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「新たな道が拓かれた」

出エジプト記14:15~25
使徒言行録16:6~10

主日礼拝

井ノ川勝

2025年1月12日

00:00 / 38:33

1.①新しい年を迎えました。2025年がどのような一年になるのか、私どもには定かではありません。思いも寄らぬ出来事が起こり、私どもを揺るがすかもしれません。しかし、ただ一つ確かなことがあります。それは、新しい年も、主が私どもの道を導いて下さることです。

 新年の2回目の主の日の朝に与えられた御言葉は、使徒言行録16章6節以下の御言葉です。実は、この御言葉は私と金沢教会にとって大切な御言葉なのです。12年前、私が金沢教会に遣わされて、最初の主の日の礼拝で、説き明かした御言葉であるからです。この御言葉を聴くことから、新しい伝道の歩みを始めたいと祈り願っていました。最初の6年間は祝福された歩みであったと思います。しかし、その後、コロナという思いも寄らなかった暴風に直面し、教会の体力も落ちました。厳しい現実の中にあります。しかし、教会の体力が落ちても、伝道の歩みを止めるわけには行きません。私ども教会の群れは天の故郷を目指して、歩み続けなければなりません。

 この時に、12年前、私が金沢教会に遣わされた、最初の主の日の礼拝で聴いた御言葉に立ち返りたいと願いました。この御言葉に聴くことにより、私ども教会の群れの伝道の姿勢を新たにしたいと願がっています。

 この後、私が金沢教会の最初の主の日の礼拝で選びました讃美歌21-460を讃美します。優れた説教者であったジョン・ヘンリー・ニューマンが作詞した讃美歌です。私は特に、2節の歌詞が好きです。

「行くすえ遠く見るを 願わず。よろめくわが歩みを 守りて、

 ひと足 またひと足 導き 行かせたまえ」。

元の歌詞は、step by step です。一歩一歩、着実に。私どものひと足、ひと足は、誠に弱く、小さなものです。よろめく足取りです。しかし、私どもの先頭には、信仰の創始者であり完成者である主イエス・キリストが歩まれているのです。主イエスが確かな足跡を残されているのです。その主の御足の跡を踏み従いながら、ひと足、またひと足、教会の仲間と共に歩んで行くのです。

 

本日の御言葉は、教会の伝道の歩みにとって、忘れることの出来ない歩みとなりました。アンティオキア教会から遣わされた伝道者パウロの第2回目の伝道旅行の始まりの場面です。伝道者パウロは第1回目の伝道旅行に続き、アジア州での伝道、今日のトルコになりますが、アジア州での伝道計画を立てました。

 ところが、その出発点で、教会の足並みが乱れたのです。第1回目の伝道旅行は、伝道者パウロとバルナバが遣わされました。ところが、第2回目の伝道旅行に際し、若いマルコと呼ばれるヨハネを連れて行くかどうかで、パウロとバルナバの意見はぶつかりました。実は第1回伝道旅行で、マルコを連れて行ったのですが、途中で伝道旅行を止めて、帰ってしまったのです。伝道の厳しさに耐えられなかったのでしょう。バルナバはマルコにもう一度、チャンスを与えたい。連れて行きたいと願いました。しかし、パウロはそれに断固と反対しました。途中で伝道を放棄してしまうような伝道者は連れて行かれないと主張しました。結局、意見は折り合わず、パウロとバルナバは共に伝道することが出来ませんでした。バルナバはマルコを連れて、別の道で伝道に出かけました。パウロはシラスを選び、更に若き伝道者テモテを連れて伝道に旅立ちました。

 教会の最初の伝道の姿が描かれています。教会はいつも盤石ではありません。意見の対立があります。分裂があります。しかし、ここで注目すべきことは、教会の伝道はいつも一人では行わなかったことです。必ず二人、三人の者と共に伝道していることです。パウロのような優れた伝道者であれば、バルナバと決裂した後、一人で伝道することも出来たはずです。しかし、決して一人で伝道しようとはしなかった。若きテモテを同行させています。共に伝道しながら、伝道者として育てようとしたのです。伝道者パウロにも欠点がありました。直ぐにかっとなる気性がありました。仲間と対立してしまう。自らの欠点をしっていたから、一人で伝道しようとしなかった。自分を欠点を執り成す仲間が必要であると認識していた。それ故、必ず仲間と共に伝道しました。そこに教会の伝道の姿があります。

 

2.①パウロたちは第1回目の伝道旅行の経験を踏まえて、第2回目の伝道計画を立てました。第1回目の失敗を踏まえ、綿密な伝道計画を立てました。そして意気込んで、アジア州に向かい、御言葉を語りました。ところが、聖霊がアジア州で御言葉を語ることを禁じたので、そこで伝道することが出来なかった。思い掛けない事態に直面しました。そこでパウロ一行は、伝道の進路を東へ定め、フリギア・ガラテヤ地方に向かいました。第1回伝道旅行で伝道した地域です。更に、伝道の進路を北に定め、ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入って、伝道しようとしました。ところが、イエスの霊がこの地で御言葉を語ることを許さなかったのです。そこでパウロ一行はミシア地方を通って、港町トロアスへ追いやられました。目の前はエーゲ海、海です。その先は道がないのです。パウロたちは疲れ果て、一体、私どもはどこへ向かえばよいのか、途方に暮れました。

 聖霊が御言葉を語ることを禁じた。イエスの霊が御言葉を語ることを許さなかった。一体、何を表しているのでしょうか。パウロたちの伝道計画はことごとく失敗に終わった。挫折したことを表しています。本日の礼拝後、定例長老会が行われ、2025年度の伝道計画を協議いたします。主の御心を尋ね求めながら、綿密な伝道計画を立てます。しかし、私どもの伝道計画はことごとくその通りに行きません。失敗に終わります。会社の事業計画からしたら、教会の伝道計画は甘すぎると批判されるでしょう。しかし、伝道は私ども人間の思い通りに行かないものです。何故ならば、伝道は神が行われるも、のだからです。聖霊が、主イエスの霊が行われるものです。クリスマスに、3名の受洗者が与えられました。しかし、一年前、私どもの伝道計画にこの3名が含まれていたでしょうか。伝道は神の御業なのだということを、3名の受洗者を見て、改めて痛感しました。私どもの伝道計画を越えて、神は伝道の御業を行って下さるのです。

 

今日の御言葉が私にとって忘れられない御言葉であることの、もう一つの理由があります。私が大学2年の学びを終え、春休みを迎え、帰省の準備をしていた時に、教会の牧師からハガキが届きました。熊谷政喜牧師の字はなかなか味わいのある字で、判読するのが困難なのです。何度も読み直しました。そこにこう書かれてありました。帰省するのを延ばして、今度の主の日の礼拝に必ず出席して下さい。ドイツの留学から帰国した近藤勝彦博士が説教されます。是非、聴いて下さい。近藤勝彦博士とありましたので、私は年配の神学者が説教されると思いました。ところが、30代の若い伝道者でした。それが神藤勝彦牧師との私の最初の出会いでした。初めて聴いた近藤牧師の説教は、今でもよく覚えています。今日の御言葉を説き明かした説教で、「海を渡る福音」という題の説教でした。

 私どもの行く先は、目の前は海で、道が全く見えない。しかし、神は海の中に必ず道を備えて下さる。神が備えられた道を私どもは歩んで行くのだ。その時には、私の人生の道に、主が伝道者の道を備えておられるなどとは、思いも寄らないことでした。

 

3.①行く先々、聖霊により、イエスの霊により、伝道の道が閉ざされたパウロたち、自分たちが立てた伝道計画がことごとく、失敗に終わり、挫折を味わったパウロたち。行き着いたのは、港町のトロアス。そこで行き止まり。前は海しかない。伝道の道は完全に阻まれた。

 その夜、パウロは幻を見ました。一人のマケドニア人が立って、懇願しました。「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」。どういい意味なのでしょうか。「マケドニア人も御言葉を必要としている。主イエスの救いを必要としている」ということです。

 パウロがこの幻を見た時、躊躇することなく、すぐに、マケドニアへ向けて出発しました。エーゲ海を渡って、マケドニアへ行く。それは自分たちの伝道計画になかったことです。初めて足を踏み入れる伝道未開拓の地です。それにもかかわらず、何故、躊躇なく、すぐにマケドニアへ向けて出発したのでしょうか。聖霊に促されたからです。イエスの霊に促されたからです。聖霊が、イエスの霊が行き止まりの海にまで道を敷き、マケドニアへ道を拓いて下さったからです。

こうして初めて、キリストの福音はヨーロッパ大陸へ運ばれ、伝えられることになりました。ヨーロッパ伝道は伝道に挫折から生まれました。伝導計画になかったことでした。聖霊が、イエスの霊が思い掛けない仕方で、新しい伝道の道を拓いて下さったのです。伝道はそのようにして、いつも失敗と挫折、行き詰まりの中から道が拓かれるのです。

 

ここで注目してほしいのは、この御言葉です。

「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした」。ここでは、「わたしたちは」となっています。直前まで、「彼らは」と三人称で語られていたのに、突然、「わたしたちは」と一人称複数形で語られます。この後も、「わたしたちは」という言葉に変わるのです。「われら文章」と呼ばれています。何故なのでしょうか。教会の伝道物語である使徒言行録を綴ったのは、ルカです。主イエスの伝道物語であるルカによる福音書も綴りました。ルカはマケドニア人、異邦人でした。幻の中で現れたマケドニア人は、ルカではなかったかとも言われています。ルカがパウロの伝道旅行に同行し、マケドニア伝道を導いた。ルカはこの後の伝道旅行にも、第3回伝道旅行にも、パウロに同行しました。それ故、教会の伝道物語は、「彼らは」から「わたしたちは」となるのです。今まで遠くから見ていた教会の伝道物語に、ルカ自身も加わり、わたしたちの伝道物語となったのです。

 マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至りました。アジア州での伝道の失敗も、挫折も、全てはマケドニア伝道のためにあった。私どもは新しいマケドニア伝道、ヨーロッパ伝道のために、神に召されていたのだと確信しました。

 

4.①神に召される。そのことを、改革者ルターは「神の器」とされて、用いられると表しました。それに対し、カルヴァンは「神の道具」とされて、用いられると表現しました。言い換えれば、聖霊の器とされる。聖霊の道具とされることです。ある方が語りました。神の器とされて用いられるという表現は好ましい表現である。しかし、神の道具とされて用いられるという表現には抵抗がある。

 昨年の元日に起きた能登半島地震で、輪島塗りの職人も甚大な被害を受けました。精魂込めて作った作品も、道具も、仕事場も失われました。職人にとって道具は命です。道具は自分の体の一部です。道具に命を注ぎ、作品に命を彫り込んで行きます。私どもが神の道具、聖霊の道具とされるということは、神の体の一部とされることです。キリストの体の一部とされることです。それ故、神の道具となって神の伝道の業に参与させられることこそ、私どもにとって喜びはありません。「ああ、わたしは聖霊の道具となって、神の伝道の業に参与しているのだ」。

 マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至った。言い換えれば、神が私どもを聖霊の道具として用いて下さる召しを受けて、喜びに溢れた。

 先週の水曜日の祈祷会で、教会員の証しを聞きました。様々な試練、苦しみに遭遇しながらも、キリスト者と出会い、聖書の御言葉に触れるようになった。また学校の恩師と出会い、金沢教会に導かれ、キリストと出会い、洗礼を受けた。私にとって中心にある聖書の御言葉はこの御言葉であった。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わされることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」。

 コリントの信徒への手紙一10章13節の御言葉です。ある水泳の選手が世界選手権で優勝し、東京オリンピックは金メダル確実だと言われた。ところが、急性リンパ性白血病を発症し、競技から離れて治療に専念しなければならなくなった。予想もしなかった思い掛けない出来事が、自分が思い求めていた道を突然阻んでしまった。しかし、SNSで公表した時、こういう言葉を綴りました。「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」。この聖書の御言葉です。誰かから伝えられたのでしょうか。自分で読んでいたのでしょうか。

 道が阻まれた試練の只中で、神は新しい道を拓いて下さる。

 

エジプトを脱出した神の民が、すぐに大きな試練に直面した。前は海、後ろは追いかけて来たエジプトの軍勢。八方塞がりに遭い、道は完全に閉ざされてしまった。慌てふためき、絶望する神の民に、神はモーセを通して語られました。

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」。

 静かにしているということは、何もしないことではない。絶体絶命の八方塞がりの中で、神は生きておられ、生ける御業を行われる。神の生ける御業を見なさい。生ける神を見ることに集中しなさいということです。モーセが神に促されて、杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べると、海は真っ二つに分かれ、海の中に道が出来た。神は行き詰まりの中で、新しい道を拓いて下さった。

 

5.①パウロの一行が初めてエーゲ海を渡り、ヨーロッパの地、マケドニア州に足を踏み入れ、最初の伝道地として選んだのは、フィリピの町でした。全く何もないところから伝道を始める。開拓伝道です。しかし、ただ一つ、伝道のとっかかりとなるものがありました。ユダヤ人が国を失い、ヨーロッパにも離散していたことです。同じ旧約聖書を土台として、御言葉を語ることが出来ます。フィリピの町には、ユダヤ人の会堂はありませんでした。しかし、安息日、川岸に祈りの場所があって、ユダヤ人の婦人たちが数名集まって、祈りを捧げていました。パウロはそこに出かけて行き、御言葉を語りました。その祈りの場所に、アジア州のティアティラ市出身のリディアという婦人もやって来て、パウロが語る御言葉を聴いていました。リディアは異邦人の女性です。紫布を商う人でした。しかし、安息日にユダヤ人の婦人たちの祈りの場所に来て、祈りを合わせていた。ユダヤ人同じように、神をあがめていた。そして伝道者パウロが語る御言葉を注意深く聴いていた。熱心に集中して聴いた。御言葉を通して、生けるキリストとお会いしたのです。

 その時、リディアに起きたことを、このように伝えています。

「主が彼女の心を開かれた」。ここでも伝道者パウロの力ではない。主の力、聖霊に働きがなされた。主がリディアの心を開かれたので、御言葉を通して生けるキリストとお会いした。伝道は主の力、聖霊に働きによる。

 そしてリディアも、家族の者も洗礼を受けた。ヨーロッパ伝道最初の受洗者です。リディアはやもめであったと言われています。リディアの家族と言えば、子どもたち、父母、あるいは、リディアの下で働いていた僕たちであったのかもしれません。教会の伝道の特徴がここにあります。洗礼はリディア個人だけでなく、家族の者も受けたことです。個人だけの救いではなく、家族の救いを重んじる。家族伝道。それは教会が初めから重んじて来たことです。

 

リディアはパウロに言いました。

「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」。

 素敵な言葉です。初めて遭った伝道者パウロを通して御言葉を聴き、キリストとお会いし、洗礼を家族の者と受ける。リディアの言葉は真に大胆です。一体、どういう思いが込められていたのでしょうか。

「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」。「私の家を伝道のために用いて下さい」という意味です。ここにも神の道具として用いられる信仰があります。紫布を商う家です。多くの人人が出入りする家です。多くの僕たちが働く家です。その商いの家を、生けるキリストを伝える家として用いて下さい。

 リディアの家がフィリピ伝道の拠点となりました。ヨーロッパ伝道で最初に生まれた家の教会となりました。全てがパウロの伝道計画になかったことです。しかし、主は思い掛けない仕方で、伝道の道を拓かれるのです。パウロたちは驚きながら、しかし、感謝して、聖霊の業、イエスの霊に業を見ながら、確信をもって御言葉を語り続けました。

 新しい年を迎え、私ども教会が直面している現実は、誠に厳しい。マイナス面ばかりが見えて来ます。しかし、道が閉ざされる現実の中にあっても、聖霊が新しい道を拓いて下さることを信じ、ここにも神の生ける御業が働いていることを集中して見、神の道具となって喜んで伝道の業に用いられることに感謝して、望みをもって歩んで行きたいと願います。

 

 お祈りいたします。

「主よ、私どもの目を開いて下さい。あなたが生きておられることを見させて下さい。どんなに行き詰まっても、聖霊が道を拓かれることを見させて下さい。主がどんなに堅い心をも開いて下さることを信じ、御言葉を語らせて下さい。主が与えて下さる伝道の実りを幻の中で見ながら、心を一つにして聖霊の道具となって用いて下さい。

 この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。

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