1.信仰によって、アブラハムは
(1)ヘブライ人への手紙11章は、この御言葉から始まっていました。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」。この手紙の説教者は信仰を理論的に語るのではなく、信仰に生きた人々の信仰の歩みを語ります。旧約の時代に生きた信仰者列伝です。「信仰によって」生き、死んだという言葉が繰り返されます。最初に語った信仰者は、創世記に登場するアベル、エノク、ノアでした。アベルとエノクは意外な人物でした。アベルは兄カインに殺された弟です。罪を犯したアダムとエバ、弟を殺したカインではなく、アベルから信仰は始まったと理解します。エノクはアダムから七代目で、生きたまま主の御許に引き下げられました。ノアは箱舟により生き延び、主はノアを通して人類と最初の契約、虹の契約、永遠の契約を結ばれた信仰者です。(2)本日、黙想する8節以下に登場するのは、信仰の父・アブラハムとその妻のサラです。8節「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地を出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」。アブラハムが登場するのは、創世記12章です。アブラハム、イサク、ヤコブの族長物語がここから始まります。アブラハムはイスラエル民族の信仰の父です。同時に、私ども異邦人の信仰の父でもあります。伝道者パウロは異邦人のローマの信徒への手紙4章で、信仰によって義とされたアブラハムを信仰の父と呼んでいます。哲学者・森有正はアブラハム物語を国際キリスト教大学の礼拝堂で説教しています。アブラハムが大好きで、アブラハムと自らを重ね合わせて説教しています。
アブラハム物語は主の呼びかけ・召しの言葉から始まります。創世記12章1節「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る』。アブラムは、主の言葉に従って旅だった」。生まれ育った故郷、住み慣れた、生活の基盤である父の家を離れて、主が示された地へ行きなさい。突然の主の言葉、主の召しに、アブラハムは主の言葉のみを信じ、主に従って旅立ちました。そこにヘブライ人への手紙の説教者は、信仰を見ています。そしてこう語ります。「信仰によって、主の言葉・主の召しに服従し、行き先も知らずに出発した」。アブラハム75歳の時でした。森有正は「冒険としての信仰」と呼んでいます。信仰とは冒険である。ただ主の言葉を信じ、主に言葉に従い旅立つ。主の言葉が私どもの人生の生きる軸となる。敗戦後、東京大学助教授の職を辞し、見ず知らずのフランスへ度だった自らと重ね合わせています。しかし、それは特別な人だけのことではなく、私どもにも起こることです。私どもが洗礼へ、信仰へと導かれることは、ただ主の言葉・主の召しを信じ、主に従って、行く先も分からずに旅立つことだからです。
主がアブラハムを召し出した主の言葉で大切なことがあります。「あなたは祝福の源となる。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」。アブラハムを通してイスラエル民族だけが祝福されるのではなく、地上の全民族が祝福される。その意味で、アブラハムは祝福の源、基なのです。
2.アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み
(1)ヘブライ人への手紙11章9節「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました」。アブラハムの故郷は、メソポタミア文明が栄えたユーフラテス川沿いのウルです。月神信仰に生きていました。「生まれ故郷、父の家を離れ、わたしが示す地に生きなさい」との主の言葉・主の召しを受けて、ユーフラテス川の上流ハランへ旅立ちました。そして更に、主の言葉・主の召しを受けて、カナンへ旅立ちました。カナンこそが約束の地でした。
ヘブライ人への手紙の説教者は、このことを面白い言葉で言い表しています。「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み」。一体どう言う意味なのでしょうか。カナンは主から示された約束の地です。新しい故郷です。しかし、新しい故郷でありながら、そこは他国に宿るような地です。カナンは永遠の故郷ではないということです。このことが13節以下の、この説教者が強調したいことを指し示しています。アブラハムは新しい故郷も、地上では旅人、仮住まいの者。アブラハムは生涯、地上では旅人であった。どこを目指して度を続けたのか。主イエスが備えて下さった天の故郷です。パウロの言葉で言えば、天に国籍を持つことです(フィリピ3・20)。地上の国籍は死が訪れると削除されます。
9b節「同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました」。「同じ約束されたもの」とは、天の故郷です。アブラハムは息子イサク、孫ヤコブと共に、地上では幕屋に住みました。幕屋とはテントです。永遠の住まいではなく、仮の住まいです。
10節「アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです」。これも面白い表現です。「神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都」。天の故郷、天の都です。神が設計者、建設者であるから堅固な土台である都です。アブラハムは天の都を待ち望みつつ、地上では旅人、寄留者として歩んだのです。
(2)11節「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです」。アブラハムと妻サラとの間には、後を継ぐ子どもがいませんでした。アブラハムとサラは90歳を越え、子どもが与えられる望みはありませんでした。しかし、主は御自分が選んだアブラハムとサラとの間に、男の子が与えられると約束されました。主の約束の言葉を聞いた時、アブラハムもサラも笑いました。創世記17章17節、18章12節。主の約束の言葉を疑う笑いです。18章13節「主はアブラハムに言われた。『なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがろうか』」。主に不可能なことのない主の全能を疑う笑いです。自らの不信仰を主に戒められ、打ち砕かれたサラは、主の約束の言葉を信じたのだと、ヘブライ人への手紙の説教者は語ります。11節「約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです」。
12節「それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです」。創世記15章5節「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい』。そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる』。アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」。22章17節「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星の
ように、海辺の砂のように増やそう」。
3.彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです
(1)13節「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」。「この人たち」とは、アベル、エノク、ノア、アブラハム、サラです。この人たちは皆、信仰によって生き、信仰を抱いて死んだ。「約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」。「約束されたもの」とは、天の故郷です。地上ではよそ者、仮住まいの者であることを公に言い表して生きた。地上に永遠の国籍、永遠の故郷を持たないことを証ししながら生きた。「よそ者」は旅人、「仮住まいの者」は寄留者。
14節「このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです」。地上に永遠の故郷を持たず、旅人、寄留者として生きる者は、永遠の故郷を求めて、目指して生きている。15節「もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません」。地上の故郷を永遠の故郷と思うなら、そこに戻る機会もあった。16節「ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです」。これらの信仰者は皆、主が備えて下さった更にまさった故郷、天の故郷を熱望し、そこを目指して生き、信仰を抱いて死んだ。
(2)「だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は彼らのために都を準備されていたからです」。心惹く言葉です。神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。アブラハムもサラモ、男の子が与えられるとの主の約束を疑い、笑いました。不信仰を言い表しました。しかし、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は彼らのために天の都を備えて下さったのです。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 11月13日の祈り ダニエル2・44
「主よ、われらの神よ、われらは感謝します。われらはあなたのみわざのもとにあって、生きることをゆるされています。十字架の苦難にあっても、あなたがなされるあわれみの中に生きることをゆるされているのです。われらはあなたにあってよろこび、忍耐深く耐え忍び、すべてのあなたの助けが来たり、み国が地上に成り立つまでに至りたいのです。われらひとりびとりを守り、われらの心を強くしてください。救い主イエス・キリストによって常によろこび、常にのぞみ、また信じ、全能の神であるあなたを常に仰ぐものにしてください。あなたはイエス・キリストにおいて来てくださり、もろもろの民の中にみ国を建て、ついに完全にあなたの真理を明らかにし、すべての民にみ助けをもたらしてくださるのです。そして善きものも悪しきものもみまえに出、あなたのあわれみと誠実とによってさばかれるようになるのです。アーメン」。