、遣わされて、ここにいるのです。主イエスは、この家庭に、この学校に、この職場に、この教会に、あなたは無くてならぬ存在なのだと願って、あなたを遣わされたのです。私どもの信仰にとって、とても大切なことは、私どもは主イエスに遣わされて生かされている、ということです。主イエスからここに遣わされている。その視点に立って、もう一度、自分が置かれたところを眺めてみるのです。私どもが抱えている苦しみ、悩みを、全く新しい視点で受け留めることが出来ます。
私どもは今、神の御前に立ち、礼拝を捧げています。礼拝は、神の招きから始まります。神が一人一人に呼びかけ、招いて下さいました。そして礼拝は、神の祝福で終わります。神が「あなたがたに平和があるように、平安があるように」と宣言して下さる。そして私ども一人一人を、それぞれの家庭へ、学校へ、職場へ、社会へと遣わされるのです。神の祝福宣言は、神から派遣されることなのです。私ども一人一人は、主イエスから遣わされて、それぞれの場所で、無くてならぬ存在として生かされるのです。
②この朝、私どもが聴いた御言葉は、主イエスが12人の弟子たちを、初めて伝道に遣わされる場面です。マタイ福音書は、主イエスから遣わされることを、特に重きを置いている福音書です。福音書の終わりも、甦られた主イエスが挫折した弟子たちを、再び伝道へ遣わされる場面で結ばれています。主イエスが12人の弟子たちを伝道へ遣わされる。この御言葉は、神学校の入学試験に先だって行われる礼拝で、また、牧師となるための教師検定試験に先だって行われる礼拝で、説き明かされる御言葉でもあります。一般の入学試験、入社試験と違って、神学校の入学試験、牧師の検定試験では、主を礼拝することから始まります。あなたは真実に、主イエスから遣わされているか否か、召命を確かめるためです。試験と面接を通して、私は主イエスからこの教会へ、このキリスト教学校へと遣わされているのだとの召命を確かなものとするのです。
そう言いますと、この御言葉は伝道者のためだけの御言葉であって、私ども信徒には関係のない御言葉だと受け留められてしまいます。伝道は伝道者がするものであって、私ども信徒にはおこがましくて、とてもとても出来ないことだと決めつけてしまいます。しかし、主イエスは全ての人を、主の弟子として、伝道へと遣わされるのです。それでは、伝道とは一体何をすることのでしょうか。主イエスは語られました。
「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」。
「天の国は近づいた」。言い換えれば、「神の御支配は始まった」ということです。「神は生きて働かれておられる」ということです。神はあなたと共に生きて働かれているではないか。あなたが悩んでいる家庭で、学校で、あなたが苦しんでいる職場で、教会で、神は生きて働かれているではないか。更に、主イエスはこのように語られます。
町や村に入ったら、一軒一軒の家を訪ね、その家に入ったら、「平和があるように」と挨拶しなさい。「天の国は近づいた」と宣べ伝えることは、「平和があるように」と挨拶することなのだ。伝道は挨拶することなのだ。これは伝道にとって急所を、主イエスが言い当てておられます。伝道と聞くと、重いな、私には無理だなと思う。しかし、伝道は挨拶なのだと言われると、私にも出来ると思うのではないでしょうか。
「あなたがたに平和があるように」。「あなたたに平安があるように」。これはユダヤ人が朝に夕に、今でも交わしている挨拶です。「おはよう」「さようなら」。ヘブライ語で、「シャーローム」と言います。「あなたがたに平和があるように」。「平和」がある。「平安」がある。それは神があなたと共におられることです。神があなたと共に生きておられることです。それこそが、平和であり、平安なのです。私どもが告げるべき挨拶なのです。
しかし、「平和の挨拶」を告げても、相手は直ぐには喜んで受け入れてくれないかもしれません。
2.①挨拶は、私どもにとって、顔と顔とを合わせ、親しくなり、交わりを生み出す始めの一歩です。全ては挨拶から始まります。それだけに大切なことです。しかし、今日、私どもの現実を振り返った時、私どもは健やかに挨拶を交わしているでしょうか。健やかに挨拶を交わせないということは、顔と顔とを合わせられないということです。健やかに挨拶を交わせない。顔と顔とを合わせられない。視線を避けてしまう。交わりにひびが入ってしまっている。それは家庭においても、学校においても、職場においても、教会においても起こっていることです。そこに私どもの苦悩があります。しかし、主イエスは語られるのです。全ては「あなたがたに平和があるように」との挨拶から始まるのだと。
更に、主イエスが12人の弟子を伝道へ遣わされる時に、語られたことがあります。
「帯の中に金貨や銀貨を入れてはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない」。
空手で行きなさい。私どもは考えてしまいます。伝道の旅には、必要最小限度のお金も、下着も、履物も杖も必要ではないか。しかし、主イエスは何も手にするな。空手で行きなさいと言われるのです。言い換えれば、ただ主のみを信頼しなさいということです。神に全てを委ねよということです。信頼すべきものは、主が託された御言葉のみです。「天の国は近づいた」「神はここに生きて働いておられる」「あなたがたに神の平和があるように」「神はあなたがたと共におられる」。
実は、主イエスは12人の弟子たちに、特別なものを託されておられます。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、思い煩いを癒す神の権能です。御言葉を託されたということは、この神の権能を託されたことです。主イエスが父なる神から与った権能を、主イエスは伝道に遣わす弟子たちに託されたのです。主イエスから託された御言葉を、一軒一軒の家を廻りながら告げることは、この神の権能を行使することでもあります。主イエスの言葉で言えば、こうです。
「病人を癒し、死者を生き返らせ、規定の病を患っている人を清め、悪霊を追い出しなさい」。
一つ一つが神しか出来ない権能の御業です。しかし、あなたがたに託した御言葉には、そのような神の権能の業が託されているのだと言われるのです。真に驚きです。それは言い換えれば、一つ一つの家、家族が抱えている苦しみは、病、死、悪しき霊に捕らわれているということです。律法で規定された病に罹り、神に呪われていると差別w、偏見を受けている。病や、死の力、悪しき霊、差別や偏見に捕らわれてしまって、日々苦しめられている。本当に神はここに生きておられるのかと疑ってしまう。神が生きておられるとは思えない。神が生きていることが全く見えない。
しかし、主イエスはそのような一つ一つの家へ、弟子たちを遣わされるのです。神の権能である御言葉を託して、遣わされるのです。主イエスが遣わされるということは、主イエスは弟子たちと共に働いて下さるということです。それ故、一つ一つの家を訪ねて、御言葉を語るのです。平和の挨拶を告げるのです。「神はこの家にも生きて働いておられるではないか」。「神はあなたがたにも平安を与えておられるではないか」。「神はあなたがたと共にいるではないか」。
主イエスは病で苦しんでいる者、死に直面し、苦しんでいる者、悪しき霊に捕らわれて苦しんでいる者、差別や偏見に苦しんでいる者。家の中で、誰にも打ち明けられず、苦しんでいる者がいる。自分の心の部屋に閉じこもっている者がいる。主イエスは誰よりもその苦しみ、痛みを知っておられたから、弟子たち一人一人を遣わされたのです。
②主イエスが12人の弟子を伝道へ遣わされる。教会の伝道の歩みはここから始まりました。従って、この出来事を、マタイも、マルコも、ルカも、福音書に書き留めています。しかし、マタイだけが書き留めた主イエスの御言葉があります。
「ただで受けたのだから、たたで与えなさい」。
これが伝道の根幹にあるものだと、主イエスは語られるのです。どんな意味なのでしょうか。私が神学生時代、東京神学大学にはテニス部があって、ユニフォーム、Tシャツを作りました。そのTシャツに書かれた言葉が、ギリシャ語のこの御言葉でした。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」。
私どもは誰一人、救われるにふさわしい存在だから、恵みを受け、救いに与ったのではありません。価なしに、神の恵みによってのみ救われたのです。ただで救われたのです。だから、ただで神の恵みを与えなさい。あなたの存在を通して、ただで受けた恵みに生かされていることを伝え、あなたもただの恵みに生かされるのだと告げなさいと言われるのです。
3.①先週、私は伊勢の山田教会独立百周年礼拝に招かれ、12年ぶりに、山田教会の説教壇に立って、御言葉を語りました。伊勢神宮外宮の前で、浪速中会からの援助を絶ち、自分たちが捧げる献金だけで、キリストの教会を建てていこうと決意してから100周年を迎えました。懐かしい教会員、三重地区の牧師、信徒たち、更に、常盤幼稚園、教会学校の卒業生、そのお母さんも出席され、礼拝堂に150名が集まりました。伊勢の伝道・山田教会の歴史を一貫して貫いた伝道のスピリット、伝道者魂を語りました。
私は神学校を卒業し、27歳から57歳までの30年間、伊勢伝道を教会員と共に励みました。改めて、主イエスが私と妻を、見も知らずの伊勢に遣わされたのだと思いました。主の御心だったのだと思いました。
伊勢の入り口には、宮川が流れています。伊勢神宮には内宮は天照大神が、外宮には豊受大御神が祀られています。伊勢の町の人々は、血書誓約を交わしました。「宮川から耶蘇を一人たりとも入れてはならず」。ここには日本人の神さまが祀られているのだから、日本の聖地だから、耶蘇の神を運んでもらっては汚れてしまう。しかし、そのような伊勢の地に、宮川を越えて初めてキリストを伝道のために運んで来たのは、宣教師でも、伝道者でもありませんでした。一人の女性信徒でした。伊勢出身の渡部フミでした。渡部フミは大阪教会で宮川経輝牧師から洗礼を受けました。大阪教会では信徒一人一人が自分の故郷へ帰って伝道しようという気運が盛り上がった。渡部フミは故郷、伊勢に帰り、初めて宮川を越えてキリストを運びました。自分の家を拠点とし、一つ一つの家を訪ねて、キリストを伝えました。大阪教会は組合教会です。同志社の系列でした。それ故、同志社の神学生を送り、渡部フミの伊勢伝道の手助けをしました。また服部六右衛門という最初の伝道者を遣わしました。しかし、伊勢伝道は困難を極め、組合教会は伊勢伝道から撤退しました。
しかし、神の伊勢伝道の志は終わっていませんでした。別の道から伊勢伝道を切り拓きました。大阪にはカンバーランド長老教会のA.D.ヘール、J.B.ヘール兄弟の宣教師がいました。ヘール兄弟はわらじ履きの伝道者と呼ばれ、紀伊半島を隈なく伝道しました。ヘール先生のわらじの足跡が残っていない場所はないと言われました。兄さんのA.D.ヘールの夢と幻は、日本人の魂の故郷である伊勢神宮の町に、キリストの教会を建てることでした。しかし、いきなりそれをするのは無謀である。そこで伊勢伝道の拠点として、四日市に教会を建てました。1890年(明治23)三重県で最初の教会でした。その初代牧師が中須治胤でした。実は、中須治胤は伊勢の社家出身でした。明治の初め、廃仏毀釈が行われ、伊勢にあった沢山のお寺はなくなりました。中須家は神仏習合を唱える社家でした。しかし、復古神道を唱える神仏分離の立場に立つ社家により迫害を受け、伊勢から追放されました。中須家は北海道の函館まで逃げて行きます。しかし、そこで宣教師を通してキリストと出会い、キリストを伝える伝道者となり、四日市教会の初代牧師となって、故郷伊勢の伝道を始めるのです。自分の家を追放した伊勢に帰り、伊勢伝道を始めるのです。どんな思いで故郷の伊勢に戻って来たのでしょうか。伊勢の町の人々に、キリストを伝えたい。キリストと出会って救われてほしい。中須治胤牧師の伝道により、山田講義所が設立されました。1897年(明治30)でした。最初の伊勢伝道を支えた信徒に、中須家の親戚で、伊勢から追放された社家・河井家がありました。中須治胤の従姉妹に河井菊枝がいました。その河井菊枝の娘が、恵泉女学園の創立者・河井道でした。
今の教会堂は伊勢神宮外宮の前に立っています。この地に教会堂を建てたのは、二代目・福井捨助伝道者の時代でした。教会堂の屋根に十字架を立てることが、教会員に悲願でした。ここにキリストの教会があることを証しするためでした。しかし、町の人々がそれを許しませんでした。伊勢神宮の前に、耶蘇の信仰のしるしである十字架を立てるなど、もっての他である。そこで信徒たちは会堂の軒瓦に十字を刻みました。「十字瓦の教会」と呼ばれました。自分たちの心に、キリストの十字架を刻み、十字架のキリストの恵みにひたすら生かされ、キリストが私どもと共に生きておられることを証ししたのです。その時の十字瓦が現在の教会堂の玄関に埋め込まれています。十字瓦の信仰を受け継いでいます。
伊勢伝道で最も長く伝道したのは、冨山光慶牧師でした。冨山光慶牧師時代に、教会は独立しました。冨山光慶牧師は亀山市の天台宗の長賢寺の円明上人の長男でした。ところが、仏教の修行中、A.D.ヘールを通してキリストと出会い、キリストを伝える伝道者としての召命を受けました。父の円明上人に伝えました。「お父さん、私はお寺を継ぎません。キリストを伝える伝道者になります」。父は光慶牧師の頭をがつんと殴り、目に涙を溜めて、ひと言言いました。「信仰は自由だ」。冨山光慶牧師は仏門を出で、キリストの伝道者となりて、伊勢神宮の前で、40年間キリストを伝えました。その後、息子の冨山光一牧師が30年間、伊勢伝道を引き継がれました。その後、私が30年間、伊勢伝道を引き継ぎました。
伊勢伝道に欠かすことが出来ないのは、常盤幼稚園です。A.D.ヘールから遣わされたカンバーランド教育宣教師ジェッシー・ライカーにより、1913年(大正2年)に創立されました。伊勢に自分のお墓を購入し、故郷アメリカに帰らない決意をし、30年間キリスト教幼児教育に励み、山田教会の伝道を支えました。ところが、太平洋戦争が勃発しますと、敵国人としてアメリカに強制送還されました。思い出の品を一切持ち帰ることは許されませんでした。宇治山田駅を旅立つ時、見送りを許されたのは冨山光慶牧師だけでした。戦後、伊勢に帰る機会はありませんでした。
伊勢伝道に命を懸けた宣教師、伝道者、信徒の姿は今は見えません。皆、神さまの許へ旅立ちました。しかし、山田教会と常盤幼稚園は伊勢神宮の前に立ち続けています。そこで信仰の先達の伝道者魂を受け継ぎ、喜んで生かされている伝道者、信徒がいます。
②先週、12年ぶりに山田教会の説教壇に立ち、伊勢伝道・山田教会の歴史を貫いた伝道のスピリット、伝道者魂に触れ、それを今、私どもも受け継ごうと語りました。そして改めて思いました。伊勢伝道に遣わされた宣教師、伝道者、信徒一人一人が、主イエスから遣わされた存在であったのだと。主イエスから遣わされた者たちが、心を一つにし、力を合わせて、伊勢の町の人にキリストを伝えようとしたのだと。
それは北陸伝道、金沢教会の伝道にも言えることです。北陸伝道の開拓者ウィン宣教師、イライザ夫人も、主イエスからこの地へ遣わされました。金沢教会創立144年の歴史において、歴代の伝道者、信徒一人一人が、主イエスから北陸伝道のために遣わされた存在です。私も主イエスによって、伊勢伝道から北陸伝道に遣わされました。その召命を受けて、金沢教会に遣わされました。今、主の御前で礼拝している私ども一人一人も、主イエスに遣わされた存在です。一人一人が無くてならぬ存在です。欠けてはならない存在です。主イエスは、北陸伝道のために、あなたを必要としていると言われるのです。だから、あなたは遣わされて、この教会に生きるのだと言われるのです。
私どもは心を一つにし、祈りを一つにし、主イエスから託された御言葉を、存在をもって伝えるのです。苦しんでいる一人一人の魂に届けるのです。
「天の国は近づいた」「神はここに生きておられるではないか」「あなたがたに平和があるように」「神はあなたがた平安を与え、あなたがたと共に生きているではないか」。
お祈りいたします。
「主よ、あなたは私ども一人一人を捕らえ、遣わして生かされるのです。私どもをあなたの器として用いて下さい。ひびだらけの空の器に、あなたの恵みで満たして下さい。苦しんでいる家族に、友人に、信仰の仲間に、私の存在を通して、生けるキリストを証しさせて下さい。恵みを届けさせてください。
この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」
