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「自分の足で立て」

エゼキエル書2:1~9
使徒言行録26:12~18

主日礼拝

井ノ川勝

2024年5月26日

00:00 / 35:10

1.①画家ミレーの絵は、皆さんもよく知っていることと思われます。貧しい農民の絵を描いた画家です。貧しい農民にこそ、美があると信じたからです。皆さんがよく知っている絵は、「落ち穂拾い」と「晩鐘」です。「落ち穂拾い」は、旧約聖書のルツ記を題材として描かれました。実は、「落ち穂拾い」と「晩鐘」の間に、ミレーはもう一枚の絵を描いています。「ひとり歩き」という絵です。農家の庭での日常生活の一齣を描いた作品です。お母さんが幼いわが子の後ろから、屈んで両手でわが子を掴んでいます。わが子が今、ひとりで歩き出そうとしています。幼子の前には、お父さんが両手を広げて、ここまでおいでと招いています。今まではいはいしていたわが子がひとりで立ち上がる。更に、ひとりで歩き始める。これは感動的な場面です。いつまでも忘れられない光景です。

 幼いわが子がひとりで歩き始めようとする時、お母さんはわが子を支えていた手を離さなければなりません。それは勇気のいることです。転んだらどうしようと不安になります。心配が先立ちます。不安が広がると、わが子から手を離すことが出来なくなります。幼子も不安です。今までお母さんにしっかりと抱かれていた手を離れて、自分の力で一歩を踏み出さなければなりません。しかし、目の前に両手を広げて、ここまでおいでと招いているお父さんがいる。もし転んだら、お父さんが駆け寄って来て、大きな懐で抱きしめてくれる。そのことを信じて、一歩を踏み出すのです。

 様々な思いが交錯している場面を描いたミレーの作品は、両手を広げたお父さんが、大きく描かれています。遠近法を用いたのだと思われますが、それだけではないと思います。ミレーは両手を広げて、ここまでおいでと招いているお父さんの姿に、父なる神さまの姿と重ね合わせていると言えます。

 

以前、北陸学院大学の学長をされていた三浦正先生がおられました。専門はキリスト教教育です。私も神学生の時、講義を受けました。私が伊勢の教会・幼稚園で伝道していた時、三浦正先生に来ていただき、教会員、幼稚園の父母に、教育講演会の講演をしていただきました。講演の結びでこう語られました。

「将来、教師となる学生に向かって、私はいつも同じことを語る。それは、皆さんが向き合う生徒は必ず、ひとりで歩けるのだ、という希望と確信をもって教育に携わってほしい。それは、お母さん、お父さんが、わが子を支えていた手を離して、わが子にひとり歩きをさせることと同じである。親もまた、わが子は必ずひとりで歩けると希望と確信をもって、わが子を支えていた手を離すのである。

 それはキリスト教教育の視点で言えば、この生徒、わが子には、神から与えられた賜物、力が備わっていることを信じ、神さまの御手に信じて委ねることでもあるのです」。

 教育が目指すもの。それは自分の足で立つ人間を造り出すことです。自立した人間を造り出すことです。それでは自立した人間とはどのような人間なのでしょうか。親から独立して、自分で働き、自分で生計を立てるようになる。経済的な自立だけを意味しているのでしょうか。精神的に自立した人間となることを目指しているのでしょうか。聖書を通し、神は私どもに語りかけます。「自分の足で立て」。それはどのような意味が込められているのでしょうか。

 

2.①この朝、私どもが聴いた御言葉は、使徒言行録26章の御言葉です。伝道者パウロが、甦られた主イエス・キリストとお会いした時のことを語った御言葉です。伝道者パウロは元々は、熱烈なユダヤ教徒として、十字架につけられた、殺されたあの弱々しくみすぼらしいイエスを救い主と信じている、キリスト者たちを迫害しました。キリスト教会が最も恐れていた敵であったのです。ところが、そのパウロに、甦られた主イエス・キリストが現れた。そのことを通して、パウロは回心し、キリストを世界のあらゆる民族に伝える伝道者とされました。

 この使徒言行録では「パウロの回心」の出来事が三度語られています。その三回目がこの26章の御言葉です。パウロは捕らえられ、ローマの総督フェストゥスとユダヤの王アグリッパの前で、弁明しました。その中で自らの回心の出来事を語っています。この三回目の回心の出来事の語りには、一回目、二回目の回心の出来事の語りと比べ、これまで語られていなかった言葉が語られています。それが「自分の足で立て」です。甦られた主イエスが語られた言葉です。

 パウロは、隣の国まで逃げ去ったキリスト者たちを追いかけて、ダマスコまでやって来ました。その時、天から光が射し込み、パウロは地に倒れました。甦られた主イエスはパウロに語りかけました。

「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」。

パウロは答えました。「主よ、あなたはだれなのですか」。

甦られた主イエスは語られます。

「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がれ。自分の足で立て」。

 「自分の足で立て」。考えて見れば、不思議な言葉です。甦られた主イエスと出会う前、パウロは自らを誇り、誰よりも自分の足で立っていると誇っていたのです。こう語っていました。

「肉を誇おうと思えば、わたしは誰に負けない。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」(フィリピ3章4~6節)。

 フィリピの信徒への手紙に記されたパウロの履歴書です。今日の言葉に言い換えれば、家柄においても、出身校においても、職業においても、業績においても、社会的地位においても、全ての面において、超一流であった。わたしは自分の才能と力で、自分の足で立って来た。自立した人間の先頭に立って来た。

 ところが、甦られた主イエスと出会うことにより、パウロが誇りとしていたこれらのものは、ことごとく打ち倒されました。パウロも自ら語っています。誇りとしていたこれら全てのものが塵芥と見なすようになった。それでは、甦られた主イエスの前で打ち倒されたパウロに向かって語られた主イエスの言葉、「自分の足で立て」。この主イエスの言葉には、一体どのような意味が込められていたのでしょうか。それはもはや自分の才能、力で立てという意味ではありません。

 

「自分の足で立て」。実はこの言葉は、旧約聖書のエゼキエル書2章にも、語られている言葉です。神はエゼキエルを神の言葉を語る預言者として召し出す時に語られました。「人の子よ、自分の足で立て」。

 神が語られた時、神の霊がエゼキエルの中に注がれ、わたしを自分の足で立たせたのでした。更に、神は語られました。「口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい」。すると見よ、神の御手が差し伸べられ、その手に巻物があった。神はわたしの前で巻物を開かれた。その巻物の表にも裏にも文字が記されていた。その文字は哀歌と、呻きと、嘆きの言葉に満ちていた。巻物に記された文字、それは神の言葉でした。

 神は語られました。「人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ」。エゼキエルが神の言葉を食べると、それは蜜のように甘かった。

 「自分の足で立て」。それは神の霊と神の言葉によって立てということです。神から託された使命に立ちなさいということです。神から召し出された者が、新しい使命に生きる時に語られる神の言葉です。「自分の足で立て」。

 英語の辞書を開いて、心捕らえる言葉があります。コーリング(calling)という言葉です。「呼ぶ」という意味から生まれました。神が呼びかけるという意味です。そこから「天職」、神が授けて下さった職業という言葉が生まれました。神の呼びかけに応えて生きる。それがコーリングです。それこそが、神の呼びかけに応えて、「自分の足で立つ」ことです。神の霊と神の言葉によって、新しい存在として立つことです。

 パウロは甦られた主イエスと出会った時に、「キリストの内に自分が見出された」とフィリピ書で語っています。キリストの内に真実の自分が発見された。キリストの内に、わたしは真実のわたしを生きることが出来る。それが「自分の足で立つ」ことです。

 伝道者パウロが自らの回心を語った使徒言行録26章の御言葉で、一回目、二回目の回心の語りにはなかった言葉がもう一つ語られています。甦られた主イエスの言葉です。

「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。『とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う』」。

 「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」。これはギリシャの格言と言われています。元々は、畑を耕す時に、牛に軛をはめる。牛はそれを嫌がって、真っ直ぐに歩こうとしない。牛が真っ直ぐに歩くために、足もとにとげの付いた棒を置いておいた、それを蹴ると怪我をする。この格言を主イエスが用いられた時、こういう意味となりました。神の呼びかけ、神の召しを拒むことは出来ない。たとい自分の思いと反することであったとしても、神の召しに捕らえられ、神の召しに促されて、神の召しに応えて、自分の足で立って歩き始めるようになる。

 

3.①日本のプロテスタント教会の代表的な伝道者に、内村鑑三がいました。内村鑑三の晩年の顔は、日本の預言者の顔をしていたと言われています。高校の日本史に必ず記される事件があります。不敬事件。教育勅語が拝読されている時に拝礼せず、第一高等学校を免職になった。内村鑑三の研究書はたくさん書かれています。その中で最も小さな研究書であるのは、キリスト者であり哲学者であった森有正が書いた『内村鑑三』という本です。1953年(昭和28年)に出版された書物です。小さな本ですが、内村鑑三の信仰を言い当てている書物です。森有正は『植村正久』という書物も書きたかったようです。植村正久も内村と並ぶ代表的な伝道者でした。東京神学大学の初代校長、富士見町教会の牧師でした。内村と植村に共通する信仰を見ていたと言えます。それは何か。森有正はひと言で語ります。

「全能の神の前に責任を負う霊魂」。

 神が与えられた「十戒」があります。今日も礼拝で唱えました。その第一戒がとても重要です。文語訳聖書ではこう訳されていました。

「汝、わが面の前に、我のほか何物をも神とすべからず」。

「わが顔の前に」、「神の面前で」という意味です。ラテン語で「コーラム・デオ」と言います。神の面前で生きる。この信仰を重んじたのが、スイスのジュネーヴで宗教改革をしたカルヴァンです。そしてこの「神の面前で」を大切にして北陸伝道をしたのが、トマス・ウィン宣教師でした。この信仰から生まれたのが、金沢教会、北陸学院です。

 内村鑑三も植村正久も、「全能の神の前に責任を負う霊魂」に生きた。甦られた主イエスの呼びかけ、神のコーリング、神の召しに応えて、神の面前で責任を負う霊魂として生きた。それこそが「自分の足で立つ」ことです。神の面前で自立した人間として生きることです。神に立てられた個として生きることです。キリストの心を心とし、周りの意見、社会的な風潮に流されず、神から託されたわたしを生きることです。

 

ここでもう一つのことを心に留めたいと願います。神がエゼキエルを預言者として召し出した時に、神は語られました。「自分の足で立て」。神はエゼキエルに、神のまなざしを通して、今、あなたがたが直面している厳しい現実を見せました。谷間に、枯れた骨がたくさん横たわっていました。生気を全く失い、枯れた骨のように死んで横たわっている。それが神の民の現実の姿であったのです。肉眼では見えない現実です。神のまなざし、霊のまなざしを通してしか見えない現実です。エゼキエル書37章の御言葉です。神はエゼキエルに、わたしがあなたに託した御言葉を語りなさいと命じられます。

「霊よ、四方から吹き来たれ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る」。エゼキエルは御言葉を語りました。すると、神の霊が枯れた骨の中に入り、彼らは生き返って自分の足で立ちました。彼らは非常に大きな集団として立ち上がりました。

 自分の足で立て。それは神の面前で、神の呼びかけに応えて、個として立つことです。しかし同時に、自分の足で立つことは、ひとり孤独な中で立つことではありません。神の民の集団、群れの中で、自分の足で立つことです。神の民の群れ、それは今日で言えば、教会の群れです。

 パウロは甦られた主イエスと出会い、これまでの自分を打ち倒されました。しかし、甦られた主イエスは語られました。「自分の足で立て」。自分の足で立ったパウロはどうしたかと言うと、最大の敵、教会の群れの中に加えられ、教会の群れの中で自分の足で立つものとされたのです。教会の群れに支えられ、祈られて、伝道者として神の呼びかけに応え、自分の足で立ち、生けるキリストを伝える者とされたのです。

 

4.①先週の21日、22日と、中部教区総会が金沢教会で開催されました。北陸三県、東海三県の教会から伝道者、信徒の総会議員200名が集い、2日間、教会会議が行われました。今回の教区総会の中心議題は、元旦に起こりました能登半島地震で被災された輪島教会、七尾教会、羽咋教会、富来伝道所、その関連幼稚園の被災状況を聞き、祈りを合わせることでした。一つ一つの教会が大きな被害を受けただけでなく、教会に連なる一人一人の家も大きな被害を受け、一人一人の体も心も打ち倒される被害を受けました。礼拝する群れの数も一層少なくなりました。そのような中で、金沢教会の礼拝堂に、主から呼び集められ、礼拝堂に響き渡る大きな声で讃美歌が歌われました。神の民の群れの中で立ち上がり、神を賛美した時に、改めて自分はひとりで立っているのではないことを実感した。神の民の群れに祈られ、執り成されて、神に召された被災教会に立つことが出来る、新たな召しを与えられた。被災された伝道者一人一人が語られました。

 主の群れに向かって、甦られた主イエスは語られます。「自分の足で立て」。何故、主の群れ・教会はそれぞれの地域で立ち続けなければならないのでしょうか。生気を失い、枯れた骨となって横たわっている現実があるからです。甦られた主イエスはパウロに語り、新しい召しを与えられました。それは主の群れ・教会である私どもに語られている使命でもあります。

「起き上がれ。自分の足で立て。わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせるためである」。

 

先週の24日の金曜日、私は北陸学院扇が丘幼稚園の礼拝で、初めて御言葉を語る機会が与えられました。伊勢の幼稚園で園児に御言葉を語って以来、10年ぶりのことです。とても緊張して、1時間前に幼稚園を訪ねて、園庭で遊んでいる園児たちの様子を見ました。この園児一人一人に御言葉を語るのだと、心に刻みました。幼稚園の園児に御言葉を語る。こんなに幸いなことはありません。久しぶりに、園児と共に讃美歌を歌いながら、伊勢の幼稚園で園児と共に歌った歌を思い出しました。新沢としひこさんの「はじめの一歩」です。

 新沢さんは御自身、保育園の保育者でもありましたので、幼稚園、保育園で園児が歌う歌をいっぱい作詞、作曲されています。父君がキリスト教保育連盟の副会長をされ、研修会で講演を伺ったことがありました。私が伊勢の幼稚園の園長をしていた時に、伊勢私立幼稚園協会創立40周年を迎え、新沢としひこさんのコンサートを行いました。「はじめの一歩」は、このような歌詞です。

「信じることを 忘れちゃいけない。必ず朝は訪れるから。

ぼくらの夢を なくしちゃいけない。きっと いつかは かなうはずだよ。

はじめの一歩、明日に一歩。今日から何もかもが、新しい。

はじめの一歩、明日に一歩。

生まれ変わって、大きく、一歩、歩き出せ。

はじめの一歩、明日に一歩。

勇気をもって、大きく、一歩、歩き出せ」。

私はこの歌を口ずさむ時、このような思いで歌います。「キリストにあって自分の足で立ち、キリストにあって、主の群と共に、はじめの一歩を歩き出せ」。

 

お祈りいたします。

「甦られた主イエスは今、私どもに向かって呼びかけておられます。自分の足で立て。主から新たな召しを与えられ、その召しに応えて、私ども一人一人を立たせて下さい。私ども一人一人に新たな使命を与えて、遣わして下さい。生気を失い、枯れた骨に化している世界に向かって、神のいのちの霊よ、吹き来たれ。彼らを生き返らせ、立ち上がらせて下さいと、執り成し祈り、いのちの御言葉を語らせて下さい。

 この祈り、私どもの主イエス・キリストの御名により、御前にお捧げいたします。アーメン」。

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