「福音は故郷の言葉で語られて」
ヨエル3:1~5,使徒言行録2:1~13
主日礼拝
井ノ川勝
2025年5月4日
1.①今から200年前、アメリカのボストンの町で、毎月、家庭集会が開かれていました。聖書の御言葉を聴き、祈りを捧げ、献金を献げました。献金箱として用いられたのは、日本製の籠でした。「このような精巧な籠を編む日本人に、福音を伝えることができれば」と思ったそうです。いつしか、家庭集会に出席された方々は、日本伝道への思いを馳せ、祈り、献金を献げました。その祈りが実現したのは、30年後でした。
「私たちは直接、日本に行って、日本人に福音を伝えることはできない。あなたがた宣教師が私どもを代表して、私どもに代わって、日本人に福音を伝えてほしい」。そのような教会員の篤い祈りが、日本伝道への道を拓きました。そして明治維新の前、アメリカから宣教師が派遣されました。その一人に、アメリカの北長老教会のトマス・ウィン宣教師がいました。その伴侶はイライザ婦人でした。ウィン宣教師28歳、イライザ婦人26歳でした。プロテスタント教会の宣教師として、北陸金沢に初めて、福音の種を蒔いた宣教師夫妻でした。その蒔かれた福音の種が実を結び、1881年(明治14年)5月1日、金沢教会が建設されました。その日から数えて、本日、教会創立144周年の記念の礼拝を捧げています。
改めて、ウィン宣教師夫妻を送り出した教会の信徒一人一人の祈りと献げ物、そしてウィン宣教師夫妻の、この北陸に生きる日本人一人一人を愛し、キリストの福音を伝えた篤い思いを心に刻み、私どもも北陸伝道の志を新たにしたいのです。
ウィン宣教師は説教原稿を英語で記しました。しかし、説教される時は、日本人一人一人の魂に向かって、日本語で福音を届けました。日本語を通して福音の調べを奏でました。ここに日本伝道、北陸伝道の大切な要、勘所があります。
②教会創立144周年の記念礼拝に与えられた御言葉は、聖霊が主イエスの弟子たちの群れに注がれ、教会が誕生した出来事です。教会は生まれてすぐに、世界中の国の言葉で福音を語り出しました。このことが、とても重要なことです。教会は誕生して、自分たちだけで礼拝することに満足する、内向きな交わりをしませんでした。外に向かって伝道を始めました。生まれたばかりの小さな教会の群れに、世界伝道の幻が、聖霊によって与えられていました。聖霊降臨の出来事、教会誕生の出来事を、このように綴っています。
「五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした」。
主イエスの弟子たちを始め120人程の人々は、同じ場所で祈りを捧げていました。そこに天から聖霊が注がれました。聖霊は神の風です。神の息です。神の息が注がれた時に、弟子たちの頭の上に、炎のような舌が現れました。舌は言葉を語るところです。弟子たちに聖霊が注がれたということは、弟子たちに神から言葉が与えられたということです。その時、弟子たちは「他国の言葉」で語り出しました。
不思議なことです。主イエスの弟子たちはユダヤ人です。母国語はヘブライ語です。しかし、聖霊が注がれた時に、母国語で言葉を語り出したのではなく、「他国の言葉」で語り出したのです。何故なのでしょうか。
ユダヤ人は国を何度も滅ぼされ、世界中に離散していました。二世、三世はそれぞれ生まれ育った国の言葉を母国語としていました。そのような外国で生まれ育ったユダヤ人が、一年に三度、ユダヤの三大祭には、エルサレムに集い、祈りを捧げました。その三大祭の一つが、五旬祭でした。「五旬祭」という言葉は「五十日目」という意味です。これを「ペンテコステ」と呼んでいました。この日は小麦の収穫の祭でした。同時に、モーセがシナイ山で、神から十戒を授けられたことを記念する日でもありました。ユダヤ人の信仰の中心にある「十戒」が与えられた記念日でもあったのです。
諸外国で生まれ育ち、様々な国の言葉を母国語とするユダヤ人たちが、五旬祭を祝うために、エルサレムにやって来た。その時、聖霊が弟子たちに降る出来事が起こった。弟子たちは神から言葉を与えられ、他国の言葉を語り出しました。そこにいた人々は驚いたことでしょう。弟子たちが一斉に、他国の言葉で語り出したからです。
2.①その時の人々の驚きを、このように綴っています。
「さて、エルサレムには天下のあらゆる国出身の信仰のあつい人々が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、誰もが、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられた。人々は驚き怪しんで言った。『見ろ、話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてそれぞれが生まれ故郷の言葉を聞くのだろうか』」。
ここで繰り返されている言葉があります。「自分の故郷の言葉」「生まれ故郷の言葉」です。聖霊が注がれた時、弟子たちは福音を、それぞれの生まれ故郷の言葉で語り出しました。ユダヤ人が離散して、それぞれ生まれ育った国の言葉で、福音を語り出しました。どのような国の言葉で福音を語り出したのかが、そこに綴られています。
「パルティア、メディア、エラム、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、リビア、ローマ、クレタ、アラビア」。
私どもには馴染みのない地名かもしれませんが、当時の地中海を中心とする世界の諸国です。
ここで注意すべきことがあります。聖霊に満たされて、弟子たちは他国の言葉で、福音を語り出しました。しかし、一人一人がばらばらに福音を語り出したのではありません。そこにいた人々は驚きました。
「彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。
「神の偉大な業」という一つの福音を、それぞれの生まれ故郷の言葉で聴いたのです。「神の偉大な業」という一つの福音とは何でしょうか。この後、ペトロが11人の弟子たちと共に立ち上がり、説教をしました。教会が誕生した日に行われた最初の説教です。その説教の結びはこういう言葉でした。
「だから、イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主、またメシアとなさったのです」。
「神の偉大な業」とは、神が御子、主イエスに行われた偉大な業です。主イエスが十字架につけられたこと。そして三日目に神は主イエスを甦られせ、私どもの主、救い主としてお立てになられたことです。主イエスの十字架と甦りの出来事という神の偉大な業を、私どもへの福音、喜びの知らせとして、教会がそれぞれの故郷の言葉で語り出したのです。教会は今日に至るまで2千年間、ひたすらこの一つの福音を、それぞれの故郷の言葉で語り伝えて来たのです。私どもは今、故郷の言葉、日本語で福音を聴くことが出来るのです。何と幸いなことでしょうか。
②先々週の月曜から水曜日、八王子・大学セミナーハウスで、説教シンポジウムが行われました。私ども伝道者の説教の導き手でありました加藤常昭先生が逝去され、一年が経ちました。加藤先生が立ち上げた説教塾が、八王子・大学セミナーハウスで設立してから38年を迎えました。加藤先生が遺された膨大な説教学の著作から、七つの主題を挙げて、発表し、語り合う時を持ちました。私もその一つの主題を発表しました。
私が加藤先生の著作の中で、繰り返し立ち戻って読む著作があります。『日本の説教者たち』です。植村正久、宮川経輝、海老名弾正、山室軍平、髙倉徳太郎の日本を代表する5名の伝道者の説教の特色を分析し、日本伝道の課題とは何かを綴った書物です。植村正久牧師は、説教とは生ける主イエス・キリストを真っ正面から、気合いを入れて紹介することにあると、若い伝道者に向かって語りました。そのことを紹介しつつ、加藤先生はこう語られます。
「キリストを紹介するということは、キリストの通訳者・翻訳者となることである。福音の内容そのものが一種の翻訳的過程を経て、日本人のものとならねばならない。植村は、この翻訳された福音、日本語化された福音が、自由自在の日本語によって独自の表現を得べきだと考えたことは確かである」。
私どもが北陸に生きる人々に、生ける主イエス・キリストを伝える、紹介する。その時、私ども一人一人が、キリストの通訳者、翻訳者となって、故郷の言葉・日本語でキリストを伝えるのです。そのために、私どもの先輩伝道者が、どのような日本語で、キリストを紹介したのかを学ぶことが大切です。
3.①2012年、キリスト教本屋大賞を受賞した本に、大船渡カトリック教会の信徒である山浦玄嗣(はるつぐ)さんの『ガリラヤのイェシュー』があります。「イエス」をガリラヤ訛りで言うと、「イェシュー」となります。福音書を岩手県の気仙地方の言葉で翻訳したものです。更に、福音書の登場する様々な人物を、北は津軽から南は薩摩まで、各地の故郷の言葉で語らせています。この本の序文を、カトリック仙台教区の平賀徹夫司教が綴っています。とても素敵な紹介文です。
「『ふるさとの仲間に敬愛するヤソのことを伝えたい』との並々ならぬ思いに衝き動かされて山浦氏は、頭ではひととおりの理解はできるというだけの言葉ではなく、ふるさとのことばこそ『ヤソの言葉を腹の奥までも響かせる力強いことば』であるとし、ケセン語に翻訳して提供するという前代未聞の試みを刊行したのでした。・・人がキリストの福音を福音として受け止めることができ、そしてそれが他者に伝わっていくことにもなっていくのは、頭だけでなく腹の奥底で味わうことができ、そしてその宝を心から、腹の底から溢れてくる自分のことばで表現することができて初めて可能となるのでしょう。・・自分のふるさとがどこであろうとも、人はそれぞれ腹にストンと落ちる自分のことばでもって聖書に関わっていくことができること、こうして福音が文字通りどのような人にも向けられている普遍的な『よいたより』であることの一つの証明ともなっていくようです」。
ヤソの言葉が、頭でひととおり理解できる言葉に留まるのではなく、自分のふるさとのことばで、腹の奥底までも響かせる言葉となる。腹の奥底にストンと落ちる言葉となる。言い換えれば、キリストの言葉が、私どもの生活の言葉となることです。私どもの生活を導く言葉となることです。その時、キリストの言葉が「よいたより」となって、一人一人の魂に響き、生活に響く言葉となるのです。
山浦玄嗣(はるつぐ)さんの『ガリラヤのイェシュー』の中で、ヨハネ福音書20章19節以下、甦られた主イエスが内側から鍵を掛け、家に閉じこもっていた弟子たちを訪ねた場面があります。このように訳しています。
「その日、つまり日曜日の夕方、弟子たちはユダヤ人の頭たちを恐れて、宿にしている家の戸という戸を閉(た)てて、厳重に戸締りをしていた。それなのに、イェシューさまがスイッと入って来なさった。そして、皆の真中に立って、言いなさった。
『やいがどォ(親しき者らよ)、心静がにな!』。
こう言ってから、皆に両手と脇をお見せなさった。弟子たちは旦那さまを見て、これは夢かとばかり踊り跳ねて喜んだ。そこでイェシューさまはまたも言いなさった。
『やいがどォ、心静がにな!父様(とどさまあ)が俺(おれあど)をお遣わしなさったように、俺(おれあど)もお前達(めあだぢ)を遣わすぞ!』。
こう言ってから、皆にフーッと息を吹きかけなさった。そして言いなさるには、
『尊(たっと)い息(いぎ)を受げ申(も)せ!
お前達(めあだぢ)が人を赦すなら、
人はその過ぢがら解放(はな)される。
お前達(めあだぢ)が人を赦さざら、人はその過ぢに縛られる』」。
②本日は金沢教会創立144周年記念礼拝です。同時に、ウィン宣教師召天記念礼拝でもあります。午後、ウィン宣教師墓前祈祷会が行われます。ウィン宣教師、イライザ婦人は北陸金沢に遣わされ、この地で、福音の種を蒔き続けました。19年間北陸伝道に献身されました。その後、大阪に行かれ、伝道をされ、更に、満州に赴き、伝道をされました。そして隠退をされ、アメリカに帰国されました。しかし、ウィン宣教師の使命はそれで終わりませんでした。甦られた主イエスから新たな伝道の幻を与えられました。ウィン宣教師はこう綴っています。
「しかし、私の心はやはり日本にあった。それでどうしても日本に来ねばならないと思い、青年の時におのが生涯を日本に捧げようと覚悟した通りに、生命のある限りは日本におらねばならぬと考えて、昨年6月また来朝した。この国にある間は、私は不肖ながら日本のために救いの道を宣伝したい。少数の者のためにでもよいから伝道したい。
この志は終始かわらないのである。私は日本を愛している。どうか私の宣べ伝えたことを研究し信じていただきたい。これが私の願いである」。
ウィン宣教師の一貫した召命は日本伝道、北陸伝道にありました。ウィン宣教師が再来日されたのは、78歳の時でした。翌年、金沢に来られました。驚くべくことです。日本の地に、北陸に、骨を埋めるために来られたのです。
1932年(昭和7年)2月8日の主の日、その日は吹雪の寒い朝でした。ウィン宣教師はその日の礼拝説教者として、会堂の最前列の椅子に着席していました。会衆と共に讃美歌を歌い、司式者が聖書を朗読し、祈りを捧げていた時に、ウィン宣教師は倒れました。そのまま息を引き取られました。手にはその日の説教原稿が握り締められていました。説教題は「イエスの奇跡」、聖書はヨハネ福音書20章30~31節。ヨハネ福音書の結びの言葉です。
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じて、イエスの名によって命を得るためである」。
翌週の主の日、ウィン宣教師の英語の説教原稿が、日本語に翻訳されて、代読されました。その説教の結びは、こういう言葉で結ばれています。ウィン宣教師の日本伝道、北陸伝道への祈りが込められています。将に、ウィン宣教師の遺言の言葉です。
「なにゆえ、私が今朝この説教をいたすか。それは私はこの説教を聴いて誰でもイエスを信じ、限りなき生命を受けなさるお方があるならば、どんなに嬉しかろうかと思うからである。私はここにイエスを救い主と信じなさるお方があると信ずる。そのお方にお勧めする。あなた方の今なすべきことはイエスにあなた御自身を捧げ、そして主に救いを祈ることである。しからばヨハネの言葉が真理であることを経験されるのである。私が経験しているように、あなた方も同じ経験をせられるように願ってやまぬ。主御自身が語られたお言葉の中に、『我に従う者は・・生命の光を得べし』ということがある。この光をうけた人の心は照らされる。そして限りなき生命に入るのである。
信じている人はこの肉眼で美しい景色を見るように、心眼で限りなき生命を見ることができる。『生命を光を得べし』とあるが、あなた方はこの生命の光を有しておられるかどうか。何とぞ、ヨハネの言葉をお受け下さい。そして主イエスをお信じなさい。これは私の衷心からの願いである」。
北陸の地に生きる一人一人の魂に、福音を届けるために、ウィン宣教師は英語の説教原稿を日本語に翻訳し、キリストの通訳者として、生ける主イエス・キリストを紹介して下さったのです。
③聖霊降臨の日、教会が誕生した日に起きた出来事。それは福音を自分たちの故郷の言葉で語り、聴くことでした。しかも福音が、腹の奥底にストンと落ちて、腹の底まで響く言葉となることです。私どもの生活の言葉となることです。そのために、私ども一人一人がキリストの通訳者となって立てられ、教会に召されているのです。私どもの生活を通して、キリストがここに生きておられることを証しするのです。
金沢教会創立144周年を迎え、信仰の先達に倣って、私どももキリストを証しする主の群れとして、後に続いて行くのです。
お祈りいたします。
「主よ、あなたがこの北陸の地に、キリストの使者として、ウィン宣教師、イライザ婦人を遣わして下さいました。多くの伝道者、長老、信徒を信仰の先達として、この教会に召して下さいました。教会創立144周年の歩みは決して平坦ではありませんでした。いつの時代も逆風が吹いていました。荒波が襲いかかっていました。しかし、甦られた主イエス・キリストは生きておられ、私どもの先頭に立って導いて下さることを信じて、一足また一足歩んで来ました。どうか私どもも志しを新たにし、主に従う群れとして用いて下さい。新たに主に従う者を起こして下さい。
この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。