2026.9.30. 聖書黙想・祈祷会
「ヤコブ物語を黙想する2~ヤコブが近寄って口づけすると、イサクはその衣服の香りを嗅ぎ、祝福し~」創世記27章1~29節
1.神の祝福を巡る家族の物語
(1)創世記25章19節から「ヤコブ物語」が始まりました。イサクとリベカの間に生まれたヤコブは、双子の兄エサウの弟として生まれました。「神の祝福」(主はアブラハムを通して全世界の民族を祝福する)は、「長子の権利」を有している兄エサウが受け継ぐことになっていました。しかし、弟のヤコブは生まれた時から、兄のかかとを掴んで生まれました。生まれた時から「長子の権利」は長男が受け継ぐと定まっていると、運命として諦めず、何とかして掴み取りたいという強い思いがありました。ヤコブは運命論ではなく、「神の摂理の信仰」(前方にある神の備えを見る)に生きていました。
エサウは狩猟の仕事、ヤコブは農耕、家の仕事をしていました。ある日、狩猟から帰り、腹を突かせていたエサウに、ヤコブはレンズ豆のスープと引き換えに、長子の権利を奪い取りました。絶対、長子の権利を手放してはならないエサウは長子の権利に対して淡泊でした。しかし、ヤコブは長子の権利がどんなにか素晴らしいものであるかを知り、知恵を絞り、何とかして掴み取りたいという熱意と執念を持っていました。
(2)「長子の権利」を掴み取ったヤコブは、父イサクから「神の祝福」を得なければなりませんでした。27章はその第二部が始まります。27章は演劇のように、全5幕から成り立っています。第1幕1~5節「イサクとエサウ」、第2幕6~17節「リベカとヤコブ」、第3幕18~29節「イサクとヤコブ」、第4幕30~40節「イサクとエサウ」、第5幕41~46節「リベカとヤコブ」。
第1幕1~5節「イサクとエサウ」。父イサクは目がかすみ、見えなくなっていました。自分の死が近づき、「神の祝福」をエサウに手渡す時が来ていると認識していました。イサクはエサウを呼びました。「息子よ」。エサウは答えました。「はい」。イサクは語ります。「御覧、私は年を取って、いつ死ぬか分からない。だから、狩りの道具、弓矢を持って野に行き、私のために獲物を捕って来てくれ。そして私の好きなおいしい料理を作り、それを持って来て、私に食べさせてほしい。死ぬ前に私自ら、お前を祝福したいのだ」。エサウは獲物を捕りに野に出かけました。リベカはその話を聞いていました。「神の祝福」を掴み取る時が来たと受け止めました。
2.神の摂理・神の計画と人間の策略
(1)第2幕6~17節「リベカとヤコブ」。リベカはすぐにヤコブに伝えます。8節「息子よ、私がお前に命じることをよく聞きなさい。家畜の群れのところ行って、その中から肥えた子山羊を二匹取って来なさい。私はそれでお父さんの好きなおいしい料理を作ります。それをお父さんのところへ持って行き、食べていただきなさい。そうすれば、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう」。リベカは知恵の優れた母です。なぜ、リベカはエサウではなく、ヤコブに「神の祝福」を握らせたかったのか。リベカには危機感がありました。27章の物語が始まる伏線がありました。26章24節。「エサウは40歳の時、ヘト人ペエリの娘ユディトとヘト人エロンの娘パセマトを妻に迎えた。イサクとリベカにとって、彼女たちは心の痛みとなった。エサウの二人の妻は異邦人でした。「神の祝福」はアブラハムの子孫であるアラム人でなければならないと、リベカは確信していました。
リベカの計画に、ヤコブは躊躇します。14節「でも、お兄さんのエサは毛深い人ですが、私の肌は滑らかです。お父さんが私に触るなら、私がふざけていると想うでしょう。そうすれば私は、祝福どころか呪いをこの身に招くことになります」。リベカは答えます。「息子よ、その呪いは私が引き受けます。お前は、ただ私の言うことを聞き、行って子山羊を取って来なさい」。リベカの並々ならぬ決意です。母リベカはイサクの好きなおいしい料理を作ります。更に、兄エサウの衣服、中でも特によい福を取り出し、ヤコブに着せます。子山羊の皮を、ヤコブの腕と首の滑らかなところに着けます。リベカはヤコブに、おいしい料理とパンを手渡しました。
(2)第3幕18~29節「イサクとヤコブ」。ヤコブは父イサクに語りかけます。「お父さん」。父は答えます。「私はここにいる。息子よ、お前は誰なのだ」。ヤコブは答えます。「私は長男のエサウです。言われたとおりにしてきました。さあ、座って私の獲物を食べてください。そしてお父さん自らが私を祝福してくださいますように」。しかしイサクは息子に尋ねます。「どうしてまた、こんなに早く見つけることができたのか、息子よ」。ヤコブは答えます。「あなたの神、主が取り計らってくださったからです」。ヤコブは神の摂理・神の計画であると確信します。イサクは言います。「息子よ、近くに寄りなさい。お前が本当にエサウなのかどうか、触ってみたいのだ」。イサクは触って言いました。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ」。イサクは重ねて言います。「お前は本当に息子のエサウなのだな」。ヤコブは答えます。「そうです」。イサクは言います。「では獲物を持って来なさい。わが子の獲物を食べて、私自身がお前を祝福しよう」。イサクは料理を食べ、ぶどう酒を飲んで、言った。「息子よ、近くに寄って、私に口づけしなさい」。ヤコブが近寄って口づけすると、イサクはその衣服の香りを嗅ぎ、祝福した。27~29節。
3.神の祝福を奪い取ったヤコブ
(1)第4幕30~40節「イサクとエサウ」。イサクがヤコブを祝福し終え、ヤコブが父イサクの前から出て行くと、ちょうどその時、兄エサウが狩りから帰って来た。エサウはおいしい料理を作り、父のところへ持って来た。「お父さん、さあ息子の獲物を食べてください。そしてあなた自ら私を祝福してください」。イサクは尋ねます。「一体誰なのだ、お前は」。エサウは答えます。「私はあなたの息子、長男のエサウです」。イサクは激しく身を震わせて言った。「それでは、獲物を捕って私のところに持って来たのは誰だったのだ。お前が来る前に私はみな食べて、彼を祝福してしまった。だから今や、彼が祝福されている」。エサウは苦痛に満ちた叫びを上げ言った。「お父さん、私を祝福してください。この私も」。イサクは答えます。「弟が来て、だましたのだ。そして、お前の祝福を奪ってしまった」。エサウは言った。「あの男がヤコブと呼ばれるのは、二度もこの私を押しのけたからなのだ。私の長子の権利を奪いながら、今度は私の祝福を奪ってしまった」。「あなたは私のために祝福を取っておいてくださらなかったのですか」。イサクは答えた。「すでに私は彼をお前の主とし、兄弟をすべて彼の僕とした。そのため私は、穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにしたのだ。息子よ、こうなっては、於雨のために何をしてやれようか」。エサウは言った。「あなたには一つの祝福しかないのですか、お父さん。私を祝福してください。この私も、お父さん」。エサウは声を上げて泣いた。父イサクは答えた。39~40節。
(2)第5部41~46節「リベカとヤコブ」。エサウは、父がヤコブに与えた祝福のゆえに、ヤコブを恨むようになった。エサウは心の中で言った。「父の喪の日もそう遠くはない。その時には、弟のヤコブを殺してしまおう」。この言葉が母リベカに伝わった。ヤコブを呼んで言った。「兄さんのエサウはお前を殺して恨みを晴らそうとしています。さあ息子よ、私の言うことをよく聞きなさい。すぐハランにいる私の兄ラバンのところへ逃げて行きなさい。しばらくの間、兄さんの憤りが収まるまでそこでラバンと一緒に過ごしなさい。兄さんの怒りが収まり、お前がしたことをあの人が忘れるようになれば、私は人をやってそこからお前を連れ戻しましょう。どうして一日の間に、お前達二人を失ってしまってよいでしょう」。リベカは機転が利きます。エサウとヤコブが共に生活することは、兄弟殺しが起こる危険性があります。ヤコブに逃亡を勧めます。ハランにいる兄ラバンの許へ。しかし、リベカにはもう一つの意図・計画がありました。
46節「私はヘトの娘たちのことで、生きているのが嫌になりました。もしヤコブが同じように、この地の娘たちの中からあのようなヘト人の娘を妻に迎えるとしたら、どうやってゆけばよいのでしょう」。ヤコブがハランの兄ラバンの許で、アラム人の女性を妻として迎える意図・計画がありました。
4.人間の混乱に神の摂理が働き、神の摂理に人間の計画が働く
(1)神の家族は絶えず破れがあります。カインとアベル、イサクとイシュマエル、エサウとヤコブ。しかし、人間の混乱に神の摂理が働き、神の整理に人間の計画が働きます。ヤコブは母リベカの知恵・策略で、父イサクを欺き、神の祝福を奪い取りました。神の祝福が全世界の民族の祝福を担っているので、どうしても奪い取りたいと執念を燃やしました。前方にある神の備えを見て、手を伸ばし、掴み取りました。
主イエスは語られました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者は開かれる」(ルカ11・9~10)。「執拗に求めなさい」と強調されました。
甦られた主イエスは、教会の迫害者サウロを掴み取り、回心させ、異邦人に神の祝福を伝える伝道者としました。主イエスの世界への祝福の執念があります。神の執念、主イエスの執念が私どもを掴み取り、神の祝福・救いへと導いたのです。パウロは語りました。私が神の祝福を捕らえようとしているのは、キリスト・イエスによって私が捕らえられたからだ。私が掴み取ろうとしているのは、キリストに掴み取られたからだ。
5.御言葉から祈りへ (1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳)9月30日 ヨハネ16・33
「愛しまつる在天の父よ、この世においては不安がありますが、あなたのうちにわれらは平安を得ています。聖霊によってあなたの天の国のよろこびを与えてください。あなたに仕えることによって自分たちをおぼえ、賜物を与え、助けを与えてみ名をたたえさせてください。あなたの大いなるあわれみと誠実さによって期待し、のぞむことをゆるされているものによって、われらをすべて結び合わせてください。アーメン」。
