1.三回の安息日にわたり、聖書を開き、対話し
(1)使徒言行録16章より、伝道者パウロと一行の第二回伝道旅行が記されています。聖霊に導かれて初めてヨーロッパ大陸に足を踏み入れました。最初の伝道の地はマケドニアのフィリピでした。その町で、最初の受洗者リディアとその家族が与えられ、主を信じる群れ・教会が誕生しました。ところが、占い女と対決をし、捕らえられ、牢に入れられる出来事に直面しました。しかし、真夜中、パウロとシラスは牢の中で讃美歌を歌うと、不思議な出来事が起こります。看守とその家族が洗礼を受けました。キリストの福音は個人に留まらず、その家族にも伝えられました。伝道の中心となったのが、後に教会の洗礼の信仰問答となったこの言葉です。「救われるためにはどうすべきでしょうか」。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。
(2)次にパウロと一行が向かった町は、テサロニケでした。マケドニア州の中心都市です。17章はこのような御言葉から始まりました。「パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった」。パウロの伝道には一つの伝道方針がありました。離散したユダヤ人の会堂へ行き、そこで伝道することでした。旧約聖書を共通の信仰基盤としていたからです。フィリピにはユダヤ人の会堂はありませんでしたが、ユダヤ人の祈りの集いが野外でありました。テサロニケにはユダヤ人の会堂がありました。
2節「パウロは、いつものように、会堂へ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、『メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた』と、また、『このメシアは、私が伝えているメシアである』と説明し、論証した」。パウロの伝道説教が具体的に記されています。伝道説教の中心は聖書(旧約聖書)を説き明かすことでした。パウロは三回の安息日に亘り、旧約聖書を説き明かし、説教しました。「聖書を引用し、論じ合い」は、「聖書を開き、対話する」という言葉が用いられています。聖書は開かれ、説き明かされる(説教される)ことを待っています。聖書が開かれ、説き明かされた時、説教者と会衆の間に、対話が生まれます。一方通行ではありません。それが福音を届けることです。
この場面は、同じルカが記したルカ福音書4章16節以下の御言葉と響き合っています。主イエスが安息日、ナザレの会堂に入り、預言者イザヤの巻物(イザヤ書61章1~2節)が手渡され、それを開き、朗読されました。そして説き明かされました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」。人々は恵みの言葉に驚きました。
もう一箇所、響き合う御言葉があります。ルカ福音書24章13節以下です。エマオへ向かう二人の弟子に、甦られた主イエスが近づき、歩きながら聖書を説き明かされました。主イエスは聖書全体にわたり、ご自分について書いてあることを解き明かされました。やがてエマオの家に着き、夕食を共にし、主イエスがパンを裂かれ、渡された時、二人の目が開かれました。二人は互い語り合いました。「道々、聖書を説き明かしながら、お話くださったとき、私たちの心は燃えていたではないか」。聖書が開かれ、説き明かされた時に、そこに対話が生まれ、目が開かれ、生ける主イエスとお会いし、心が燃える出来事が起こります。福音が届いた出来事です。ルカが重んじた伝道の場面です。
2.このメシアは、私が伝えているイエスである
(1)パウロは礼拝で、聖書を開き、説き明かし、会衆の魂と対話をしました。それが説教です。パウロの伝道説教の要がこの御言葉です。「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」。この御言葉は主イエスの三度の受難預言(ルカ9・22,9・44、18・32)。エマオ途上での甦られた主イエスの説き明かし(ルカ24・20)でも語られていました。パウロは伝道説教で断言します。「このメシアは、私が伝えているイエスである」。旧約聖書が証しするメシア(キリスト)こそが、私が伝えているイエスである。「イエスこそメシア、キリストである」。これがパウロの伝道説教の核心です。注目すべきは、旧約聖書に主イエスの受難と復活が証言されていることです。受難はイザヤ書53章の「苦難の僕の歌」です。復活はホセア書6・2)。
4節「それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスの仲間になった。その中には、神を崇めるギリシア人が大勢おり、貴婦人たちも少なくなかった」。福音がギリシア人に届きました。「あなたの言葉が開かれると光が射し、無知な者にも悟りを与えます」(詩編119・130)。
(2)「しかし、ユダヤ人たちはそれを妬み、広場にたむろしているならず者たちを抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した」。福音は一方で人々の心に届き、回心をもたらします。しかし他方で、反発を引き起こします。パウロたちはヤソンの家にいました。ヤソンはパウロの説教によって回心した一人です。恐らくヤソンの家がテサロニケ教会になったと思われます。
6節「しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人のきょうだいを町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。『世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンが彼らを家に泊めています。彼らは皆、皇帝の勅令に背き、「イエスという別の王がいる」と言っています』」。福音を語る伝道者集団は、世界中を騒がす連中と揶揄されています。福音はその土地の風習・慣習と衝突します。何よりもその土地の信仰と衝突します。テサロニケの町の人々は、「ローマ皇帝こそ真の王・神である」という信仰に生きていました。しかし、そこに「イエスという別の王」が紹介されたのです。ただ事ではありません。皇帝と主イエス。どちらが真の王・神なのかが問われました。自分たちの信仰の土台を揺さぶる出来事です。
8節「これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した」。
3.ペレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられ
(1)10節「きょうだいたちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをペレアへ送り出した。二人はそこに到着すると、ユダヤ人の会堂に入った」。次の伝道地はペレアです。そこでも真っ先に、ユダヤ人の会堂に入りました。
11節「ここのユダヤ人は、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」。ペレアのユダヤ人は素直で、心が柔らかく、熱心で、日々、聖書を開き、御言葉に聴いていました。日々、御言葉に親しむことを楽しみとしていました。「幸いな者、主の教えを喜びとし、その教えを昼も夜も唱える人」(詩編1・1~2)。
12節「そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の貴婦人や男たちも少なからず信仰に入った」。ペレアでも、福音を受け入れる者が与えられました。しかし、伝道はいつも順調ではなく、必ず困難が伴います。
13節「ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ペレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。それで、きょうだいたちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはペレアに残った。パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そして、できるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて、帰って行った」。
注目すべきことは、テサロニケでも、ペレアでも、パウロたちに迫害を加えようとした時、パウロたちを守り、逃れさせ、次の町へ導いて行った「きょうだいたち」(10,14節)がいたことです。無名の信徒たちです。そのような無名の信徒たちが、パウロたちの伝道を支えました。教会の歴史の中には、教会を支えた無名の信徒たちがたくさんいます。もう一つ注目すべきことは、ペレアでパウロが宣べ伝えた言葉を、「神の言葉」(13節)と語っていることです。伝道者が聖書を開き、説き明かし、会衆と対話をする時、生けるキリストを証しする「神の言葉」とされるのです。
(2)パウロたちの伝道によりテサロニケの教会が誕生しました。その教会の姿が、テサロニケの信徒への手紙一で語られています。1章6節「そしてあなたがたは、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、私たちと主に倣う者となりました。こうして、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範となったのです。主の言葉が、あなたがたのところから出て、マケドニアやアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところに伝わっているので、私たちはもう何も語る必要はありません」。
2章13節「このようなわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。私たちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、まさに神の言葉として受け入れたからです。この神の言葉は、信じているあなたがたの内に今も働いているのです」。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 11月26日の祈り イザヤ3・19
「主よ、われらの神よ、われらの時代にあっても、あなたはあなたの子らの祈りと叫びを聞いてくださいます。われらは叫ばないわけにはいきません。人の子らはまだあなたのものになっていないからです。今はさばきの中に、苦痛の中にあるからです。数多くの者が死ななければならず、さもなければ禍いにあうよりほかはありません。しかも彼らは皆あなたのものであるべきなのです!皆あなたの子であるべきなのです。それゆえにわれらはあなたに向かって叫ぶのです。み名を明らかにしてください。地上にみ名を輝かせてください。そして新しい時代が来たり、み手によって大いなる奇跡が行なわれるようにしてください。み名が崇められ、み国が来たり、み心が天に行なわれるごとく、地にも行なわれるようにしてください。アーメン」。
