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2026年4月29日

「天地創造物語を黙想する5~主はカインとその供え物には目を留められなかった~」

創世記4章1~26節

井ノ川勝

1.主はカインとその供え物には目を留められなかった

(1)創世記は人間の物語です。しかし同時に、人間の罪の物語です。3章で、神に造られた人間が神との約束を破り、神の言葉を軽んじ、神との関係に破れが生じました。そして4章では、アダムとエバにカインとアベルの男の子が与えられ、家族が誕生しました。ところが、兄カインが弟アベルを殺すという悲劇が起こります。人と人との関係の破れが生じます。「関係の破れ」を、聖書は「罪」と語ります。

 最初の家族の物語はこういう言葉から始まります。「さて、人は妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、『私は主によって男の子を得た』と言った」。子どもが与えられることは大きな喜びです。「私は主によって男の子を得た」という感激の言葉に表れています。「カイン」という名は「私は得た」という意味です。2節「彼女はさらに弟アベルを産んだ」。更に、二人目の男の子アベルを産みます。「アベル」は「息」という意味です。兄弟の誕生です。「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった」。兄カインは土を耕す農耕の仕事、弟アベルは羊を飼う者、牧畜の仕事に従事しました。当時の代表的な仕事です。

(2)3節「日がたって、カインは土地の実りを供え物として主のもとに持って来た。アベルもまた、羊の初子、その中でも肥えた羊を持って来た」。カインもアベルも、日々労働に勤しみ、豊かな収穫を得ました。カインは土の実り、アベルは羊の初子を、主に感謝し、献げました。ところが、ここで事件が起こりました。

 「主はアベルとその供え物に目を留められたが、カインとその供え物には目を留められなかった」。何故なのか。その理由は一切語られていません。古より様々な解釈がなされて来ました。カインが献げた農作物に傷物があったのではないか。カインの献げる姿勢に欠けがあったのではないか。ヘブライ人への手紙はこう解釈しました。11章4節「信仰によって、アベルはカインにまさるいけにえを神に献げ、それによって正しい者であると認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によって今も語っています」。献げ物に信仰が現れる。カインの信仰はアベルの信仰よりも劣っていた。これらの解釈はいずれも献げる側のカインに問題があるという理由です。

 しかし、創世記には献げる側に問題があったとは、一切語っていません。語っているのは、ただ主の行為のみです。「主はアベルとその供え物に目を留められたが、カインとその供え物には目を留められなかった」。何故、主はこのような行為をされたのか。不公平ではないか。しかし、その理由は語られていません。それが私どもへの問いかけになっています。主に顧みられなかったカインは激しく怒って顔を伏せます。

 

2.どうして顔を伏せるのか

(1)しかし、主はカインに語りかけます。アベルへの言葉は一切ありません。カインだけです。それ故、この主の言葉が重要です。

6節「主はカインに向かって言われた。『どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしあなたが正しいことをしているのなら、顔を上げられるはずではないか。正しいことをしていないのなら、罪が戸口に待ち伏せている。罪はあなたを求めるが、あなたはそれを治めなければならない』」。

 主はカインに語られます。「何故、怒って顔を伏せるのか。正しいことをしているのなら、顔を上げなさい」。主はカインの献げ物、献げる姿勢に問題があったとは問われていません。「正しいことをしているなら、顔を上げて生きよ」と促します。それなら、何故、主はカインとその供え物に目を留められなかったのか。

 創世記は人間の現実、世界の現実を描きます。私どもが生きる世界には不公平、不平等が存在しています。神に顧みられる人もいれば、顧みられない人もいます。不公平、不平等の現実が見えて来ます。そのような不公平、不平等の現実を前にして、私どもがどう生きるか問われます。カインのように怒って顔を伏せるのか、それとも、なお、顔を上げて生きるのか。不公平、不平等の現実に躓き、戸口で待ち伏せをしている罪に誘惑されるのか。

 怒ってカインが顔を伏せた時、カインは自分と弟を比べました。自分の供え物と弟の供え物を比べました。不公平、不平等の現実は比べることにより、増大して見えて来ます。カインはそれに耐えることが出来ません。不公平、不平等の現実を壊すためには、比べる相手である弟アベルを殺すことです。

(2)8節「カインが弟アベルに声をかけ、二人が野にいたとき、カインは弟アベルを襲って殺した」。

 最初の家族に悲劇が起こりました。人類最初の殺人事件は兄弟殺しでした。兄弟の関係、隣人関係の破れです。これ以降、人類は繰り返し殺人事件を起こします。

 9節「主はカインに言われた。『あなたの弟アベルは、どこにいるのか』」。アダムとエバが神との約束を破り、主の顔を避けた時に、主は語られました。「あなたはどこにいるのか」(3・9)。その主の言葉と響き合います。「あなたの隣人はどこにいるのか」。人は独りでは生きられない。ふさわしい助け手が必要です。カインにとっては弟アベルでした。その大切な隣人を殺したのです。カインは答えます。「知りません。私は弟の番人でしょうか」。弟アベルとの関係を番人、見張り役と捉えています。生きた隣人関係を失っています。

 10節「主は言われた。『何ということをしたのか。あなたの弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる。今やあなたは呪われている。あなたの手から弟の血を受け取るため、その口を開けた土よりもなお呪われている。あなたが土を耕しても、その土地にはもはや実を結ぶ力がない。あなたは地上をさまよい、さすらう者となる』」。

 カインは弟アベルを殺し、土に埋めました。土の中からアベルの血が叫んでいます。カインにとって土は耕し、実りを得る命の大地です。その実りを得る命の大地に、弟アベルを殺して埋めました。命の実りを得る大地が、血が叫ぶ呪いの大地となりました。

 

3.主はカインにしるしを付けられた

(1)13節「カインは主に言った。『私の過ちは大きく、背負いきれません。あなたは今日、私をこの土地から追放されたので、私はあなたの前から身を隠します。私は地上をさまよい、さすらう者となり、私を見つける者は誰であり、私を殺すでしょう』」。

 弟アベル、最も身近な隣人との破れにより、カインはこの土地から追放される。故郷を喪失した人間、居場所を失った人間の苦しみがそこにあります。15節「主は彼に言われた。『いや、カインを殺す者は誰であれ、七倍の復讐を受けるであろう』」。弟アベルを殺した罪に対し、兄カインは七倍の復讐を受ける。

 「主は、カインを見つける者が誰であれ、彼を打ち殺すことのないように、カインにしるしを付けられた。カインは主の前を去り、エデンの東、ノドの地に住んだ」。「ノド」は「さすらい」という意味。主はカインが七倍の復讐を受け、殺されることがないように、「しるし」を付けられました。この「しるし」がどのようなものかは分かりません。殺人者に対し、主は守りの「しるし」を付けられました。

(2)新約聖書が「カイン」に触れているのは、ヘブル書11章とヨハネの手紙一3章11節以下です。

「なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたが初めから聞いている教えだからです。カインのようになってはなりません。彼は悪い者から出て、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。きょうだいたち、世があなたがたを憎んでも、驚いてはなりません。私たちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。きょうだいを愛しているからです。愛することのない者は、死の内にとどまっています。きょうだいを憎む者は皆、人殺しです。人殺しは皆、その内に永遠の命をとどめていないことを、あなたがたは知っています」。

 「カイン」は私どもでもあります。有島武郎は『カインの末裔』で、私どもはカインの末裔であると語りました。兄弟を憎む者は人殺しです。衝撃的な言葉です。『ハイデルベルク信仰問答』問106は「十戒」の第6戒「殺してはならない」をこう説き明かしました。「神は、殺人を禁ずることによって、われわれに、嫉妬、憎悪、怒り、復讐などを、殺人の根として憎み、これらのことは、みな、神のみ前においては、ひそかなる殺人である、ということを、お教えになっておられるのであります」(竹森満佐一訳)。カルヴァンは『ジュネーヴ教会信仰問答』問198で、「内的殺人」と呼んだ。ヤコブの手紙1章14節「人はそれぞれ、自分の欲望に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。そして、欲望がはらんで罪を産み、罪が熟して死を生みます」。

 ヨハネの手紙一3章16節以下でこのような御言葉が続きます。

「御子は私たちのために命を捨ててくださいました。それによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちもきょうだいのために命を捨てるべきです」。

 御子イエス・キリストが十字架で、私たちのために命を捨てられ、血を流して下さった。私どもは主イエス・キリストの十字架の血という「しるし」を受けた者です。それが洗礼の「しるし」です。「イエスの焼き印」(ガラテヤ6・17)です。主を愛し、兄弟を愛し、愛の交わりに生きる「愛のしるし」です。

 

4.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 4月29日の祈り 詩編9・10~11

「主よ、われらの神よ、われらはもろもろのなやみ、自分の心のなやみ、全世界のなやみの中にあってあなたを仰ぎのぞみ、祈り願います。み民に光をもたらし、地上の至るところになってあなたの勝利を得、あなたの助けを得ることができるようにしてください。みじめな者、病める者、貧しい者たちをおぼえ、彼らにあなたのいのちの力をわかち、終わりに至るまでよろこびつつ耐え忍び、自分の苦しみを負うことができるようにしてください。主よ、われらの神よ、われらすべてをおぼえてください!われらにはそれが必要なのです。われらは弱く、貧しく、自分たちだけでは無力なのです。聖霊がわれらを助けてくださらなければならないのです。救い主がわれらのところに来てくださり、その恵み、その力がわれらの心のうちのものとなりますように。アーメン」。

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