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2024年3月27日

「ヨハネの黙示録を黙想する29~小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いなり~」

ヨハネの黙示録19章5~10節

井ノ川勝

1.主に結ばれて生き、死ぬ幸い

(1)ヨハネの黙示録の特徴の一つに、「幸いなり」という言葉が7回繰り返されています。黙示録は恐れを告げる言葉ではなく、「神の祝福」を告げる言葉です。新約聖書の最初の文書、マタイ福音書5章の「山上の説教」の冒頭で、主イエスが7つの「幸いの教え」を告げておられます。その御言葉と響き合っています。「心の貧しい人々は幸いである」「悲しむ人々は幸いである」。新約聖書は「幸いなり」で始まり、「幸いなり」で結ばれています。「神の祝福」で始まり、「神の祝福」で結ばれています。あなたはどのような状況にあっても、神の幸い、神の祝福の中にあると告げています。

 黙示録の7つの幸いは次の御言葉です。1章3節「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである」。14章13節「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」。16章15節「見よ、わたしは盗人のように来る。目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである」。19章9節「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」。20章6節「第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である」。22章7節「この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである」。22章14節「自分の衣を洗い清める者は幸いである」。主に結ばれて生き、死ぬ幸いが告げられます。本日は第4の幸いの御言葉です。19章9節。

 詩編1編も「幸いなり」から始まります。「いかに幸いなことか、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」。御言葉を口ずさんで歩む幸いを告げます。そして詩編は「ハレルヤ」(主をほめたたえよ)で結ばれる。

(2)ヨハネ黙示録は、ローマ帝国の迫害の時代、アジア州の7つの教会で伝道・牧会していた伝道者ヨハネが、教会員と引き離され、エーゲ海のパトモスの島に流刑されました。主の日、数名の者で礼拝をしていた時に、甦られたキリストが現れ、天上の幻を見させられた。それを書き留めた御言葉です。私どもが生きる歴史で直面する様々な出来事の意味、そこに働く神の御業を書き留めた御言葉です。

 

2.わたしたちの神をたたえよ

(1)19章は、天からの大聖歌隊の歌声がこだましています。その賛美の中心にあるのは、「ハレルヤ」(主をほめたたえよ)でした。新約聖書の中で「ハレルヤ」が語られるのは、この箇所だけです。しかも4回も繰り返されます。1節「ハレルヤ。救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。その裁きは真実で正しいからである」。3節「ハレルヤ。大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る」。4節「アーメン、ハレルヤ」。6節「ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた」。

 天からこだまする大聖歌隊の賛美と対照的な歌声が地上の歌声です。それが18章で記されていました。地上の歌声の基調にあるものは、「不幸だ」(ウーアイ)です。喉の奥から生まれる呻きです。18章10節、16節、19節で三度繰り返されています。「不幸だ、不幸だ、大いなる都、強大な都バビロン」。「強大な都バビロン」は、強大な権力を持つローマ帝国です。それを17章では、赤い獣にまたがった大淫婦と言い表しました。人々を魅惑し、欲望を満足させる存在です。その中心に立つローマ皇帝を神として礼拝しないキリスト者たちは、迫害されました。「ウーアイ」(不幸だ)と呻きの歌を歌いながら生きていた。そのような歴史の現実の中で、天からの大聖歌隊の歌声を聴いたのです。「ハレルヤ」(主をほめたたえよ)。地上を生きるキリスト者にとって、慰めの歌声、励ましの歌声となりました。地上を生きる教会、キリスト者の足取りを導く基調音は「ウーアイ」ではなく、「ハレルヤ」です。

(2)本日の御言葉である19章5節「また、玉座から声がして、こう言った」。天からの大聖歌隊の歌声は続きます。「すべて神の僕たちよ、神を畏れる者たちよ、小さな者も大きな者も、わたしたちの神をたたえよ」。教会に生きるキリスト者は、「神の僕」です。神の奴隷です。喜んで神に仕える者です。「神を畏れる者」です。地上の権力者を恐れるのではなく、神のみを畏れる者です。地上の権力者をたたえるのではなく、「わたしたちの神」をたたえる者です。わたしたちの神を賛美する者です。

 6節「わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた」。天からの大聖歌隊の歌声が、水のとどろき、激しい雷のように聴こえました。「ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた」。地上ではローマ皇帝が玉座に着き、王として絶大な権力を有し、世界を支配しています。しかし、天と地を支配する真実の王、玉座に座す真の王は、わたしたちの神である主です。「ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた」。王の即位を告げる歌です。私どもは真実の王である神の御前でひざまずき、「ハレルヤ」と賛美し、礼拝するのです。

 7節「わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう」。わたしたちの神である主が王となられた。わたしたちは大いに喜び、神の栄光をたたえるのみ。7b節「小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである」。「小羊の婚礼の日」。黙示録は、十字架で私どものために犠牲となられた小羊キリストを、「小羊キリスト」と呼びます。黙示録の信仰告白、キリスト告白です。小羊キリストの婚礼の日が来る。そのために花嫁は用意を整えた。「花嫁」とは教会を表します。私どもキリスト者のことです。花嫁は輝く清い麻の衣を着せられた。キリスト者は洗礼を通して、キリストという衣を身に纏った。花婿・小羊キリストと花嫁・教会との婚礼が終わりの日に起こる。

それが黙示録の頂点である21章です。「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た」。創世記1章で、神の天地創造の御業が語られました。終わりの日、神は新しい創造の御業を行われる。それは花婿・小羊キリストと花嫁・教会との婚礼です。3節「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」。

 

3.小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ

(1)9節「それから天使はわたしに、『書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ』と言い、また、『これは、神の真実の言葉である』とも言った」。天使は伝道者ヨハネに、私どもに、小羊キリストの婚宴の招待状を届けに来ました。私どもキリスト者は花婿・小羊キリストの花嫁です。同時に、小羊キリストの婚宴に招かれた者です。何と幸いなことでしょう。私どもが生きる歴史は、小羊キリストの婚宴に向かっているのです。この招待状は神の真実の言葉である。それ故、書き記せ。

 10節「わたしは天使を拝もうとしてその足もとにひれ伏した。すると、天使はわたしにこう言った。『やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。イエスの証しは預言の霊なのだ』」。小羊キリストの婚宴の招待状を受け取った伝道者ヨハネは、将に喜びの知らせ・福音を受け取り、天使を拝もうとして、その足下にひれ伏しました。同じ出来事が22章8~9節で語られます。天使礼拝です。実際、キリスト教会の中で、天使礼拝が行われたこともありました。しかし、天使も神に造られた被造物です。神に仕える者です。神ではありません。それ故、天使は伝道者ヨハネに語ります。「やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ」。「神を礼拝せよ」。この御言葉は黙示録で繰り返し語られる中心メッセージです。4:10.5:14,7:11,11:16,19:4,10,22:3,9。ローマ皇帝でもなく、人間が造り上げた神でもなく、天使でもなく、ただ神のみを礼拝せよ。黙示録はこの一点に力を注いでいるのです。ここに私どもの信仰のいのちがあるからです。

(2)ここで天使が語っている言葉は重要です。天使がどのような存在なのかが語られているからです。「わたしはあなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である」。「イエスの証し」という言葉は黙示録が強調する言葉です。冒頭の1章2節で語られていました。「ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分見たすべてのことを証しした」。主イエスが言葉と存在を通して証しした神の救いの出来事を、私どもも言葉と存在を通して証しして行く。天使も、イエスの証しをしている私どもと同じ兄弟、私どもと同じ神に仕える者。「仕える者」とは「神の僕」です。天使の神の僕です。神を礼拝し、神に喜んで仕える神の僕として生きる。私どもの信仰の先達は祈りの中で、自らを「僕は」と言いました。今日、失われている大切な祈りの言葉です。黙示録が強調する「神を礼拝せよ」。それは「神の僕として、神に仕えて生きよ」です。

 

4.御言葉から祈りへ

(1)ブルーハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 3月27日の祈り コリント二1・20

「主よ、われらの神よ、われらはみ顔のまえに集まっています。あなたは大いなる約束をすべての人間のために、特にみ民のために与えてくださいました。われらはみまえにあってよろこんでいます。あなたの約束は確かであり、みわざはみ名のために明らかに示されるからです。われらの信仰がイエス・。キリストの恵みに常に根ざし、常に耐え忍び、どのような禍いの中にあってもあなたが支配し、よくしようとしていてくださるとののぞみを持つことができるように。主よ、われらの神よ、われらの父よ、われらは叫び求めます。鹿の水を求めて叫ぶごとく、われらの魂は、われらの時代にあってあなたに叫びます。天にいますわれらの父よ、み名が崇められますように!み国が来ますように!み国が天に行なわれるとおり、地にも行なわれますように!アーメン」。

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