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2024年6月5日

「ヘブライ人への手紙を黙想する2~御子は天使たちより優れた者となられました~」

ヘブライ人への手紙1章4~14節

牧師 井ノ川勝

1.御子は天使たちよりも優れた者となり、天使たちの名より優れた名を受け継がれた

(1)前回よりヘブライ人への手紙の黙想を始めています。ヘブライ人への手紙の特徴は結びで、「勧めの言葉」(慰めの言葉)とあるように、説教であったことにあります。説教が慰めの言葉である。それは傍らに呼んで、呼吸させる言葉であるからです。何故、説教を聴く者たちが荒い呼吸をしているのか。教会に連なって生きるキリスト者たちが日々、信仰の戦いをしているからです。信仰の戦いの日々にあって、いつの間にか信仰の姿勢が悪くなり、崩れてしまっていることがあります。自分では気づきません。姿勢が悪くなり、崩れると、呼吸が荒くなります。息苦しくなります。信仰の戦いに臨むためには、呼吸を整え、信仰の姿勢を糾さなければなりません。信仰の足腰をしなやかにする必要があります。そのために、慰めの言葉・説教を聴く必要があったのです。

(2)前回、黙想した1~3節が、説教の序論です。ここでは「御子」という言葉が集中して語られます。御父が私どもに送られた御子はどのようなお方なのか。そのことに集中しています。説教は「御子」に集中する言葉です。御子への信仰が私どもの信仰の姿勢を糾し、足腰をしなやかにするのです。

 本日、4節から朗読しました。4節から本論に入ります。4節が今日の御言葉の主題です。「御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです」。そして5~14節で、この主題を明確にするため、旧約聖書が、主に詩編が、様々に引用されています。しかし、疑問が生じます。私どもは日々の信仰生活で、御子キリストと天使を比べることがあるでしょうか。説教で、御子キリストと天使を比べることがあるでしょうか。何故、このような主題を巡って、丁寧に語るのか。御子キリストと天使は、父なる神と私どもとの間に立って、私どもを執り成す執り成し手、仲保者です。御子キリストこそが、唯一の執り成し手、仲保者であることを明確にするためです。それがこの手紙の主題でもあります。

 これまでヨハネの黙示録を黙想しました。伝道者ヨハネが天使を通して天の幻を見た時、その素晴らしさに、思わず天使の前にひれ伏して、礼拝しようとしました。天使はそれを中断させました。「やめよ。神を礼拝せよ」(19・10、22・9)。天使も神に造られた被造物だからです。しかし、御子は神です。礼拝すべきお方です。その御子が人となり、御父と私どもの間に立って、執り成して下さったのです。

 4節「御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれました」。言い換えれば、御子は天使たちより遙かに力が優っている。天使たちと異なった名を受け継がれている。クリスマスに天使ガブリエルが登場し、終わりの裁きを行うために、大天使ミカエルが登場します。しかし、御子はガブリエルでもミカエルでもなく、イエス・キリストという名を持っておられる。御父から神の名を受け継いでおられるのです。御子は天使ではない。礼拝すべき神。御父と私どもの唯一の執り成し手、仲保者です。「天使」は羽の生えた存在ではなく、神から遣わされた「使者」です。このことを旧約聖書、詩編の様々な御言葉によって、明らかにするのです。御子への信仰を明確にする。ここに教会の生命線、信仰の戦いの砦があるからです。天使を代表として挙げていますが、私どもを魅惑する様々な霊力もまた、神ではないことを含んでいます。

2.神の天使たちは皆、御子を礼拝せよ

(1)説教は聖書の御言葉を説き明かします。初代教会の礼拝の聖書は旧約聖書です。5節「いったい神は、かつて天使のだれに、『あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ』と言われ」。最初の詩編は、詩編2編7節の御言葉です。王の即位の詩です。この御言葉は主イエスが洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けた時に、天から神が語られた御言葉です。マルコ1・11.主イエスが宣教の始めに聴かれた御父の言葉です。

 5b節「更にまた、(天使のだれに)『わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる』と言われたでしょうか」。サムエル記下7章14節の御言葉です。預言者ナタンがダビデ王に語った言葉です。ダビデの子孫がダビデ王国を完成する。初代教会の人々は、そのお方こそ、ダビデの子孫から生まれる御子キリストと受け止めました。二つの旧約聖書を通して、御子キリストこそただひとりの神の子であることを強調しています。

 6節「更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、『神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ』と言われました」。この御言葉は詩編89編28節です。天使たちも皆、御子を礼拝せよ。御子は御父の長子と呼ばれています。長子が御父の祝福を受け継ぐからです。

 7節「また、天使たちに関しては、『神は、その天使たちを風とし、御自分に仕える者たちを燃える炎とする』と言われ」。この御言葉は詩編104編4節です。神は天使たちを風として用い、燃える炎として用いられる。言い換えれば、風も火も神ではない。神に従うものである。主イエスが嵐の海を鎮め、風を鎮められたことを想い起こします。マタイ14・32.

(2)8節「一方、御子に向かっては、こう言われました。『神よ、あなたの玉座は永遠に続き、また、公正の笏が御国の笏である。あなたは義を愛し、不正を憎んだ。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ』」。この御言葉は詩編45編7~8節です。王の結婚式に歌われた詩と言われています。神に選ばれ、立てられた王は、神の代理人として地上を統治します。地上の王は天上の真の王の前にひざまずく存在です。神の代理人として立てられた地上の王を、「神よ」と呼んでいます。神から預かった公正の笏、御国の笏で統治します。何よりも義を愛し、不正を憎む政治を司ります。神に選ばれ、立てられた王は、喜びの油を注ぎます。「油注がれた存在」。そこから「メシア」「キリスト」(救い主)という言葉が生まれました。

 御子こそ神が喜びの油を注がれ、立てられた王です。喜びの王です。神の義の笏で統治される王です。御子の玉座は永遠に続く。御子が喜びの王として、神の義の笏で永遠に統治される。喜びの王が私どもを支配して下さる。そこに私どもの喜びがある。喜びの王に仕える喜びです。それを現す御言葉は4章15節以下です。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」。

 「それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油を、あなたの仲間に注ぐよりも多く、あなたに注いだ」。「あなたの仲間」とは、天使たちです。同時に、私たちでもあります。御子キリストは喜びの油を誰よりも多く注がれた喜びの王。喜びの王に仕える私どもも、洗礼という油を注がれ、「キリストの者」とされ、喜びの王に喜んで仕える喜びの僕です。喜びの王キリストの喜びの仲間とされているのです。

 10節「また、こうも言われています。『主よ、あなたは初めに大地の基を据えた。もろもろの天は、あなたの手の業である。これらのものは、やがて滅びる。だが、あなたはいつまでも生きている。すべてのものは、衣のように古び廃れる。あなたが外套のように巻くと、これらのものは、衣のように変わってしまう。しかし、あなたは変わることなく、あなたの年は尽きることがない』」。この御言葉は詩編102編26~28節です。また、2節の御言葉と響き合っています。「神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました」。御子も創造の御業に参与されている。コロサイ1・13~14.神が造られたものはやがて滅びる。衣のように古び廃れる。しかし、御子は変わることなく、その支配は終わることがない。御子はぼろぼろになった私どもを衣のように身に纏って下さる。

 13節「神は、かつて天使のだれに向かって、『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座っていなさい』と言われたことがあるでしょうか」。この御言葉は詩編110編1節です。御子キリストこそ全ての敵を足台とし、御父の右に座し、永遠に支配するお方です。3節の御言葉と響き合っています。「御子は、天の高い所におられる大いなるお方の右の座にお着きになりました」。この説教は御父の右に座し、執り成しておられる昇天の御子キリストを仰ぐ礼拝で語られた御言葉です。

 14節「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか」。「天使」は神から遣わされた「使者」です。神に「奉仕する霊」です。神の天使たちは皆、御子を礼拝し、喜んで奉仕する霊、使者です。天使こそ、私どもであるのです。私どもも天使の顔をしているのです。

 御子への信仰を明確にしたこの説教を心に刻む時、「基本信条」である「ニカイ信条」を想い起こします。御子への信仰を明確にした信条です。御子も神であることを明確にしました。太平洋戦争最中、空襲の警報を聞きながら、横浜指路教会に数名の伝道者が集まり、基督教研究所を立ち上げ、命懸けで訳したものがあります。それが「基本信条」です。「ニカイア信条」も訳されました。熊野義孝牧師、竹森満佐一牧師たちです。命懸けで日本の教会に残そうとした「基本信条」、「ニカイア信条」にこそ、嵐の中を生き抜く教会のいのちがあると信じたからです。その土台となった御言葉こそ、ヘブライ人への手紙であったのです。

3.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 6月5日の祈り イザヤ12・2

「愛しまつる在天の父よ、われらは感謝します。あなたはこれほどにわれらに近くおられ、われらもまたみもと近くにいることをゆるされております。それゆえにわれらは常に心をつくし、思いをつくして、全生涯を通じて聞き従うものであり、真実なるもの、善きものを自分の人生のために受けいれ、あなたが救い主を通じてわれらに与えてくださる力を証しするのです。すべてのことにおいてわれらを守り、われらひとりびとりの心のうちを見てください。なお起伏あり、明るくもないわれらのすべてのありさまをも見てください。そして禍いからわれらを解き放ってください。なぜならば、国はあなたのものとなるべきだからです。力はあなたから来るべきだからです。あなたの栄光はわれらの生より出て、人々の間にあって永遠の賛美と感謝のためとなるべきだからです。アーメン」。

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