「心の景色が美しい主」
申命記 32:39~42
ルカ15:11~24
主日礼拝
副牧師 矢澤 美佐子
2023年7月16日
1.天の猟犬
「見よ、わたしこそ、わたしこそそれである わたしのほかに神はない」
神は、まっすぐに、熱く熱くそう叫ばれます。
「わたしこそ、わたしこそそれである わたしのほかに神はない」申命記32章39節の御言葉です。
神は何故このように熱く、熱く叫ばれているのでしょうか。これは、モーセの歌と名付けられた詩です。モーセは申命記の法を書き留めたのと同時に歌も書いています。多くの会衆に向かって神の御言葉をモーセは歌うように語りました。
大きな鷲が、愛するひなを育てるように、神は、私たちを守り育てて下さる。親鷲は巣をゆすって、ひなが巣から落ちるように促し、ひなは飛び立てるように羽をばたつかせます。それを親鷲は、追いかけて、追いかけて、ひなが地面に落ちる前に自分の大きな翼をすーーと広げひなを守ります。そのように神は、私たちを育て守って下さっているとモーセは、私たちに歌うように伝えているのです。
しかし、人々はこの神を捨てていきます。豊かさの中で、もっと自分の得になるものを求め、神を捨ててしまうと伝えているのです。これは恐ろしい歌でもあります。目に見えるもの。それは神ではない。聖書は繰り返し語ってきました。しかし、人々は自分の願いを叶えてくれそうなものを拝み、目に見えるものを頼り始めるのです。人間よりも低いものを拝む時、私たちは自分自身を辱め、憐れな存在にしてしまっているのです。そのことに気づかず、滅びへの道を歩んでいく、と申命記は伝えているのです。
19世紀に活躍をしましたイギリスのカトリックの詩人、フランシス・トムソンという人がおります。彼は、日本であまり知られていないのですが「天の猟犬」という詩を書いております。この「天の猟犬」の中に登場する詩人、それは私たちのことです。私たちは、神の御もとから逃げて行くのです。どんどん、どんどん逃げていきます。何故、私たちは神から逃げるのでしょうか。 それは、愛が欲しくて逃げるのです。教会で私たちが信じている、この神様だけということが嫌になり逃げて行くのです。教会で信じる、神様からしか愛されないこのことが嫌になり、これだけでは「怖い」と思うのです。他にもっといい神があるはず。他にもっといい救い、もっといい生き方があるはず。そう言って逃げていくのです。詩人は、神のもとから逃げていきます。そして、神に見つからない場所を探し、自分を隠し、愛してくれるものを探し求めます。神は、この世の全てのものをお造りになりました。
しかし、詩人は、神の被造物である天空や、太陽、月、星に、神に見つからないように、自分を覆い隠してくれるように願います。ところが、神に作られた神のもの全ては、神に定められたリズムを変えることはないのです。太陽は、太陽のリズムを刻み、月は、月のリズムを刻み、星も、星のリズムを刻み、自らの道を進んでいきます。こうして、逃げた詩人は全てのものに裏切られていくのです。誰からも愛されない、誰も愛してくれない。
そして、この逃げていく詩人、私たちの後を、霧がおおう遙か彼方から、ゆっくり、ゆっくりと、しかし、全く変わる事のない足取りで、しっかりと追ってくるものがあるのです。私たちは、おののき、さらに猛烈に逃走します。しかし、逃げきれないのです。なぜなら、神はあらゆる場所におられるからです。神が存在し得ない場所はないからです。そのことに気づきながら、恐れと不安の中で追ってくるものは、まっすぐに、しっかりと、全く変わる事のない足取りで近づいてくるのです。
足音は、ぴたりと私たちの横で止まります。追いつかれた。しかし、その時、私たちは言い知れぬ不思議な安堵を覚えるのです。そして、知らぬ間に追い越されます。追い越していく、その背中を私たちは見たとき、激しい一撃を受けるのです。その背中は、傷だらけで血を流され、十字架を背負っている。その横には、霧の隙間からうっすらと、ムチを激しくうならせる兵士たちが見えます。傷だらけの背中。頭には茨の冠をかぶせられゴルゴダの丘に向かっていく、あの同じ姿。私たちの罪を追い、私たちを愛し、救うために自らの命を捧げ進まれる。その背中が見えるのです。私たちは、ここで神の愛の一撃を受けます。神の愛の一撃に打ちのめされ、神の差し伸ばされる腕にすがって私たちは立ち上っていくのです。
どこまでも、どこまでも追ってくるもの。これが天の猟犬。主なる神様です。この詩の結末は、私たちが、この天の猟犬に追いつかれ神が仰せになる御言葉で終わります。
「ああ、なんと、あなたは知らないのか。いかなる、愛にも、あなたは値しないことを。
誰にあなたは、期待したのか。卑しいあなたを愛することを。私をおいて、この私をおいて。
あなたは、自分が愛されるに相応しくないものであることを知らなかったのか。
私しか、あなたを愛するものはいない、ということを知らなかったのか。
ああ、もっとも愚かで、最も目が見えず、最も弱いものよ。
私こそが、あなたが、探し求めているもの。
あなたは、私を追い払って、実は、愛を追い払っていたのだ 」そう言って終わるのです。
申命記では、救いの岩である神を捨て、救いの岩を裏切るなら、この岩は、私たちを砕く者となる。あなたは、滅びへの道を進んでいると語っています。しかし、ここで決定的に大事なこと、申命記は、裁きだけで決して終わらないということです。
あたかも天の猟犬が、私たちを追ってきて、そして、そこで私たちを本当に愛して下さるのは、誰か、ということを知るように、この申命記、モーセの詩も決して裁きで終わらないのです。この岩は、どこまでも救いの岩なのです。私たちが、神を捨て滅びてしまうことを、神は、黙って見ていられない。我慢できないのです。そこで神は、熱く、熱く叫ばれるのです。
「見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない」
人間が作り出したものにあなたたちは、頼るけれども、それらは、あなたたちを滅びから助け出してはくれないと伝えています。子供に裏切られた親が子供を探し、子供の後を追って狂ったように「私こそ、あなたを滅びから、死から救い出す」と仰せになるのです。
私たちを裁く裁判官が、私たちの弁護者でもあられるのです。そんなことあり得ないと言うかも知れません。しかし、そうなのです。私たちを滅ぼさずにおかない神が、同時に私たちをどこまでも、どこまでも愛し抜き、決して捨てることのできない神なのです。この二つのものを同時に自分の中にもつことができるのは、主なる神ただお一人だけです。
人間は、この二つのものを同時に持てば、どちらかをうやむやにしてしまいます。けれども、神はそうではない。激しい裁きと同時に、驚くべき救いを行われる。その激しい裁きと、驚くべき救いの合わさるところにこの叫びがあるのです。「見よ、わたしこそ、わたしこそそれである」
不可能な転回がここで起こっています。救いへの不可能な転回点に「私こそ、私こそ、それだ」という御言葉があるのです。そういう神の前に私たちは今いるのです。「私こそ、私こそ、あなたを救い出すもの」と愛をこめて叫んでくださっている神の御前に私たちは今いるのです。
この御言葉に接した時に、私たちは力ある神に出会っています。申命記において、私たちを愛するゆえに、裁きと救いの間に引き裂かれている神の姿を私たちは見ます。狂ったように叫ばざるを得ない神を私たちは見るのです。怒りと愛、裁きと救い。その間で引き裂かれる神。神の愛する御子を十字架で引き裂く、その痛みによって、私たちを救うこととなさったのです。私たちをとこしえに愛してくださるのです。
そしてこの神のお姿を知れば、今日の新約聖書の物語も実に深みを帯びてくるのではないでしょうか。
2.放蕩息子
息子がある日、父親に願い出ます。「お父さん、私が頂くことになっている財産の分け前を下さい」。父親が死んだ後、自分が相続する分を今、欲しいと言うのです。父親は健在です。父親を辱める態度に深く傷ついたことでしょう。しかし、息子は財産の分け前をもらい興奮して震え上がり、急に偉くなった気分です。大金をそっくり背負って行きたい所へ旅出ちます。派手に遊び、有頂天の日々を過ごします。騒いで、騒いで、現実を忘れ、そうしているうちに山とあった現金は驚くことにもう後わずか。「あぁ、何とかなる」。現実から目をそらして、ついに綺麗に現金は底をついてしまったのです。それを知った人たちは、彼のもとから次々にいなくなってしまいます。
息子はいよいよ焦って、急いで仕事を探しますが、酷い飢饉が起こり、働くことができなくなります。家も食べ物もなく、このままでは本当に死んでしまう。すがる思いで知り合いの所へ身を寄せます。「何でもします。何とかここに置いてください」。その家の主人は、豚の世話をさせます。息子は、豚にもみくちゃにされながら毎日世話をし、泥まみれで臭くなります。毎日空腹で仕方がありません。そして、とうとう豚のエサに手を出すのです。豚のエサに両手を突っ込み、口の前まで運んだ瞬間、こらえきれず、みじめでウオンウオン泣くのです。その時、息子はようやく気づきます。
私は、間違っていた。初めて気がついたのです。我に返って、回心して言うのです。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に有り余るほどパンがあるのに、私はここで飢え死にしそうだ。ここを立ち、父のところへ行って言おう。お父さん。私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にして下さい。」
急いで故郷へ帰ります。行く道は、無限の可能性が開かれていました。ところが帰る道は、色を失っています。すべては自分自身がしたことです。十分惨めを味わい、隠れるように故郷へ帰ります。トボトボと歩き続け、やがて懐かしい小川が見えてきます。「あー友達と魚を捕って夢中で遊んだ。夕暮れには沈む夕陽を追いかけて、みんなでかげ踏みをしながら家に帰った」。思い出が胸を熱くします。さらに進むと家の畑が見えてきます。家族で育てた野菜や果実を、兄弟でこっそりもぎとって、隠れてかぶりついた。飛び出た果汁と汗のにおいが思い出されます。夜になると屋根にのぼって一晩中、星を数え、夜空を旅して神様を思い、夢を描いた。全てが胸の奥にしっかり刻まれています。
息子は、フーッと大きなため息をついて、石ころを軽く蹴飛ばし家の方を見つめます。遠くにぼんやり見えています。我が家です。昔と変わらない温かい景色が広がっています。今まで何とも思わなかった我が家が、今、初めて、他にない安心の場所、立派な場所に見えるのです。窓に灯る温かな明かりが、遠くからでも見えます。けれど、息子は足が前に進みません。「あーみんな呆れて、私のこともう忘れている」立ちすくみます。
すると、家の前で人影が動くのが見えます。そして、一人の人がこちらへ向かって走って来ます。一生懸命、走ってくるんです。ただまっすぐに、自分へ向かって走ってくるのです。夕陽に照らされた人影はどんどん大きくなりハーハーという息遣いが聞こえて来ます。その息遣いから走り寄ってくる、その人の胸の高鳴りも聞こえてきます。今、はっきり見えます、お父さんです。年老いたお父さんが、よろめきながら一生懸命、駆け寄ってくるんです。
一日だって忘れたことはありません。毎日、家の前で息子が家を飛び出したあの日から帰りを待っていたのです。回心し、自分の足で帰って来る。この日を、祈り、忍耐して毎日待ったのです。そしてついに我が子は帰って来た。服も履き物もボロボロ。あまりの汚さに家の僕たちも息子と気づきません。
しかし、父親は分かるんです。うつむいて立っている者がいる。帰って来た。息子が帰ってきた。聖書は記します。「まだ遠く離れていたのに父親は息子を見つけて、憐れに思い走り寄って首を抱き接吻した」 愛を込めてしっかり抱きしめ、よく帰って来たと口づけをしたのです。
そこで息子は、心に決めていた言葉を思い切って言います。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
最後にもうひと言。この言葉を言って謝罪するんだ。「雇い人の一人にしてください」。あなたに雇われ、奴隷になる。「雇い人の一人にしてください」。しかし、父親は、その最後の言葉を言わせません。言葉を遮って言います。「息子は、息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」。
この言葉に、父なる神の愛の火花がほとばしっているのが分かります。
「わたしこそ、わたしこそ、わたしほど、あなたを愛する者は、他にいない」。
聖書を読む時、私たちは、父なる神の熱情、愛の火花に触れることができるのです。
この子は奴隷なんかではない。私の愛する子なんだ。
私たちは辛い事があって、神様が嫌になって逃げ出したくなる時があるかもしれません。そして、神様のもとへ帰る時には、足取り重くトボトボ帰ることもあるでしょう。そんな私たちを父なる神様は、一人一人を待ちわびて、小さな影が見えたなら胸の高鳴りが聞こえてくるほど一生懸命、走り寄って迎えてくださる。そして、しっかりと抱きしめ口づけをしてくださるのです。このことを私たちは、本当に信じたいと思います。
神様は、何となく待っているわけではありません。神の独り子イエス・キリストを十字架の上に犠牲にし、神の御子が血を流される痛みの中で、私たちを愛し、帰りを待っていて下さるのです。今日の物語、一番辛い思いをしているのは父親です。息子は、父が健在なうちに、財産をもらい父親を捨てたのです。親の心を踏みにじっています。そんな子が帰って来て、喜んで祝い迎えれば、長男や家族、周囲からは責められます。甘いだけの愛ではありません。これは痛みを伴う愛です。神の御子を十字架に犠牲にして、その痛みの中で「ここに救いがあるから、ここに帰って来ればいい」と仰せになるのです。「あなたの罪のために、神の御子キリストが命を捨てた。あなたのために神の御子が身代わりに死んだ。あなたは赦されたんだから、早く帰って来ればいい」そう仰せになるのです。
これは、全くわたしたちが条件を満たしたから救うというのではありません。聖書は、はっきり伝えています。私たちの罪のために、神の御子、十字架について下さったからです。私たちの力ではありません。神の御子が命を捧げて下さったから私たちは赦されたのです。ここに救いがある。ここに救いがあるから、ここに帰って来ればいい。「わたしこそ、わたしこそ、わたしほどあなたを愛する者はいない」
私たちが、この世で立派に生きたからでもありません。何か素晴らしい能力があるからでもないのです。神様は、私たちを無条件で愛し、神の御子イエスの命を引き換えにしてまで、私たちの命を救うのです。私たち一人一人が、神の愛する子だからです。
カトリックの司祭でありアメリカの実践神学の教授でもある方が、私たちが神のもとへ帰った時の神の震える感動をこう語っております。
「それは、世界の諸問題が解決したからでもない。いまや多くの人がいっせいに神をたたえているからでもない。そうではない。神様が喜ばれるのは、いなくなった一人、あなたが帰って来たからだ」そう語っておられます。神様は、あなた一人、他のものは何も見えないほど、あなただけを見つめ、あなたを愛してくださっています。そして、隣に座っていらっしゃる信仰の友も、神様は全く同じように、全力で愛しておられるのです。
一週間の歩みを終え、教会に帰って来る私たち、一人一人を待ちわびて小さな影が見えたなら、胸の高鳴りが聞こえてくるほど一生懸命、走り寄って迎えてくださる。これが私たちの神様です。主イエスは、今日の物語を通して、神様の愛を大胆に伝えて下さっています。神の瞳には、帰って来る私たちの姿が、最も美しく映っているんです。なんて美しい景色。私たちの帰りを心躍らせて見つめてくださる、心の景色が美しい主に今、この礼拝で私たちは出会っているのです。心の景色の美しい主に見つめられている私たちは、私たちの目の奥にあるもう一つの眼が開かれていきます。心の瞳、信仰の瞳が開かれ、見えるものを超えて、見えない神様を「見つける」のです。
主イエスのことを「傷ついた癒し人」と言い表すこともあります。「傷ついた癒し人」。試練を生き、傷つく経験をし、見えない涙や見えない血が、私たちの心に流れているのを知っておられる眼。見えているもののその奥に、真実が潜んでいる。ほほえみかげに潜む苦悩の涙を知っておられる眼。「傷ついた癒し人」。心の景色の美しい主に私たちは見つめられているのです。
3. 神谷美恵子さん
傷ついた癒し人、心の景色が美しい人。そういう方として私は、精神科医師、神谷美恵子さんを思い出します。神谷美恵子さんは、キリスト教主義学校で育ち、内村鑑三から聖書を学び、伝道者である叔父を手伝ってキリストをのべ伝えていらっしゃいました。ある日、叔父に連れられハンセン病の方の療養所を訪問します。そこで見たのは、鼻のない人、下唇が垂れ下がっている人、まぶたが閉まらない人、足や手がない人。衝撃的でした。さらに驚いたことは、皆が、熱心に聖書の話しを聴き、高らかに讃美歌を歌い、信仰の喜びを語り合っているのです。呪いたくなるような人生であるはずが、神様に身を横たえ、感謝の言葉を語り合っているのです。
「これはどういうこと」、と震えながら証しをじっと聞いたと言います。そして、その時「あー私は、苦しむ人、悲しむ人のところにこそ、私の居場所があるのだわ」と、神様からの召しを確信するのです。すぐに医者を志しますが、突然、病魔が襲いました。当時不治の病と言われた結核です。再発を繰り返し、死の足音を聞きながら、絶望の日々、死を彷徨い、しかしそこから生還します。この経験によって、更に「苦しむ人が待っている」と使命感が強くなります。
ついに、精神科の医師となり、彼女の姿勢は一貫して変わりませんでした。苦しむ人に「どうしてこの私ではなくてあなたが。あなたは代わってくださった」と深い思いやりで、強い立場から弱い者を見つめる、同情とは全く違う、身をかがめて寄り添う主イエス・キリストのお姿を映し出されました。心の景色が美しい主イエスと一緒に、同じ景色を見つめて、信仰の瞳、心の瞳で人々を見つめられました。
神谷美恵子さんは、40歳の頃、岡山県にある離島に隔離された療養所でハンセン病の方々の治療を始められました。しかしその頃、ご自身は癌を患っていることが分かります。全てを神様にお委ねし、神様に身をあずけ、自身も治療を受けながらハンセン病の方々の治療を続けられました。結核、癌の中で、愛に生きようとされ、自身も悩み、苦しみ、孤独な世界であえいだ人でした。何度も死に直面し、苦しみを味わい、自分の心の内側を凝視し続けました。そして、人間の生と死という神様の領域に謙虚に向き合うという、内的な信仰のドラマがあったことによって、彼女に接した人は、その、あたたかい温もりのある人柄に包まれて、悩む心を開いていかれたのではないかと思います。
ハンセン病の方々の果てしない孤独に寄り添い続け、50歳の頃には、当時の皇太子妃、まだお若い美智子さまのカウンセラーも務めらされました。離島に隔離されて生活するハンセン病の方の中で、一人の患者さんは、神谷美恵子さんの口からポロリとこのような言葉を聞いたそうです。
「ここだけの話ですけど、美智子さまは、とても寂しげでいらしたの。なにか『絶海の孤島』においでのように」。さらに患者さんは、こんな風にも語られました。
「神谷先生は、ハンセン病の私たちを励ますために、皇室の中で、孤独にお悩みの美智子さまのことをお語りになられたのかもしれません。得意になってお話をされたのでは決してありません。私たちだったら、死ぬまで隔離され、秘密が漏れることはありませんから。どん底の精神状態の私たちに、なんとかして、生きる希望を与えようとしてくださったのです」
その頃、美智子さまは、過労のため意識を失い、言葉も失われ、苦しみの時を過ごしておられました。キリスト者のご両親やキリスト教主義学校で礼拝を捧げながら育った方ですから、親しみのあるイエス様を、心の奥に隠すように生活されていたのではないでしょうか。皇室の慣習に従い、多忙な公務を果たしておられた中、言葉を失われました。
誰かに悩みを打ち明ければ心が軽くなるかもしれません。しかし、事柄は宮中の人々に関連してしまいます。「何事もご自分の胸の中に収める」という教えを忠実に守られ、全て自分の中に封じ込めようと努力されていたのです。その意思は、誰かの優しさに触れれば、一挙に崩れてしまうかもしれません。特に両親に会えば、打ち明けてしまいそうなので会うこともためらい、親しい人とも淡い関係にして、自らを隔離されたのでした。それは「絶海の孤島」の心境だったのです。
そしてこの時、心の支えになられたのが精神科医師の神谷美恵子さんでした。神谷美恵子先生は、美智子さまにお会いになる時、ハンセン病の方々が創作された詩、エッセイなどを持参されました。実際は精神科医師としてだけではなく、共に英語、フランス語、ドイツ語、ギリシャ語、ヘブライ語など、色んな言葉で聖書を共に読み、また心理学、思想、芸術など、母のように、姉のように親身になって語り合ったそうです。
神谷美恵子先生は、島の患者さんと皇室の美智子さまを、同じ瞳で温かく見つめられました。
悲しみは、共に悲しむ人がいると温もりに変わります。
それが深い慰めとなり美智子さまは、精神科医・神谷美恵子先生に会うことを秘密になさらなくなります。そして、半年近い治療によって声を取り戻していかれ、公務に復帰されアメリカへ向かわれる際、会見でこのように語られています。「言葉を失い、回復への希望を失いかけた時期もありました。そのようなときに、多くの方々から励ましの言葉をいただき深い感謝にうるおうなかで、自分を省み、苦しみの持つ意味に思いをめぐらすゆとりを得ることができました。やさしくありたいと願いながら、疲れや悲しみのなかで、堅く、もろくなっていた自分の心を恥ずかしく思い、心配をおかけしたことをお詫びし、励ましてくださった大勢の方々に厚く御礼申し上げます」。
「やさしくありたいと願いながら、疲れや悲しみのなかで、堅く、もろくなっていた自分の心」と表現され、責任ある働きの中、繊細な心を保ち、苦しむ人々に寄り添われたことが分かります。後に、日本全国のハンセン病、療養所を訪問され慰めの言葉を語られました。
神谷美恵子先生は、控えめで華やかな美しさを好まれない方だったそうですが、皇室の中に、真実の友を見出された感動をこのように語られています。「美智子さまには、沈黙の美しさ、と言いましょうか、沈黙ゆえに誤解を受けるリスクにすら耐えておられる、そのいさぎよさを感じます。それゆえに多く傷つかれる『傷を負った癒し人』になられたのです。」
この言葉の中に、生き方の中に、イエス様が生きて働いておられることを知らされる思いが致します。
ハンセン病によって眼が見えない方、言葉が話せなくなった方は「沈黙の美しさ」が、人々の心の慰め、励みになっていたのです。そしてお互いに送り合った手紙は、「深い傷を負ったゆえに、さらに深い心であなたを愛します」という内容だったそうです。どちらも極限の人です。「絶海の孤島」。結果としてお互いが、極限の人の慰め、支えになっていたのです。
このような方々の信仰の証しを聞きますと、ある一人の個人の悩み、問題を深めていくことと、人間の悩み、問題に触れることは矛盾しないということを思わされます。その個人が、有名であるか無名であるかは、全く問題ではありません。
傷を負った癒し人、イエス様が、私たちの心の声に耳を傾けてくださり、イエス様が支えてくださいます。イエス様の救いの御業を、私たちも今、同じように経験して生きています。私たちもこうして、教会でかけがえのない大切な人と出会い、共に美しい信仰のドラマを生きています。神様が、美しい信仰のドラマを私たち一人一人に大切にお与えてくださっています。
心の美しい主イエス・キリストが、心の瞳で見つめて下さっています。心の美しい主イエス・キリストに見つめられていることを思いながら、教会のかけがえのない信仰の友と一緒に、神様の国を目指して、生きていきたいと思います。