1.主の御心であれば、生きて、あのことやこのことをしよう
(1)昨年、ルターの研究者であった徳善義和先生が逝去されました。FEBC(キリスト教ラジオ放送)で、「マルチン・ルターの生涯と信仰」という主題で、一年間講義をされたことがありました。とても好評で、本にもなりました。『マルチン・ルター~生涯と信仰~』(教文館)。私が「本の広場」という雑誌に、書評を書きましたら、徳善先生からお礼のハガキをいただきました。その最後に、こう書かれてありました。「ヤコブの条件が叶えば、本格的なマルチン・ルターの生涯と信仰を書きたいと思っている」。しかし、その願いが果たされないまま、主の御許に召されました。「ヤコブの条件」とは何でしょうか。ヤコブの手紙4章15節の御言葉を指します。13節「さて、『今日か明日、これこれの町へ行って一年滞在し、商売をして一儲けしよう』と言う人たち、あなたがたは明日のことも、自分の命がどうなるかも知らないのです。あなたがたは、つかの間現れ、やがては消えてゆく霧にすぎません。むしろ、あなたがたは『主の御心であれば、生きて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです」。
「ヤコブの条件」とは、この御言葉です。「むしろ、あなたがたは『主の御心であれば、生きて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです」。私どもが地上でなすべき使命、課題は、自分の思いではなく、主の御心の中にあります。主の御心であれば、生かされて、あのことやこのことを成し遂げることが許されます。主イエスが十字架の死を目前とされ、夜を徹して祈られたゲツセマネの祈りと響き合います。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みではなく、御心のままに」(マルコ14・36)。
主イエスが「主の祈り」で私どもに示された祈りでもあります。「あなたの御心が天でも地でもなりますように」。私が大学生の時、教会に導かれ、初めて触れた教会の祈りで、新鮮に響いて来た祈りです。「主よ、御心ならば、私どもの願いを叶えてください」。今日の御言葉で、パウロもこう語っています。21節「神の御心ならば、また戻って来ます」。一年を終え、新しい年を迎えようとする私どもの祈りです。
(2)今日の御言葉、使徒言行録18章18節~23節は、パウロの第2回伝道旅行の終わりと、第3回伝道旅行の始まりを語っています。第2回伝道旅行で、聖霊に導かれ初めてヨーロッパ大陸に足を踏み入れたパウロの一行は、ギリシャ半島のマケドニア州のフィリピ、テサロニケ、ベレアで伝道しました。そして南下し、アカイア州のアテネ、コリントで伝道しました。コリントの町では1年半滞在し、腰を据えて伝道しました。
今日の御言葉は18節からです。「パウロは、なお幾日もの間そこに滞在した後、きょうだいたちと別れを告げて、シリア州に向かって船出した」。コリント伝道を終えたパウロの一行は帰国に向けて船出しました。
18b節「プリスキラとアキラも同行した」。コリントで出会い、伝道の助け手であったプリスキラとアキラの信徒夫妻も同行しました。コリント教会の中心的存在を同行させました。その目的は後で推測できます。
注目すべきは、18章2節で登場した時は、「アキラとプリスキラ」でした。それが逆転してプリスキラとアキラになっています。妻の方が先になっています。26節でもそうです。パウロがローマの信徒への手紙の最後の挨拶でも、こう綴られています。16章3節「キリスト・イエスにあって私の協力者であるプリスカとアキラによろしく」。妻のプリスキラは教会にとって大切な働きをしたのでしょう。教会は最初の時から、女性が重要な働きを担いました。女性の地位が低かった古代において、教会は女性の働きを重んじました。それは今日まで受け継がれている大切なことです。
2.神の御心ならば、また戻って来ます
(1)18c節「パウロは請願を立てていたので、ケンクレアイで髪をそった」。ケンクレイアはアカイア州のコリントの町の南東にあります。請願は何か身の危険に晒されそうになった時に、神の御心に適った歩みができるよう誓い、そのしるしとして髪を剃うことをしました。ユダヤ教の男性が行う儀式です。具体的に何が起きたのかは分かりません。しかし、キリストの福音を伝えることは、いつも身の危険を晒すことでもあります。パウロは殉教の覚悟をしながら伝道していました。それは今日の私ども教会にも求められていることです。
19節「一行がエフェソに到着すると、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った」。パウロ一行の第2回伝道旅行の最後の町は、アジア州の南西にあるエフェソでした。パウロはプリスキラとアキラを残し、一人だけでユダヤ教の会堂に入り、離散したユダヤ人に伝道しました。パウロが行く先々で行う伝道方法です。
20節「人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロは聞き入れず、『神の御心ならば、また戻って来ます』と言って、別れを告げ、エフェソから船出した」。エフェソの町の人々は、パウロからもっとキリストの福音を聴きたいと願いました。それ故、もうしばらく滞在するように願いました。その時、パウロが語った言葉が、この言葉でした。今日の中心聖句です。「神の御心ならば、また戻って来ます」。パウロが何故、請願を立てて、頭の毛を剃ったのか。アジア州やギリシャ半島で、様々な民族にキリストの福音を伝えれば伝える程、それをよく思わないユダヤ人がいました。エルサレムに帰れば身の危険を感じるようなことが起こるかもしれない。御言葉を語ることは一期一会の出来事です。それ故、パウロは語ります。「神の御心ならば、また戻って来ます」。パウロの信仰の中心にあったものです。「神の御心ならば」。神の御心に委ねて生き、伝道する。
パウロはエフェソの町の人々の願いを聞き入れず、別れを告げ、船出しました。エフェソ伝道は第3回伝道旅行の中心となります。その時は最も長い3年間留まって伝道しています。アジア州の中心地であり、伝道困難な町でした。しかし、パウロはこの町にアジア州の拠点となる教会を建てたいと願いました。第3回伝道旅行の準備として、第2回伝道旅行の最後に立ち寄ったのでしょう。しかし、このエフェソの町に、プリスキラとアキラを残すのです。それが二人をパウロが同行させた目的でした。パウロがいかにこの信徒夫妻を信頼していたかが分かります。今日でもそれぞれの教会に、プリスキラとアキラ夫妻がおり、教会の伝道を支えているのです。
22節「そして、カイサリアに到着してエルサレムに上り、教会に挨拶してから、アンティオキアに下った」。第2回伝道旅行の報告をし、終了しました。23節「パウロはしばらくそこで過ごした後、また旅に出て、ガリラヤ地方やフリギア地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた」。パウロは直ぐに第3回伝道旅行に向かいます。第1回伝道旅行で伝道したアジア州の東南地方を廻り、誕生した教会に生きる弟子たちを力づけました。教会に生きる者たちを「主の弟子たち」と呼んでいます。
(2)24節「さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロと言う雄弁家が、エフェソに来た」。アレクサンドリアはエジプトの北、地中海に面しています。この町にも離散したユダヤ人が住んでいました。世界最初の図書館が生まれ、旧約聖書をギリシャ語に翻訳した七十人訳が生まれた学問の町です。アジア州のアンティオキア学派と共に、アンティオキア学派が生まれ、神学の中心となりました。この町出身で、聖書(旧約聖書)に詳しいアポロがエフェソにやって来ました。アポロは雄弁家でした。
25節「彼は主の道をよく学び、イエスのことについて熱心に語り、また正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった」。伝道は「キリスト教」を伝えるのではなく、「キリストの道」「主の道」を伝えます。知識を伝えるのではなく、私どもの生きる道を伝えます。しかし、アポロは主の道をよく学び、主イエスについて熱心に語ったが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。主イエスの名による洗礼を知らなかった。そこに問題があった。伝道は主イエスの名による洗礼へと導くことにあるからです。
26節「このアポロが会堂で堂々と教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した」。プリスキラとアキラは若き伝道者アポロに、主イエスの名による洗礼、「神の道」を正確に教えました。信徒の役割は若い伝道者を忍耐しながら育てることにあります。
27節「それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、きょうだいたちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこに着くと、すでに恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼は聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、ユダヤ人たちを力強く論破したからである」。アポロはアカイア州のコリントの町へ赴きました。その町で、聖書(旧約聖書)に基づき、メシア(救い主)はイエスであると大胆に語りました。「メシア(救い主)はイエスである」。福音の要諦です。
パウロはコリントの信徒への手紙一3章6節でこう語ります。「私が植え、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神なのです」。コリントの教会に、パウロ派、アポロ派が現れ、対立する中で、パウロは教会を成長させるのは神であることを強調しました。
3.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 12月31日の祈り 詩編102・26~28
「主よ、われらの神よ、われらは感謝します。あなたはいかなる日にも、いかなる年にも、光を照らしてくださいます。われらは常にあなたを仰ぎ見ることをゆるされているのです。あなたの右の手はすべてを整え、困難な時代にあっても正しくしてくださるのです。地上で何が起ころうと、この時代にあって持ちこたえ、あなたをたたえることができるようにわれらの心を強めてください。あなたはわれらの神です。あなたはわれらに救い主をお送りくださいました。われらはあなたを迎えることができます。あなたの日が来たり、真理と義がみ名をたたえるようになるとの約束は堅く変わらないからです。多くの心があなたを拝し、助けを呼び求め、われらの救い主イエス・キリストを賛美するようになるために、あなたの方へ向きを変えるようにしてください。アーメン」。
