top of page

「甦られたキリストはあなたにも現れ」

詩編16:1~11
コリント一15:1~11

主日礼拝

牧師 井ノ川 勝

2023年7月9日

00:00 / 44:16

1.①以前、ある新聞に、「わたしの履歴書」というコーナーがありました。各分野の著名人の履歴書を物語風に綴ったものです。私が新聞を読む時に、真っ先に読んでいたコーナーです。今でも、このようなコーナーを設けている新聞もあります。一人一人がそれぞれ特色ある履歴書を綴っています。

 私どもが「わたしの履歴書」を綴るのは、どんな場面でしょうか。一つは就職の時です。私がどういう経路を辿って歩んで来たか。私を知っていただくため履歴書を綴ります。そのことを通して、私をアピールします。もう一つは、人生の晩年を迎え、自分の葬儀を思い巡らす時です。私がどのような歩みをして来たのかを振り返り、履歴書を綴ります。しかし、箇条書きで綴った履歴書には書き切れなかった大切な出来事が多くあると思います。

 ドイツ語で「履歴書」という言葉は「生涯」という意味でもあります。その語源は、「人生の行程」「走る道のり」です。面白い言葉です。「歩いて来た道のり」ではなく、「走って来た道のり」です。人生を何故、走ることと捕らえるのでしょうか。目的があったからです。目標があったからです。目的を目指して走って来たからです。それが私どもの履歴書を方向付けるのです。私どもの履歴書の特色を明らかにします。私どもの履歴書を通して、走って来た道のり、人生の行程が明らかにされます。

 

②今朝、一人の人物の履歴書に注目したいと思います。新約聖書に綴られている履歴書です。伝道者パウロの履歴書です。何故、伝道者パウロの履歴書に注目するのでしょうか。私には関係ないと思われる方もおられることでしょう。しかし、全ての方にとって、とても大切な人生の行程、走って来た道のりが綴られているのです。パウロの履歴書は私どもの履歴書でもあるのです。そして伝道者パウロは何よりも、自らの人生を「走る」という言葉で表して来ました。

 以前のパウロはこういう履歴書を綴りました。

「わたしは生まれて8日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」。

 私ども日本人にとって、このパウロの履歴書で何を綴っているのか分かりづらいところがあります。言い換えればこうなります。私は家柄もよい。一流の学校で学んだ。律法学者という名誉ある地位に就いた。誰よりも熱心に律法の研究に励み、業績を上げた。律法に生きることにおいて、全てのユダヤ人の模範となった。そして何よりも、十字架で誠に弱々しく、みすぼらしい死に方をしたイエスを、私どもユダヤ人が待ち望んだ救い主ではないとして、十字架のイエスを救い主として信じるキリスト教会を激しく攻撃する迫害者となりました。パウロの履歴書は非の打ち所のない完璧な履歴書でした。パウロ自らが誇り、皆がうらやむような履歴書でした。

 ところが、パウロの履歴書に新しい出来事が加わりました。その出来事によって、自らが誇りとしていた履歴書を塵芥のように見なし、破り捨てました。そして全く新しい履歴書を綴りました。それが今朝、私どもが聴いたコリントの信徒への手紙一15章の御言葉です。以前の履歴書と新しい履歴書とは、決定的にどこが違うのでしょうか。主語が私からキリストへ変わりました。パウロの履歴書に飛び込んだ新しい出来事、それは甦られたキリストが、教会の迫害者パウロに現れた、出会われたという出来事でした。

 

2.①私どもの履歴書において、決定的に重要な出来事は、出会いです。学校との出会いです。人との出会いです。この学校と出会わなければ、今の私はなかった。この人と出会わなければ、今の私はなかった。人生を決定的に変える出会いが必ずあります。それは一人一人、出会った学校も、出会った人とも異なります。しかし、伝道者パウロは語ります。全ての人に共通した出会いがある。その出会いこそが、甦られた主イエス・キリストとの出会いであるのです。

 伝道者パウロはコリントの教会の信徒に語りかけます。わたしがあなたがたの伝える新しい「わたしの履歴書」は、わたし一人のものではなく、あなたがた全てにとって、「福音」、喜びの知らせです。他のことは忘れても、これさえ覚えておけば、あなたがたは救われます。この「福音」はあなたがたの生活のよりどころ、あなたがたの人生を導く道しるべです。それではパウロが伝える新しい「わたしの履歴書」「福音」とは何でしょうか。

 「最も大切なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」。

 これはとても大切な言葉です。伝道者パウロが大切なことを伝える時に、必ず冒頭で語る言葉です。私があなたがたに伝える「福音」は、私が考え出したものではない。私自身、受けたものです。甦られた主イエスと出会った人々が、人から人へとバトンのように手渡されて来た福音です。私どもの救いに関わる大切な福音です。それは何でしょうか。

「すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりにわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに三日目に復活したこと、ケファ(ペトロ)に現れ、その後12人に現れたことです」。

 伝えられた福音は4つの出来事が語られています。キリストの十字架の死、埋葬、復活、そして、顕現です。顕現とは現れること、出会われることです。これが教会に伝えられた福音の中核、心臓部です。

 この朝、私どもは「使徒信条」を告白しました。聖書が語る福音を凝縮した、全てのキリスト教会の信仰です。この「使徒信条」の基になった福音が、ここで語られています。ところが、比べて見ますと、ほとんど同じなのですが、ただ一つのことが違っています。「使徒信条」はこう告白されています。

「キリストは十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり」。

 パウロに伝えられた福音には、「ケファに現れ、12人に現れた」とあります。この言葉が「使徒信条」にはないのです。その後の教会の信仰告白においても、この言葉がありません。不思議なことです。しかし、キリストが甦られて何をされたのか。それはペトロに現れ、12人の弟子たちに現れたのです。甦られたキリストの顕現の出来事。これは私どもにとってとても大切な福音です。もしこの出来事がなければ、私どもも甦られたキリストとお会いすることはないからです。

 主イエスの地上の歩みを綴った4つの福音書が、新約聖書に納められています。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ福音書です。その全ての福音書で共通して語っているキリストの復活の出来事があります。一つは、十字架で亡くなられた主イエスの御遺体は、墓に葬られた。ところが3日目に墓にいったら、墓は空っぽであった。主イエス・キリストは甦られた。客観的な出来事を語っています。そしてもう一つは、甦られたキリストは、マグダラのマリアに出会われた。ペトロに出会われた。トマスに出会われた。弟子たちに出会われた。クレオパ夫妻に出会われた。キリストの顕現の出来事を強調しています。それが主イエス・キリストの甦りの出来事において、大切なこととして聖書では語られているのです。

 

②私ども伝道者の説教の指導をされているのは、説教学の先生の加藤常昭先生です。94歳なられましたが、今尚、オンライインで説教の指導をされています。加藤常昭先生が日本を代表する説教者たちの十字架と復活の説教をまとめられて、出版されたことがあります。『わが神、わが神』という題名の説教集です。そこで一つの特色が明らかになりました。主イエス・キリストの十字架の説教は、どの説教者にも共通する一貫性がありました。しかし、キリストの復活の説教は多様性がありました。それは福音書において、甦られた主イエス・キリストが様々な人物に現れた御言葉の多様性を明らかにしていると言えます。

 教会の葬儀において、葬儀の式次第に、ご遺族がまとめられた故人略歴を掲載します。いつどこで誕生し、どの学校を卒業し、どんな職業に就かれ、伴侶と出会い、結婚され、子どもが与えられ、そして何歳で逝去された。伝道者は葬儀において、故人がどのような人生の歩みをされたのかを語ります。しかし、伝道者は故人の人生の歩みを全て知り尽くしているわけではありません。むしろ知らないことの方が多いのです。しかし、故人略歴において決定的なことがあります。この方も甦られたキリストと出会い、洗礼を受けられたことです。それが故人の人生の歩みにおいて、決定的であった。甦られたキリストと出会うことが、人生の目的であったと言えるのです。この方も甦られたキリストに導かれて、人生を走り抜いたのだと言えるのです。それ故、故人がどのような歩みをされたのか、他のことが分からなくても、この一つを語れば、故人の人生を全て語ったことになるのです。

 

3.①伝道者パウロはここで、教会に連なる全ての人の共通する履歴書を、伝えられた通りに語りました。しかし、そこで終わっていません。その後に、パウロの履歴書を書き加えるのです。それがパウロの新しい履歴書の特色です。

「次いで、五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」。

 甦られたキリストはペトロに現れ、12人の弟子たちに現れて、それでお終いとされたのではありません。次々に人々に現れた。そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れた。繰り返される言葉があります。「現れた」です。訪ねられたという意味です。甦られたキリストは一人一人を訪ねて下さるのです。主イエスを裏切った弟子たち。主イエスを見捨てた弟子たち。主イエスに失望し、十字架につけろと叫んだ人。そして最後に、教会を迫害し、キリスト者を片っ端から捕らえ、殺したパウロをも訪ねて下さる。驚くべきことです。そしてパウロを捕らえ、洗礼を受けさせて、キリスト者にしてしまう。それだけでなく異邦人にキリストを伝える伝道者にまで召して下さるのです。月足らずに生まれた。未熟児として生まれたという意味です。他のキリスト者に比べれば、未熟児のような存在として、キリスト者になった。

 「そして最後に、月足らずに生まれたようなわたしにも現れました」。この「わたし」に、私の名を入れてもよいのです。甦られたキリストはわたしを目指し、わたしにお会いするため、わたしを訪ねて下さった。パウロの履歴書は、私どもの履歴書になるのです。

 パウロが両親から付けられた名前は「サウロ」でした。同じ優秀なベニヤミン族で、イスラエルの最初の王さまとなった人物の名前です。サウロ王のような立派な人になってほしいという願いを込めて、両親が付けられた名です。しかし、甦られたキリストはサウロに、新しい名を付けられました。「あなたはパウロ」。「いと小さき者」という意味です。「お前は何といと小さい者か」。しかし、いと小さき者を目指して、甦られたキリストは訪ねて下さった。新しい使命を与えるためです。

 パウロの履歴書は更に続きます。

「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」。

 パウロは告白します。「わたしは使徒たちの中でいちばん小さい者、使徒と呼ばれる値打ちのない者。しかし、神の恵みによって、わたしはわたしとなった」。

 私どもは甦られたキリストと出会うことにより、何か特別な存在になるような恐れを抱きます。しかし、そうではないのです。甦られたキリストと出会うことは、わたしがわたしとなることなのです。真実のわたしと出会うことなのです。その時、甦られたキリストから新しい使命を託されて遣わされるのです。「使徒」という聞き慣れない言葉は、甦られたキリストとお会いし、キリストから新しい使命を託されて、遣わされる者たちです。私どもも甦られたキリストと出会い、新しい使命を託されて、遣わされるのです。キリストと出会うことは、使命を託されて遣わされて生きることなのです。キリストに導かれて、キリストと共に走り出す新しい歩みを始めることなのです。

 

②宮田光雄さんというキリスト者であり、東北大学の教授がおりました。近代ヨーロッパ政治思想史がご専門です。また一麦寮という学生寮を建て、学生と寝食を共にしながら、学生伝道に力を注がれた信徒伝道者でもありました。今でもご健在で次々に本を書かれています。多くの本を書かれていますが、私が最も好きな本は、『私の聖書物語』です。伝道者パウロが語る、このコリントの信徒への手紙一15章の「教会の信仰告白」に、「わたしの信仰告白」を綴り合わせて語ったものです。

     1945年夏、敗戦を迎えた。宮田さんは京都の旧制第三高等学校の学生として、戦後の歩みを始められました。同志社大学の礼拝堂で、キリスト教の講演会があった。それがキリスト教との出会いの最初でした。講師は岩橋武雄氏。中途失明の苦悩の中で聖書と出会い、キリストとお会いし、洗礼を受けられた。盲人福祉のため献身的な働きをされた。ヘレン・ケラーとの交遊もあった。講演題は「彷徨より信仰へ」。岩橋氏の回心の体験を語ったものでした。しかし、残念ながら、この時の講演内容は記憶に定かではない。むしろ、礼拝堂の隅々にまで響き渡ったパイプオルガンの音色の清冽さが、心の奥底まで染み通って来た。敗戦後の暗い困窮の日々に、全く隔絶した「天なる世界」の実在感に体全体を貫く感動を覚えた。

 戦後、食糧事情が極端に悪く、学校の授業もしばしば休みになった。栄養補給のため食糧休暇を与えられ、故郷の高知の田舎に帰省して、生活することになった。そこで教会、キリストと出会うことになった。牧師は川添徳治牧師、夫人を亡くされ、一人暮らしをしていた老牧師であった。しかし、私生活を捨てて伝道に献身する姿に、宮田青年は強く惹き付けられた。一つ屋根の下で寝食を共にし、キリストを伝える喜びを体で味わった。集まって来る子どもたちのために日曜学校を開き、夏期休暇には一週間に亘る夏期学校を計画し、お話や歌や遊びを共にした。

 時には沢山の宣教用のパンフレットや聖書・讃美歌をリュックサックに詰めて、老牧師と共に遠近の家庭集会を廻る生活でした。今から思えば、信じられない程の大勢の方々が集会に押し掛けて来ました。日本全国に亘ってキリスト教ブームと言われていた頃で、入れ替わり立ち替わり、全く意外な顔ぶれが現れました。町の有力者、元町長、町会議員、革新的な青年たち、学校の先生など、多くの人々が、キリスト教の門を叩きました。

 1948年の夏休み、川添牧師と共に、四国の秘境と呼ばれる山奥の檮原村、竜馬脱藩に道として有名ですが、そこに一週間ばかり伝道に出かけました。福音が未到と言われた僻地の集落まで入って、各地で集会を持ちました。集落のお年寄りたちも多く集まって来て、聖書の話や信仰の証しを一々頷いて静かに聴いてくれました。ところが最後になってこう言われた。「今日はとてもよい話を聞くことができた。キリストの神さまも立派な方だと思う。けれども、天照大神もいっそう立派だ」。そう言われて、唖然とさせられた。

 伝道の失敗、挫折を味わいながら、老牧師と共にキリストを伝える喜びを体全体で味わうことが出来たことは、何にも変えがたい求道生活であった。そのようにして甦られたキリストと出会った。講壇から一方的に語られる説教を受け身で聞くだけの教会生活ではなかった。そして宮田青年は1946年12月に、高知の田舎の小さな伝道所で洗礼を受けました。土佐嶺北教会です。今でもこの教会に妻と共に所属している母教会です。青年時代の伝道する喜びの経験によって、今日のわたしがある。

 

4.①説教でしばしば採り上げます最相葉月さんの『証しー日本のキリスト者』。現代、日本で、なぜ神を信じ、キリスト者となって生きるのか。キリスト者でない最相葉月さんが全国の教会を訪ね歩きながら、135名の様々な教派の教会のキリスト者の信仰の証言をまとめられたものです。甦られたキリストとの出会いは、135名それぞれ多様であることを、一人一人の信仰の証しから知らされます。その中に、金沢教会と親しい富山鹿島町教会の松原葉子さんの証しがあります。コロナ前、金沢の病院に入院されていた時、病院の許可を得て、車椅子でヘルパーと共に、金沢教会のクリスマス礼拝に出席されたことがあります。

 3歳か4歳の頃、口を閉じることが出来ないのを母が心配し、病院に行ったが原因が分からなかった。小学生になって、授業中に手を挙げて発表したいのに、きちんと手が挙がらない。様々な場面で友だちのように行動出来ない。あちらこちらの病院を廻っても原因が分からない。元気に走り回っている友だちの姿を見、自分だけが置き去りにされ、段々暗い少女になっていった。漸く病名が分かった。筋ジストロフィーの顔面肩甲上腕型。しかし、治療法がないとのことで、たまらなく泣き出したこともあった。幼稚園の頃からピアノを習っていて、コンクールを目標にレッスンを続けていた。

 1988年のイースターに、もうすぐ15歳になる時に洗礼を受けた。たとえ病を負うていても、やっぱり神さまの創造の業の中にわたしが入れられて、神さまが目的をもって、神さまの御意志の許にわたしが造られた。神さまの作品としてわたしがある。そのために甦られたキリストが私にも出会って下さり、私にも使命を託して遣わして下さった。いつも信仰の原点に立ち戻らされる。

 教会のオルガニストになったのは、受洗して1年後、高校生になってからです。教会のオルガニストとして礼拝で奉仕を重ねて行く内に、甦られたキリストから託された使命はこれだと実感するようになった。高校卒業後、フェリス女学院大学の音楽学部に進学し、キリスト教音楽を柱とする教育を受けた。やがて東京の教会や音楽会で演奏する機会が与えられた。それを聴かれていた音楽事務所の方から、CDを作らないかとの提案があり、驚いた。しかし、障害を負うたオルガニストとして見られるのではなく、一人のキリスト者として神に向かうオルガニストとして、曲を聴いてほしい。

 演奏する時、口では私は罪人ですと言いながら、神さまに全面降伏していない自分がいるという現実を突き付けられる。人のためと言いながら、結局は自分のためになる。その人のために祈ろうとすると、それでも赦せない気持ちの方が大きくマグマのようになって行く。ごめんなさいと言えばいいのに、出来ない。自分が正しいと思っている。自分が砕かれなければいけないのに、それが出来ない。ああ、だからこそイエス様が私の身代わりとなって十字架に掛かって下さった。一切の罪を背負って、私の身代わりとなって下さった。キリストの恵みを心に刻み、奏楽に向かう。

 病のため一息一息、一呼吸一呼吸が苦しくなる。しかし、生きよ、今日を、この瞬間を生きよと言われる神さまに精一杯呼吸で応える。うめきをもってしても、神さまはこの瞬間を生かして下さる。私を生かして下さる神さまに讃美を捧げたい、最期の時までそうありたい。今も続く入院生活で、それでも神さまは私がここでちぁんとキリスト者として立つようにと、使命を与えて下さっておられる。病棟にオルガンを置かせていただくことができ、ご依頼があると弾かせていただいている。ドクター、看護師、スタッフたちに、私からキリストの香りを放つことが出来るのであれば、キリストの刻印を押された存在として、私はここに使命をもって遣わされているのだと感謝して受け止めている。

 

②甦られたキリストは今、私ども一人一人に現れ、私どもを捕らえ、私どもに使命を託し、キリストの復活の証し人として遣わして下さるのです。

 

 お祈りいたします。

「甦られたキリストは、最も頑固で、罪人の頭である私どもを目指して訪ねて下さるのです。最後に月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。甦られたキリストとお会いすることにより、私どもは新しい人間に造り変えられます。新しい使命を託され遣わされた者とされます。主よ、どうか私ども一人一人を遣わして生きる者とさせて下さい。

 この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。

bottom of page