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2024年1月24日

「ヨハネの黙示録を黙想する20~わたしは一匹の獣が海の中から上って来るのを見た~」

ヨハネの黙示録13章1~10節

井ノ川勝

1.わたしは一匹の獣が海の中から上がって来るのを見た

(1)ヨハネの黙示録は、ローマ帝国の迫害下、伝道者ヨハネが流刑されたパトモスの島で、主の日の礼拝を捧げていた時に、甦られた主イエス・キリストによって見させられた天の幻を書き留めた言葉です。天の幻の中心の玉座に神が座っておられ、手に7つの封印をされた巻物を持っておられました。その7つの封印を小羊キリストが次々に解いて行かれる。最後の第7の封印を開かれた時、7人の天使が現れ、次々にラッパを吹いて行かれました。第7の天使がラッパを吹いた時に、最後の災いが起こりました。女と竜が現れた。女は男の子を産んだ。主イエスを産んだ女マリアは、教会を現していました。竜は女が産んだ男の子イエスを食べようとしていた。荒れ野へ逃げた女、教会を追いかけて行った。竜とはサタンを現しています。竜は天上で、天使長であるミカエル、すなわち、主イエス・キリストと戦ったが、勝てなかった。地上に投げ落とされました。地上に投げ落とされた竜・サタンは、海辺の砂の上に立った。地上で最後の戦いをするために、海辺の砂の上に立った。それが12章の最後の言葉でした。象徴的な言葉で閉じられていました。

 

(2)「そして、竜は海辺の砂の上に立った」。この言葉を受けて、13章はこのような言葉から始まっています。「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た」。伝道者ヨハネは流刑されたパトモスの島の海辺に立ち、海の向こうにいる、かつて伝道、牧会したアジア州の7つの教会の教会員を想い起こしていたと思われます。しかし同時に、伝道者ヨハネは幻の中で、一匹の獣が海の中から上って来るのを見ました。海は陰府に通じる入口でもあります。時に海は荒れ狂い、人間の命を呑み込みます。それ故、古代人は海を恐れました。陰府に通じる海の中から、一匹の獣が上って来た。「これには10本の角と7つの頭があった。それらの角には10の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまな名が記されていた」。竜はサタンです。竜に導かれて海の中から上げって来た獣とは、ローマ皇帝を現しています。ローマ皇帝は自らを神と称し、皇帝礼拝を強要しました。皇帝礼拝を拒否した教会、キリスト者は迫害を受けました。キリスト者が信じる神を冒涜しました。

 ヨハネ黙示録13章の叙述とよく似ているのが、ダニエル書7章です。共に黙示文学的な叙述をしています。2節「ある夜、わたしは幻を見た。見よ、天の四方から風が起こって、大海を波立たせた。すると、その海から四頭の大きな獣が現れた」。第一の獣は獅子のようであり、第二の獣は熊のようであり、第三の獣は豹のようであり、第四の獣はものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、10本の角があった。この四頭の獣とは、地上に起こる4人の王を意味していました。第1の王は新バビロニア帝国のネブカドレツァルから始まり、第4の王はマケドニア帝国を打ち立てたアレクサンダー大王を現しています。

 

2.竜はこの獣に自分の力と王座と大きな権威とを与えた

(1)2節「わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた」。竜であるサタンは、獣であるローマ皇帝に悪魔的な力と権威を与えた。地上の権力者は真実な神を見失うと、自らが神となり、悪魔的な力と権力を帯び、悪魔的な存在になる危険性があります。主イエスが宣教を開始される直前、荒れ野に導かれ、悪魔から三つの誘惑を受けられました。第三の誘惑は、悪魔を神として拝んだら、頂上の栄華、権力を全て与えようという誘惑でした。

 ヨハネ黙示録13章とローマの信徒への手紙13章は、しばしば国家とは何かを論じる時に取り上げられる御言葉です。ローマ書13章はこう語ります。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」。国家、権力者もまた神によって立てられたものであり、従うべき存在であると語られます。しかし、ヨハネ黙示録13章は、国家、権力者もまた悪魔的な存在になることが警告されています。それは歴史を生きる私どもが絶えず経験して来たことです。教会は国家から遊離して存在しているのではなく、国家の中に存在しています。それ故、国家とどう向き合うかはいつも問われることです。「教会と国家」という主題は絶えず問われます。

 カルヴァンが『ジュネーヴ教会信仰問答』で、神を神として礼拝しない時、私ども人間は人間ではなく、獣になると警告しています。

 

(2)3節「この獣の頭には一つの傷がつけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した」。竜・サタンが立てた獣とは、ローマ皇帝を現します。特にこの獣は頭に一つの傷を負い、死んだと思われたが、致命的な傷も治っていた。不死身のローマ皇帝とは誰が。皇帝ネロです。教会に対し、キリスト者に最も残虐な迫害を加えた皇帝でした。しかし、ネロは紀元68年に自殺しました。このネロが生き返ったのか。黙示録が書かれた時代のローマ皇帝はドミティアヌス帝でした。ネロの再来と言われ、ネロに優るとも劣らぬ迫害を教会、キリスト者に加えました。自らを神として皇帝礼拝を強要しましたが、キリスト者はローマ皇帝の前でひれ伏しませんでした。

 4節「竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。『だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか』」。誰も獣であるローマ皇帝に太刀打ちできる者はいない。ローマ皇帝を拝む者たちはそのように勝ち誇っている。

 

3.ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である

(1)5節「この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、42か月の間、活動する権威が与えられた」。獣と呼ばれる地上の権力者は大言と冒涜の言葉を吐く権威が口に与えられていた。悪魔的な言葉は人々を魅惑し、惹き付ける魅力がある。それ故、惑わされる。42か月間、活動する権威が与えられた。42か月は黙示録でよく用いられる数字です。3年半です。完全数の7年の半分ということは、獣の支配は永遠ではない。しばらくの限定的な期間です。

 6節「そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒涜した」。獣であるローマ皇帝は神を冒涜し、神の名を冒涜し、神の幕屋である教会に生きる者たち、天に上げられ、天に住む者たちを冒涜した。冒涜の言葉は天にまで達した。7節「獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた」。獣であるローマ皇帝は聖なる者たち、教会に連なるキリスト者と戦い、これに勝つことが許された。また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた」。ここで注目すべきは、「これに勝つことが許された」、「支配する権威が与えられた」。誰が許し、与えたのか。主なる神です。42か月間、3年半の限られた期間、勝つことが許され、支配する権威が神から与えられた。しかし、永遠の勝利、永遠の支配ではない。

 

(2)8節「地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう」。エフェソの信徒への手紙1章4節の御言葉と響き合います。「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです」。カルヴァンが強調する「選び」の信仰です。神の選びは天地創造前より、キリストにおいて選ばれた。それ程、確かなものである。しかし、天地創造の時から、屠られた小羊の書にその名が記されていない者たちは皆、獣を拝む。しかし、あなたがたは天地創造の時から、屠られた小羊の書、天にある命の書にその名が記されているから、屠られた小羊キリストを拝む。

 9節「耳ある者は、聞け。捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、剣で殺される」。「耳ある者は、聞け」。伝道者ヨハネがアジア州の7つの教会に宛てた手紙の結びに用いた言葉です。3章5節「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。耳ある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい」。

 9b節「ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である」。改革派教会が重んじた「聖徒の堅忍」の信仰です。地上を生きる教会は様々な誘惑、試練に直面し、堅忍を必要とする。その堅忍は自分の内から生じるのではなく、神の堅忍に支えられている。

 4節で「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか」と獣を拝んでいる者が叫んでいる。しかし、傷を負いながら生き返った獣に立ち向かう存在こそ、傷を負うて甦られた称羊キリストです。14章1節で、「見よ、小羊がシオンの山に立っており」。小羊キリストが先頭に立って、獣と戦って下さるのです。その小羊キリストの後に、私ども聖徒も自分の十字架を負うて従い、忍耐して戦うのです。

 

4.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 1月24日の祈り イザヤ54・19

「主よ、われらの神よ、感謝します。あなたは愛をわれらに与え、われら人間が正義と善とにいよいよ近づくことを得させてくださいます。聖なる霊をいかなるところにも満たし、不都合が克服され、人間の知恵をもってしても、あなたの義が何であるかを認識しうるようにしてください。われらの道のすべてにおいて、肉体と人生の圧迫、病やあらゆる種類の困窮の圧迫の中にあって、われらをお守りください。そうしたものの中においても、あなたのうちにある真理と義とへわれらを向かわしめる助けが生まれてくるようにしてください。アーメン」。

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