1.感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう
(1)ヘブライ人への手紙の特徴は繰り返し申し上げていますように、礼拝で語られた説教であることです。従って、私どもの信仰生活において、何よりも神を礼拝することを大切にしています。神を礼拝することが、キリスト者の命であるからです。10章25節にこのような言葉がありました。「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず」。当時はローマ帝国の迫害の時代です。礼拝を捧げること自体が命懸けでした。そのような中で、洗礼を受けたにもかかわらず、集会、礼拝を怠ってしまった教会員がいる。今まで喜んで礼拝していた方が、礼拝に姿が見えなくなる。礼拝から遠のいてします。これはいつの時代も、教会にとって大きな痛みです。
今日の御言葉もとても厳しい言葉が語られています。「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です」で結ばれています。私どもが信じている神は恵みを与えて下さる神である。同時に、焼き尽くす火で審きを行う神であることを忘れるなと、強調されています。そのような厳しい言葉で結ばれている御言葉ですが、直前にこう語られています。28節「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう、感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう」。この「仕えていこう」という言葉は、礼拝しようという意味です。神に喜ばれるように礼拝しよう。感謝しつつ、畏れ敬いつつ、神を喜んで礼拝しよう。説教者が会衆に向かって、存在を懸けて呼びかけている言葉です。
(2)さて、今日の御言葉はこのように始まりました。25節「あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい」。この言葉は直前に語られた言葉を受けています。22節「しかし、あなたがたが近づいたのは」。「近づく」という言葉は、この説教者が重んじる言葉です。「神を礼拝するために、神に近づく」のです。「しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です」。
私どもが大祭司イエスに執り成されて、はばかることなく神に近づき、神を礼拝することが赦されている。私どもが神を礼拝しながら見る幻がある。それは「シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム」です。11章16節では「天の故郷」と語っていました。天のエルサレム、天の故郷、言い換えれば、天上の礼拝です。そこが地上の旅人である私どもが目指す場所です。天上の礼拝を仰ぎ見ながら、地上にあってははばかることなく、神に近づき、神を礼拝しているのです。
2.わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう
(1)前回の結びの24節にこうありました。「新しい契約の仲介者、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です」。11章には旧約の時代を生きた信仰者列伝が語られていました。その先頭に立つ信仰者は、兄カインに殺された弟のアベルでした。アベルの血が土の中から叫んでいます。「兄カインを復讐してくれ」と。私どもが生きている大地には数え切れない血が注がれています。アベルの血です。アベルと同じように叫んでいるのです。「私の復讐をしてくれ」。復讐を叫び血です。しかし、説教者は語ります。新しい契約の仲介者イエスは、御自分の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられた。私どもの生きている大地には、新しい契約の仲介者、大祭司イエスの贖いの血が注がれている。私どものアベルの血の叫び、復讐の血の叫びを贖う血です。赦しの血です。主イエスは十字架で祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からずにいるのです」(ルカ23・34)。主イエスの血はアベルの血よりも立派に語る注がれた血です。
この言葉を受けて、25節の言葉が続くのです。「あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい」。礼拝において何よりも重んじられるべき言葉は、主イエスの言葉です。アベルの血よりも立派に語る主イエスの注がれた贖いの血です。大祭司主イエスを拒むことがないように気をつけなさい。
(2)「もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか」。エジプトを脱出した神の民はシナイ山の麓に着きました。モーセが神の民を代表し、シナイ山に登り、神と十戒の契約を交わしました。しかし、その時、山の麓では、神の民は自分たちの装身具から金の小牛を作り、神として拝みました。神の大いなる怒り、審きを受けました。「地上で神の御旨を告げる人を拒む者」とは、神が立てられ、神の御旨を告げる人です。モーセであり、今日で言えば、伝道者です。地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、「天から御旨を告げる方」、神に背を向ける私たちは、なおさら神の審きから逃れられないではありませんか。
26節「あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。『わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう』」。この御言葉はハガイ書2章6節です。「まことに、万軍の主はこう言われる。わたしは、間もなくもう一度、天と地を、海と陸を揺り動かす」。ここで注目すべきは、神は地だけを揺り動かされるだけでなく、天をも揺り動かされると語られていることです。創世記1章1節で、「初めに、神は天地を創造された」とありました。地だけでなく、天も神が創造されたものです。神の審きは将に天変地異です。地をも天をも揺り動かすものです。私どもの生きる土台、確かであると確信していたものが、揺り動かされるのです。太陽や星を確かなもの、神と拝んでいた者も、天をも揺さぶられる。2024年は元日の能登半島地震から始まりました。私どもが確かであると信じていたものが大きく揺さぶられました。太陽も星も私どもを助けるものとなり得ない。
27節「この『もう一度』は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています」。神は天も地も揺り動かされることによって、それらが確かなものでないことを明らかにされる。そして真実に、揺り動かされないものが何であるかを明らかにされる。
3.わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから
(1)28節「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから」。天も地も祐理動いても、決して揺り動かされないものがある。それは「御国」です。天使ガブリエルがマリアに、神の御子を宿したことを告げる場面で、このことを語りました。ルカ1・32節「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない」。「その支配は終わることがない」。「御国が終わることがない」という意味です。「使徒信条」と並ぶ「ニカイア信条」に受け継がれました。「主は生きている者と死んだ者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。その御国は終わることがありません」。神の御子イエスの誕生によって、神の国は到来し、始まっているのです。神が創造された天と地は過ぎ去って行きます。しかし、御国は終わることはありません。私どもは神の御子イエスによって拓かれた御国、天の故郷を目指して歩んでいます。同時に、洗礼を受け、神の子とされたことは、御国を受け継ぐ者とされたのです。
ルターは『キリスト者の自由』の冒頭で語りました。「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な王であって、だれにも服しない。キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、だれにでも服する」。キリスト者は地上の王に服しない自由な王。同時に、すべてのものに仕える僕である。それが御国を受け継ぐことです。
(2)28節「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えよう」。揺り動かされることのない御国を受け継ぐ私どもは、感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるよう仕えよう、礼拝しよう。私どもが神に喜ばれる存在となる。それは喜んで神を礼拝し、神に仕える者となることです。
29節「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です」。厳しい審きの言葉で結ばれています。申命記4・23の御言葉です。「あなたたちは注意して、あなたたちの神、主があなたたちと結ばれた契約を忘れず、あたの神、主が禁じられたいかなる形の像も造らぬようにしなさい。あなたの神、主は焼き尽くす火であり、熱情の神だからです」。神が結ばれた十戒の契約を忘れずに、感謝と、畏れと、喜びをもって神を礼拝し、神に仕えよう。契約、約束を破る者に対し、神は焼き尽くす火である。ヘブライ人への手紙では、「あなたたちの神」が「わたしたちの神」となっています。そしてここでは「新しい契約の仲介者イエス」が十字架で注がれた贖いの血で結ばれた契約です。神との契約、約束に生きる。それは焼き尽くす火である神を畏れ敬いながら、しかし、感謝をもって、神に喜ばれるよう神を礼拝し、神に仕えることです。
『ハイデルベルク信仰問答』は「第1部 人間の惨めさについて」、「第2部 人間の救いについて」「第3部 感謝について」の三部から成り立っています。第2部で「新しい契約の仲介者イエス」の贖いの血による救いを語りました。焼き尽くす火である神の審きを、私ども悲惨の中にある罪人の身代わりとなって受けられました。その恵みに感謝して、私どもは「十戒」と「主の祈り」を信仰の道しるべとして、感謝の生活を歩むのです。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 12月25日の祈り イザヤ9・5
「ひとりのみどりごがわれらのために生まれた、ひとりの男の子がわれらに与えられた。権威はその肩にあり、その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』ととなえられる。主よ、われらの神よ、あなたは地上に光を照らしてくださいます。イエス・キリストによってあなたの天の力を明らかにしてくださいました。それは暗黒の中にあっても、この世のいかなる禍いの中においても、救い主を得ていることのゆえに、われらがよろこべるようになるためです。み国が地上に建てられ、もろもろの心があなたを迎え、光を得、あなたに感謝し、あなたがすでにしてくださったこと、なおしてくださるすべてのことのゆえにあなたを賛美し、全世界がみ手のうちのものとなるために、われらの日々にあって、み力を明らかにしてください。ことを新しくな行ってください。主なる神よ、人々がひらけゆく天に動かされるようにしてください。人々の心をめざめさせ、人々の心の中に救い主イエス・キリストのゆえによろこびが、はいりこむようにしてください。われらはあなたの子です。あなたがすべてのことを正し、われらの艱難の時にあっても、み手を保たれることを期待しています。あなたはそのようにしてみ心を明らかにし、地上のすべての権威に、すでにアブラハムにおいて約束されたようにそのみ心を示してくださるのです。主なる神よ、み名がたたえられますように、み名が崇められますように、み心が天に行なわれるごとくに地にも行なわれますように!アーメン」。