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2025年10月8日

「教会の伝道物語を黙想する31~異邦人に信仰の門を開いてくださった~」

使徒言行録14章21~28節

井ノ川勝

1.信仰に踏みとどまるように励ました

(1)使徒言行録13、14章は、パウロとバルナバの第一回伝道旅行が記されています。その旅程を巻末の地図11で見てみましょう。初めての伝道旅行です。まだ一度も足を踏み入れたことのない地にも伝道します。緊張と不安の日々であったと思います。その伝道旅行を終えて、再びシリアのアンティオキア教会に戻って来た。教会員に伝道報告をする場面です。伝道は教会の祈りに押し出され、教会の祈りに支えられるものです。パウロとバルナバ二人が伝道しているのではなく、教会員も祈りをもって伝道に参加しているのです。共に苦しみ、共に喜んでいます。今、パウロとバルナバはアンティオキア教会に戻り、教会員と伝道の実りを分かち合います。

 14章21節「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にした後」。この町とは直前に記されているデルベです。パウロとバルナバはリストラでも福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしました。伝道は「主の弟子」とすることです。最初の教会は自分たちのことを「主の弟子」と呼んでいました。主の弟子何名と呼んでいました。自分たちをどのように呼ぶか。そこに信仰が現れます。今日でも私どもが忘れてはならない呼び名です。教会に生きることは、「主の弟子」として生きることです。喜んで主に仕える弟子として生きるのです。甦られた主イエスが挫折した弟子たちを再び伝道に遣わされる場面があります。マタイ福音書28章16節以下の結びの場面です。19節「だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。

 

(2)14章21節「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にした後、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました」。

 パウロとバルナバは再び、自分たちが伝道した町を引き返して行きます。デルベ、リストラ、イコニオン、アンティオキア。デルベの先には、パウロの故郷タルソスがあります。しかし、故郷タルソスには向かわずに、再び伝道した町を引き返して行きます。何故か。弟子たちを力づけ、信仰に踏みとどまるように励ますためです。洗礼を受け、主の弟子となっても、異教の町ですから様々な誘惑があります。また今日のように、生まれたばかりの主の群れ・教会に、伝道者が留まるのではありません。伝道者は巡回しながら御言葉を語りました。パウロとバルナバは自分たちが伝道し、主の弟子となった者たちを力づけ、信仰に踏みとどまるよう励ましました。「信仰に踏みとどまりなさい」。それがパウロとバルナバの祈りです。信仰に踏みとどまるためには、足場がしっかりしていなくてはなりません。伝道は踏みとどまるべき足場を明確にすることです。踏みとどまる足場とは、主イエス・キリストです。「土台はイエス・キリストです」(コリント一3・11)。揺るがない土台である主イエス・キリストに踏みとどまる。言い換えれば、主の御言葉に踏みとどまることです。

 パウロとバルナバはこのような言葉で弟子たちを力づけ、励ましました。「私たちが神の国に入るのは、多くの苦しみを経なくてはならない」。言い換えれば、「多くの苦しみを経ても、私たちは神の国に入らなければならない」。何故、洗礼を受け、主の弟子となったのに、多くの苦しみを味わわなければならないのか。呟くことがあります。しかし、主イエスは私どもに約束されています。「私たちは神の国に入らなければならない」。この「ねばならない」という言葉は、神の必然を表す言葉です。ルカが愛用する言葉です。主イエスが語られた放蕩息子の譬えで、弟の立ち帰りを喜べない兄がいました。その兄に向かって父は語りました。「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。喜び祝うのは当然ではないか」(ルカ15・32)。また主イエスは木に登った徴税人ザアカイに語りました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしている」。神の揺るがない救いのご意志です。パウロとバルナバも、主イエスが語られたこの確かな言葉に声を合わせて、主の弟子たちを励ますのです。「多くの苦しみを経ても、私たちは神の国に入らなければならない」。この主の御言葉に踏みとどまっていなさい。

 

2.異邦人に信仰の門を開いてくださった

(1)23節「また、弟子たちのために教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に委ねた」。

 これも重要な御言葉です。主の群れ・教会ごとに「長老たち」を任命しました。それぞれの教会に定住する伝道者はいません。長老が御言葉を語り、主の群れ・教会を牧会しました。教会にとって欠かせないことは、長老を立てることです。パウロがエフェソの長老たちに語った遺言説教があります。使徒言行録20章28節「どうか、あなたがた自身と羊の群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神がご自身の血によってご自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命されたのです」。「神の教会の世話をさせる」。「神の教会を牧会する」という意味です。それが長老を立てる意味です。

 パウロとバルナバは、弟子たちのために教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信じる主に委ねました。パウロとバルナバは伝道した町を去るに当たり、主の弟子たちを「主に委ねました」。先程のパウロがエフェソの長老たちへの遺言説教でも語られていました。「そして今、あなたがたを神とその恵みの言葉とに委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に相続にあずからせることができるのです」(使徒言行録20・32)。「主に委ねる」。別れの挨拶の言葉になりました。

 

(2)24節「それから、二人はビシディア州を通り、パンフィリア州に至り、ベルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きをするようにと、神の恵みに委ねて送り出された所である」。

 パウロとバルナバは、アンティオキア教会の祈りに押し出されて、伝道へ向かいました。「神の恵みに委ねて送り出された」とあります。ここにも「主に委ねる」が用いられています。「あなたがたを主に委ねる」。それは旅立ちの言葉であり、別れの言葉でもあります。

 27節「到着すると教会の人々を集めて、神が彼らと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださぅたことを報告した」。

 パウロとバルナバは、アンティオキア教会の教会員に伝道の報告をしました。行く先々、様々な苦難に直面しました。石を投げつけられ、気絶したこともありました。迫害を受け、町から追い出されたこともありました。しかし、どんな苦難に直面しても、「神が共にいて」働かれました。「神が共にいる」恵みを味わいました。それが伝道です。そして「神が異邦人に信仰の門を開いてくださった」ことを目の当たりしました。素敵な表現です。伝道には様々な壁があります。打ち破れない壁があります。外から建てられる壁です。しかし、私どもが作り上げている壁でもあります。あの方々には福音を伝わらないと決めつけ、自分で壁を作り上げることがあります。日本伝道の壁に私どもは阻まれます。壁のない伝道はありません。しかし、壁が必ず打ち破られる。閉ざされた門は開かれます。神が働いて下さるからです。「神が異邦人に信仰の門を開いてくださった」。パウロとバルナバは行く先々の異邦人の町で、神の御業を見ました。

パウロがコロサイの信徒への手紙4章2節で語ります。「たゆまず祈りなさい。感謝のうちに、目を覚まして祈りなさい。同時に、私たちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘義を語ることができますように。私は、このために牢につながれているのです」。

28節「そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした」。

 

3.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 10月8日の祈り ペトロ二3・17~18

「主よ、われらの神よ、われらは感謝します。あなたはイエスによって力強いとりでを与えてくださいました。イエスは唯一の主であられ、われらは、荒れ狂い、いとわしいものとなり、荒廃し、残酷なすべての世にこのキリストを対立させることができるのです。どんなことが起ころうと、イエス・キリストの旌を高くかかげ、あなたの大いなるみわざを、み国が地上のすべての民の上に完成されるであろうことを、キリストによって待ちたいと願います。あなたはわれらの神、われらの父なのです。われらを守り、われらの心に光を与えてください。そしてわれらが常によろこび、永遠にあなたののぞみを抱くことができますように。アーメン」。

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