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「橋がかからない」

ホセア書11:8~9
ガラテヤの信徒への手紙4:12~20

主日礼拝

牧師 井ノ川勝

2024年9月1日

00:00 / 35:37

1.①私どもは言葉を通して、自分の思いを相手に伝えます。言葉が通じ合う、通い合うことは大きな喜びです。しかし、しばしば言葉が相手に伝わらない、通じない悲しみを味わうことがあります。こんなにも心を尽くして、言葉を伝えているのに、何故、あなたは私の思いを分かってくれないのか。そのような悲しみを私どもは日々味わっています。夫婦の間でも、親子の間でも、友人同士でも、先生と生徒の間でも、職場の上司と部下との間でも起こることです。

 伝道者パウロも、そのような悲しみを味わい、嘆いています。

「わたしは、あなたがたのことで途方に暮れている」。

伝道者パウロが嘆いている相手とは、ガラテヤの教会員です。伝道者は言葉を通して福音を伝えます。しかし、その福音がガラテヤの教会員に届かないのです。言葉が通じ合わないのです。それ故、伝道者パウロはどうしたらよいのか分からなくなり、途方に暮れているのです。打つ手がないのです。

「わたしは、あなたがたのことで途方に暮れている」。

「途方に暮れる」という言葉は、「橋が架からない」という意味です。橋が架からない悲しみ、嘆きを表す言葉です。

 先月、犀川大橋の架橋100周年の記念行事が行われました。「人と人とを繋ぐ架け橋」というメッセージが語られていました。犀川はしばしば荒れ狂い、激しく氾濫し、人々の生活を呑み込んで来ました。橋も何度も流されました。犀川に初めて橋が架けられたのはもっと古く、前田利家の時代、1594年(文禄3年)であったと言われています。

 川に橋を架ける前は、渡し船で向こう岸に渡り、物資を運んでいました。しかし、川が荒れ狂うと、向こう岸に物資を届けられなくなります。向こう岸の人々の顔を見えているのです。一刻も早く物資が届けられるのを待っているのです。物資が届かないと、自分たちの命が危ないのです。しかし、川を渡って物資を届けることが出来ない。それはどうすることも出来ない、途方に暮れることです。

 言葉によって福音がガラテヤの教会員に届かない。言葉によって相手の心に橋が架からない。将に、途方に暮れることでした。

 

伊勢の教会で伝道していた時、教会員の中に、太平洋戦争中、佐世保教会で礼拝生活をされていた方がおられました。当時、牧会していたのは小塩力牧師でした。小塩力先生の説教はよかったと、しばしば聞かされました。その話を聞いていると、私まで小塩力牧師と親しくなったような思いがいたしました。小塩牧師は戦後、東京の郊外で開拓伝道をされ、井草教会となりました。井草教会で語られた説教の中に、今日の御言葉を説き明かした説教があります。「語調を変えて」という説教です。小塩牧師の悲痛な叫びが聞こえてくる説教です。

 夏が来ると想い起こすことがある。礼拝に出席し、小塩牧師の説教を真剣に聴いていた青年が、相次いで自死をした。何故、説教が通じなかったのか。何故、言葉によって福音を、痛んだ魂に届けることが出来なかったのか。東方に暮れながら、自分で自分を責めながら説教をしています。このように語ります。

「キリストは生きておられるではないか、あなたと共におられるではないか、とキリストの臨在を指し示し、自死を呼びかける死に神の呼び声に逆らう陰に、何故、私はなり得なかったのだ」。

 そして首を垂れて、ひたすら祈り求めます。「主よ、憐れみたまえ!」。「キリストよ、憐れもたまえ!」。そして伝道者パウロの思いと重ね合わせます。「できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせて、語調を変えて話したい」。

 伝道者パウロの嘆き、小塩力牧師の嘆きは、全ての伝道者の嘆きでもあります。私も伊勢で伝道していた時に、苦い経験があります。伊勢の教会に津から1時間以上掛けて礼拝に出席されていた女性がいました。朝の礼拝、夕礼拝、祈祷会、キリスト教入門講座、全ての教会の集会に熱心に出席され、洗礼を受けられました。喜びの中で礼拝生活を送られていました。この方は心の病を抱えていました。数年後、その病が悪化し、礼拝に姿が見られなくなりました。ある日、久しぶりに祈祷会に出席をされました。祈祷会が終わって帰って行かれる後ろ姿を今でも想い起こします。それから数週間後、自死されました。祈祷会で語った言葉が届かなかったのです。言葉によって福音を病む魂に届けられなかったのです。言葉によって命の橋を架けられなかったのです。

 その苦い経験を通して、改めて心に刻んだことがあります。礼拝においても、祈祷会においても、御言葉は一期一会の出来事である。この続きはまた来週ということはないということです。今日、ここで、命の言葉を語り、命の言葉を聴く。伊勢の教会でも、金沢教会でも、救いを求めて真剣に御言葉を聴きながらも、やがて礼拝から遠のいてしまった方が何人もおられます。その一人一人の顔が想い浮かんで来ます。言葉が届かない伝道者の無力さ、言葉によって命の橋が架けられない伝道者の愚かさを何度も何度も味わっています。「主よ、憐れみたまえ」と祈りながら、伝道者パウロの悲痛な嘆きに心を重ねるのです。

「できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい」。

 

2.①説教の語調を変える。言葉の語調を変える。これは容易なことではありません。言い回しを変えるような小手先では、語調は変わりません。説教者という者は、自分の説教の形が出来ますと、自分の形を変えることを拒む頑固さがあります。説教セミナーで指導の教師からしばしば言われたことは、説教者の存在が変わらないと、説教の言葉は変わらないということです。説教者の存在が変わるということは、主の御前で、御言葉によって打ち砕かれる以外にはありません。打ち砕かれ悔いる心をもって、「主よ、わが唇を開いて下さい。新しい言葉を授けて下さい。あなたの霊によって、私を新しく造り替えて下さい」と祈り求める以外にはありません。全ては、言葉を相手の魂に届けるためです。言葉によって福音を届けるためです。しかし、このことは、伝道者だけではなく、私ども全ての教会員にも問われていることなのです。

 ガラテヤの教会は、伝道者パウロの伝道によって生まれた教会です。アジア州にあるガラテヤ伝道は、当初、伝道者パウロの伝道計画にはなかったことでした。自分たちの伝道計画が次々と挫折し、主によって思い掛けない仕方で、ガラテヤ伝道が拓かれました。それ故、伝道者パウロとガラテヤの人々との出会いは、神の導き以外の何ものでもありません。

 先週も、夏期伝道実習生と共に、2名の教会員の夏期訪問、夏期訪問聖餐を行いました。礼拝に出席出来ない教会員を訪問しました。教会での思いで話に花を咲かせました。私が金沢教会に赴任した時のことを思い出し、話しました。そこでも感じたことは、伝道者である私と金沢教会の教会員との出会いも、人間の計画でも、人間的な思いでもなく、神の御計画であったということでした。神が伝道者と金沢教会の教会員とを出会わせて下さった。神の導き以外の何ものでもなかった。

 伝道者パウロも、ガラテヤの教会員との初めての出会いの時のことを想い起こしています。実は、伝道者パウロは病を抱えていました。しかも見た目で分かる病を抱えていました。伝道者として福音を届ける初対面の人に対して、印象を悪くするような病を抱えていました。目の病であった。てんかんという病を抱え、人々の前で発作を起こしていた。様々な病が推測されています。病を抱えた伝道者であったにもかかわらず、ガラテヤの教会員との最初の出会いをこう語ります。

「知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたいの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスでもあるかのように、受け入れてくれました」。

 伝道者パウロの病は、ガラテヤの教会員にとって妨げとはならなかった。蔑んだり、忌み嫌ったりしなかった。むしろ神から遣わされた使者、キリスト・イエスでもあるかのように受け入れてくれた。「キリスト・イエスでもあるかのように受け入れた」。これは驚きの言葉ですね。見た目に妨げとなる病を抱えていたにもかかわらず、この伝道者の内に、キリスト・イエスが生きておられる。そのことを実感した。それ故、伝道者パウロが語った言葉を、福音として、生ける主イエス・キリストを証しする命の言葉として、喜んで聴き、受け入れたのです。

 更に、伝道者パウロは驚くべき言葉を語っています。

「あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです」。

 この言葉から、伝道者パウロは悪性の眼病であったとも言われています。しかし同時に、目は体の中でも大切な部分の一つでもあります。ガラテヤの教会員が自分たちの大切なもので、伝道者パウロを支えてくれた。伝道者を支えることが、取りも直さず、主イエス・キリストに仕え、キリストの教会を支えることでもあるからです。

 

ところが、そのような幸いな出会いで始まったガラテヤ伝道、ガリラヤ教会の歩みが一変したのです。ガラテヤの教会員が心変わりしてしまったからです。そのことが、伝道者パウロにとって、大きな痛み、嘆きをもたらしました。パウロは語ります。激しい言葉です。

「あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか」。

「わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵になったのですか」。

 伝道者と教会員との関係が健やかな関係である。これは教会形成と伝道にとって欠くことの出来ないものです。ところが、伝道者と教会員とが、言葉が通い合わなくなる。言葉によって命の橋が架からなくなってしまう。これが教会形成と伝道にとって、大きな妨げです。しかし、悲しいことに、このようなことは、どこの教会でも起こることなのです。

 しかし、問題は一体何によって解決するかです。どんなに人間的な手立てを尽くしても、解決しないのです。一体どうしたら伝道者と教会員との間に、橋を架けることが出来るのか。神の言葉以外にはない。そのためには、説教の語調を変えなければならない。語調を変えるためには、伝道者の存在が変わらなければならないのです。同時に、教会員も神の言葉によって、存在が変えられなければなりません。共に、主の御前で打ち砕かれ悔いる心をもって、主に立ち帰らなければなりません。

 伊勢の教会で伝道していた時に、国政選挙、市政選挙の前になると必ず牧師館に現れる教会員がいました。支持政党の機関紙を持って来られます。いつも今度は主日礼拝に姿を現して下さいねと勧めました。

 伊勢の教会の隣に鳥羽教会があります。太平洋戦争により閉鎖された教会でした。戦後、戦地から戻られた冨山光一牧師が父君・冨山光慶牧師が牧会される伊勢の教会の副牧師になられ、鳥羽教会の再建のために尽力されました。その冨山光一牧師の片腕となって鳥羽伝道をされたのが、学校の教師をされていたその教会員でした。戦後、キリスト教ブームもありまして、教会に子どもたちも、青年も、多く集まりました。当時の写真を見ますと、実に多くの子どもたちが教会の集会に集まっています。牧師の片腕となって伝道し、伝道の実りが目に見える形で現れます。伝道の手応えがあります。そこに喜びがありました。その喜びが更に伝道へと駆り立てました。

 開拓期の伝道が、やがて教会員の数が増えて来ますと、教会の組織を整えて行くようになります。教会が成長して行く上で、辿る道です。キリスト教ブームが去りますと、伝道の業も直ぐに実りが見えなくなります。伝道の手応えが直ぐには感じられなくなります。開拓期にはあれ程、伝道者の片腕となって熱心に伝道の業に励んでいたその教会員は、やがて教会を離れて行きました。残念なことです。支持政党への熱心さ以上に、開拓期の伝道の熱心さを教会に対して持ち続けてほしいといつも祈り願っていました。言葉によって橋を架けることの難しさを、そこでも味わいました。

 

3.①伝道者パウロはここで、ガラテヤの教会員に向かって、「わたしの子どもたち」と呼びかけています。教会員に向かって、「わたしの兄弟姉妹たちよ」ではなく、「わたしの子どもたちよ」と呼びかける。これは異例なことです。ガラテヤの教会が伝道者パウロの伝道によって生まれた。パウロはガラテヤ教会の産みの親でもあります。それ故、「わたしの子どもたちよ」と呼びかけていると言えます。伝道者パウロはここで、伝道者としての切実な思いを語っています。

「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」。

 伝道によって教会が生まれ、教会が立ち上がる。それを伝道者パウロは出産の譬えを用いて語ります。長い歳月をかけて、様々な人々がキリストの手となり足となって伝道し、やがて教会が生まれる。それは将に、生みの苦しみを伴うものです。しかし同時に、生みの苦しみには、子どもが与えられる喜びへと繋がって行きます。教会が生まれる。それはキリストがあなたがたの内に形づくられることです。礼拝の交わり、教会員の交わりに、ここに生けるキリストが生きておられることが明らかになる。生きたキリストの形が教会の交わりの中に見えて来るのです。

 吉祥寺教会の竹森満佐一牧師がこの御言葉を説教されています。竹森牧師のガラテヤ書の講解説教は刊行されていません。以前、説教セミナーで、この箇所の説教をテープで聴いたことがあります。説教者の生の声で、魂に響く説教でした。こう語られていました。

「私どもがキリストと出会うことは、人間が美しい生活をするとか、見事な生活をするとかというんじゃなくて、キリストが自分のうちに生まれるということです。私が私を生きているんじゃなくて、キリストが私のうちに生きている。自分のいのちはキリストに託しているということ、それがないと信仰生活というのは、どうしても中途半端になるだろうと思うんです。そこで、この伝道者は、私は産みの苦しみをしている。またもや、産みの苦しみをしている。いっぺん産みの苦しみを君たちのためにしたんだ。そして、君たちのうちにキリストが誕生した。だけど、それをもういっぺん今繰り返そうとしている。なぜかと言うと、君たちのうちに生まれたと思ったキリストは、死んじゃったじゃないかという意味だと思います」。

 最後の言葉にぎくっとしました。「君たちのうちに生まれたと思ったキリストは、死んじゃったじゃないか」。それ故、伝道者パウロはもう一度、あなたがたをキリストの内に産もうと苦しんでいるのです。産みの苦しみをしているのです。

 

説教の冒頭で紹介した小塩力牧師の「語調を変えて」という説教。その冒頭で、「教会形成」という言葉を私は好まないと述べています。これは意外に思われるかもしれません。今日、「教会形成」という言葉は教会にとって大切な言葉となっているからです。しかし、戦前は、「教会形成」という言葉は用いられませんでした。用いられるようになったのは、戦後のことです。何故、小塩力牧師は「教会形成」という言葉を好まないのか。自分たちの力で教会を形成すると捉えてしまうと、大きな過ちを犯してしまうからです。伝道者パウロはここで、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしはもう一度、産みの苦しみをしていると語ります。しかし、キリストがあなたがたの内に形づくられるということは、伝道者が成すことの出来る業ではありません。伝道者パウロがこの手紙の中で、強調していることは、聖霊の御業です。聖霊の御業なくして、キリストがあなたがたの内に形づくられることはあり得ないのです。伝道者パウロがローマの信徒への手紙の中で語った言葉があります。8章26節です。

「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとり成して下さるからである」。

 御霊に自ら言葉に表せない切なるうめきをもって、私どものために執り成し、キリストが私どもの内に形づくられるために、産みの苦しみをしておられるのです。御霊の執り成しを受けて、私どもも産みの苦しみをもって、キリストが私どもの内に形づくられるために、御霊の御業に参与しているのです。

 伝道者パウロはこの手紙の3章の冒頭でこう語りました。

「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり描いたではないか」。

 私は説教の言葉によって、あなたがたの目の前に、はっきりと十字架のキリストを描いた。十字架のキリストはあなたがたの内に、キリストが形づくられるために、切なるうめきをもって執り成しておられるではないか。自らのいのちを捧げてまで、あなたがたの間にいのちの架け橋を架けておられるではないか。十字架のキリストこそ、いのちの架け橋ではないか。十字架のキリストの執り成しの前で、ひざまずこうではないか。

 宗教改革者ルターは、私どもキリスト者は「小さなキリスト」であると語りました。素敵な言葉です。キリストの手となり、足となって、喜んでキリストのために働こうと呼びかけているのです。全ては、私どもの内にキリストが形づくられるためです。産みの苦しみを伴う業です。同時に、キリストのいのちが現れる、喜びの業です。聖霊の執り成しの業です。一人一人がキリストの手となり、足とされている。病の中にある者も、高齢の者も、あなたの祈りを、キリストが形づくられるために、用いて下さるのです。何と幸いなことでしょうか。

 

 お祈りいたします。

「主よ、日々言葉によって橋が架からず、途方に暮れる私どもです。言葉の語調を変えさせて下さい。私どもを新しく造り替えて下さい。新しい言葉を授けて下さい。全ては、私どもの内にキリストが形づくられるためです。そのために聖霊が切なるうめきをもって執り成しておられます。十字架のキリストが切なるうめきをもって執り成しておられます。私どももキリストの手として、足として用いて下さい。

 この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。

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