top of page

2025年4月9日

「教会の伝道物語を黙想する11~人間に従うより、神に従うべきです~」

使徒言行録5章12~42節

井ノ川勝

1.この命の言葉を残らず民衆に告げなさい

(1)生まれたばかりの教会は次々と試練に直面しました。一方で教会の伝道は進展しました。4章14節「主を信じる者が男も女もますます増えていった」。しかし他方で、それをよく思わない人々がいました。ユダヤの信仰の指導者たちです。17節「そこで、大祭司とその仲間たち、すなわち、そこにいたサドカイ派の人々は皆、妬みに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた」。再び教会の指導者たちを捕らえて、牢に入れました。神の言葉を語り、伝道することを制止しました。

しかし、神の御業は試練の中でこそ働きます。19節「ところが、夜間に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、『行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい』と言った。これを聞いた使徒たちは、夜明け頃、境内に入って教え始めた」。使徒たちが語った言葉は「命の言葉」でした。「命の言葉」の内容は何でしょうか。ペトロが既に神殿の境内で、こう語っていました。3章15節「あなたがたは命の導き手を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。私たちは、そのことの証人です」。主イエスは十字架につけられて殺されたが、神によって甦らされ、死を超えた命の道を拓かれた「命の導き手」である。私どもは「キリストの命の証人」。

 

(2)しかし一方で、信仰の指導者たちは使徒たちの伝道を押し潰そうと画策します。21b節「一方、大祭司とその仲間が集まり、最高法院、すなわちイスラエルの子らの全長老会を召集し、使徒たちを引き出すために、人を牢に差し向けた。下役たちが行ってみると、使徒たちが牢にいないので、引き返し報告した。『牢にはしっかり鍵がかかっていたうえに、戸の前には番兵が立っていました。ところが、開けてみると、中には誰もいませんでした』。神殿の主管と祭司長たちは、この報告を聞くと、どうなることかと、使徒たちのことで思い惑った。その時、人が来て、『御覧ください。あなたがたが牢に入れた者たちが、境内にいて民衆に教えています』と告げた。そこで、神殿の主管は下役を率いて出て行き、使徒たちを引いて来た。しかし、民衆に石を投げつけられるのを畏れて、手荒なことはしなかった」。

信仰の指導者たちは教会を潰そうとしました。しかし、民衆は洗礼を受け、教会の群れに加わらなくても、教会に対して好意的でした。これは伝道にとって大切なことです。12~13節。

 

2.人間に従うより、神に従うべきです

(1)27節「彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した。『あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血の流した責任を我々に負わせようとしている』」。4~5章の出来事を受けています。ペトロとヨハネがイエス・キリストの名によって、生まれつき足の不自由な男を立ち上がらせ、神を賛美する人間にするという癒しの業を行いました。ペトロとヨハネは捕らえられ、ユダヤの最高法院で尋問を受けました。ペトロは聖霊によって大胆に証言しました。「この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」。ユダヤの議会はペトロとヨハネに苦言を呈して、釈放しました。「今後あの名によって誰にも話すな」と脅しました。

この出来事を受けて、大祭司が使徒たちに尋問しました。「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか」。しかし、十字架につけた主イエスを「あの男」と呼び捨てにしています。「あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている」。この時、語ったペトロの言葉が重要です。29節「ペトロと使徒たちは答えた。『人間に従うより、神に従うべきです。私たちの先祖の神は、あなたがたが木に掛けて殺したイエスを復活させられました。神はイスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すために、この方を導き手とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはこのことの証人であり、また、神がご自分に従う人々のお与えになった聖霊も、そのことの証人です』」。

 

(2)「人間に従うより、神に従うべきです」。4章19節でもペトロは同じ言葉を語っています。最初の教会の中心にあった信仰です。加藤常昭先生が説教で繰り返し語ったことがあります。社会主義国家東ドイツが存在していた時、しばしば教会を訪ねた。国家は教会を様々な形で弾圧しました。しかし、教会は国家の弾圧に屈することはなかった。東ドイツの教会の礼拝で説教をした。礼拝後、バザーが行われた。そこに少年が手書きの聖句を販売していた。加藤先生が君の好きな聖句を購入すると言ったら、「僕はこの聖句が一番好きだ」と答えた。それが「人間に従うより、神に従うべきです」。少年も学校で様々な形で国家の弾圧を受けている。しかし、この御言葉に立って、信仰を貫いている姿に感銘を受けた。その聖句は今でも鎌倉雪ノ下教会の部屋に飾られています。私どももこの御言葉によって、信仰を貫くためです。

 ペトロの説教でもう一つ注目すべきことがあります。「私たちはキリストの復活の証人」。聖霊も「キリストの復活の証人」である。私どもと聖霊とが一つになって、主イエス・キリストはここに生きておられることを証しするのです。

 

3.イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び

(1)33節「これを聞いた者たちは激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた。ところが、民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルと言う人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、それから、議員たちにこう言った。『イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に加わったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、枯れも滅び、従っていた者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。放っておくがよい。あの計画や行動が人から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者になるかもしれないのだ』」。ファリサイ派のガマリエルが語った言葉は真理を語っています。

 「あの計画や行動が人から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできない」。「人間に従うより、神に従うべきです」を言い換えた言葉です。教会の業も人間から出たものなら、自滅する。しかし、神から出たものなら、滅びない。

 

(2)39b節「一同はこの意見に従い、使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって語ってはならないと命じたうえ、釈放した。それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えずメシア・イエスについて教え、福音を告げ知らせていた」。3~5章の最初の教会の伝道物語の結びの言葉です。ユダヤの議会は使徒たちを鞭で打ち、「イエスの名によって語るな」と権力で脅しました。しかし、使徒たちは議会の圧力をこのように捕らえました。「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜びました」。ここにも「人間に従うより、神に従うべきです」の信仰が現れています。

 日本基督教団の議長であった鈴木正久牧師は、1961年9月、ベルリンで行われた伝道集会で、東西ドイツの壁を前にして説教しました。その時、通訳したのが東ドイツの教会に生きたアンネリーゼという若い女性でした。(『開かれた扉』アンネリーゼ・カミンスキー自伝、加藤常昭訳、教文館)。加藤常昭先生と信仰があり、何度も来日されています。鈴木正久牧師は語りました。「死の壁の前に私どもは立っている」。「この壁は死の壁である」。国家の権力は振りかざして言います。「死にたくなかったら、われわれに従え」。鈴木正久牧師は第二次世界大戦下、国家の厳しい弾圧を受けました。200名の礼拝出席が段々と減少し、最後に残ったのは6,7名の教会員でした。礼拝中、秘密警察の者たちが説教を筆記しました。国家に反することを語ったら、即刻逮捕するつもりでした。鈴木正久牧師は「危険人物」とされていました。鈴木牧師は語ります。「当時、私は生きているよりも死んだ方がましではないかとさえしばしば思ったほどなのであります。そのように私どもはしばしば死の壁の前に立つのであります」。しかし、そこでこの御言葉に立ち帰るのです。「人間に従うよりは、神に従うべきです」。

 命の導き手である主イエス・キリストが、死の壁を打ち破り、命の砦を打ち立て、私どもを囲んで下さったのです。教会が語るべき言葉は、このような「命の言葉」です。

 

4.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳)4月9日の祈り ヨハネ14・18「主よ、われらの神よ、愛しまつる在天の父よ、われらは今、われらの主イエス・キリストのゆえにみまえに集まっております。われらの救い主イエス・キリストを明らかに示してください。主なる神よ、われらにはそれが必要なのです。そうでなければきりぬけていくことは決してできないのです。救い主を明らかにしてください。そしてわれらもこれからのちの日々にあって、救い主を現実に知ることを得、救い主とみ国とによって、われらの時代のいっさいの困難を越えさせてください。み国は救い主によってもたらされるのです。いかなる日々にもわれらの心を強め、新鮮なよろこばしいものにしてください。そしてあなたが天上とひとしくこの地上にあってもすべてを導き、ついにはわれらにみ国の勝利を与えてください。み国の基礎はあなたによってすでに据えられ、この世のいかなる国よりもはるかに偉大な、栄光あるものとなっており、われらはそこで永遠に慰められることを得るのです。アーメン」。

石川県金沢市柿木畠5番2号

TEL 076-221-5396 FAX 076-263-3951

© 日本基督教団 金沢教会

bottom of page