「残りの日々を数える知恵を」
詩編90:1~17
ヘブライ13:1~8
主日礼拝
牧師 井ノ川勝
2024年6月2日
1.①皆さんの中には、日記を付けている方がいると思います。日記帳には様々な形がありますので、まず自分にあった日記帳を探すことから始める方もいるかもしれません。最近は日記帳ではなく、パソコンに日記を打ち込んでいる方もいるかもしれません。
日記帳の中に5年日記帳というものがあります。同じ日に、私は何を考え、何をしていたのか。5年間に亘り、それを並べて見ることの出来る日記帳です。昨年の今日、私は何を考え、何をしていたのか。それを想い起こすことが出来ます。そして来年の今日、私は何を考え、何をしているのか。来年の今日を思い巡らすのです。しかし、来年の今日、私が元気であるという保証はありません。もしかしたら来年の今日、私はいないかもしれない。5年日記帳に、私が死を迎える日、私の葬儀の日があるのかああ、私どもは死と向き合いながら生きているのだと、心に刻むのです。
昨日の土曜日、私が読んでいる新聞に、「それぞれの最終楽章」というコーナーがあります。ある漫画家が「最愛の妻の死」という文書を綴っていました。2010年1月下旬の遅い午後、妻が帰宅するやいなや告げた。「ダメみたい。膵臓癌ステージ4のbで、手術も無理だって」。突然の知らせで、僕の頭は空っぽになったまま動けなかった。妻は当時53歳。これまで特に持病はなく、毎日犬の散歩に出かけていた。僕はくずおれて、妻の膝に顔を埋め、泣いた。その夜、僕は寝付けなかった。妻の口元に手のひらを近づけると、妻は急にパッと目を開け、からかうように笑った。「まだ死んでないよ」。不安でいたたまれない僕に対して、妻は決して涙を見せなかった。翌日、妻と一緒に大学病院の診察室で、妻の診断結果を聞いた。後半年という診断だった。大学病院を出たら冬の青空が広がっていた。うな垂れる僕に向かって、妻は穏やかにほほ笑んで言った。「何があっても無理心中なんて嫌だからね。後追い自殺もダメ」。明るく切り出された妻との約束だった。
この記事を読みながら、もし同じ状況に置かれたら、私もこの夫と同じように、おろおろしてしまうでしょう。手に力が入らず、何も出来なくなることでしょう。死はある日、突然やって来て、最愛の妻の命を奪って行きます。死と真っ正面で向き合った時、私どもの日々の歩みを導く基調音はこの音色なのでしょうか。私どもの命は何と儚いものだ、私どもの人生は何と虚しいものだ。
②この朝、私どもは詩編90編の御言葉を聴きました。詩編90編は葬儀の時に朗読される御言葉でもあります。しばしば葬儀の説教で、命の儚さ、人生の虚しさが語られます。それはこの詩編に、こういう御言葉があるからです。
「千年といえども御目には、昨日が今日へ移る夜の一時にすぎません。
あなたは眠りの中に人を漂わせ、朝が来れば、人は草のように移ろいます。
朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れて行きます」。
「わたしたちの生涯は御怒りに消え去り、人生はため息のように消えうせます。
人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても、
得るところは労苦と災いにすぎません。
瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります」。
詩編90編の基調音は果たしてこの音色なのでしょうか。私どもの命は死によって取り去られて行く。命は何と儚いものか。人生は何と虚しいものか。もし詩編90編をそのように触れているとしたら、それは誤った仕方で受け入れています。詩編90編の御言葉が私どもを導く基調音は、儚い、虚しいという音色ではないからです。
恐らく皆さんが、詩編90編の御言葉の中で、最も心に留めているのは、この御言葉でしょう。
「生涯の日々を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」。この御言葉は様々な言葉で訳されています。以前の親しんでいた口語訳ではこう訳されていました。「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください」。今度の新しい聖書協会共同訳はこう訳しています。残りの日々を数えるすべを教え、知恵ある心を私たちに与えてください」。ルターのドイツ語聖書は大胆にも、こう訳しています。「わたしたちが死なねばならないことを熟慮するよう教えてください。わたしたちが賢くなるために」。
この詩編90編が私どもに語りかけている命の基調音が、ここにあります。死と向き合って生きている私どもが、残りの日々をどのように数えて生きたら良いのか。残りの日々を数える知恵を与えて下さいと、祈り求めていることです。更に、詩編90編の詩人は、結びでこう祈り求めているのです。
「わたしたちの手の働きを、わたしたちのために確かなものとし、
わたしたちの手の働きを、どうか確かなものにしてください」。
死と向き合っていることを知り、手の働きが何も出来なくなるのではなく、むしろ、残された日々を数えながら、今、私どもは何をすべきなのか。私どもの手の働きを確かなものとして下さいと、主に祈り求めて行くのです。
残りの日々を数えながら、ああ、私は生きている。ああ、私は生かされている。いのちの手応えを日々、感じながら生きて行くのです。生かされて行くのです。夫の介護をしながらも、子育てをしながらも、病と向き合いながらも、そこでいのちの手応え感じて生きる。それこそが詩編90編が奏でるいのちの基調音なのです。
2.①先週の木曜日、私は銀座教会で開かれた東京教区東支区の婦人の集いに呼ばれ、講演をしました。神学校を卒業し、伊勢の教会、金沢の教会とずっと地方で伝道して来ましたので、東京の教会との交わりはなかったのです。何故、私が呼ばれたのかと思いながら出席しました。集会が始まる直前に、一人の婦人が「井ノ川先生」と呼んで近寄って来られました。誰かと思いましたら、輪島教会の教会員でした。元日の地震で珠洲の御自宅は全壊し、お子さんと一緒に千葉に避難されたということを聞いていました。どうされているのだろうかと心配していました。今、母教会の小松川教会の礼拝に出席をしており、今日の集会のことを知らされ、出席されたとのことでした。輪島に戻りたい。輪島教会の仮礼拝堂での礼拝に出席したい。しかし、今はそれが出来ず、牧師にも教会員にも申し訳ないと、自分を責めておられました。今はこちらで避難生活をしながら、輪島教会のために祈り続けることが大きな力にありますよ、と伝えました。
私どもの生活に、突然、自然災害が襲い掛かります。地震、台風、洪水。その時、私どもは住み慣れた家を離れなければなりません。避難所に避難しなければなりません。避難所に辿り着いた時、命が助かったと、ほっと一息つきます。安堵いたします。それと同じように、私どもには人生の避難所が必要なのです。突然襲い掛かる病、死、苦しみ、悲しみ、試練。私どもの力では太刀打ち出来ません。私どもの命は押し潰されてしまいます。
詩編90編の詩人も、様々な試練に直面しながらも、こういう言葉から語り始めています。
「主よ、あなたは代々わたしたちの宿るところ。
山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、
世々とこしえに、あなたは神」。
「主よ、あなたは代々わたしたちの宿るところ」。このように訳している聖書もあります。「主よ、あなたはわたしたちの避難所」。「わたしたちの逃げ場所です」。病、死、試練が襲い掛かって来た時に、私どもは神の懐に逃げ込めばよいのです。主は私どもの代々の避難所となって下さるからです。神の懐に逃げ込んで、「主よ、主よ」と叫べばよいのです。
②詩編90編の詩で注目すべきは、「帰れ」という言葉が二度も用いられていることです。この詩の鍵語となっています。最初に出て来るのは3節です。
「あなたは人を塵に返し、『人の子よ、帰れ』と仰せになります」。この御言葉は創世記2章7節の御言葉と響き合っています。神は土の塵から私ども人間を造られ、命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。そして神は私どもに呼びかける。「人の子よ、帰れ」。土の塵に返って行く。私どもの命は土から生まれ、土に帰って行く命です。それは言い換えれば、私どもの命は神から与えられ、神によって取り去られる命です。主が与え、主が取り去り給う命です。神の懐から生まれ、神の懐に帰って行く命です。
しかし、詩人はもう一度、「帰れ」という言葉を用いています。13節です。「主よ、帰って来てください。いつまで捨ておかれるのですか」。元の言葉には「捨ておかれるのですか」という言葉はありません。「主よ、いつまでなのですか・・」。その後、言葉が続かないのです。
詩人は、私が主の許に帰ること以上に、主が私の許に帰って来られることを祈り求めています。この「帰る」という言葉は、旧約聖書で繰り返し語られる重要な言葉です。「立ち帰る」「故郷に帰る」という意味があります。更に、「向きを変える」「方向転換する」「回心する」「悔い改める」という意味もあります。主が私どもの許に立ち帰って下さらなければ、真実の意味で、私どもは主の許に立ち帰ることが出来ないということです。
詩人は死を恐れています。それは自分の命が亡くなるという恐れではありません。8節でこう語ります。
「あなたはわたしたちの罪を御前に、隠れた罪を御顔の光の中に置かれます」。
死と向き合った時、私どもは自らの人生の歩みを振り返ります。いっぱい喜びがあった。しかし、それ以上に想い起こすのは、自らの過ち、過失、罪です。取り返しの付かない過ちです。誰にも打ち明けることのなかった心の痛み、傷です。「隠れた罪」です。ある方は「秘め事」と訳しています。死に直面した時に、隠れた罪、秘め事が神の御顔の光の中に置かれ、明らかにされるのです。しかし、私どもではどうすることも出来ない過ち、過失、隠れた罪、秘め事です。それ故、主に祈り求めるのです。
「主よ、帰って来てください。いつまでなのですか」。
主が帰って下さる。主が向きを変えて、私どもに立ち帰って下さる。その出来事こそ、主イエス・キリストが来て下さった出来事です。主イエス・キリストが私どもが負うことの出来ない過ち、過失、隠された罪、秘め事を身代わりとなって負うて下さるために帰って来て下さった。私どものどうすることも出来ない過ち、隠された罪を覆い被さるために帰って来て下さった。それこそが主イエス・キリストの十字架の出来事だったのです。主イエス・キリストこそ、生きる時も死ぬ時も、私どもの避難所、逃げ場所となって下さったのです。主イエス・キリストが私どもに立ち帰って下さったからこそ、私どもの避難所・主イエス・キリストに立ち帰ることが出来たのです。
3.①神学校に入学する前の大学生の頃、東京神学大学で長く学長をされていた桑田秀延先生が書かれた『キリスト教の人生論―神と人との出会い』という新書版を読みました。その本の最後に、「私の神との出会い」という章があり、ご自分の入信経験を綴った文章があります。
明治28年、四国の瀬戸内海側の讃岐平野の農村地帯に生まれました。家は土地と山とを相当に持っていた地主で、村でも裕福な旧家でした。ところが物心ついたときには、家は破産してしまいます。家族は離れ離れになり、桑田先生は小学二年の時、母に伴われ、母の故郷高松に帰ります。明治41年、高松中学に入学しました。先輩に菊池寛がいた。やがて高松教会に導かれ、明治学院神学部を卒業されたばかりの若い仁田一三牧師から洗礼を受けられました。そして仁田牧師と同じ明治学院神学部に進み、伝道者になる決心をしました。桑田先生はこのように語られます。
「かくして結局この倒産ということが、私の生涯に決定的なものを与えることになりました。もし村を出て行くということがなければ、私はあの村に住みついて、村長さんか先生になって一生村におちついたかもしれません。おそらく、キリスト者になるというようなことは、万に一つもありえないことだったでしょう。私は村の出身者としては、一番最初のキリスト者になりましたが、倒産したということ、それによって村を離れ、高松に移住したということがなければ、それは考えられないことです。そう思い合わせて行くと、やはりそれは神の摂理というほかありません。神さまが人の表面に現れた生涯の部分だけでなく、そのかくされた部分をも不思議な仕方で導いているという、摂理ということを私は深く考えます」。
キリストと出会った桑田先生が、過ぎ去った悲しむべき過去の日々、消し去りたい過去の日々を想い起こし、数える。しかし、そこに神の導きがあった。神の摂理の御手が働いていた。キリストの光の中で、暗い過去の日々も新しく数え直すことが出来るのです。「摂理」という信仰は、どんなに苦しみに囲まれていても、前方にある神の備えを見ることです。
②この朝、もう一つの御言葉を聴きました。ヘブライ人への手紙13章です。
「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、『わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました。だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。『主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう』。
あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」。
「主よ、帰って来てください」。私どもの祈りに応えて帰って来て下さった主イエス・キリストは、昨日も、今日も、永遠に変わることない方です。昨日も、今日も、永遠に変わることのない避難所です。生きる時も死ぬ時も、永遠に変わることのないいのちの避難所です。それ故、私どもは現在の日々を数え、過去の日々を数え直し、将来の日々を数え始めるのです。
先々週、北陸学院扇が丘幼稚園の礼拝で、園児に向かって御言葉を語りました。実に10年ぶりのことでした。そのこともあって、伊勢の教会の幼稚園での出来事をいろいろと想い起こしました。毎月、誕生日会がありました。「ひでくん、おめでとう。ひでくんは、いくつになったの」と尋ねます。ひでくんは一つ、二つ、指を折って数えます。途中で二本の指をいっぺんに折ってしまう。すると隣にいるお母さんが、「そうじゃないでしょう」と言って、一緒にわが子の指を折って数えさせる。それと同じように、主イエス・キリストが、私どもの指に手を添えて、正しい人生の日々の数え方を教えて下さるのです。残りの日々を正しく数えさせて下さるのです。
4.①私は神学校を卒業し、伊勢の教会で30年、金沢教会で10年、伝道、牧会して来ました。伝道者40年の歩みにおいて、多くの方と出会い、多くの方との別れを経験しました。その中で初めて経験したことがあります。新しい年を迎えて二週間で、ご夫婦の葬儀を行ったことです。伊勢の教会でのことです。
新しい年を迎えた2日目の朝、御夫君が90歳の誕生日を前にして急逝されました。12月25日のクリスマスの日、御自宅を訪問し、共にキリストのいのち・聖餐の与った時は、お元気でした。むしろ御婦人のお体の方が心配でした。玄関まで見送りに来られたご夫妻に、「次の訪問聖餐は年が明けた1月7日の新年礼拝後ですね」と言って別れました。この時、共に与った聖餐が地上での最後の聖餐になるとは思ってもみなかったことでした。1月4日に、御夫君の葬儀が行われました。そして1月7日の新年礼拝後、御婦人を訪ね、お写真の前で涙を流しながら共に聖餐に与りました。しかし、御婦人も御夫君の後を追うようにして、二週間後、逝去されました。新しい年を迎えた半月の内に、ご夫妻の葬儀を行わなければならないことは、厳しい経験でした。一つの涙が乾かない内に、新しい涙を流さなければならない。悲しみを突き抜けて畏れを感じました。
伊勢の教会では毎月、第一主日礼拝で聖餐に与った後、病床、高齢の教会員宅を長老と共に訪ね、聖餐を行います。この御夫妻の家を訪ねますと、カレンダーの第一日曜日に赤い丸印が付けられているのを目にしました。月の一度の訪問聖餐を、指を数えるようにして待っていたのです。この聖餐が地上で与る最後の聖餐になるかもしれないという思いで与っていたのです。ご夫妻はいつも言われました。「私どもは教会のために、何も出来ません」。しかし、小さな皺だらけの手を合わせ、いつも教会のため、牧師のために祈って下さいました。ここにもいのちの手応えを感じる祈りがありました。
「わたしたちの手の働きを、どうか確かなものにしてください」。
②改革者ルターは、十字架のキリストこそ、わが避難所であることを発見し、教会改革を行いました。ルターは晩年、詩編90編を七回に亘って講義をされました。その中で、中世の教会から受け継がれて来た讃美歌を紹介しています。「生のさなかにあって、われわれは死の内にある」。
しかし、ルターはその讃美歌をこのように変えました。「死のさなかにあって、われわれは生の内にある」。どんなに祝福に満ちた生を送っても、死の壁が私どもを四方から取り囲んでいる。否、私どもの教会の信仰はそうではない。明日をも知れぬ命であっても、私どもはキリストのいのちに確固として囲まれている。そこにこそ真実の祝福がある。ルターのこの讃美歌は、将に詩編90編の信仰を歌い上げたものです。
「主よ、あなたは代々わたしたちの避難所です」。
主の御前に立ち、礼拝を捧げる私どもは、将に一期一会の礼拝を捧げているのです。
お祈りいたします。
「悲しみがあります。痛みがあります。解決出来ない罪の重荷があります。しかし、主よ、あなたは代々わたしたちの避難所です。主イエス・キリストは帰って来て下さいました。それ故、私どもも主イエス・キリストに立ち帰り、そこでこそ自らの死を見つめ、おのが日を正しく数える知恵をお与え下さい。私どもの小さな手の働きを用いて、主の喜びの業に参与させて下さい。
この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。