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2025年12月3日

「教会の伝道物語を黙想する39~あなたがたが知らずに拝んでいるものを、お知らせしましょう~」

使徒言行録17章16~23節

井ノ川勝

1.アテネ伝道

(1)伝道者パウロの伝道者人生において、大きな転換点となった出来事があります。それは成功体験ではありません。伝道者として挫折した体験です。それがアテネ伝道でした。ギリシア哲学発祥の地です。哲学者、インテリに伝道しようとしました。パウロの伝道の言葉に興味深く聞き入っていました。ところが、死者の復活ということを聞くと、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と嘲笑い、去って行きました。パウロの伝道の言葉が届かなかったのです。伝道者パウロが味わった挫折、屈辱でした。それはパウロの伝道者人生にとって、伝道者としての召命をぐらつかせることでした。パウロはアテネ伝道の後、コリント伝道へと向かいます。その時の自らをこう語っています。「そちらに行ったとき、私は衰弱していて、恐れに捕らえられ、ひどく不安でした」(コリント一2・3)。アテネ伝道において、何が起こったのでしょうか。

(2)聖霊に導かれ、パウロとその一行は、エーゲ海を越えて、初めてヨーロッパ大陸に足を踏み入れました。マケドニア州のフィリピ、テサロニケ、ベレアで伝道しました。その町々で伝道の実りも与えられました。しかし、迫害、投獄、暴動もあり、町から追い出されるようにして、次の町を向かいました。次の伝道地はアカイア州の中心都市アテネです。初めからパウロの伝道計画にあったわけではありません。ベレアでの暴動を受け、アテネにまで逃れて来ました。

16節「パウロはアテネで二人を待っている間に」。パウロ一人だけ先にアテネに逃れました。シラスとテモテはベレアに残り、後からアテネに来ることになっていました。パウロは二人が来るまで、アテネの町を見て回りました。「この町の至るところに偶像があるのを見て、憤りを覚えた」。アテネはギリシア哲学発祥の地です。またギリシア神話に登場する様々な偶像が祀られてありました。パウロはそれを見て、「憤りを覚えました」。この言葉は面白い言葉です。「彼の霊がかき乱された」という意味です。「霊においてじりじりした」と訳す方もいます。霊に突き動かされて、黙っていられなくなったということです。私どもは聖霊を注がれ、霊において神と交わりながら生きています。パウロを生かす霊が、様々な偶像が祀られているのを見て、じりじりした。黙っていられず、御言葉を語り出したくなりました。

17節「それで、会堂ではユダヤ人や神を崇める人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合った」。パウロの伝道方法は、行く先々の町で、まずユダヤ人の会堂に入ることでした。そこには離散したユダヤ人がいます。旧約聖書という共通地盤に生きる信仰の民がいます。ユダヤ人だけでなく、ユダヤ人と同様に神を崇めるギリシア人もいました。パウロは毎日、会堂、広場で人々に伝道し、語り合いました。

2.アレオパゴスの説教

(1)18節「また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが」。町の広場は政治や裁判が行われる場所でした。同時に、民衆が集まって討論が行われる場所でもありました。民衆も哲学の影響を受け、哲学的な討論を好みました。「エピクロス派」は、明るい人生を肯定して生きる人たちです。この世の楽しみを肯定します。「ストア派」は現実の人間の生活において、禁欲的に生きる人たちです。感情に振り回されずに、全ての思いを押し殺し、静かに生きる人々です。

 パウロは弁舌の立つ伝道者であり、伝道の情熱に燃える伝道者でした。アテネの哲学者、インテリに意気込んで伝道しようとしました。霊にあってじりじりして語り出しました。18b節「その中には、『このおしゃべりは、何が言いたいのか』という者もいれば、『彼は外国の神々を宣伝する者らしい』と言う者もいた」。パウロの伝道の言葉は「おしゃべり」に聞こえた者もいた。これは伝道者にとって屈辱的なことです。また、パウロは私どもが知っているギリシアの神々ではない、外国の神々を宣伝していると言う者もいました。

 18c節「パウロがイエスと復活について福音を告げ知らせていたからである」。パウロの伝道の核心は、「イエスと復活」を福音として告げ知らせることです。「復活」という言葉は、ギリアシア語で「アナスターシス」と言います。主イエスの復活の出来事とは思わないで、「アナスターシス」という神がいると思った人々がいました。新しい神の名を聞いて驚いた。

 19節「そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った」。アテネにはアクロポリスの大きな神殿が建っています。その神殿と向かい合って、低い所に岩の丘があります。それはアレオパゴスです。パウロのアレオパゴスの説教がギリシア語で刻まれた銅板が立っています。アレオパゴスは裁判所があった場所です。同時に、民衆が集まって討論がなされた場所でもあります。民衆も哲学の影響を受け、哲学的談議を好みました。

 19b節「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、説明してもらえないか。奇妙なことを私たちに聞かせているが、それが一体どんなものか、知りたいのだ」。

 アテネの人々は好奇心旺盛です。パウロの説教に対するアテネの人々の反応が面白い。パウロが説く福音は「新しい教え」である。しかし、「新しい教え」であるから新鮮であるのではない。むしろ「奇妙に」聞こえる。その「奇妙な教え」がどんなものか、もっと聞きたい。

 21節「すべてのアテネ人やそこに滞在する外国人は、何か耳新しいことを聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである」。アテネの人々は「耳新しいこと」を聞くことに興味を持ち、それを興じるだけで時を過ごしていました。「耳新しいこと」を面白がって聞きますが、自分の生活や考えを変える姿勢は持たない。知識として聞くが、自分の思想や生活の姿勢を変えるものとしては聞かない。インテリの特有な姿です。そのようなインテリに、どのように福音を響かせるのか。それがパウロのアレオパゴスの説教でした。

(2)アレオパゴスの説教は、他のパウロの説教とは異なっていると言われます。異教社会に生きる人々に、どのように福音を語るのか。弁証的な説教となります。インテリで好奇心旺盛ですから、福音に対して興味があり、多少の知識はある。しかし、様々な誤解があります。その誤解を取り除くのが伝道説教でもあります。パウロのアレオパゴスの伝道説教は、異教社会に生きる日本伝道にも響き合うものがあります。

 22節「パウロはアレオパゴスの真ん中に立って言った。『アテネの皆さん、あなたがたがあらゆる点で信仰のあつい方であることを、私は認めます』」。「信仰のあつい方」という言葉は、「宗教心が豊かである」という意味です。「宗教心」とは、自分の心を満たすものです。自分にとって利益になるものは受け入れるが、そうでないものは受け入れないという、批判的な思いが込められています。自分が主体となります。それに対して「信仰」は、神からの言葉を聴くことにあります。自分に対して恵みの言葉だけでなく、審きの言葉も聴きます。

 23節「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを私はお知らせしましょう」。アテネの町にはギリシア神話に登場する様々な神々が偶像として祀られていました。アテネの人々は偶像に囲まれて生活しています。そのような人々にどのような伝道の切り口から福音を語り出すのかが問われます。パウロはある偶像に刻まれていた祭壇の言葉に、目を留めました。「知られざる神に」。偶像として見えているものだけが、神なのではない。「知られざる神」がいる。知られざる、目に見えない神がいる。「それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを私はお知らせしましょう」。そこから主イエスを死者の中から復活させた神を説き明かすのです。

(3)『現代のアレオパゴス』という本があります。森有正、古屋安雄、加藤常昭の鼎談です。1972年に教団出版局から刊行されました。1972年は激動の時代です。そのような時代に、異教社会に生きる日本人に、どうのように福音を伝えたらよいのかを語り合った対談集です。森有正が「まえがき」でこう語っています。

 「この『対話』は、『現代のアレオパゴス』と名づける。どなたの提案だったか忘れたが、私は賛成した。もちろんアレオパゴスとは使徒行伝第17章16~34節にでてくるあのアレオパゴスのことである。私の考えではアレオパゴスにおけるパウロの説教には少なくとも二つの要点がある。一つは『知られざる神』(23節)、もう一つは『すべての人の悔い改むべきこと』(30節)すなわち人間の『罪』である。『知られざる神』とは認識を超えた神であり、パスカルの言う『呻きつつ求めるほかのない』神であり、『呻きつつ求める時、それはすでに見いだされているのだ』というそういう神である。

 パウロはこういうほんとうの人間の実存、『神の内にすでにある』という自覚と『罪』の悔い改めと、この二つの点からアテネの市民に訴えたのである。もしパウロの『怒り』を現代に対してわれわれが心の根底にもっていなかったら。われわれがキリスト教を語ることは全くナンセンスなのである。

 われわれも現代、これ以外のいかなる訴えをすることができるであろうか。そういう意味で、若干書名負けの感があるが、この名前にした次第である。あまりにも理論や説明の多い現代の社会にあって、この永遠に古くして新しい『神』と『罪』とについて、われわれがなにごとか『気がづく』端緒と本書がなれば幸いである」。

3.御言葉から祈りへ (1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳)12月3日の祈り ルカ1・78~79

「主よ、われらの神よ、われらは感謝します。あなたはいかなる日にも、いかなる年にも光を照らしてくださいます。われらは常にあなたを仰ぎ見ることがゆるされています。あなたの正しいみ手は、困難な時にあってもいっさいの秩序を整え、正しくしてくださるのです。われらがこの時代にあって持ちこたえ、あなたをたたえうるように、われらの心を強めてください。あなたはこの地上に何が起こっていようと、変わられることはないのです。あなたはわれらの神です。あなたはわれらに救い主をつかわしてくださったのです。われらはあなたをお迎えすることができるのです。それは、あなたの日は来たり、真理と義とは地上に生まれ、あなたのみ永賛美されるようになるのだ、とのあなたの約束は、われらにとって堅く変わらないからです。多くの心があなたの方を向くようにしてください。そしてその心のすべてがあなたを拝み、あなたに助けを呼び求め、われらの救い主イエス・キリストをたたえるようにしてください。アーメン」。

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