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2023年12月13日

「ヨハネの黙示録を黙想する14~香の煙は天使たちの手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った~」

ヨハネの黙示録8章1~13節

牧師  井ノ川勝

1.小羊が第7の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた

(1)ヨハネの黙示録はローマ帝国迫害下、伝道者ヨハネが主の日、パトモスの島で、甦られた主イエス・キリストによって見せられた天の幻を書き留めた御言葉です。天上の礼拝の真ん中に玉座があり、神が右手に7つの封印された巻物を手にされていました。その巻物には、歴史がどこへ向かうのか。歴史に何が起こるのか。終末には何が起こるのか。歴史は誰が支配しているのか。そのようなことが記されていました。7つの封印された巻物を開くことが出来るのは、小羊キリストだけでした。5章より、小羊キリストが封印された巻物を一つ一つ開いて行きました。本日の8章は愈々、第7の封印を開く場面です。

(2)8章はこういう言葉から始まっていました。「小羊が第7の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた」。「天は半時間ほど沈黙に包まれた」。14万4千人の者たちの主への大合唱が止み、半時間、沈黙に包まれた。嵐の前の静けさです。沈黙の時がどれ程大切な時であるか。様々な声、音が響き渡る地上で過ごしていた伝道者ヨハネは、天上の沈黙に驚いたと思います。私どももコンサートの前の沈黙、競技の前の沈黙を経験します。しかし、何と申しましても、礼拝前の沈黙こそ、天の沈黙と相通じています。何の声も音もしない、緊張が張り詰めている静けさです。神の御前に立った時の張り詰めた空気です。神が何を語られ、何をなされるのか。期待と畏れとが支配します。ハバクク書2章19~20節「災いだ、木に向かって『目を覚ませ』と言い、物言わぬ石に向かって『起きよ』と言う者は。それが託宣を下しうるのか。見よ、これは金と銀をかぶせたもので、その中に命の息は全くない。しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ」。聖なる神殿に御臨在される神の御前に、沈黙せよと告げられる。

2節「そして、わたしは7人の天使が神の御前に立っているのを見た。彼らには7つのラッパが与えられた」。半時間、天の沈黙の中で、伝道者ヨハネは神の御前に7人の天使が立っているのを見ました。天使には7つのラッパが与えられていました。旧約の時代よりラッパは大切な楽器として登場します。しかし何と言っても、コリントの信徒への手紙一15章52節の御言葉が重要です。「最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます」。終末の死者の復活を告げるラッパの音色です。

2.香の煙は、天使たちの手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った

(1)3節「また、別の天使が来て、手に金の香炉を持って祭壇のそばに立つと、この天使に多くの香が渡された」。もう一人の天使が登場します。手に金の香炉を持って祭壇の側に立ちました。多くの香が渡されました。ラッパと共に重要なのは香です。香が何故、大切なのか。「すべての聖なる者たちの祈りに添えて、玉座の前にある金の祭壇に献げるためである」。香は祈りと結び付いています。「聖なる者たち」は殉教者だけを指しているのではなく、主イエス・キリストによって救われた者たちをも意味しています。イスラエルの民は祭壇に犠牲の小羊を献げ、それを焼いて、立ち上った香の煙で、神の怒りをなだめ、自分たちの罪が贖われたと確信しました。創世記8章20~21節。4節「香の煙は、天使たちの手から、聖なる者たちの祈りと共に神の御前へ立ち上った」。素晴らしい表現ですね。香の煙は、聖なる者たちの祈りと共に神の御前に立ち上って行くのです。ローマ帝国の迫害の中、キリスト者たちの祈りは天に届かない。虚しく消えて行くように思われた。しかし、天使たちの手によって、香の煙と共に聖なる者たちの祈りが、神の御前に立ち上って行くのです。

 エフェソの信徒への手紙5章2節「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」。私どもはもはや旧約の時代のように、犠牲の小羊を献げる必要はなくなった。キリストが御自分を香りのよい供え物として、私どものために神に献げて下さったからです。コリントの信徒への手紙二2章14~16節「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。滅びに至る者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命へ至らせる香りです」。私どもの祈りだけでなく、私どもの存在がキリストの香りなのです。キリストによって神に献げられる良い香りです。命から命へ至らせる香りです。それ故、私どもの祈りの香りは、主イエス・キリストの名によって、キリストに執り成されて、神の御前に立ち上るのです。

(2)5節「それから、天使が香炉を取り、それを祭壇の火を満たして地上へ投げつけると、雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こった」。終末の災いが始まります。8章5節以下より、厳しい終末の審きの描写が続きます。ヨ配しているように見える歴史の中に、神が介入され、神の御業が行われることを示しています。

6節「さて、7つのラッパを持っている7人の天使たちが、ラッパを吹く用意をした。第一の天使がラッパを吹いた。すると、血の混じった雹と火が生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった」。第一の天使がラッパを吹くと、血の混じった雹と火が地上に投げ入れられた。雷、稲妻です。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼けた。三分の二はまだ残っていることが強調されている。神はまだ悔い改める時を残しておられる。

8節「第二の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、また、被造物で海に住む生き物の三分の一は死に、船という船の三分の一が壊された」。火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。火山の爆発です。ヨハネ黙示録が書かれる前の紀元75年、ヴェスビオス火山の大爆発がありました。その出来事は反映している描写とも言えます。歴史に起こった出来事を、神の審き、神の警告と受け留めました。

3.不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者たち

(1)10節「第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は『苦よもぎ』といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ」。ここに「苦よもぎ」という言葉が出て来ます。ロシア語で「チェルノブイリ」です。チェルノブイリの原発事故が起きた時、黙示録のこの御言葉が注目されました。放射能が水を汚染すると、私どもは水も魚も飲めなくなり、食べられなくなります。東日本大震災による福島の原発事故で、今でも味わっている苦き出来事です。しかし、ヨハネ黙示録が語る出来事を、歴史に起こった具体的な一つ一つの出来事と結び合わせて解釈するということは、危険なことでもあります。私ども人間が神のように霊視を支配している現実に、神の警告がなされることにより、人間の驕りが打ち砕かれ、神こそが歴史を支配していることを畏れをもって知るのです。

(2)12節「第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった。また、見ていると、一羽の鷲が空高く飛びながら、大声でこう言うのが聞こえた。『不幸だ、不幸だ、不幸だ、地上に住む者たち。なお三人の天使が吹こうとしているラッパの響きのゆえに』」。一羽の鷲が空高く飛びながら、大声で叫んだ。「不幸だ、不幸だ、不幸だ」。この御言葉は「ウーアイ」という鷲の声、呻きの声から生まれた言葉です。「禍だ」という意味です。主イエスもこの言葉を語られました。マタイ福音書23章13節以下。主イエスが十字架の死を目前として、律法学者、ファリサイ派の人々を厳しく批判した場面です。「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ」という言葉が繰り返されます。特に27節「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」。主イエス自らは「ウーアイ」と言って呻いておられます。

 37節「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度も集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられ荒れ果てる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない」。主イエスは「ウーアイ」と呻きながら、神の審判きを私どもに代わって自らの身に受けられるために、十字架の道を歩まれたのです。

4.御言葉から意の呂へ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 12月13日の祈り エゼキエル36・26~27 「主よ、われらの神よ、あなたはあなたの霊を天地に吹かせ、すべてのものをいきいきとさせてくださいます。聖なる霊をわれらにもふれさせ、あなたの約束のゆえに、み心のゆえにわれらが願うとおりの意味で、われらの生活をいのちあるものとしてください。われらを新しい人間として、この世の禍いが、まして罪が、われらを支配することのあり得ないようにしてください。天上へと導きさえもする地上の最高の善のために戦士となりうるように、われらを新しくしてください。今日の時代にいかなる場所、いかなる遠い辺境においても、ひとりの心に救い主を慕う嘆きが宿るところでは、その願いを聞き届けてください。われらは彼らのすべてのために祈り願います。あなたはわれらの願いを聞いてくださるでしょう。人間の内面を高くたかめるもろもろの力をもお送りください。そしてこの世のいっさいの不正にもかかわらず、いっさいの反抗や危険にもかかわらず、大いなる、よろこびに満ちた民が地上に存在するようにしてください。いかなるところ、地の果てにおいても、よろこびの民があるようにしてください。その民はあなたに信頼しています。われらが自分と、すべての人々のために祈り願うゆえに、あなたがわれらに与えてくださる大いなる恵みにより、その手に勝利を得ているのです。アーメン」。

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