1.さあ、塔の頂は天に届くようにして、名を上げよう
(1)オランダの画家ブリューゲルの「バベルの塔」は、ウィーンの美術館に展示されています。高い塔が天に向かって建設されています。左下には、この塔を建設した王の姿があります。ブリューゲルは「バベルの塔の物語」を、過去の物語ではなく、現代の物語であることを描きました。人類は天に向かって、文明を築き上げ、自分たちの名を上げ、誇示します。
「バベルの塔の物語」はこのような言葉から始まっています。「全地は、一つの言語、同じ言葉であった」。ノアの時代の洪水の出来事の後、全地は一つの言語、同じ言葉でありました。
2節「人々は東の方から移って来て、シンアルの地に平地を見つけ、そこに住んだ」。「シンアルの地」はバビロニア地方です。10章に「ノアの系図」があります。ノアの息子セム、ハム、ヤフェトから、世界の民族が広がって行きます。「セム」はイスラエル、アラブの諸民族、「ハム」はカナン人、アフリカの諸民族、「ヤフェト」はインド、ヨーロッパの諸民族となります。10章6節以下に、「ハム」の子孫が記されています。8節「クシュ(エチオピア)はまた、ニムロドをもうけた。彼は主の前において勇ましい狩人であった。それゆえこういうことわざがある。『主の前における勇ましい狩人ニムロドのようだ』。彼の王国の初めは、バベル、ウルク、アッカド、カルネで、シンアルの地にあった」。「バベル」という名は、バビロンに由来します。高い塔を建設した中心人物が、ニムロドです。ブルューゲルが描いた「バベルの塔」の右下に描かれている王は、ニムロドであり、16世紀のフランドル地方の王でもあります。20世紀初頭、バビロンの遺跡の発掘調査が行われた時、古代メソポタミア地方のジックラトという構造物が発見されました。階段状のピラミッドで、正面には上に登るための長い階段が備えられていました。神殿の一部で、宗教的施設でもありました。同時に、権力者の政治的権力、経済的繁栄を象徴していました。バベルの塔の起源は現代にまで引き継がれています。
(2)3節「彼らは互いに言った。『さあ、れんがを作り、よく焼こう』。こうして彼らにとって、れんがが石の代わりとなり、アスファルトが漆喰の代わりとなった」。人類の技術の進化が、文明を建設します。石がれんがに、漆喰がアスファルトに加工されます。
4節「さあ、我々は町と塔を築こう。塔の頂は天に届くようにして、名を上げよう。そして全地の面に散らされることのないようにしよう」。町と塔の建設。それは都市の建設であり、文明の建設です。4章17節に、「カインは町を築き、息子の名前にちなんで、その町をエノクと名付けた」。エデンの東に追放されたカインが、町の建設、都市の建設の先駆けとなりました。さて、問題は、都市の建設、文明の建設の中心に何を置くかです。「塔の頂は天に届くようにして、名を上げよう」。塔の頂が天にまで届く。それは自分たちが神の座に着くことです。神の名を崇めるのではなく、自分たちの名を上げることを目的とすることです。4章25節以下で、カインとアベルを失ったアダムとエバの間に、セトが生まれた。「神が私に授けられた」という意味です。セトにはエノシュが生まれた。「その頃、人々は主の名を呼び始めた」。ここで初めて、「主の名を呼ぶ」が登場しました。しかし、ノアの時代の洪水の後、再び人類は「主の名を呼ぶ」ことを忘れ、自分たちの名を上げ、崇めることに陥りました。
2.さあ、私たちは降って行って、彼らの言語を混乱させ
(1)5節「主は、人の子らが築いた町と塔を見ようと降って来て、言われた。『彼らは皆、一つの民、一つの言語で、こうしたことをし始めた。今や、彼らがしようとしていることは何であれ、誰も止められはしない。さあ、私たちは降って行って、そこで彼らの言語を混乱させ、互いの言語が理解できないようにしよう』」。
一つの民、一つの言語に生きる人類が、主から与えられた恵みを受け留めず、主の名を呼ぶのではなく、自分たちの名を上げ、崇めました。その結果が、天にまで届く高い塔の建設、人間の名が中心に立つ文明の建設です。神が人を創造された時、祝福して語られました。1章28節「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて、これを従わせよ。海の魚、空の鳥、地を這うあらゆる生き物を治めよ』」。ノアの時代の洪水の後、神はノアとその息子を祝福して語られました。9章1節「神はノアとその息子たちを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちよ。あらゆる地の獣、あらゆる空の鳥、あらゆる地を這うもの、あらゆる海の魚はあなたがたを恐れ、おののき、あなたがたの手に委ねられる』」。神の祝福は地に満ちて行く。全地に広がって行く。それが神の御心でした。しかし、人々はシンアルの地に平地を見つけ、そこに住み、天へと向かいます。天に届く高い塔の建設を始めました。全地に神の祝福を拡げて行くのではなく、「主の名を呼ぶ」ことを全地に拡げて行くのではなく、天に向かって自分たちの名を上げることを目的としました。
(2)人間が天へ向かう動きをする中で、神はどのような動きをされたのでしょうか。5節「主は、人の子らが築いた町と塔を見ようと降って来て」。7節「さあ、私たちは降って行って」。人間がどんなに天に向かって高い塔を築き、神の座に達しようしても、主は「降って来られる」。人間は神の座に達することができない程、神は天くにおられる。同時に、天高くにおられる神は降って来られる。「神は低きに降って来られる」。東京神学大学の左近淑先生は『低きに降る神』で、旧新約聖書を貫く神の特徴がここにあることを強調されました。出エジプト記3・8,詩編113・6、哀歌3・20「神は身を沈める」。
もう一つ、ここで注目すべき神の言葉があります。「さあ、私たちは降って行って」。神が自らを複数形で表しています。唯一の神が何故、複数形なのか。既に1章26節でも語られていました。「神は言われた。『我々のかたちに、我々の姿に人を造ろう』」。創世記11・7,イザヤ6・8.「尊厳の複数」「熟慮の複数」と言われています。神の尊厳を表す時、神の熟慮を表す時に用いられる複数形です。
7節「さあ、私たちは降って行って、そこで彼らの言語を混乱させ、互いの言語が理解できないようにしよう」。8節「こうして主は、人々をそこから全地の面に散らされた。そこで彼らは、その町を築くのをやめた。それゆえに、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言語を混乱させたからである。主はそこから彼らを全地の面に散らされた」。
主は降って行き、人間の言語を混乱させ、互いの言語を理解できないようにし、全地に散らされました。「バベル」という言葉は、「混乱させる」という意味です。ここから全地に諸民族が散らされて行ったと言われています。10章の「ノアの系図」は「諸民族の系図」でもあります。ノアの息子セム、ハム、ヤフェトから諸民族が分散して行きます。「セム」はイスラエル、アラブ諸民族、ハムはカナン人、アフリカの諸民族、ヤフェトはインド、ヨーロッパの諸民族です。10章5節、20節、31~32節に、同じ言葉で結ばれています。31節「これらは、その氏族と言語に従った、それぞれの地域と国ごとのセムの子孫である。以上が、国ごとの系図によるノアの子孫である。洪水の後、地上の諸国民は彼らから分かれ出た」。
3.バベル・混乱
(1)「バベルの塔の物語」は私たちに何を語りかけているのか。以前、アメリカの映画で、アカデミー賞を受賞した作品に、「バベル」がありました。主人公の女性は言葉を発することができません。日本人が演じました。「バベルの塔の物語」を現代の私たちの物語として描きました。心通い合わない社会の現実を描きました。一つの言語、同じ言葉であった時には心通い合っていたが、神に審かれて、諸民族、諸言語になって心通い合わなくなったという単純な物語ではありません。私たち人間は何によって心通い合い、互いの言語、心を理解できるのかです。人間が「自分たちの名を上げ」、高い塔を天まで届かせ、神の座に着こうとしたことが、バベル、混乱を引き起こしたのです。心通い合わない、互いの心を理解できない混乱を生み出したのです。人間がどんなに高い塔を天にまで届かせても、神は降って来られるお方です。このような神、「主の名を呼ぶ」ことにより、私たちは民族の違い、言葉の違いを超えて、心通い合わせ、お互いを理解するようになるのです。理解するためには、「聴く」ことが求められます。神の御心を聴き、人の心を聴くのです。ヤコブの手紙1章19節。「人は誰でも、聞くに速く、語るに遅く、怒るに遅くあるべきです」。
(2)「バベルの塔の回復の出来事」が、聖霊降臨の出来事であると言われます。使徒言行録2章4節「すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした」。6節「そして、誰もが、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられた」。11節「彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。
聖霊降臨の出来事は、聖霊に満たされた主の弟子たちが、他国の言葉で語り出した出来事です。世界中の国の言葉で、しかし、一つのことを語り出しました。「神の偉大な業」を賛美しました。神の偉大な業を賛美することにおいて、言葉、民族の違いを超えて、心通い合う交わりが生まれました。それこそが教会誕生の出来事です。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 6月17日の祈り マルコ1・15
「主よ、われらの神よ、われらはみ顔のまえにあり、全能者なるあなたのまえに膝をかがめ、あなたがわれらを祝福してくださるとの信仰によって悔い改めをいたします。すべての者を祝福しようとのみ心は全世界の上にあります。全世界が心を改めて祝されるようにと、全世界の上に、神なき世界の上にあります。それゆえに、われらにあなたの思いを与え、み心が何であるかを感じとれるようにしてください。聖にして義であり、あわれみある神であるあなたに、われらは自分自身を捧げます。あなたがいかなる日々にも導いていてくださるあなたの子とならせてください。もろもろの心をあなたに向けさせ、あなたのご好意がますます豊かに、明瞭にわれらに与えられ、目あてに達しうるようにしてください。あなたは、全能の、静かなみ力によってこの目あてを明らかにし、和解と救いへ至らせてくださるのです」。
