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2025年7月2日

「教会の伝道物語を黙想する20~神が清めた物を、清くないと言ってはならない~」

使徒言行録10章1~16節

井ノ川勝

1.あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた

(1)使徒言行録10章は、異邦人コルネリススの回心の出来事が丁寧に語られています。そのことを通してペトロの回心が語られています。異邦人伝道に消極的であったペトロが回心させられます。9章はパウロの回心、そして10章はペトロの回心が起こります。伝道は相手を回心させることだけでなく、伝道する者自身が回心させられる出来事でもあります。

 10章はこういう御言葉から始まります。「さて、カイサリアにコルネリウスと言う人がいて、イタリア大隊と呼ばれる部隊の百人隊長であった」。カイサリアはローマ皇帝によって築かれた町であり、そこにローマ皇帝から遣わされたイタリア人でありローマ人である百人隊長コルネリウスが遣わされていました。2節「敬虔な人で、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しを、絶えず神に祈っていた」。コルネリウスは信心篤く、愛の業に生きていました。だから、回心する必要がないのではありません。信心篤く、愛の人であっても、回心する必要があるのです。キリスト者でない方であっても、キリスト者以上に信心篤く、愛の人は多くいます。そのような方は伝道の対象外ではありません。そのような方も回心し、キリストに立ち帰ることが必要なのです。

 

(2)3節「ある日の午後3時ごろ、コルネリウスは、神の天使が来て、『コルネリウス』と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。彼は天使を見つめ、怖くなって、『主よ、何でしょうか』と言った。すると、天使は言った。『あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた』」。午後3時はユダヤ人の祈りの時間です。コルネリウスも祈っていたのでしょう。その時、神の天使が来て、「コルネリウス」と名を呼びかけます。コルネリウスは「主よ、何でしょうか」と応えます。祈りの中で、神が呼びかえ、応答する対話が始まります。ここで注目すべき言葉は、「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた」。「神の前」という言葉が、31,33節でも繰り返されています。「コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた」。「今私たちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前に出ているのです」。祈りは「神の御前」「神の面前」でなされます。コルネリウスは天使を通して、そのことに気づかされました。

 改革者カルヴァンは、「神の御前」「神の面前」(コーラム・デオ)を大切にしました。私どもの信仰生活は、いつも「神の面前」にあることを強調しました。神の面前によって、私どもの信仰が形造られて行きます。

 天使の言葉は続きます。5節「『今、ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、皮なめし職人シモンと言う人の客になっている。家は海岸にある』。天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは召し使い二人と、側近の部下で敬虔な兵士一人を呼び、すべてを話してヤッファに遣わした」。

 

2.神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない

(1)9節「翌日、この三人が旅をして町の近くまで来た頃、ペトロは祈るために屋上に上がった。昼の12時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに」。昼の12時頃、ペトロは屋上で祈っていた。食事の匂いがして来たのでしょう。ペトロは祈りながら空腹を覚えました。祈りに集中しながらも、空腹を覚えた。ユーモラスな描写です。私どもにもよくあることです。

 10b節「ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に降りて来るのを見た」。ペトロは祈りの中で、幻を見ました。天が開き、日本的に言えば、大きな風呂敷が四隅でつるされ、地上に降りて来るのを見た。教会学校の紙芝居にもある場面です。

 12節「その中には、あらゆる四つ足の獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、『ペトロ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声がした」。風呂敷の中に入っていたものは、四つ足の獣、地を這うもの、空の鳥でした。主は空腹を覚えていたペトロに語られます。「ペトロ、身を起こし、屠って食べなさい」。

 14節「しかし、ペトロは言った。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物など食べたことはありません』」。「主よ、とんでもないことです」。主の言葉を否定する激しい言葉です。「清くない物、汚れた物など食べたことはありません」。ペトロはキリストの道を生きる者になっても、律法の「食物規定」を厳守していました。ユダヤ人キリスト者の多くが、律法に従って生きていました。レビ記11章に、「食物規定」があります。清い物と清くない物。食べて良い物と食べてはいけない物が、明確に区別されています。

 

(2)15節「すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない』。こういうことが三度あり、その入れ物はすぐに天に取り上げられた」。主イエスは「山上の説教」でこう語られました。5章17節「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」。「食物規定」も、主イエスによって完成しました。すなわち、主イエスにあって、清い物と清くない物、食べて良い物と食べてはならない物との区別はなくなった。全ての物が祝福されています。テモテへの手紙一4章3b節「しかし食べ物は、信仰があり、真理を認識している人が感謝して受けるようにと、神がお造りになったものです。神が造られたものはすべて良いものであり、感謝して受けるなら、捨てるべきものは何もありません。神の言葉と執り成しの祈りとによって聖なるものとされるからです」。

 

3.神は人を分け隔てなさらない

(1)天から降りて来た風呂敷の中に入っていたあらゆる四つ足の獣、地を這うもの、空の鳥。実は、異邦人を意味していました。ここで「食物規定」はユダヤ人と異邦人とを意味していました。主とペトロのやり取りは三度も繰り返されました。「ペトロ、身を起こし、屠って食べなさい」。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物など食べたことはありません」。「主よ、とんでもないことです」。ペトロは以前にも、主イエスに向かって、この言葉を語りました。マタイ福音書16章21節以下。主イエスが初めて弟子たちに、「私は十字架の道を歩む救い主である」ことを打ち明けられました。その時、ペトロは主イエスを脇へお連れして、いさめ始めました。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」。

また、マタイ福音書26章69節以下、ペトロは捕らえられた主イエスの様子を伺いに、大祭司の中庭に行き、問いかけられました。「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」。ペトロは「そんな人は知らない」と三度打ち消しました。「三度」の押し問答が繰り返されます。完全な否定を意味します。

 

(2)「神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない」。この主の言葉と響き合うのが、10章34節の回心したペトロの信仰告白です。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どの民族の人であっても、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。神は、イエス・キリストを通して御言葉をイスラエルの子らに送り、平和を告げ知らせてくださいました。このイエス・キリストこそ、すべての人の主です」。

主イエス・キリストは、ユダヤ人も、異邦人も祝福されています。

ペトロが語った言葉、「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物など食べたことはありません」。言い換えれば、私がキリストの名を伝えるは、ユダヤ人であって、異邦人ではない。ペトロは伝道において、異邦人差別がありました。それは私どもにも起こります。あの人にキリストの名を伝えることは無理だ。あの人は洗礼を受けるような人ではない。鼻から決めつけてしまい、自分の内に差別の壁を作ってしまいます。しかし、甦られた主イエスは弟子たちに既に語られたのです。1章8節「ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる」。主イエスの幻は、ユダヤ人と異邦人との壁を越え、地の果てまで、全ての民族に、キリストの名を伝えることでした。聖霊によって誕生した最初の教会が打ち砕かれるべき、伝道の差別の壁があったのです。それがペトロの中にあった。ペトロは伝道のために、回心させられなければならなかったのです。

異邦人伝道のために、主の器として召されたパウロが語ります。ガラテヤの信徒への手紙3章26節「あなたがたは皆、真実によって、キリスト・イエスにあって神の子なのです。キリストにあずかる洗礼を受けたあなたがたは皆、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人もありません。男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです」。

 

4.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 7月2日の祈り 箴言4・12

「愛しまつる在天の父よ、あなたはわれらの神であり、われら人間を支配し、多くの困窮にあっても変わらぬわれらの避け所です。多くの困窮はわれらをかこんでわれらの心を動かし、われら自身をもまきこんでしまおうとします。だがわれらは祈り願います。われらを守ってください。高き神の手によってわれらを支配し、自分が何のために召されているかを絶えず意識し、常に自分の人生の中へさしこむ光を得て、あなたに仕えうるようにしてください。地上で、もろもろの心があなたを感じとり、イエス・キリストの力が明らかにされるところでは、いずこにおいても力強く働いてくださり、それらの心が栄光のためにキリストのみわざを認識することができるようにしてください。み手のうちにとらえていてくださる、最も小さく、おおわれてしまっているような子らのかたわらにも、どこにでもいてくださり、子らが共に働く者となり、勇気と確信をもって、時が来るのをひたすら待つことができるようにしてください。その時あなたは地上のすべの民に、ご自身を明らかに示されるのです。アーメン」。

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