1.サウロは諸会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた
(1)キリスト教会2千年の歴史において、教会の歩みを決定的に変えた回心の出来事は、何と申しましてもサウロの回心出来事です。教会の迫害者であったサウロが、甦られた主イエス・キリストと出会うことにより、異邦人にキリストを伝える伝道者として召されました。サウロの回心の出来事は、召命の出来事でもありました。それを表す言葉が、甦られたキリストが、ダマスコにいた主の弟子アナニアに語られたこの御言葉です。9章15~16節「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らの間に私の名を運ぶために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、彼に知らせよう」。サウロは異邦人に、主イエス・キリストの名を運ぶために、主に選ばれた器です。しかし同時に、主イエスの名のために、苦しみを負うことも約束されています。主イエスの名を運ぶ器と召されることは、主イエスのために苦しむ器となることでもあります。パウロの伝道者の歩みがそれを示しています。
(2)さて、教会の迫害者サウロの回心の出来事は、サウロ個人の出来事に留まらず、教会の仲間に加えられる共同体の出来事でもありました。しかし、これが困難なことでした。今まで教会の迫害者、キリスト者の敵であったサウロを、容易に赦すことなど出来なかったからです。サウロが教会の仲間に迎え入れられるためには、執り成し手が必要でした。その執り成し手に選ばれたのが、アナニアとバルナバでした。教会の伝道は個人によらず、仲間が必要であることを表しています。
今日の御言葉はこういう言葉から始まっています。9章19b節「サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐ諸会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣べ伝えた」。甦られたキリストと出会い、回心したサウロは、アナニアの執り成しにより、主イエス・キリストの名によって洗礼を受け、食事(聖餐の食卓)に与り、ダマスコの主の弟子たちの群れに加えられました。数日間、ダマスコの主の弟子たちと共にいて、諸会堂で、「この人こそ神の子である」と主イエスを宣べ伝えました。
21節「これを聞いた人は皆、驚いて言った。『あれは、エルサレムでこの名を呼ぶ者たちを滅ぼしていた男ではなかったか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか』」。サウロは逃げて行ったキリスト者を追いかけ、捕らえるために、遠いシリアのダマスコまでやって来ました。ところが、サウロが甦られたキリストに捕らえられてしまいました。「イエスこそ神の子である」と宣べ伝えるようになりました。十字架につけられたイエスなど、われわれが待ち望んでいた救い主、神の子ではないと否定していたサウロが、十字架につけられたイエスこそ、われわれの救い主、神の子であると宣べ伝えるようになりました。これを聞いた人々は皆、驚きました。宣教の内容が180度変わってしまったからです。ここで注目すべきは、教会に生きる人々の呼び名です。9章で、「主の弟子たち」「この道に従う者」(主の道の者)という呼び名がありました。ここでは「この名を呼ぶ者たち」「主の名を呼ぶ者たち」です。
2.しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し
(1) 22節「しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた」。教会の迫害者であったサウロは、キリスト者から恐れられた存在でした。ところが、回心したサウロは今度は、ユダヤ教徒から敵視された存在となりました。しかし、サウロは聖霊によってますます力を得、イエスがメシア、救い主であることを論証するようになりました。
23節「かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、その陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた」。キリスト者の命を狙っていたサウロが、ユダヤ教徒から命を狙われる存在となりました。
25節「そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁伝いにつり降ろした」。「サウロの弟子たち」とあります。サウロの伝道により、既にダマスコで「イエスを救い主、神の子」と信じたユダヤ人です。或いは、サウロと共にキリスト者を捕らえるためにやって来た供の者たちが、サウロの回心と共に、自分たちもキリスト者に回心したのかもしれません。ダマスコに留まっていたら、いつサウロの命が狙われるか分からない。そこでサウロの弟子たちが、夜の間に、ダマスコからの脱出を図り、サウロを籠に乗せ、町の城壁伝いにつり降ろしました。夜の闇の中で、籠に揺られるサウロ。サウロはびくびくしながら籠に乗ったのではないでしょうか。
(2)26節「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子たちとは信じないで恐れた」。サウロは再びエルサレムに戻って来ました。キリスト者を迫害するユダヤ教徒としてではなく、「イエスこそ神の子である」と伝えるキリストの伝道者としてです。サウロはエルサレム教会で、主の弟子たちの仲間に加わろうとしました。教会が承認するキリストの伝道者となるためです。しかし、エルサレム教会の主の弟子たちは、サウロを主の弟子として迎えることを恐れました。サウロの回心を信じることが出来なかったからです。
27節「しかしバルナバは、サウロを引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼が旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって堂々と宣教した次第を説明した」。サウロがエルサレム教会の主の弟子たちの仲間に加えられるために、執り成しをしたのがバルナバ(慰めの子)です。サウロが旅の途中で、主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコで「イエスの名によって」堂々と宣教したことを、ペトロを始め使徒たちに執り成しをしました。「堂々と」。使徒言行録が強調する言葉です。「聖霊によって大胆に」という意味です。
28節「それで、サウロはエルサレムで弟子たちと共にいて自由に出入りし、主の名によって堂々と宣教した」。聖霊は自由を与え、大胆に、「主の名」を伝える力を与えます。サウロがエルサレム教会の主の弟子たちの仲間に加えられたのは、聖霊に働きによります。
29節「また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうと狙っていた」。しかし、ユダヤ教徒たちからは日に日に、サウロに命を狙う殺意が増して行きました。30節「それを知ったきょうだいたちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソクへ送り出した」。
31節「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和のうちに築き上げられ、主を畏れて歩み、聖霊に励まされて、信者の数が増えていった」。イエスの名がユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方へ伝わって行き、信者の数が増えて行く。しかし、教会の内にも外にも、絶えず様々な試練がありました。そこに聖霊が働いたのです。聖霊に励まされて、教会に連なる主の弟子たちが喜んで、イエスの名を伝えて行ったのです。
3.キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう
(1)「あの者は異邦人に、私の名を運ぶために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、彼に知らせよう」。パウロの回心、召命を語る、甦られた主イエスの御言葉です。パウロ自ら、伝道者の歩みを率直に語っています。コリントの信徒への手紙二11章21b~33節。12章7~10節。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 6月18日祈り テモテ二1・9~10
「主よ、われらの神よ、全能者であって、いかなる時にも、明るく、輝きに満ち、力ある神よ、われらのかたわらにもいてください。われらがイエス・キリストの恵みについて得ているものを強めてくださり、それが全世界に明らかに告げられ、み名が至るところで崇められるようにしてください。われらは祈り願います。われらを祝福し、更に、み名のためにあなたの祝福がわれらから出て、更に広く及びますように。すでに多年にわたってわれらに聞かせてくださった善きことが、われらのうちにあって強められ、みことばに属するすべてのものがいきいきとしたものとなり、外なる世にあってもいのちあるものとなるようにしてください。なぜならば、われらは祝福のうちにあって働き、あなたの義と真理のためにあなたの祝福の中に立ちたいと願うからです。アーメン」。