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2023年9月6日

「ヨハネの黙示録を黙想する1~わたしはアルファであり、オメガである~」

ヨハネの黙示録1章1~8節

井ノ川勝

1.イエス・キリストの黙示

(1)10年前、金沢教会に遣わされ、水曜日の聖書研究・祈祷会を「ヨブ記」から始めました。その学びが終わりにさしかかった頃、山田美枝さんより「次はヨハネの黙示録を取り上げてほしい」という要望がありました。「いずれは取り上げます」と約束してから10年が経ってしまいました。10年かけて、旧約聖書全体を学びたいと思ったからです。私どもキリスト信仰の土台にあるのは旧約聖書です。今、山田美枝さんのお姿が見られないことは寂しいことです。ヨハネの黙示録も旧約聖書の御言葉が土台となっています。

 皆さんは「ヨハネの黙示録」に対し、どのようなイメージを持っていますか。終末の神の審きが記されており、恐ろしい御言葉であると思われている方がいるかもしれません。オウム真理教がヨハネの黙示録の言葉を取り上げ、終末ということを強調し、社会的な混乱をもたらしました。そのような事件をもたらした御言葉として、やはり恐ろしいという印象が間と纏わりついています。しかし、そのようなイメージは誤ったヨハネの黙示録理解です。ローマ帝国の迫害の只中にあるアジア州の7つの教会に生きるキリスト者を慰めるために、伝道者ヨハネが書いた手紙です。それは今、この時代を生きる私どもに語られている御言葉でもあります。

 

(2)「イエス・キリストの黙示」。ヨハネの黙示録はこの御言葉から始まります。冒頭のこの御言葉はヨハネの黙示録の主題です。「黙示」という言葉は「黙って示す」という意味です。元の言葉は「啓示」という言葉でもあります。「覆いを取り除き、啓らかにする」という意味です。「イエス・キリストから示された御言葉」という意味でもあり、「イエス・キリストを啓示する御言葉」と理解することも出来ます。主題は私どもの信仰の中心である「イエス・キリスト」です。イエス・キリストへの信仰を明確にすることこそ、ローマ帝国の迫害の只中にある教会に生きるキリスト者にとって、ただ一つの慰めであるからです。ヨハネの黙示録の学びを通して、「イエス・キリストへの信仰」を明確にすることが、私どもの目的です。植村正久牧師が説教の目的は、「生けるキリストを真正面から、気合いを入れて紹介することだ」と語られました。さて問題は、ヨハネの黙示録がいかなる「イエス・キリスト」を啓示しているのかです。

 

2.今おられ、かつておられ、やがて来られる方

(1)今日学びます1章1~8節は、ヨハネの黙示録の序文です。手紙の挨拶です。しかし、既に序文の中に、挨拶の中に、伝道者ヨハネが伝えようとする「イエス・キリスト」が明確に語られています。その一つが「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」。もう一つが「わたしはアルファであり、オメガである」。いずれもヨハネの黙示録の中で、繰り返し語られる御言葉です。伝道者ヨハネが紹介する「イエス・キリスト」です。「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」。「やがて来られる方」という訳は、「やがては来られるかもしれないが、今はまだ来られていない」というニュアンスがあります。しかし、元の意味は「今、将に来たりつつある方」です。終末の切迫感のある言葉です。今、ここに生きておられるイエス・キリストは、かつておられ、今、将に来たりつつある方である。イエス・キリストは現在、過去、将来を生きられるお方である。今おられ、かつておられたからこそ、将来、必ず来られることを待ち望むことが出来る。ヘブライ人への手紙で言えば、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方」(13・8)。しかし、ヨハネの黙示録は、「今おられ」が基点です。迫害の只中に、今、私どもと共に生きておられる。現臨の生けるキリストへの信仰があるからこそ、かつての厳しい時代にも共におられたし、今、将に来たりつつあると待ち望むことが出来る。

 

(2)8節「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである』」。伝道者ヨハネの信仰告白です。初代教会の信仰告白です。「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」は、「神である主」。「神である主」という言葉は、当時、ローマ皇帝ドミティアヌスが自らを称していた呼び名でした。「わたしは神である主」。そう称して、人々をひざまずかせ、皇帝礼拝を強要しました。しかし、キリスト者は「イエス・キリストこそ神である主」と信仰告白して、皇帝礼拝を拒否しました。その結果、ローマ皇帝のキリスト教会に対する厳しい迫害が生じました。

 「わたしはアルファであり、オメガである」。ヨハネの黙示録の結びにも語られます。22章13節「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者、始めであり、終わりである」。「アルファ」と「オメガ」は、ギリシャ語の始めの文字と終わりの文字です。歴史の初めに立つ者、同時に、歴史の終わりに立つ者は、神である主、今おられ、かつておられ、今、将に来たりつつあるイエス・キリストである。ローマ皇帝が歴史の初めに立ち、終わりに立つ者ではない。歴史の支配者、勝利者ではない。「わたしはアルファであり、オメガである」。この御言葉はイザヤ書41章4節で語られていました。「この事を起こし、成し遂げたのは誰か。それは、主なるわたし。初めから代々の人を呼び出すもの、初めであり、後の代と共にいるもの」。預言者第二イザヤがバビロン捕囚の神の民に語られた御言葉です。ネブカドネツァル王が歴史の支配者ではない。主なる神こそが歴史の支配者である。

 

3.死者の中から最初に復活した方

(1)1節「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためにキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。この預言の言葉と朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである」。この手紙を書いたのは、僕ヨハネです。かつてアジア州の7つの教会を牧会していました。しかし、ローマ皇帝から教会員と引き離され、地中海にあるパトモスの島に流刑されました。主の日、神からの啓示、見せられた幻、今おられ、かつておられ、今、将に来たらんとするイエス・キリストを、ヨハネは証しし、アジア州の7つの教会に伝えました。ヨハネの黙示録は、アジア州の7つの教会が主の日の礼拝で朗読され、聴かれた御言葉です。「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである」。伝道者ヨハネが語った言葉は「預言の言葉」です。将来、起こることを予言する言葉というより、神から預かった言葉です。「神の言葉」です。伝道者パウロはコリントの信徒への手紙一14章で、今日の「説教」を「預言の言葉」と語りました。ヨハネの黙示録は主日礼拝で語られ、聴かれた説教です。

 主日礼拝で、「預言の言葉」が朗読され、聴かれ、その御言葉に生かされる人は「幸いである」。ヨハネの黙示録に、「幸いである」という言葉が7回語られます。14・13、16・15,19・9,20・6,22・7,22・14。主イエスの山上の説教の7つの幸いと響き合っています。ヨハネが語った主日礼拝の説教は、迫害の只中で、幸いを告げる言葉、祝福を告げる言葉でした。

 

(2)4節「ヨハネからアジア州にある7つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる7つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平安があなたがたにあるように」。手紙・説教の冒頭にあるイエス・キリストからの祝福の挨拶・言葉です。伝道者ヨハネはここでもイエス・キリストを様々な言葉で紹介しています。「証人」「誠実な方」「死者の中から最初に復活した方」「地上の王たちの支配者」。「証人」と「誠実な方」は、「誠実な証人」と一つに訳すことも出来ます。「証人」という言葉は「殉教者」を意味する言葉となりました。ローマ皇帝の迫害の中で、多くの殉教者が生まれました。しかし、最初の殉教者は十字架につけられた小羊キリストです。「死者の中から最初に復活した方」は「死者の最初の息子」という面白い言葉です。死がイエス・キリストを呑み込み、滅ぼそうとした。ところが、イエス・キリストにより、死の毒気を抜かれ、死がイエス・キリストを吐き出した。死が最初の息子を産み出した。それが死に勝利され甦られたイエス・キリスト。死者の中から最初に復活した方。殉教したキリスト者も、最初に復活したイエス・キリストに続いて、終わりの日、復活させられるのです。

 5b節「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン」。キリストへの頌栄です。ヨハネの黙示録は「アーメンの黙示録」と言われ、「アーメン」が繰り返されます。主イエスこそ「アーメンである方」(3・14)です。御自分の血により罪から解放して下さったイエス・キリストにより、私どもは誰からも支配されない王とされ、同時に、父なる神に仕える祭司とされるのです。ルターが『キリスト者の自由』の冒頭で記した言葉です。キリスト者は誰からも支配されない王、すべてのものに仕える僕。

 

4.見よ、その方が雲に乗って来られる

(1)7節「見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、ことに彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン」。二つの旧約聖書の御言葉から成り立ちます。一つはダニエル書7章13節「夜の幻をなお見ていると、見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り、『日の老いたる者』の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない」。

 

(2)もう一つはゼカリヤ書12章9節「その日、わたしはエルサレムから攻めて来るあらゆる国を必ず滅ぼす。わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ」。二つの旧約聖書の御言葉は、イエス・キリストを証しする御言葉として、ヨハネは、初代教会は理解し、迫害に耐えました。

 

5.御言葉から祈りへ 

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 9月6日祈り マルコ10・14~15 

「愛しまつる在天の父よ、あなたが子らであるわれらに与えてくださるすべてのことにいかに感謝すべきでしょう。あなたがわれらの幼子の道を与えてくださる大いなる知恵と力とに、いかに感謝すべきでしょう。そうです、われらはみまえにあってよろこびたいのです。時に涙があふれそうになっても、われらは泣いたり、嘆いたりはしたくないのです。われらはただ、われらの子らを守ってください!とだけ、祈り願いたいのです。地上にあるあなたの子らをすべて守ってください。子らをおそう苦痛を取り去り、この世を救ってください。われらが時に苦しい道をあゆまねばならなくても、われらが苦しみ、忍ばなければならないすべてのことを、天国をいや増す戦い、地上にみ心をもたらす戦いにかえてくださいますように。もろもろの民に大いなるあわれみをもたらし、全世界に大いなるゆるしをもたらす戦いにかえてくださいますように。ゆるしは人間をくりかえし新しく生まれさせ、ついにはすべての人があなたの子と呼ばれるようにしてくださるのです。われらを守り、われらを助け、われらを祝福してください!そして救い主をわれらの間に生かし、われらが、身と魂においてますます強くなるようにしてください。アーメン」。

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