1.アブラハム物語
(1)創世記12章から「アブラハム物語」が始まります。アブラハムは12章で突然、登場しているのではありません。前史があります。それをまず見てみましょう。1~11章の「天地創造物語」において、4つの系図が記されています。5章が「アダムの系図」です。「アダム」は人間、人類という意味です。従って、「人類の系図」とも言えます。アダム、セト、エノシュ、ケナン、マハラルエル、イエレド、エノク、メトシェラ、レメク、ノアです。アダムから9代目がノアです。6章から「ノアの箱舟物語」が始まりました。その結びの10章に、「ノアの系図」が記されています。ノアの息子はセム、ハム、ヤフェトです。系図の結び32節にこう記されています。「以上が、国ごとの系図によるノアの息子の氏族である。洪水の後、地上の諸国民は彼らから別れ出た」。「ノアの系図」は「諸民族の系図」です。「ヤフェト」はインド、ヨーロッパの諸民族に、「ハム」はカナン、アフリカの諸民族に、「セム」はイスラエル、アラブの諸民族に分かれます。11章10節以下で「セムの系図」が記されます。セムの8代目がテラです。26節「テラは70歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランをもうけた」。ここに「アブラム」が登場します。27節以下で「テラの系図」が記されます。31節「テラは自分の息子アブラム、ハランの息子で自分の孫であるロト、息子アブラムの妻である嫁のサライを連れてカルデアのウルを出発し、カンの地に向かった。彼らはハランまで来て、そこに住んだ。テラの生涯は250年であった。テラはハランで死んだ」。そして12章から「アブラハム物語」が始まります。
(2)アブラハムはイスラエル民族の祖先、信仰の父と呼ばれています。アブラハムは私ども日本人とどのように関わるのか。「アブラハム物語」が「私どもの物語」と言えるのか。新約聖書のヘブライ人への手紙はキリスト者への手紙です。キリスト者は「ヘブライ人」、「地上を旅する者」と呼ばれていました。11章1節「信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。昔の人たちは信仰のゆえに称賛されました」。8節「信仰によって、アブラハムは、自分が受け継ぐことになる土地に出て行くように召されたとき、これに従い、行く先を知らずに出て行きました」。13節「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束のものは手にしませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声を上げ、自分たちが地上ではよそ者(旅人)であり、滞在者(寄留者)であることを告白したのです。彼らはこのように言うことで、自分の故郷を求めていることを表明したのです」。アブラハムは私どもキリスト者の信仰の父であり、天の故郷を目指して地上を旅する神の民の信仰の父である。
森有正は敗戦後いち早くパリ大学に留学しました。自らをアブラハムと重ね合わせ、アブラハムの信仰に生きました。信仰は冒険であると語りました。神は私どもの思いを遙かに超えて思い掛けない仕方で、私どもの人生を方向付ける。冒険は神の召しである。12章1~9節は「アブラハムの召命」です。
2.アブラハムの召命
(1)12章はこの御言葉から始まります。「主はアブラムに言われた」。主の言葉、呼びかけから始まります。「あなたは生まれた地と親族、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい」。直訳するとこうなります。「行け。あなたの地から、あなたの親族から、あなたの父の家から、わたしがあなたに見せようとしている地へ」。故郷、親族、父の家は、自分の人格、人生の土台を築いた地です。離れがたい地です。しかし、主はそこを離れ、私が示す地へ行けと命じられます。神の召しです。自分の知らない地へ旅立つのです。恐れと不安が溢れます。しかし、主が行きなさいと命じられれば、旅立つのです。
2節「私はあなたを大いなる国民とし、祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福の基となる。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う人を私は呪う。地上のすべての氏族は、あなたによって祝福される」。何故、主はアブラムを召したのか。イスラエル民族だけを祝福するのではなく、全ての民族の「祝福の基」となるためです。地上のすべての民族は、アブラムによって祝福されるのです。ここに「祝福」という言葉が5回用いられています。創世記1~11章の「天地創造物語」で、神はご自分が造られた天地万物をご覧になり、「極めて良かった」(1・31)と言われました。神は天地万物を祝福されました。ところが、神が創造された人間の罪により、天地万物は呪われた世界になりました。3章14節、17節、4章11節、5章29節、9章25節。「呪われた」という言葉が5回用いられています。呪われた世界を祝福された世界とするために、全民族の「祝福の基」として、アブラハムが選ばれました。全ての民族の出発点がここにあります。
(2)4節「アブラムは主が告げられたとおりに出かけて行った。ロトも一緒に行った。アブラムはハランを出たとき75歳であった」。「あなたは生まれた地と親族、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい」。主の召しに、アブラムは応え、旅立ちました。アブラムの心の中での葛藤は一切記されていません。確かなことは、主の召しに、アブラムは従ったということです。アブラムがハランを旅立ったのは、75歳でした。人生において新しいことを始めることを諦めてしまっている年齢です。もう何も新しいことはない、と諦めてしまっている年齢です。しかし、主は年齢に関係なく、召されるのです。新しい地へ、新しい業へと召されるのです。
5節「アブラムは妻のサライと甥ロトを連れ、蓄えた財産とハランで加えた人々を伴い、カナンの地に向けて出発し、カナンの地に入った」。アブラムは2度旅立ちました。一度目は、父に伴われ、カルデアのウルからハランへ。しかし、そこが最終地点ではありませんでした。主の召しを受け、妻サライ、甥のロロと共に、カナンの地へ旅立ちました。
6節「アブラムはその地を通って、シェケムという所、モレの樫の木まで来た。その頃、その地にはカナン人が住んでいた」。7節「主はアブラムに現れて言われた。『私はあなたの子孫にこの地を与える』。アブラムは、自分に現れた主のために、そこに祭壇を築いた」。
主はアブラムに再び現れ、語りかけます。「私はあなたの子孫にこの地を与える」。カナンの地を与える約束をされました。アブラムはシェケムに祭壇を築きました。ヨシュア記4章で、ヨシュアに導かれたイスラエルの民が、ヨルダン川を渡り、約束の地に足を踏み入れた時、12部族ごとに記念の石を建てました。シュケムの石と呼ばれています。
8節「それからベテルの東の山地へと移り、そこに天幕を張った。西にベテル、東にアイがあった。彼はそこに主のための祭壇を築き、主の名を呼んだ」。
アブラムは更にベテルに移り、そこでも主のために祭壇を築きます。そこで初めて「主の名を呼び」ます。アブラム一族の出身地カルデアのウルは、古代メソポタミア文明が栄えた地で、月神信仰に生きていました。そのような信仰に育ったアブラムが、ご自分に呼びかけ、召して下さった主の名を呼ぶようになります。シュケム、ベテルは主を礼拝する祭壇が築かれた古い聖所となりました。
9節「アブラムはさらに度を続け、ネゲブへと移った」。
アブラムの旅は終わりません。更にネゲブへ移ります。主が与えると約束されたカナンの地を、北から南へと旅をしました。
3.呪いから祝福へ
(1)主は人間の罪により呪われた世界を祝福された世界にするために、全民族の「祝福の基」としてアブラハムを選ばれ、召されました。アブラハムの「祝福の基」は、主イエス・キリストの十字架の出来事で起こりました。ガラテヤの信徒への手紙3章6節。「それは、『アブラハムは主を信じた。それが彼の義と認められた』と言われているとおりです。ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子孫であるとわきまえなさい。聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを見越して、『すべての異邦人があなたによって祝福される』という福音をアブラハムに予告しました。それで、信仰による人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されるのです」。
13節「キリストは、私たちのために呪いとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木に掛けられた者は皆、呪われている』と書いてあるからです。それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、私たちが、約束された霊を信仰によって受けるためでした」。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 6月24日の祈り 詩編123・2
「主よ、われらの神よ、われらは心を高くあなたに向かってあげます。あなたはすべての困窮の中にあってわれらの助けなのです。あなたは苦しい時にもわれらに多くの善いことをしてくださいます。それゆえにわれらは、数多くのものの中にあってみ光を見、み助けを見ることがゆるされています。われらはこれらの数多くのものを、全能の神であるあなたによって、になわなければなりません。あなたは最後の助けを与えてくださり、われらの時代はあなたによって光あるものとなるのです。それゆえにわれらの心に与えられたみことばを祝し、われらのすべての道においてわれらを助け、われらがすることをゆるされているすべてのことにおいて、大いなる恵みによって与えられたままに、あなたに仕えることができるようにしてください。アーメン」。
