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「人生の要諦」

サムエル記上1:9~18
ガラテヤ6:11~18

主日礼拝

井ノ川勝

2024年10月27日

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1.①私どもは人生において、あるいは教会の歩みにおいて、大切な日付を持っています。忘れてはならない日付を持っています。金沢教会にとって大切な日付の一つが、宗教改革記念日です。金沢教会の信仰の原点がここにあります。1517年10月31日、ローマ・カトリック教会の一修道士であったマルティン・ルターが教会改革のため、「95箇条の提題」をヴイッテンベルクの城の教会の扉に貼り付けた日です。ルターのこの行動が、カトリック教会、ヨーロッパ全土を揺るがす大きな波紋を呼び起こしました。ルターを暗殺する動きも生まれました。ルターの身を案じた選帝侯が、ルターをワルトブルク城に匿いました。ルターは9か月間、ワルトブルク城でひたすら宗教改革の土台となる本を執筆しました。そして何よりも、新約聖書をドイツ語に翻訳しました。母国語で聖書が朗読され、聴かれ、読めるようにしました。これらの著作が宗教改革を方向づける道しるべとなりました。

9ヶ月後、ルターはヴィッテンベルクの教会に戻り、久しぶりに教会員と礼拝を捧げました。そこで8日間連続の説教をしました。その最初の説教の冒頭は、このような言葉から始まりました。

 「私たちは皆、死に定められており、誰も他人に代わって死ぬことはありません。各自が自分で死と戦わなければならないのです。なるほど、死にかかっている人の耳に向かって叫ぶことは出来ましょう。しかし、死の時には、各自が自分できちんとしていなければなりません。その時、私はあなたと一緒にはいませんし、あなたも私と一緒にはいないのです。そこでは一人ひとりがキリスト者であれば求められる信仰の主要な事柄を十分に知って、死に対して準備が出来ていなくはなりません」。

 ヴィッテンベルクの教会員は、9か月ぶりに聴くルターの説教を、一体、どのような思いで聴いたのでしょうか。もし、井ノ川牧師が病気で9か月間入院し、病癒えて久しぶりに金沢教会の説教壇に立つ。教会員に向かって、どのような言葉から説教を始めるのでしょうか。久しぶりに、教会員の皆さんと礼拝を捧げ、御言葉を聴くことができ、とても嬉しい。それが第一声となることでしょう。あるいは、ルターにとって宗教改革の口火が切られた大切な時ですから、さあ、教会員の皆さんも、宗教改革のために共に立ち上がり、戦いましょう。そのような呼びかけの言葉も考えられます。しかし、ルターはいずれの言葉も語りませんでした。

 私たち一人一人は死と向き合っている。誰もそれを助けることは出来ない。あなたは死に打ち勝つ福音を携えていますか。死に打ち勝つ福音を携えて、死に対して準備が出来ていますか。それがルターが9か月ぶりに語った説教の第一声だったのです。興味深い第一声です。言い換えれば、あなたがたは生きる時も死ぬ時も、ただ一つの慰めを手にしていますか、ということです。

 

本日の説教題を「人生の要諦」としました。「要諦」という言葉は、「物事の肝心要の所」という意味です。それを失ったら、全てが崩れ去ってしまう要です。「人生の肝要事」「信仰の肝要事」とも言えます。私どもが人生を生きる時に、あっちに行ったり、こっちに行ったりしないように、迷わないように、人生の道しるべとなるものがどうしても必要です。どんなに試練に直面しても、苦しみに遭遇しても、私どもの歩みを導く道しるべが必要です。死に直面しても、そこで行き止まりとならない道しるべが必要です。死に打ち勝つ道しるべが必要です。

 この朝、私どもが聴いた御言葉は、伝道者パウロがガラテヤの教会の信徒へ宛てた手紙の結びの御言葉です。結びの言葉をこういう言葉で始めています。

「このとおり、わたしは今こんな大きな字で、自分の手であなたがたに書いています」。

パウロは多くの手紙を教会に宛てて書いています。その全てが口述筆記であったと言われています。パウロが語り、弟子がそれを筆記しました。そして礼拝の中で、パウロの手紙が朗読され、それを説教として聴きました。しかし、パウロはこの手紙の結びの部分で、自ら筆を執り、書いています。しかもこんなにも大きな字で書いていると綴っています。ある方は語ります。パウロは字が下手であったから、大きな字となったのだと。しかし、そうではないと思います。こんなにも大きな字で、自分の手で書いている。この手紙で語って来た要諦となることを、結びにおいて、自分の手で、大きな字で綴る。それ故、この御言葉は決して忘れないでほしい。一人一人の心に刻んでほしい。パウロはそのような祈りを込めて、この結びの言葉を自らの手で綴っているのです。16節でこう語ります。

「このような原理に従って生きていく人」。ガラテヤの教会員のことです。教会に連なる私どものことです。ここで「原理」という言葉が使われています。以前の聖書翻訳では「法則」と訳されていました。新しい聖書翻訳では「基準」と訳しています。実は、この言葉は教会でよく聴く言葉なのです。聖書は旧約39巻、新約27巻、併せて66巻から成り立っています。これら66巻からなる聖書は「正典」、神の言葉であると言います。この「正典」という言葉が、「基準」という言葉なのです。「物差し」という意味です。元々は「まっすぐな棒」を意味していました。まっすぐな棒を物差しとして計ったからです。聖書が正典であるということは、宗教改革者も強調したことです。聖書が正典であることは、聖書こそ人生の物差し、まっすぐな棒、道しるべであるということです。

 伝道者パウロは語ります。私どもはまっすぐな棒を持って生きている。生きる基準、道しるべを持って生きている。その要諦にあるものは何なのか。それが14節のこの御言葉です。

「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」。

 ルターの宗教改革の要諦こそが、この一句、この御言葉であったのです。

 

2.①11月3日、第47回教会修養会が行われます。主題は「教会の伝道」です。教会員、求道者、高校生、大学生、一人でも多くの方に出席してほしいと願っています。本日、修養会のレジメが配布されました。しばしば、「教会の敷居は高い」と言われます。誰もが教会の敷居をまたげるように、教会の敷居を低くするためにはどうしたらよいか、いつも話し合われます。何故、教会の敷居が高いのか。いろいろなことが考えられます。しかし、教会の敷居が高い最たるものは、主イエス・キリストの十字架に躓くということです。浄土真宗の強い北陸の地に、宣教師によってキリストの福音が運ばれて来ました。その時に、歌われた歌があります。

「耶蘇教徒の弱虫は、磔拝んで涙を流す」。

十字架に磔されたイエスという弱々しい男を、救い主として拝み、涙を流している耶蘇教徒は何と弱虫なことか。やはり主イエス・キリストの十字架に躓いた歌です。十字架に躓かないように、教会の敷居を低くするために、私どもは十字架に飾りを付けようとします。十字架を装飾しようとします。十字架が見た目によいものにしようとします。十字架を耳障りのよいものにしようとします。

 伝道者パウロは他の手紙で語りました。十字架につけられたキリストは、ユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなものだ。日本人にも躓かせるもの、愚かなものであった。しかし、伝道者パウロは語ります。「わたしは十字架につけられたキリスト以外、何も語るまい」と心に決めて、伝道した。

 若草教会の初代牧師であり、金沢教会と親しい交わりにあった加藤常昭牧師が、今年の4月、95歳で死去されました。『自伝的伝道論』を書かれています。金沢伝道にも触れています。そこでこう語ります。「私は十字架一本で伝道して来た」。他のものを頼りにして来なかった。これは全ての伝道者が中心に置いている決意です。伝道の要諦です。ある伝道者は語ります。「わたしは生の十字架を語る」。「生の十字架」という言葉は面白い言葉です。十字架を飾らないということです。十字架を十字架そのものとして語るということです。

 十字架が何故、躓きとなるのか。愚かなものなのか。十字架は死刑の道具です。しかも極刑です。最も残酷な刑罰です。しかも律法においては、十字架は神の審きです。神の呪いです。そこに立つものは滅びるのです。十字架は躓きであり、愚かなものであることは、誰もが分かることです。しかし、神の御子である主イエスが、私ども罪人に代わって、十字架の上に立たれた。そこに私どもの救いがある。それが伝道者パウロがこの手紙で語りたかった福音です。福音の要諦です。それがこの御言葉なのです。

「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」。

 

わたしたちの主イエス・キリストの十字架を誇りとする。それはどのような信仰なのでしょう。「誇る」という言葉は、「喜ぶ」という意味でもあります。わたしたちの主イエス・キリストの十字架を喜びとする。それはどのような信仰なのでしょうか。12節に注目すべき言葉があります。

「肉において人からよく思われたがっている者たち」。

主イエス・キリストの十字架を誇りとしない者たち、喜ばない者たちのことです。この御言葉は新しい聖書翻訳ではこう訳されています。

「肉において見栄を張りたい人たち」。

以前の聖書翻訳ではこう訳されていました。

「肉において見えを飾ろうとする者たち」。

面白い言葉です。しかし、誰にも身に覚えがあることです。私どもは人のまなざしを気にしながら日々歩んでいます。自分がどのように見られているのか、いつも気にしています。誰もが人からよく見られたいと思い、見栄を飾り、見栄を張りながら歩んでいます。

異教者会である日本で、洗礼を受け、キリスト者となって生きる。やはり人のまなざしが気になります。「あなたはそれでもキリスト者」と言われないだろうか。礼拝が終わって家に帰り、家族から、「神さまを礼拝したのに、何故、そんな言葉を語るの。何故、そんな態度を執るの」と言われないか、恐れながら生活しています。人のまなざしが気になりますと、キリスト者でも人からよく見られたいと思い、見栄を飾り、見栄を張って歩むことがあります。上辺だけの飾りの信仰になってしまいます。

 伝道者パウロからこの手紙を受け取ったガラテヤの教会の信徒たちが生活していた地域には、ユダヤ人たちも生活していました。ユダヤ教の信仰は十字架につけられたイエスを救い主とは認めません。キリストの十字架の出来事を否定します。そのようなユダヤ人たちとも仲良く生活し、交わりをするために、キリストの十字架の故に迫害をされたくないばかりに、キリスト者の中に自分たちの信仰を譲歩する者もいたのです。ユダヤ人たちとの間に軋轢が生じないように譲歩し、自分たちの信仰が揺らいでしまった者もいました。キリストの十字架一本で救われているのだろうか。キリストの十字架の他に、ユダヤたちが重んじている割礼を受ける必要があるのではないか。迷いの中にあるキリスト者たちもいました。しかし、そのように揺れ動くキリスト者に向かって、伝道者パウロは語りかけます。

「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」。

 宗教改革者ルターは語りました。私どもの教会の信仰は、聖書のも、信仰のみ、十字架のみである。聖書に何か加える必要はない。信仰に何かを加える必要はない。十字架に何かを加える必要はない。十字架一本で立つのだ。将に、ルターはパウロの信仰を受け継いでいるのです。

 

3.①主イエス・キリストの十字架において、一体何が起こったのでしょうか。十字架とは一体何なのでしょうか。伝道者パウロは語ります。

「この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです」。「大切なのは、新しく創造されることです」。

 面白い言葉です。一体どういう意味なのでしょうか。後2か月すると、クリスマスを迎えます。クリスマスに洗礼を受けるために準備をされている方がいます。迷っている方は是非、洗礼を受ける決心をしてほしいと祈り願っています。洗礼は、古い私が主イエスと共に十字架にかかって死ぬことです。そして主イエスと共に、新しい人間として甦らされることです。古い基準に生きていた私が死に、新しい基準に生きる人間として、新しく創造されることです。古い基準に生きていた私どもは、この世にあって様々な誇りに生きていました。しかし、新しい基準に新しく創造された私どもは、私たちの主イエス・キリストの十字架のみを誇るものとされたのです。そこに私どもの救いがあるからです。喜びがあるからです。生きる要諦があるからです。主イエス・キリストの十字架を誇りとして生きる。こんなに愚直な生き方はありません。しかし、どんなに愚直であると言われようが、私どもは主イエス・キリストの十字架を誇りとして生きるのです。

 神学校の実践神学概論の講義で、加藤常昭牧師から金沢教会の上河原雄吉牧師のことを初めて聞きました。伊勢の山田教会に伝道師として遣わされ、主任の冨山光一牧師からも上河原雄吉牧師のことを聞きました。『救いの岩』を読みなさいと勧められました。何故、多くの伝道者から慕われ、愛されたのか。自らを飾らない伝道者であったからです。主イエス・キリストの十字架のみを誇りし、十字架の言葉のみを語る伝道者として、愚直に生きたからです。

 

伝道者パウロはここで、大変印象深い言葉で、この手紙を結んでいます。「これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです」。

 「イエスの焼き印を身に受ける」。他の手紙では語られない言葉です。ここだけに語られる言葉です。「イエスの焼き印」とは、一体何なのでしょうか。「焼き印」。それは入れ墨のようなものだとも言われています。ローマ皇帝は奴隷の体に、焼き印を押しました。私の所有物であることを示す印でした。「イエスの焼き印」を身に帯びる。それは、私は主イエスのものであることを表す印です。それは一体何なのでしょうか。一つは、洗礼を受けることです。洗礼は、私は主イエスのものとされた印です。もう一つあります。伝道者パウロは体に、様々な傷を身に帯びていました。主イエスを伝道することによって受けた傷です。苦しみです。しかし、それらの傷、苦しみは、主イエスが十字架で身に負われた傷、苦しみと重なり合っているのだと受け止めました。主イエスのために負うた傷、苦しみであったからです。

 日本のプロテスタント教会の草創期の代表的な伝道者に、植村正久牧師がいました。1923年(大正12年)9月1日、関東大震災によって牧会していた富士見町教会、神学校は甚大な被害を受けました。自分が関係していた教会も多く被災しました。植村牧師は東奔西走し、伝道者としての寿命を縮めたと言われています。1924年(大正13年)11月、植村牧師はこの御言葉で説教をしています。「キリストのスティグマタ」。亡くなる2か月前のことです。67歳で心臓発作のため急逝した植村牧師の最晩年の説教です。大変印象深い説教です。植村牧師も心身共に、様々な傷を負うていました。富士見町教会の教会員も家族を亡くされた方、家が倒壊した方、被災され避難生活を送られている方。様々に心身共に傷を負いました。そのような教会員に向かって、植村牧師は語りました。

「われらの霊魂や体には何かこういうしるしがついているだろうか。キリスト者の持っているこのしるしは十人十種である。ある人たちは洗礼がすでにそのしるしであろう。随分安らかに洗礼を受けた者もあるが、中には容易ならぬ戦いを経てその決心に至った者もある。その人にとっては洗礼が忘れることができないしるしである。・・今日までわれら各人の信仰生活においても、種々な経験があった。病を救われた経験もある。家の中の苦しい経験もあった。あるいは何かの疑惑と戦ったこともある。愛する人に死なれたこともある。・・キリストのことを経験した人ならば、霊魂にも体にも何らかイエスのしるしが存しているはずである。ここに腰を据えて、それをどこまでも徹底させねばならない。決して後へは一歩も引くまい。苦しくても、そこにまた嬉しいものがある、これに限る。われらはキリストのものである。・・すでにキリストとの間にのっぴきならぬ関係がしかと結ばれてあるのだ」。

 私どもは教会のことで、信仰生活のことで、様々に苦しみ、悩みます。何故、私だけがこんなに苦しまなければならないのかと神に訴えることもあります。全ては主イエス・キリストのために苦しんでいるのです。主イエスの焼き印を身に帯びているのです。主イエス・キリストのものとされているのです。主イエスとの間にのっぴきならぬ関係で結ばれているのです。素敵な言葉ですね。主イエスとの間に、後に引けない関係が築き上げられているのです。主イエスへの責任と使命を身に帯びているのです。それがイエスの焼き印を身に帯びていることです。

 

宗教改革時代に生まれた『ハイデルベルク信仰問答』があります。問1の問答はこういう問答です。「生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか」。「わたしが、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのものであることであります」。「主は、十字架の血潮をもって、私どもの罪を完全に贖って下さり、私どもを主イエス・キリストのものとして下さった」。

 生きる時も死ぬ時も、わたしたちの主イエス・キリストのもの。ここにただ一つの慰めがあるのです。

 ルターはウォルムスの国会に召喚され、ただ一人尋問を受けた時、最後にこう語りました。「われここに立つ。主よ、われを憐れみ給え」。われ、われらの主イエス・キリストの十字架のみを誇りとし、ここに立つ。そこに教会が拠って立つべき要諦があるのです。お祈りいたします。

「私どものために十字架に立たれ、御血潮を注がれた主イエスよ、あなたこそわれらの主です。われらは主のものです。われらは主イエス・キリストの十字架のみを誇りし、ここに立ちます。主イエスのために傷を負い、苦しむ私どもです。それこそが主イエスの焼き印を身に帯びることです。主イエスの焼き印を身に帯び、そこで主の栄光を現させて下さい。この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。

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