1.ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた
(1)使徒言行録6章8節~8章1a節は、ステファノの殉教物語が丁寧に記されています。生まれたばかりの教会が生んだ最初の殉教者です。教会の歴史は殉教者の歴史でもあります。ローマ帝国に抵抗したペテロ、パウロ。現代の殉教者と呼ばれる、ナチスに抵抗したボンヘッファー、公民権運動の先頭に立ったキング牧師。太平洋戦争下、ホーリネスの牧師は天皇を神と認めず、獄中死しました。教会の信仰は殉教者をも生みます。「人に従うより、神に従うべきです」(使徒言行録5・29)。
ステファノが登場したのは6章5節です。教会の中で、日々食卓の分配を巡って、ギリシャ語を話すユダヤ人(外国で生まれ育ち、世界の共通語ギリシャ語を話すユダヤ人)からヘブライ語を話すユダヤ人(イスラエルで生まれ、母国語ヘブライ語を話すユダヤ人)に苦情が出ました。そこで12使徒は神の言葉を語ることに専念し、食卓の世話をする奉仕者を7名選びました。これが「執事」(奉仕者)の起源となりました。職制の萌芽があります。執事7名の最初に名前が挙がっているのが、ステファノでした。しかし、ステファノは法廷で説教をしています。7章2~53節。堂々たる説教です。ステファノは食卓の奉仕をしながら、御言葉も語っています。豊かな賜物が与えられていました。6章8節「さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」。
(2)ところが、問題が生じました。9節「ところが、『解放奴隷とキレネ人アレクサンドリア人の会堂』と呼ばれる会堂の人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などが立ち上がり、ステファノと議論した」。「解放奴隷の会堂」と呼ばれる会堂の人々とは、外国で捕らえられていたギリシャ語を話すユダヤ人です。故郷イスラエルに帰り、自分たちの会堂を建てて、礼拝を捧げていました。ヘブライ語を話すユダヤ人と言葉の壁があったからです。彼らはまだ主イエスをキリストと受け入れていませんでした。ステファノも元々は外国で生まれ育ち、ギリシャ語を話すユダヤ人でした。「解放奴隷の会堂」と呼ばれる会堂の人々と、ステファノとの間に議論が起こりました。議論の内容は記されていません。しかし、この後のステファノの説教からすれば、「ユダヤ人のアイデンティティとは何か」です。特に、外国で生まれ育ったユダヤ人にとって、いつも問いかけていたことでした。「ユダヤ人のアイデンティティ」を巡って、「解放奴隷の会堂」と呼ばれる会堂の人々は、ステファノに議論を挑みましたが、太刀打ち出来ませんでした。10節「しかし、彼が知恵と霊とによって語るので、歯が立たなかった」。
しかし、「解放奴隷の会堂」と呼ばれる会堂の人々は腹を立て、過激な行動に打って出ました。11節「そこで、彼らは人々を唆して、『私たちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた』と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った」。ステファノは法廷に引き出されました。13節「そして、偽証者を立てて、次のように訴えさせた。『この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。私たちは、彼がこう言っているのを聞きました。「あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう」』」。「この聖なる場所」とは「エルサレム神殿」です。「ユダヤ人のアイデンティティ」は、「神殿」と「律法」にありました。ステファノは主イエス・キリストへの信仰に立つことにより、「ユダヤ人のアイデンティティ」が「神殿」と「律法」にあるのではなく、「神殿」と「律法」が指し示していた主イエス・キリストにあることを強調しました。主イエス自ら、「エルサレム神殿」が崩壊することを預言し、「律法」が指し示している本体は私であると語りました。「ユダヤ人のアイデンティティ」を巡る議論は、「主イエスとは誰なのか」に尽きます。「主イエスとは誰なのか」が明確になった時に、「ユダヤ人のアイデンティティ」も明確になるのです。
15節「最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた」。「天使の顔」とはどういう顔でしょうか。顔が光輝いていたのでしょうか。「天使」は「神から遣わされた者」「使者」という意味です。「神の使者」の顔をしていたということです。「神の使者」はいつも自分を使わされた方にまなざしを向けています。そのお方こそ、天の父なる神の右におられる、甦られた主イエス・キリストです。ステファノが殉教の死を遂げる時に、まなざしを注いだのも、まさしく甦られた主イエス・キリストでした。7章55節「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て」。ステファノは天の父なる神の右におられる甦られた主イエス・キリストを仰ぎ見ながら、法廷で説教を始めます。
2.ステファノの説教
(1)ステファノの説教が7章2~53節まで語られます。最初の教会を代表する説教です。しかも詳細に語られます。ペトロの説教よりも詳細です。ステファノは優れた伝道者・説教者でもあります。聞き手は主イエス・キリストを受け入れないユダヤ人です。同胞のユダヤ人に対し、どのように伝道したらよいのか。共通の基盤は旧約聖書です。旧約聖書をいかに理解するかです。ステファノの説教は一貫しています。旧約聖書が証ししているお方こそ、主イエス・キリストであることです。「ユダヤ人のアイデンティティ」である「神殿」と「律法」も、主イエス・キリストを証ししているということです。
ステファノの説教を詳細に見ることは出来ません。各自でお読み下さい。旧約聖書を鳥瞰する壮大な説教です。7章2~16節では、ユダヤ人の信仰の父アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ物語が語られます。2節「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。私たちの父アブラハムがハランに住む前、まだメソポタミアにいたとき、栄光の神が現れ、『あなたの土地と親族を離れ、私が示す土地に行きなさい』と言われました。それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました」。5節「神はアブラハムに割礼による契約をお与えになりました」。神はアブラハムとその子孫を選ばれ、「割礼の契約」を通して、義とされました。
7章17~43節では、モーセ物語が語られます。アブラハムと共に、モーセはユダヤ人にとって、アイデンティティとなる先祖です。特に重要なのが、30節以下の「モーセの召命」の出来事です。シナイ山の荒れ野において、燃える柴の中で神は現れました。主は語られます。「『私は、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。・・私は、エジプトにいる私の民の苦難を見届け、その呻きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう」。モーセはエジプトで奴隷となっている同胞の民を解放するため、エジプトに遣わされました。出エジプトの御業を行いました。
7章44~50節では、ダビデ、ソロモン王時代のエルサレム神殿の物語が語られています。しかし、神は語られました。48節「けれども、いと高き方は人の手で造ったものにはお住みになりません」。そしてイザヤ書66章1~2節が引用されます。「主は言われる。『天は私の王座、地は私の足台。あなたがたは、私のために、どんな家を建てると言うのか。私の憩う場所はどこにあるのか。これらすべて、私の手が造ったものではないか』」。ソロモン王がエレサレム神殿を献堂した時に捧げた祈りがあります。教会の献堂式に朗読される御言葉です。列王記上8章27~30節。「神は果たして地上に住まわれるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです。わが神、主よ。あなたの僕の祈りとその願いを顧みてください。今日、あなたの僕が御前に献げる嘆きと祈りを聞き入れてください。夜も昼も、この神殿に目を向けていてください。ここは、あなたが、『そこに私の名を置く』と仰せになった所です。あなたの僕がこの所に向かって献げる祈りを聞き入れてください。あなたの僕と、あなたの民イスラエルが、この所に向かって献げる願いを聞き入れてください。あなたは住まいである天からそれを聞いてください。聞いて、お赦しください」。どんなに立派な神殿を建てても、神をお入れすることは出来ない。神の住まいは天にあるからです。しかし、神は「ここに私の名を置く」と約束された。それ故、天の神に向かって、神殿で祈りを捧げる。神の僕ソロモンの祈りです。
(2)イスラエルの民の先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデ、ソロモン。皆、神が選ばれ、導かれました。「ユダヤ人のアイデンティティ」である「神殿」も「律法」も、来るべき本体であるお方を指し示していました。そのお方こそ、父なる神が遣わされた神の独り子イエスです。今、天の父なる神の右におられる甦られた主イエス・キリストです。主イエス・キリストにこそ、新しい「ユダヤ人のアイデンティティ」があります。「主イエス・キリストにアイデンティティがある」ことが明確になった時に、「ユダヤ人のアイデンティティ」が明確になるのです。ステファノは全存在を傾けて、同胞のユダヤ人に説教し、伝道したのです。
3.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 4月30日の祈り ルカ22・41~42
「愛しまつる在天の父よ、われらはあなたを仰ぎのぞみます。あなたは地上のことをなるがままに行なわせておられます。あなたのみ子も苦しみ、死ななければなりませんでした。けれどもあなたの計画は完成されており、あなたのとるべき道は決せられています。あなたがわれらの時代にあっても、み心をなそうとしておられます。それゆえにわれらは祈り願います。あなたのみ心が成るようにしてください。あなたのみ心がです!それを人間がさとれるような時には、どのような艱難の中にあっても、あなたの愛が、ここにもあそこにも明らかになるようにしてください。今までと同じように、こののちも常にわれらをお守りください。あなたはわれらに多くのことをしてくださいました。われらはみ名を賛美したいのです。常にあなたを知り、賛美しているような人間になりたいのです。あなたにのぞみをたくす者は、だれもあなたによってほろぼされることはないからです。それゆえにこよいもわれらと共にいてください。われらを助け、われらに必要な力を与え、地上のことの中にあっtも、あなたに仕えさせてください。アーメン」。