「光を放つ主の群れ」
イザヤ60:1~3
使徒言行録20:7~12
主日礼拝
井ノ川勝
2025年8月3日
1.①地方の教会に伝道に招かれて、赴くことがあります。その行き帰り、電車の窓から外を眺めます。すると目の中に十字架が飛び込んで来ます。十字架のある建物を発見します。ああ、この町にも教会が立っていることに、感動します。特に、帰り道、夜の闇が町を覆っています。夜の闇の中に、十字架を発見します。教会には灯りが灯っています。今、教会は集会をしている。御言葉に聴き、祈りを捧げている主の群がある。そのことに感動します。
私が以前、伝道していた教会は、三重県の伊勢市にある教会でした。伊勢から南に行きますと、志摩半島の先端になります。岬には燈台があります。夜間、海を航海する船に灯りを示し、航海を導きます。志摩半島には、鵜方教会という教会があります。小さな主の群れです。しかし、しばしばこう言われていました。鵜方教会は志摩の燈台である。志摩半島に生きる人々に、福音の光を灯す使命に生きている。教会はその町のために、光を灯す使命を果たすために、主によって立てられている。
以前、熊本地震が起きた時、熊本市内の教会も被害を受けました。親しい交わりにありました熊本錦ヶ丘教会の川島直道牧師を、横浜指路教会の藤掛牧師と問安しました。錦ヶ丘教会の屋上には、大きな十字架が立てられていました。その十字架が被害を受けました。そのままにしておいたら危ないというので、十字架を取り外しました。そうしたら町の人々が幾人も言ったそうです。いつも見上げると教会の十字架が見えた。それが私どもに平安を与えてくれた。しかし今、見上げても十字架が見られない。教会に十字架がない。私どもにとっても寂しい。川島牧師は語りました。改めて教会の十字架が、教会だけのためにあるのではなく、町の人々のためにあることが分かった。教会は十字架の光を町の人々の灯しているのですね。丁度、私どもが問安に行った時、新しい十字架を立てるために、屋上で業者と打合せをしていた時でした。今、新しい十字架が教会の屋上に立てられ、町の人々に光を灯しています。
②この朝、私どもが聴いた使徒言行録の御言葉の中に、このような御言葉がありました。
「私たちが集まっていた屋上の部屋には、たくさんの灯がついていた」。
聖書の中でも心惹く御言葉です。私たちが集まっていた屋上の部屋は、信徒の家です。信徒の家が教会でした。夜、信徒の家に集まって、礼拝をしていたのです。場所はアジア州の南、エーゲ海に面しているトロアスという港町です。今日のように夜でも、赤々と電灯が灯っているのではないのです。町全体が夜の闇に覆われています。しーんと静まりかえっています。その中で、一件の家だけが灯りが灯っています。しかも一つの灯りではなく、たくさんの灯りです。油に幾つも灯りを灯していました。しかもその家に、信徒たちが集まって礼拝を捧げています。礼拝そのものが光を放っています。夜の闇に覆われた町に、小さな主の群が光を放っています。それこそが教会の姿です。私はこの光景を思い浮かべると、いつも心が熱くされます。
2.①先週の金曜日の午前、北陸学院の高校生が二人、教会に来られました。「今日は礼拝していないのですか」と尋ねたので、「教会の礼拝は日曜日の朝と夕です」と答えました。「そうですか、教会の礼拝は日曜日だけなんですね」と残念そうに言われたので、「日曜日、待っていますから、礼拝に来て下さいね」と語りかけました。北陸学院は毎日、授業の始まる前に礼拝を捧げていますから、教会も毎日、礼拝を捧げていると思われたに違いありません。教会は何故、日曜日の朝と夕に礼拝を捧げるのでしょうか。その大切な聖書の御言葉が、今日の御言葉なのです。
「週の初めの日、私たちがパンを裂くために集まっていると」。
「週の初めの日」。この言葉は福音書において、主イエスが甦られた日を表す言葉として用いられていました。日曜日のことです。日曜日の朝、主イエスは甦られました。教会はこの日を後に、「主の日」と呼ぶようになりました。ヨハネの黙示録1章10節で用いられています。教会は、主イエスが甦られ、生きておられることを記念し、週の初めの日、主の日に集まって、礼拝を捧げるようになりました。
最初の教会は、礼拝を「パンを裂くために集まる」と呼んでいました。主イエスが十字架につけられる前夜、弟子たちと最後の晩餐を執られました。一つのパンを裂いて食し、一つの杯からぶどう酒を飲みました。キリストのいのちを分かち合い、与りました。これを後に「聖餐」と呼ぶようになりました。教会の礼拝は、キリストのいのちを共に分かち合い、与る交わりでした。そしてその礼拝で、御言葉が語られ、説教がなされたのです。
②もう一度、最初の御言葉に注目しましょう。
「週の初めの日、私たちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた」。
この日、礼拝で説教をしたのは、伝道者パウロでした。パウロは第3回目の伝道旅行の最後に、トロアスに7日間滞在しました。トロアスの教会員と共に礼拝を捧げたいという強い願いを持っていました。伝道旅行を終え、エルサレムに戻ったら、パウロを捕らえて、殺そうとする不穏な動きがあることを知らされていました。パウロとトロアスの教会員が捧げる最後の礼拝になるかもしれない。パウロは説教に力を注ぎ、説教は夜中まで続きました。トロアスの教会員も説教に聴き入りました。パウロは一体どのような説教をしたのでしょうか。その説教の内容は記されていません。しかし、パウロがいつも語っていたことがあります。
主イエスは十字架で私どものために、いのちを注いで下さった。そして主イエスは死に打ち勝たれ、甦られた。私どもと共に生きて下さる。私どもが生きる時も死ぬ時も、共にいて下さる。
礼拝はいつも一期一会です。死と向き合って生きている私どもにとって、礼拝はいつも一期一会です。これが地上で捧げる最後の礼拝になるかもしれない。説教者もそのような思いで、御言葉を語ります。会衆もそのような思いで、御言葉に聴き入ります。そして一つのキリストのいのちを分かち合うのです。
その礼拝は、たくさんの灯がついていた。油の光、ろうそくの光がたくさん灯っていただけではありません。礼拝そのものが光を放っていたのです。御言葉が語られ、御言葉が聴かれる交わりにおいて、御言葉は光を放つのです。キリストのいのち・聖餐に与る交わりにおいて、聖餐が光を放つのです。夜の闇、死の闇に呑み込まれることがない。むしろ、夜の闇、死の闇に打ち勝つ光を放つのです。
3.①この礼拝において、思い掛けない事件が起こりました。エウティコという青年が、窓に腰を掛けて礼拝を捧げていました。しかし、パウロ先生の話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまいました。
当時は今日のように、日曜日が休日ではありませんでした。人々は一日中働いて、疲れた体で家の教会、信徒の家に集まって来ました。そこで一緒に夕食を取りました。その後、礼拝を捧げました。エウティコという青年も一日の労働で疲れた体で礼拝に出席しました。皆と夕食を取りましたので、お腹がいっぱいになりました。しかもパウロ先生の話が長々と続きました。部屋の中にはたくさんの人々がいたことでしょう。礼拝を捧げる熱気が溢れていました。灯りが幾つも灯っています。部屋の空気もむんむんしていたかもしれません。エウティコは外からの心地よい潮風が注がれる窓に腰を掛けていた。パウロ先生の説教を聴きながら、眠気を催し、眠りこけてしまった。礼拝における居眠りの歴史がここから始まったと言われています。礼拝と居眠りは一つの課題でもあります。
しかし、エウティコの居眠りは死に至る事件となった。エウティコは居眠りをして、三階の窓から下に落ちてしまった。教会員は皆、礼拝を中断し、慌てて階下に駆け降りました。起こしてみると、もう死んでいました。パウロは降りて来て、エウティコの上にかがみ込み、抱きかかえました。
「騒がなくてよい。まだ生きている」。
皆、安堵したことでしょう。息を吹き返したエウティコを連れて、人々は皆、上に行き、パンを裂いて食べ、夜明けまでパウロ先生の長い説教に耳を傾けた。キリストのいのち・聖餐に与り、御言葉を聴き、夜明けまで礼拝を捧げました。
パウロの一行は早朝、出発した。人々は皆、生き返った若者を連れて、それぞれの家に帰って行った。徹夜の礼拝で、大いに慰められました。
②パウロにとっても、トロアスの教会員にとっても、忘れられない礼拝となりました。パウロ先生と捧げた最後の礼拝となりました。更に、居眠りして三階の窓から下に落ちた青年エウティコが息を吹き返した礼拝ともなりました。「居眠りしていたエウティコ」というあだ名が付けられたかもしれません。いや、それ以上に、「息を吹き返したエウティコ」と呼ばれるようになったと思います。それは礼拝において、自分たちにも起こる出来事だからです。礼拝において、私どもは死の出来事に直面します。私どもが死ぬ経験をします。主と共に歩んで来なかった私、主を賛美しながら歩んで来なかった古い私が、
主イエスと共に十字架にかけられて死ぬのです。そして主イエスと共に、新しい人間として甦らされるのです。新しい人間となって息を吹き返し、主を賛美する人間とされるのです。エウティコの出来事が、礼拝において、私どもにも起こるのです。
主イエスは、私たちのために、十字架でいのちを注がれ、そして死に打ち勝ち、甦られ、いのちの息を注いで下さり、私どもを死を超えて生かして下さる。このような主イエス・キリストが私どもの交わりの真ん中に立って下さり、私どもの交わりを光を放つ礼拝にして下さるのです。
4.①この朝、もう一つの御言葉を聴きました。イザヤ書60章の御言葉です。
「起きよ、光を放て」。
主なる神からこの御言葉を語られた神の民は、ぼろぼろに破れ果て、光を放る存在ではありませんでした。バビロンという異教の地で、長い期間捕囚生活を強いられ、今、漸く捕囚生活から解放され、故郷のエルサレムに戻って来ました。しかし、エルサレムは瓦礫の山と化し、荒廃していました。一体どうしたら神の民として再建出来るのか。くずおれて、頭を抱え込みました。しかし、その時語られた主なる神の御言葉が、この御言葉だったのです。
「起きよ、光を放て」。
ぼろぼろに破れ果てた私ども神の民には、放つ光など全くない。光を放つどころか、闇を放つ存在となっている。
しかし、主なる神は語られます。60章19節です。
「あなたにとって、太陽が再び昼の光となることはなく、月が夜の明かりとなってあなたを照らすこともない。あなたにとって、主がとこしえの光となり、あなたの神があなたの誉れとなる。
あなたの太陽は再び沈むことがなく、あなたの月は欠けることがない。主があなたにとって、とこしえの光となり、あなたの嘆きの日々は終わる」。
主なる神が、決して沈まない太陽、決して欠けない月となり、とこしえの光となって、あなたを照らして下さる。そのとこしえの主の光を注がれて、あなたがたは起きよ、光を放て。この闇が支配する世界に、光を放つ神の民として生きよ。
私どものために十字架で、いのちを注がれ、死の闇に打ち勝ち、甦られた主イエス・キリストこそ、私どものとこしえの光なのです。甦られた主イエスの光を注がれて、私ども主の群はたとえ小さくとも、この世に光を放つ使命に生きるのです。
②銀座教会で、渡辺善太牧師が「風見と指南車」という説教をしています。風見は屋根の上に取り付けて、風の方向・強さを測る道具です。教会は今、どのような時代の風が吹いているのかを知らせる使命があります。しかし、それ以上に大切な使命は、指南車としての使命です。指南車とは、昔中国で道案内や戦争の時に使ったもので、車に木造の仙人を立て、その手が常に南を指すように装置したものです。強風が吹こうが、どんなに時代の風が教会にとって逆風であろうと、教会は揺らぐことなく、絶えず、ここにあなたの救いがあることを指し示している。その一つの方向とは、「十字架につけられ、甦られて生きておられるキリスト」です。教会は宣教という愚かな手段を用いて、十字架につけられ、甦って生きておられるキリスト以外に何も語るまいと心に決めました。誰が何と言おうと、指南車としての使命に愚直なまでにひたすら徹するのです。渡辺善太牧師はその説教を、このように結んでいます。
「万古不易、永遠不変の南北を指さす磁石―指南車―によって、行く手の道をはっきりと見定めなければいけない。国家に、民族に、それがなくては滅びます。それをするのがキリスト教の、いな『指南車』としての教会のつとめです。きかれなくてもいい、信者がふえなくともいい、一生うずもれてもいいから、牧師、伝道者となり、長老となり役員となる。この指南車の役目、風見の動きを眺めながら、不動の方向を指さす。何年たっても結果がみえない、何の故あって自分は教会に奉仕するんだろう、そう思いながらも指南車の指さす方向に進む。これです、これがわからない人はキリスト教はわかりませんよ。召されながらその効果がないという矛盾に耐えて、かえってそれをにないながら教会への奉仕ができなくちゃいけない」。
「私たちが集まっていた階上の部屋には、たくさんの灯りがついていた」。
主の日の朝、私ども主の群れは、御言葉と聖餐を通して、キリストのとこしえの光を注がれ、キリストの光をこの世に放つのです。
お祈りいたします。
「主よ、ぼろぼろに破れ果てた私どもに、光を注いで下さい。私どものために十字架でいのちを注がれ、死に打ち勝たれた甦りのいのちの光を注いで下さい。主のとこしえの光に照らされ、その光をこの世に放つ使命に生きさせて下さい。礼拝において、御言葉と聖餐により、主のいのちの息を注がれ、命の息を吹き返す者を起こして下さい。
この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。