1.わたしはもう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の方角から上って来るのを見た
(1)ヨハネの黙示録は、ローマ帝国迫害の時代、パトモスの島に流刑された伝道者ヨハネが、主の日の礼拝において、甦られた主イエス・キリストによって見させられた天上の幻を書き留めた言葉です。天上の礼拝の中心である玉座に座っておられる神の右手に巻物がありました。その巻物には、地上の歴史において何が起こるのか、歴史はどこへ向かうのか、歴史の終わりに何が起こるのか、歴史を導いているのは誰なのか、が書き留められていました。しかし、その巻物は7つの封印で閉じられていて、誰も開くことが出来ませんでした。その巻物の封印を開くことが出来るのは唯一人。小羊キリストだけでした。6章では巻物の封印の内、第1から第6までが開かれました。第1の封印が開かれると、白い馬に乗った騎士が現れ、地上に弓矢が放たれ、警告がもたらされる。第2の封印が開かれると、赤い馬に乗った騎士が現れ、地上から平和を奪い取り、大きな剣が下され、戦争がもたらされた。第3の封印が開かれると、黒い馬に乗った騎士が現れ、地上に飢饉をもたらした。第4の封印が開かれると、青白い馬に乗った騎士が現れ、地上に死をもたらした。第5の封印が開かれると、ローマ帝国の迫害で殉教した者たちの魂が、天上の祭壇の下で大声で叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか」。主は答えられた。殉教者の数が満ちるまで、なおしばらく待つように」。第6の封印が開かれると、天変地異が起こった。神と小羊の怒りの大いなる日が来た。
(2)7章は第6の封印が開かれ、神と小羊の怒りの大いなる日が来た続きです。7章はこういう御言葉から始まっています。「この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた」。当時の世界観は、球体ではなく平面に広がる世界でした。大地の四隅から暴風が吹いて来て、災いがもたらされると考えられていました。大地の四隅に四人の天使が立ち、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえ、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていました。大地の四隅の四人の天使が風を支配していた。
2節「わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た」。太陽の出る方角。東です。キリスト教会は主の日の朝、太陽が上る方角を見ながら、太陽が上るように甦られた主イエス・キリストを礼拝しました。そこからオリエンテーション(東に向かって方向付ける)という言葉が生まれました。2b節「この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、こう言った。『我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地にも海も木も損なってはならない』」。神と小羊の怒りの大いなる日が来る前に、主キリストに従って死んだ神の僕たち、殉教者の額に、神の刻印が押される。「キリストのもの」であることを刻むしるしです。殉教者の数が満ちるまで、大地の四隅から暴風を吹かせ、大地も海も木も損なってはならない。
2.わたしは刻印を押された人々の数を聞いた、それは14万4千人であった
(1)ヨハネ黙示録が描く幻は黙示文学的描写と言われます。エゼキエル書にも同じ描写があります。バビロンの捕囚の地で、預言者エゼキエルが礼拝の中で天使から見させられた幻です。7章2b節「終わりが来る。地の四隅に終わりが来る。今こそ終わりがお前の上に来る」。4d節「そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる」。9章で、主の怒りの日が到来します。4節「主は彼に(腰に初期の筆入れを着けた者)言われた。『都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ』」。「老人も若者も、おとめも子供も人妻も殺して、滅ぼし尽くさなければならない。しかし、あの印のある者に近づいてはならない。さあ、わたしの神殿から始めよ」。主の審きは神殿から始まる。
(2)ヨハネ黙示録7章4節「わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは14万4千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。ユダ族の中から1万2千人が刻印を押され、ルベン族の中から1万2千人、ガド族の中から1万2千人、アシェル族の中から1万2千人、ナフタリ族の中から1万2千人、マナセ族の中から1万2千人、シメオン族の中から1万2千人、レビ族の中から1万2千人、イサカル族の中から1万2千人、ゼブルン族の中から1万2千人、ヨセフ族の中から1万2千人、ベニヤミン族の中から1万2千人が、刻印を押された」。神の刻印を押された者は14万4千人。黙示録には様々な数字が出て来ます。その象徴的な数字です。神の刻印を押され、神の国入れる定員を現す数字ではありません。
イスラエル民族は12部族から成り立っています。1部族が1万2千人。その12倍です。12は完全数、共同体が成り立つ数です。創世記49章に、死を間近にした族長ヤコブが12人の息子を祝福しました。ヤコブは主からイスラエル(主は支配し給う)という名を与えられました。ヤコブの12人の息子がイスラエル12部族となりました。創世記49章のヤコブの12人の息子の名の順序と、ヨハネ黙示録7章の12部族の順序は異なっています。ヨハネ黙示録で特徴的なのは、ユダ族が先頭にあることです。5章で、神の右手にある巻物の7つの封印を解き、開けるのは、ただ一人。5節「ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえ」、すなわち小羊キリストです。救い主キリストは、ユダ族、ダビデのひこばえから現れた。7章のイスラエル12部族の名簿は、救い主キリストを中心とする新しいイスラエル・教会を現しています。
3.救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と小羊のものである
(1)9節「この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を見に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ」。小羊キリストを中心とする新しいイスラエル・教会、14万4千人は、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集められた数え切れない程の大群衆でした。殉教のしるしである白い衣を身に着け、手にはなつめやしの枝、棕櫚の枝を持っていました。殉教の死を遂げた信仰の仲間、家族の葬儀の時の衣装と動作です。また、主イエスがろばの子に乗り、エルサレムに入場した時に、エルサレムの人々はなつめやしの枝を持ち、こう叫んで主イエスを王として迎えました。「ホサナ、主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」(ヨハネ12・13)。
10節「大声でこう叫んだ。『救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と小羊のものである』」。カルヴァンが礼拝の招詞に詩編124編8節を唱えました。「わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある」。それと響き合う言葉です。教会の信仰告白です。短いけれども私どもの信仰を端的に表した信仰告白です。
11節「また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして4つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、こう言った。『アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威光が、世々限りなくわたしたちの神にありますように、アーメン』」。5章では天上の礼拝の大きな賛美に、地上の礼拝の小さな賛美が共鳴しました。7章では地上の礼拝の賛美に、天上の礼拝の賛美が共鳴しています。
(2)13節「すると、長老の一人がわたしに問いかけた。『この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか』。そこで、わたしが、『わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです』と答えると、長老はまた、わたしに言った。『彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである』」。イザヤ書1章15節。「お前たちの血にまみれた手を、洗って、清くせよ」。18節「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても、羊の毛のようになることができる」。私どもの罪の血が衣に染み込んだら、洗い落とせません。私どもの罪の血を小羊キリストの血で洗い落とす。小羊の血で洗い落とせば、更に赤く染まる。しかし、小羊の血で洗えば白くなる。白い衣となる。15節「それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る」。エジプトを脱出した神の民は荒れ野の40年間を幕屋を張って旅をしました。神が私どもの上に幕屋を張って、共に住んで下さる。教会は神の国を目指し、地上の荒れ野を旅する神の民です。神が私どもの上に幕屋を張って住んで下さる旅です。16節「彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない」。イザヤ書49章10節。「彼らは飢えることなく、渇くこともない。太陽も熱風も彼らを打つことはない。憐れみ深い方が彼らを導き、湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる」。
17節「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目の涙をことごとくぬぐわれるからである」。小羊キリストは私どもの牧者です。神の民は神の国を目指し、地上の荒れ野を旅します。様々な試練と誘惑に連続です。疲れ果て、座り込んでしまいます。涙が渇きません。しかし、小羊キリストが牧者となって導き、命の水の泉へ導き、魂を潤して下さる。私どもの目の涙をことごとく拭って下さるのです。この御言葉は詩編23編の御言葉と響き合っています。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることはない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のひとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。・・死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。・・命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう」。
4.御言葉から祈りへ (1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳)12月6日の祈り 黙示録22・17
「主よ、われらの神よ、在天の父よ、あなたはわれらと共にいようとしてくださいます。み顔をわれらの上に照らしてくださいます。われらの上にです。われらはあなたの子です。すべての人類の中にあってもあなたのみを求め、み心を求め、み国と、あなたが人間のために約束してくださったすべてのことを求めます。自分の思索し、感ずることの中で力を見いだし、われらの人間の生活があなたに属し、われら自身が、われらが持つすべてが、たとえわれらの意志を通じて果たされるとしても、み手のうちのものとなるようにしてください。われらはあなたの子になりたいからです。全能の神よ、み心を得たいのです。み国がほしいのです。主よ、われらは自分の神がほしいのです。あなたもそれを欲してくださいます。それゆえにみ名のために、そのことはなされなければならないのです。アーメン」。