1.然り。全能者である神、主よ、あなたの裁きは真実で正しい
(1)多くの方がヨハネ黙示録16章に注目します。それは16節に「ハルマゲドン」という言葉が語られているからです。オウム真理教がこの言葉を引用し、サリンを撒き、終末が来たことを煽りました。黙示録は恐ろしいという印象を植え付けました。しかし、それは誤った黙示録理解です。黙示録は、流刑されたパトモスの島の主の日の礼拝において、伝道者ヨハネが甦られた主キリストから天の幻、終末に起こる出来事を見せられ、それを書き留めた御言葉です。前回の15章で、七人の天使が最後の七つの災いが盛られた鉢を持って登場しました。16章は七人の天使が次々に七つの鉢に入った災いを地上に注ぐ場面です。
16章はこういう言葉から始まっています。「また、わたしは大きな声が神殿から出て、七人の天使にこう言うのを聞いた。『行って、七つの鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぎなさい』」。天の神殿から聴こえて来た大きな声とは、神の声です。「行って、七つの鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぎなさい」。2節「そこで、第一の天使が出て行って、その鉢の中身を地上に注ぐと、獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた」。13章に登場した「竜」はサタン、サタンに導かれた「獣」はローマ皇帝、獣の刻印を押されている者たちは、ローマ皇帝に仕える偽預言者、皇帝礼拝をする者たちです。第一の鉢の災いを注ぐと、それらの者たちに悪性の腫れ物が出来ました。
3節「第二の天使が、その鉢の中身を海に注ぐと、海は死人の血のようになって、その中野生き物はすべて死んでしまった」。
(2)皆さんは、既にお気づきになったと思います。ここで語られる七つの災いは、出エジプト記7章8節~10章で語られる10の災いと対応しています。杖を蛇に変える、血の災い、蛙の災い、ぶよの災い、あぶの災い、疫病の災い、腫れ物の災い、雹の災い、いなごの災い、暗闇の災い。そして最後の災いが、エジプト人の家を撃つ、主の過越でした。神が神の民イスラエルを奴隷の家、エジプトから脱出させるために行った災いです。
4節「第三の天使が、その鉢の中身を川と水の源に注ぐと、水は血になった。そのとき、わたしは水をつかさどる天使がこう言うのを聞いた。『今おられ、かつておられた聖なる方、あなたは正しい方です。このような裁きをしてくださったからです。この者どもは、聖なる者たちと、預言者たちとの血を流しましたが、あなたは彼らに血をお飲ませになりました。それは当然のことです』」。水は神が創造されたものの中で、人間、生き物が生きる上で欠くことの出来ないものです。その水を司る天使の賛美の言葉です。「今おられ、かつておられた聖なる方、あなたは正しい方です」。神が天地を創造されたからこそ、神が世界を義しく審くことが出来るお方です。サタン、獣である権力者が世界を義しく裁くことは出来ない。
水を司る天使の賛美に呼応して、天の祭壇で礼拝する者たちが賛美します。7節「わたしはまた、祭壇がこう言うのを聞いた。『然り、全能者である神、主よ、あなたの裁きは真実で正しい』」。神の審きは真実で義しい。
2.汚れた霊どもはハルマゲドンと呼ばれる所に、王たちを集めた
(1)8節「第四の天使が、その鉢の中身を太陽に注ぐと、太陽は人間を火で焼くことを許された。人間は、激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒涜した。そして、悔い改めて神の栄光をたたえることをしなかった」。獣に支配された者は獣を神として拝み、この世界の造り主であり、支配する神の名を冒涜する。悔い改めて神の栄光をたたえることをしない。「悔い改める」。黙示録が繰り返し強調する言葉です。「主に立ち帰る」という意味です。「主に立ち帰って神の栄光をたたえる」。黙示録が最も語りたいことは、この一事です。
10節「第五の天使が、その鉢の中身を獣の王座に注ぐと、獣が支配する国は闇で覆われた。人々は苦しみもだえて自分の舌をかみ、苦痛とはれ物のゆえに天の神を冒涜し、その行いを悔い改めようとはしなかった」。神は私ども人間に舌を与えられました。造り主なる神を賛美するためです。その舌を獣をほめたたえるために用い、更に舌を噛み、自殺することは、命を造られた神への冒涜です。
12節「第六の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水がかれて、日の出る方角から来る王たちの道ができた」。ローマ帝国の東には、パルテヤ人という騎馬民族が度々ローマ帝国に侵入し、脅かしました。その間を隔てていたユーフラテス川の水が涸れ、道が出来たということは、ローマ帝国を脅かすパルテヤ人が侵入しやすくなりました。
13節「わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである」。全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、竜の口、獣の口、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊、悪霊どもの霊が出て、全世界の王たちのところへ出て行った。竜であるサタン、獣であるローマ皇帝、偽預言者を支配しているのは、蛙のような汚れた霊、悪霊どもの霊である。蛙の霊に支配されている。滑稽に思えます。全東北大学の教授であった宮田光雄さんが『キリスト教と笑い』(岩波新書)を書かれています。終末信仰に生きるキリスト者は、どんなに切羽詰まった状況にあっても、ユーモアに生きる。神が与えて下さる心の余白に、ユーモアを注いで下さる。竜、獣、偽預言者を支配しているのは、蛙の霊。そのような悪霊は私どもを滅びへもたらすことは出来ない。ここにもユーモアがあります。
(2)16節「汚れた霊どもは、ヘブライ語で『ハルマゲドン』と呼ばれる所に、王たちを集めた」。神の大いなる日の戦いの場所が、ハルマゲドンです。「ハル」は山、「マゲドン」はメギドです。「メギドの山」という意味です。メギドはキネレト湖の南部にあります平野です。旧約の時代、重要な戦いがなされた場所です。士師記5章に、御名預言者デボラがカナンの軍勢と戦って勝利しました。「デボラの歌」に「メギドの流れのほとり」(19節)という言葉が用いられています。更に、列王記下23章で、南王国ユダの王ヨシヤが、エジプトの王ネコと戦いをして、戦死した場所がメギドでした。29節。歴代誌下35章22節で「メギド平野の戦い」と記されています。「哀歌」は名君ヨシヤを悼んだ歌と記されています。しかし、メギドは平野であって、「ハルマゲドン」(メギドの山)と呼ばれる場所はありません。しかし、最も近い山がカルメル山です。預言者エリヤがカルメル山で、バアルの預言者450人とアジェラの預言者400人と戦って勝利しました。列王記下18章。
3.目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである
(1)14節と16節に挟まれるようにして、15節が語られています。「見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである」。小羊キリストの言葉です。小羊キリストは神の大いなる日の戦いのために来て下さる。盗人のように、いつ来られるか分からない。しかし、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いなり。3章3節、サルディスの教会に宛てた手紙にこう語られました。「もし目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう」。3章18節、ラオディキアの教会に宛てた手紙にこうありました。「裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい」。目を覚まし、衣を身に着け、小羊キリストを待ち望む人は幸いなり。黙示録には7つ幸いという言葉が語られます。山上の説教の冒頭の7つの幸い、祝福に応答しています。1・3、14・13,16・15,19・9,20・6、22・7、22・14.黙示録は小羊キリストの幸い、祝福を告げる言葉です。21章で、小羊キリストが花婿として来て下さる時、新しいエルサレムは花嫁の衣装を身に纏って、花婿が来られるのを待っています。
(2)17節「第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ、『事は成就した』と言った。「鉢の中身を空中に注ぐ」。しばしば放射能を意味すると受け留められました。聖書は、創世記のこの御言葉から始まりました。「初めに、神は天地を創造された」。そして黙示録において、「事は成就した」と語られる。「完成した」という意味です。21章6節で再び語られます。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価」なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる」。
18節「そして、稲妻、さまざまな音、雷が起こり、また、大きな地震が起きた。それは、人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの大地震であった。あの大きな都が三つに引き裂かれ、諸国の民の方々の町が倒れた。神は大バビロンを思い出して、御自分の激しい怒りのぶどう酒の杯をこれにお与えになった。すべての島は逃げ去り、山々も消え失せた。一タラントンの重さほどの大粒の雹が、天から人々の上に降った。人々は雹の害を受けたので、神を冒涜した。その被害があまりにも甚だしかったからである」。「大バビロン」は14章8節で語られていました。「倒れた、大バビロンが倒れた」。旧約の時代、南王国ユダを滅ぼした帝国です。ここではローマ帝国を指しています。ローマ帝国は永遠なりと呼ばれていたが、神の怒りのぶどう酒を注がれ、倒れる、神が勝利するのだと、伝道者ヨハネは幻の中で見たのです。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳)2月28日の祈り 詩編57・11
「愛しまつる在天の父よ、あなたが昔も今もわれらに恵みふかくあり、あなたの大いなる慈愛と力とを明らかに示してくださったことを感謝します。主なる神よ、われらはあなたが明示してくださることによって生きます。全能なるあなたは地に奇跡を行ない、天を支配し、天がわれらを祝福し、地上のわれらの歩みにあってわれらを助けるようにしてくださいます。全世界にあなたの慈愛を、あなたの義を明らかに示してください!主なる神よ、身を起こし、あなたを信じるわれらのうちの光となり、全世界の光となってください!み名に栄光あらしめてください。あなたは天にあっても、地にあってもわれらの父にほかならず、われらの生を時と永遠にわたって確かなものとならせてくださるのです。アーメン」。