1.底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り
(1)ヨハネの黙示録は、ローマ帝国の迫害の下、伝道者ヨハネが主の日の礼拝で、甦られた主イエス・キリストによって見させられた天の幻を書き留めた言葉です。天の礼拝の真ん中の玉座に神が座られ、右手に七つの封印をされた巻物を持っていました。その巻物には、歴史がどこへ向かうのか、歴史の将来に何が起こるのか、歴史の終末はどうなるのか、歴史を支配しているのは誰なのかが記されていました。七つの封印された巻物を、小羊キリストが開いて行きます。第七の封印を開くと、7人の天使が7つのラッパを持ち、ラッパを吹いて行きます。前回見た8章は、第1の天使から第4の天使がラッパを吹きました。災いが地上に起こりました。今日の9章は、第5の天使、第六の天使がラッパを吹き、地上に災いが起こる場面です。災いが激しさを増して行きます。これらの災いは終末に起こる災いであり、同時に、歴史において今、直面している災いでもあります。その災いの意味を説き明かしていると言えます。
(2)9章はこういう言葉から始まりました。「第5の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた」。一つの星が天から落ちてくる。この星は天使だと言われて来ました。墜落した天使です。すなわち、サタンです。サタンも主に仕える天使の一人です。ヨブ記もそのような理解でした。「この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられ」。「底なしの淵」とは陰府を意味します。陰府とは、神の御手が及ばないところであり、命を呑み込み、滅びへもたらす暗黒です。2節「それが底なしの穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった」。
3節「そして、煙の中から、いなごの群が地上へ出て来た」。いなごの大量発生はしばしば太陽の光さえも遮り、人々に恐怖をもたらしました。出エジプト記には、エジプト脱出を許さない頑ななパロに、神が降された10の災いがありました。その第8の災いが、いなごの大量発生でした(出エジプト記10章)。ヨエル書1章4節にもこうあります。「かみ食らういなごの残したものを、移住するいなごが食らい、移住するいなごが残したものを、若いいなごが食らい、若いいなごが残したものを、食い荒らすいなごが食らった」。3b節「このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた。いなごは、地の草やどんな青物も、またどんな木も損なってはならないが、ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された」。ただのいなごではありません。さそりのような毒をもっている。しかし、このいなごが攻撃するのは草、青物、木ではなく、額に神の刻印が押されていない者です。7章に天使が、神の僕たちに神の刻印を押すまで、大地も海も木も損なってはならないとありました。「神の刻印」とは、神のものであることを表す印です。
5節「殺してはいけないが、5か月の間、苦しめることは許されたのである」。「5か月間」とは永遠ではなく、限りがある期間です。5b節「いなごが与える苦痛は、さそりが人を刺したときの苦痛のようであった。この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、死を望んでも、死の方が逃げて行く」。死にたいと思っても死ねない、死を望んでも死の方が逃げて行く程の苦痛は、測り知れないものです。
2.4人の天使は人間の3分の1を殺すために解き放たれた
(1)7節「され、いなごの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、頭は人間の顔のようであった」。『バンベルク黙示録』と呼ばれる画集があります。黙示録の場面を絵に描いた画集です。この場面も、人間の顔をしたいなごが、尾にさそりの針、頭に冠をかぶり、馬のように底なしの淵の穴から飛び出した場面の絵が描かれています。人間の顔をしたいなご。言い換えれば、人間がいなごのようになって行く。カルヴァンが『ジュネーヴ教会信仰問答』で、神を知らない人間は猛禽より劣ると語った言葉を想い起こします。底なしの淵、暗黒の陰府に宿る象徴です。8節「また、髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。また、胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった。更に、さそりのように、尾と針があって、この尾には、5か月の間、人に害を加える力があった」。11節「いなごは、底なしの淵の使いを王としていただいている。その名は、ヘブライ語でアバドンといい、ギリシャ語の名はアポリオンという」。底なしの淵のいなごの王の名は、ヘブライ義で「アバドン」、ギリシャ語で「アポリオン」と言った。いずれも「滅びをもたらす者」という意味です。17世紀の信徒伝道者バニヤンが『天路歴程』を記しました。キリスト者が神の国を目指し地上を旅する道中で、様々な誘惑に遭遇します。その生き物の一人が、黙示録に登場する「滅びをもたらす者」、いなごの王、滅びの王です。いなごの王は問いかけます。「あなたは私の王国を逃れて、どこへ行くのか」。キリスト者は答えます。「私はあなたの家来ではない。私は真実な王に見出されて、その方に全てを委ね、従っている」。滅びの王はキリスト者を攻撃する。キリスト者は打ち負かされてしまう。しかし、絶体絶命の時に、御言葉の剣を手にして反撃する。バニヤンは黙示録の滅びの王を、地上の信仰の戦いの中に見ていました。
(2)12節「第一の災いが過ぎ去った。見よ、この後に、更に二つの災いがやって来る。第6の天使がラッパを吹いた。すると、神の御前にある金の祭壇の四本の角から一つの声が聞こえた。その声は、ラッパを持っている第6の天使に向かってこう言った。『大きな川、ユーフラテスのほとりにつながっている4人の天使を放してやれ』。4人の天使は、人間の3分の1を殺すために解き放された。この天使たちは、その年、その月、その日、その時間のために用意されていたのである」。ユーフラテス川ほとりは、東の境と言われて来ました。古代メソポタミア文明が栄えた地です。信仰の父アブラハムの出身地です。同時に、イスラエルの民を滅ぼすために、アッシリア帝国、バビロニア帝国がやって来た地です。東の境にいた4人の天使が解き放たれる。人間の3分の1を滅ぼすためです。8章で、7つのラッパを持つ7人の天使の内、第1の天使から第4の天使がラッパを吹いた時、地上に災いが降され、3分の1が滅ぼされました。恐ろしい数です。3分の1が滅ぼされたということは、3分の2が残っている。神は滅ぼすことが目的ではなく、悔い改めて神に立ち帰ることを求めておられる。
16節「その騎兵の舵は2億、わたしはその数を聞いた」。4人の天使が従えた騎兵の数は2億。凄まじい数です。近づいて来る足音は滅びをもたらす不気味な足音です。17節「わたしは幻の中で馬とそれに乗っている者たちを見たが、その様子はこうであった。彼らは、炎、紫、および硫黄の色を胸当てに着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは吐く火と煙と硫黄とを吐いていた。その口から吐く火と煙と硫黄、この三つの災いで人間の3分の1が殺された。馬の力は口と尾にあって、尾は蛇に似て頭があり、この頭で害を加えるのである」。2億の騎兵が乗っている馬の口から、火と煙と硫黄が吐かれ、人間の3分の1が殺された。当時、火山の爆発で、火と煙と硫黄で多くの人々が死んだ出来事と重なりあっています。
3.自分の手で造ったものについて悔い改めず、偶像を礼拝することをやめなかった
(1)20節「これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものについて悔い改めず、なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれで造った偶像を礼拝することをやめなかった。このような偶像は、見ることも、聞くことも、歩くこともできないものである。また彼らは人を殺すこと、まじない、みだらな行い、盗みを悔い改めなかった」。殺されずに残った人間も、悔い改めず、自分の手で造った偶像を礼拝することを止めなかった。見ることも、聞くことも、歩くことも出来ない偶像を、神として崇める。預言者の偶像批判と響き合います。エレミヤ10章3~5節。「きゅうり畑のかかしのようで、口も利けず、歩けないので、運ばれて行く。そのようなものを恐れるな。彼らは災いをくだすことも、幸いをもたらすこともできない」。
ここで二度も「悔い改めず」が繰り返されています。神が求めていることは、悔い改めて神に立ち変帰ることです。9章は誠に厳しい審きが語られていました。底なしの淵の通じる穴から出来来たいなご、東の境の4人の天使が解き放たれ、災いを降される。底なしの淵に通じる穴を開いたのは、天から地上に落ちて来た天使、神に仕える天使です。東の境の4人の天使を解き放たれたのも神です。神が降された審きです。たとえ3分の1の人間が滅びても、3分の2が残っている。悔い改めて神に立ち帰ることを神は待っているからです。恐ろしいことは、神の審きを受けても、尚、偶像礼拝、人を殺し、まじない、淫らな行い、盗みを悔い改めないことです。
(2)ローマの信徒への手紙10章7節「また、『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。これは、キリストを死者の中から引き上げることになります」。神が遣わされた主イエス・キリストは十字架に立たれ、底なしの淵、陰府まで降られました。ルターはそのことを讃美歌267で言い表しました。「神はわがやぐら、わがつよき盾、苦しめるときの、近きたすけぞ、おのが力、おのが知恵を たのみとせる、陰府の長も、なおおそるべき」。「あくま世にみちて よしおどすとも、かみの真理こそ わがうちにあれ、陰府の長よ ほえ猛りて 迫り来とも、主のさばきは 汝がうえにあり」。終わりの日に来られる主キリストのいのちの足音を聴こう。
4.御言葉から祈りへ (1)ブルーハルト『ゆうべに祈り』(加藤常昭訳)12月20日 マタイ11・5「主よ、われらの神よ、われらは感謝します。あなたはわれらを栄光の日の中に入れてくださいました。み恵みの光を、イエス・キリストの恵みの光を明るくわれらの心のうちに照らしてください。そしてわれらが現実に霊から生まれ、困難な時代にあっても、あなたの子としてあなたに仕えるようにしてください。あなたの力によって、あなたの啓示によって、いっさいの地上のものからわれらをもぎ放ってください。心配からも、よろこびからもわれらをもぎ放ってください。主なる神よ、われらはあなたの子なのです!われらは天にあってもあなたの子としてみまえに現われます。あなたに道を備える民になるために、あなたはわれらを受けいれてくださいます。それゆえにわれらが聞くすべてのことばが、われらにおいて祝福を受けるものとしてください。イエス・キリストの日のゆえにわれらに歓喜させてください。キリストの日は大いなる力と栄光によって始まりました。そして大いなる力と栄光のうちに終えるのです。その時すべてのものは、あなたの善き、恵みある、完全なご計画に従い、完成するのです。そうです、神よ、あなたの子らはあなたに請い願います。われらを受け入れてください。われらの祈りを聞いてください。われらの心に光を燃やし、あなたの大いなる日に至らせてください!アーメン」。