1.女奴隷ハガルの逃亡
(1)「アブラハム物語」は私どもの信仰生活に関し、様々な示唆を与えてくれます。その意味でも、アブラハムは私どもの信仰の父です。「アブラハム物語」は主なる神のアブラハムへの祝福の約束から始まりました。「私はあなたを大いなる国民とし、祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福の基となる。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う人を私は呪う。地上のすべての氏族は、あなたによって祝福される」。主なる神がアブラハムに与えた祝福は、具体的には土地が与えられることと、子どもが与えられることでした。ところが、アブラハムと妻サライの間には、子どもが与えられる兆候が全くありませんでした。日に日に老いて行く現実に直面し、神の約束が実現するのかどうか疑いが生じました。
16章はこのような御言葉から始まっています。「アブラムの妻サライには、子どもが生まれなかった」。この御言葉に、アブラハムと妻サライの苦悩が滲み出ています。また、神の約束がなかなか実現せず、神の約束への疑い、焦りが滲み出ています。そこでサライは人間的な手立てで、跡取りを作ろうとしました。
「彼女には、その名をハガルと言うエジプト人の女奴隷がいた」。アブラハムとサライが飢饉のため、エジプトに寄留した時に与えられた、サライに仕え、身の回りの世話をする女奴隷です。
2節「サライはアブラムに言った。『主は私に子どもを授けてくださいません。どうか私の女奴隷のところに入ってください。そうすれば私は彼女によって子どもを持つことができるかもしれません』。アブラムはサライの願いを聞き入れた」。
サライはアブラハムに人間的な手立てで、跡継ぎを設けることを提案し、それを受け入れました。
(2)3節「そこでアブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として差し出した。アブラハムがカナンの地に住んで十年が過ぎた頃のことであった」。
アブラハムが主なる神から新しい地へ旅立ちなさいとの召しを受けたのが、75歳でした。その日から10年が経ったということは、アブラハム85歳、妻75歳でした。
4節「アブラムがハガルのところに入ると、彼女は身ごもった。ところが、身ごもったのが分かると、彼女は女主人を見下した」。
アブラハムと女奴隷ハガルとの間に、跡継ぎが与えられた。そのことによって、女主人サライと女奴隷ハガルとの間が逆転しました。ハガルは女主人サライを見下すようになりました。サライはその不満をアブラハムにぶつけました。
5節「そこでサライはアブラムに言った。『あなたのせいで私はひどい目に遭いました』。あなたに女奴隷を差し出したのはこの私ですのに、彼女は身ごもったのが分かると、私を見下すようになりました。主が私とあなたとの間を裁かれますように」。
6節「アブラムはサライに言った。『女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがよい』。サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライの前から逃げて行った」。
2.あなたはエル・ロイ、私を顧みる神です
(1)7節「すると、主の使いが荒れ野にある泉のほとり、シュルへの道沿いにある泉のほとりで彼女を見つけ、尋ねた。『サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか』」。
ハガルはエジプトとカナンの境でシュルの荒れ野に逃亡します。しかし、その時、主は御使いを通して語りかけました。「サライの女奴隷ハガル」。主は女奴隷ハガルの名を呼ばれます。そして問いかけます。「あなたはどこから来て、どこへ行くのか」。これは主が私どもに問いかける根源的な問いです。「あなたはどこにいるのか」(創世記3・9)。「私は何者か」(出エジプト記3・11)。これらの問いと並ぶ人生の三つの根源的な問いです。
8b節「彼女が、『私は女主人サライの前から逃げているところです。』と答えると、主の使いは言った。『女主人のもとに戻り、そのもとでへりくだって仕えなさい』」。
主の答えは、女奴隷ハガルが女主人の許に帰り、仕えることです。試練と苦しみの場所です。しかし、そこがあなたの生きる場所であると言われるのです。
10節「主の使いはまた言った。『私はあなたの子孫を大いに増やす。それはあまりにも多くて数えきれないほどである』」。
驚くべき言葉です。主はアブラムとサライの子孫だけを祝福するのではありません。女奴隷ハガルの子孫も祝福すると約束されます。誰からも顧みられない女奴隷ハガルを、しかし、主は顧みて下さるのです。
11節「主の使いはさらに言った。『あなたは身ごもっており、やがて男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの苦しみを聞かれたからである。彼は野ろばのように人となり、その手はすべての者に逆らい、すべての者の手は彼に逆らう。彼はすべての兄弟と対立して、暮らすようになる』」。
女奴隷ハガルに与えられる男の子の名は、「イシュマエル」です。「主は聞いてくださる」という意味です。主はどんな苦しみをも聞いて下さる。
(2)13節「ハガルは、自分に語りかけた主の名を、『あなたはエル・ロイです』と呼んだ。『私は見守る方の後ろ姿を見たのでしょうか』と言ったからである」。
「あなたはエル・ロイです」。ハガルの信仰告白です。「わたしを顧みられる神」という意味です。「私は見守る方の後ろ姿を見たのでしょうか」。新共同訳はこのように訳されていました。「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」。荒れ野にただ一人逃亡した身重の女奴隷ハガル。しかし、神はそのような小さな存在を顧みられる神である。神が私を顧みられた後もなお、わたしはここで神を見続けていたではないか。
14節「そこでその井戸は、ベエル・ラハイ・ロイ」となった。主は荒れ野に逃亡したハガルのために、井戸を備えられました。命の水を備えて下さいました。「ベエル・ラハイ・ロイ」「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」。顧みられる神を象徴する井戸となりました。
15節「ハガルはアブラムに男の子を産み、アブラムはハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは86歳であった」。
3.涙の革袋
(1)詩編56編9節の御言葉は、ハガルの涙と重ね合わせることができます。
「あなたは私のさすらいの日々を、数えてくださいました。私の涙をあなたの革袋に蓄えてください。あなたの記録にはそうするよう書かれていませんか」。
神は私どもが流す一粒一粒の涙を、地に落ちて空しく消えてしまうのではなく、革袋に蓄えて下さいます。一粒一粒の涙の意味を記録して下さいます。
ペトロは語ります。ペトロの手紙一5章6~7節。
「ですから、神の力強い御手の下でへりくだりなさい。そうすれば、しかるべき時に神はあなたがたを高くしてくださいます。一切の思い煩いを神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」。
山田教会で牧会していた時、クリスマスに「受洗50年」の方に、記念の聖書を贈りました。そこに記した御言葉は、詩編94編17~19節でした。
「主が私の助けとならなければ、私の魂は危うく沈黙の内に伏していただろう。私が『足がよろめく』と言ったとき、主よ、あなたの慈しみが私を支え、重い患いが私の内を占めたときも、あなたの慰めが私の魂に喜びを与える」。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 7月22日の祈り ルカ22・28~29
「主よ、われらの神よ、われらは感謝します。われらはあなたの子であり、聖霊にのぞみを抱くことをゆるされております。聖霊は、あなたがみもとに引きよせようとしてくださる人間、この地上にあって自分の人生においてもあなたに仕えることをゆるされている人間として、われらを支配します。われらは祈り願います。聖霊がいよいよわれらを支配し、多くの人々に、すべての場所に、善きものが生じるように、われらを幼子のごとくにしてください。そして多くの人々が、自分たちはただ過ぎゆくいのちであるばかりでなく、あなたのうちに生き、行為し、あなたのうちになお善きものを経験することがゆるされていることを知りうるようにしてください。このことは、地上のすべての民の上に起こるべきことなのです。アーメン」。
