1.指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい
(1)ヘブライ人への手紙を黙想して来ましたが、今日が最終回となります。この手紙の結びの言葉に注目して下さい。13章22節「兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受けて入れてください。実際、わたしは手短に書いたのですから」。この手紙を「勧めの言葉」と呼んでいます。「慰めの言葉」という意味であり、「説教」を表す言葉となりました。説教は「慰めの言葉」であり、「勧めの言葉」です。この手紙は元々、礼拝で語られた説教であったと推測出来ます。13章に及ぶ説教を一回で語ったのか、三回に分けて語ったのかは定かではありません。しかし、内容的に密度の濃い説教です。ある方が13章を一回の説教で語ったらどのくらいの次回になるのか、実際、説教を語るように朗読したら、1時間を越えたと語っています。今日、1時間の説教をしたら、会衆は長く感じるでしょう。しかし、この説教者は語ります。「実際、わたしは手短に書いたのですから」。1時間の説教でも、「手短に」語ったと言っています。1時間では足りない、もっともっと語りたいと、説教者は説教を終えた後も感じています。キリストの福音は語っても語っても、語り足りない豊かな内容を持っています。
(2)この手紙、説教の一つの特徴は、信仰の指導者を重んじていることです。信仰は信仰の先達から伝えられ、受け継がれるものだからです。前回黙想した13章7節にこうありました。「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい」。神の言葉を語った指導者たち。伝道者だけでなく、長老、信仰生活が長く、御言葉の導きをして下さった教会員も含まれます。私どもに先駆けて、信仰の歩みをして来た指導者たちのことを、想い起こしなさい。特に、彼らの生涯の終わりをしっかり見なさい。生涯の終わりをしっかり見ることにより、その方を生かして来られたのが何であったが明確になるからです。そしてその信仰を見倣いなさい。指導者たちを生かして来たものは何か。8節でこう語られます。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」。昨日も今日も、明日も、永遠に変わらない主イエス・キリストが、私どもの先頭に立って歩んでおられる。それを見失うな。
この御言葉と響き合っているのが、17節です。「指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています」。7節の指導者たちは既に亡くなった指導者です。17節の指導者たちは、現在の指導者です。若い指導者です。牧会経験が豊かでない指導者です。指導者になったばかりの方もいます。しかし、若い指導者であっても、彼らが語る神の言葉を聞き入れ、その御言葉に服従しなさい。何故、神の言葉を語る指導者たちを重んじるのか。この方たちは神に申し述べる者だからです。「神に申し述べる者」とは、信徒一人一人を覚えて、神に執り成し、祈る者です。この手紙、説教は、何よりも「大祭司イエス」を強調して来ました。「大祭司イエス」の働きは何か。それは私どものために、神の御前で執り成す者です。神の言葉の指導者は、大祭司イエスの執り成しの役目に生きるのです。一人一人の信徒のために、神の御前で執り成すのです。
更に、指導者たちは、あなたがたの魂のために心を配っています。大祭司イエスはまどろむことなく、私どものために執り成し、祈られます。神の言葉の指導者たちも、信徒が寝ている時も、悲しみや苦しみの中で魂がくずおれて、祈れなくなった時も、代わりに執り成し祈っています。「代祷」に生きています。それ故、「彼ら(指導者たち)を嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません」。指導者たちが語る神の言葉を喜んで聞き入れ、服従しなさい。指導者を通して語られる御言葉によって、信仰が益とされます。
2.永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエス
(1)18節「わたしたちのために祈ってください」。神の言葉を語る指導者は、何よりも信徒からの祈りを必要とします。信徒の祈りなくして、神の言葉を語るために立つことが出来ないからです。「わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています」。この手紙、説教は、「良心」ということを重んじます。10章19節以下で語られていました。私どもはイエスの血により、心は清められ、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われ、真心から神に近づくことが赦されている。清い良心は洗礼により、神の御言葉と霊によって主から与えられたものです。神の恵みを感じ取る良心です。神がここに生きておられることを感じ取る良心です。「立派にふるまう」は、道徳的な立派さを表すのではなく、「麗しい」「美しい」という意味です。信仰的に麗しく振る舞う。キリストの香りを放つことです。
19節「特にお願いします。どうか、わたしがあなたがたのところへ早く帰れるように、祈ってください」。説教者は今、教会員と離れた場所にいます。それ故、早くあなたがたのところへ帰れるように、祈って下さいと懇願しています。説教者が他教会で奉仕し、教会を留守にすると、主が私を召して下さった教会に早く帰りたいと思うものです。教会への郷愁が生まれます。
(2)20節以下がこの手紙、説教の結びです。「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン」。「羊の大牧者の祝福」と呼ばれています。礼拝の最後でなされる祝祷です。祝祷は祝福を神に祈り求めるのではありません。神の祝福がここにあることを宣言することです。礼拝が終わり、この一週間何があっても、病になっても、死を迎えても、神の祝福がここにあることには変わりはないのです。
「永遠の契約の血」。この手紙、説教が繰り返し語って来た大切な言葉です。9章11節以下で、キリストは大祭司として、自らを犠牲の雄牛として十字架でただ一度献げられ、血を注がれたことにより、私どもに対して「永遠の贖い」を成し遂げて下さった。「キリストは新しい契約の仲介者」となられた。「永遠の契約」は、神が人類を代表するノアと、神が一方的に結ばれた虹の契約です。創世記9章16節。神が永遠の虹の契約を心に留める時に、「わたしは二度と人類を滅ぼすことはしない」と決心された。「神の回心」が語られた。それは主イエスの十字架での「永遠の契約の血」によって、確かな揺るがぬものとされた。
「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを」。主イエスは「羊の大牧者」である。何故、主イエスは「羊の大牧者」と呼ばれるのか。この御言葉の背後に、イザヤ書63章11~12節があります。「そのとき、主の民は思い起こした。昔の日々を、モーセを。どこにおられるのか、その群れを飼う者を海から導き出された方は。どこにおられるのか、聖なる霊を彼のうちにおかれた方は。主は輝く御腕をモーセの右に従わせ、民の前で海を二つに分け、とこしえの名声を得られた」。旧約の時代の代表的な羊の牧者はモーセです。主イエスはモーセに優る「羊の大牧者」である。
3.わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神
(1)「わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神」。この手紙、説教は、主イエスの十字架を語っても、復活を語らないと言われます。しかし、ここで明確に、主イエスの復活を語ります。しかし、「死者の中から復活させ」ではなく、「死者の中から引き上げられた」となっています。この手紙、説教の冒頭でこうありました。1章3節「御子は、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました」。「死者の中から引き上げられた」の中に、復活させられ、天の高い所に昇られ、大いなる父なる神の右の座にお着きになられたが含まれています。父なる神の右に座し、私どものために執り成しておられる。十字架、復活、昇天、統治を最初から語って来たのです。
金沢南部教会の牧師であった大隅啓三先生が、スコットランドの優れた説教者スチュワートの説教集『永遠の王者』を訳しておられます。その中に、「羊の大牧者の祝福」の一句を説き明かした「キリストの復活の血」と題する説教があります。平和の神がわたしたちの主イエスを死者の中から引き上げられた時、「神のエネルギー」が甚大に働いた。その「神のエネルギー」が私たちにも及んでいる。神の祝福は、わたしたちの主イエスを死者の中から引き上げられた神の平安です。死に打ち勝つ平安が、私たちに注がれるのです。それ故、神の祝福は、平和の神、平安の神の祝福なのです。「平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン」。
(2)23節「わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、一緒にわたしはあなたがたに会えるでしょう」。パウロの許で働いた若き伝道者テモテが、牢屋から釈放され、この説教者と共に、あなたがたに会いたいと伝えています。
24節「あなたがたのすべての指導者たち、またすべての聖なる者たちによろしく。イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています。恵みがあなたがた一同と共にあるように」。あなたがたの全ての指導者。全ての聖なる者たち。教会員たちです。「イタリア出身の人たち」。この手紙を受け取り、この説教を聴いた人たちは、ローマの教会員であったと推測されます。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 1月15日 ローマ8・26
「主なる神よ、われらは祈り願います。聖霊をわれらに来たらしめてください。全世界に及ぼしてください。そしてこの地上に、人間の中にみ光が現われ、み力が明らかになり、ご支配が行なわれるようにしてください。主なる神よ、み心を行なってください。われらはあなたに祈り願い、み座のまえにあるのです。われらは弱いのです。主よ、われらを助けてください!祝福してください!あなたに従うことをよろこび、イエス・キリストにあって恵みを受けようとする者たちの心に、み国を建ててください。み力がわれらを助け、ご支配がわれらに及び、聖霊がわれらと共にあるように。主なる神よ、われらの父よ。アーメン」。