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2026年1月7日

「教会の伝道物語を黙想する43~主イエスの名によって洗礼を受けた~」

使徒言行録19章1~20節

井ノ川勝

1.パウロの第三回伝道旅行、エフェソ伝道

(1)パウロとその一行の第三回伝道旅行が、18章23節から始まりました。そしてこれがパウロにとって、最後の伝道旅行となりました。第三回伝道旅行の目的地は、アジア州の南西にありエフェソでした。このエフェソにパウロは2年滞在して、伝道しています。(20章31節のパウロの遺言説教では3年間と記されている)。巡回伝道者であったパウロにとって、最も長く滞在した町となりました。それだけ異教社会の町で、伝道が困難であったことでしょう。既に、第二回伝道旅行の帰路、パウロはエフェソに立ち寄り、第三回伝道旅行の準備をしています。エフェソに、コリント教会の礎となったプリスキラとアキラ夫妻を残しています。このエフェソの町にも教会が誕生しました。

(2)前回黙想した18章24節以下に、エフェソで起こった出来事が記されてありました。アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しい若い伝道者であり、雄弁家のアポロが、エフェソにやって来ました。主の道をよく学び、主イエスのことを熱心に語り、正確に教えていました。ところが、一つ大きな問題があった。ヨハネの洗礼しか知らなかった。主イエスの洗礼を知らなかった。伝道は主イエスの名による洗礼へ導き、教会の群れに招き入れることです。これは伝道にとって大きな欠陥でした。この若き伝道者アポロの誤りを糾したのが、プリスキラとアキラでした。また、アポロをコリント伝道へ遣わす段取りを手紙でしました。信徒は若い伝道者を育てる役割があります。金沢教会にもプリスキラとアキラ夫妻の信徒がいます。妻のプリスキラの名が最初に登場するのは、夫のアキラ以上に、教会で大切な奉仕を担っていたからでしょう。今日の日本の教会も女性たちの奉仕で支えられています。

 

2.主イエスの名によって洗礼を受けた

(1)19章はこういう御言葉から始まっています。「アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に会い」。パウロは第三回伝道旅行では陸路で、ガラテヤ、フリギア地方を廻り、リディア地方のエフェソにやって来ました。そこで何人かの弟子に会いました。「弟子」は教会に連なる信徒を現します。最初の教会が呼んだ信徒の呼び名です。

 2節「彼らに、『信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか』と言うと、彼らは、『いいえ、聖霊があるということなど、聞いたこともありません』と言った」。「信仰に入ったとき」は、「洗礼を受けたとき」です。洗礼を受けた時、聖霊を受けましたか」。すると弟子たちは答えました。「聖霊があるということなど、聞いたこともありません」。

 3節「そこでパウロは言った。『ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです』。人々はこれを聞いて、主イエスの名によって洗礼を受けた」。ヨハネの洗礼は、悔い改めに導く洗礼です。神に立ち帰らせる洗礼です。そして何よりも、私の後から来られる救い主イエスへの道備えをすることが、神から与えられた使命でした。ヨハネの洗礼だけでは不十分です。これはアポロがヨハネの洗礼を授けたことと関係があります。そこでパウロは主イエスの名による洗礼を勧めました。「主イエスの名による洗礼」は、ご復活の主イエスが語られた「父と子と聖霊の名による三位一体の神の名による洗礼」(マタイ28・19)です。

 6節「パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、彼らは異言を語ったり、預言を語ったりした。この人たちは、皆で12人ほどであった」。今日の洗礼式の原形がここにあります。頭の上に手を置き、祈ります。そこに洗礼が降り、新しく生まれ変わります。今日、司式者は頭に水を三度注ぎます。「父と、子と、聖霊の名によって、私はあなたに洗礼を授ける」。水を三度注がれ、そこに聖霊が降り、新しく生まれ変わります。パウロが綴ったローマの信徒への手紙6章は、洗礼の出来事を語ります。洗礼式の時に読まれる御言葉の一つです。3節「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにあずかる洗礼を受けた私たちは皆、キリストの死にあずかる者となりました。それは、キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです」。私たちはキリストと共に十字架につけられ、古い人間が死んだのです。そしてキリストと共に甦らされ、新しい人間として生まれたのです。

 主イエスの名により洗礼を受け、聖霊によって新しく生まれ変わった弟子たちは、異言を語ったり、預言を語ったりしました。「異言」は聖霊に満たされ、自分だけに分かる言葉でキリストを証しすることです。「預言」は皆に分かる言葉で、キリストを証しすることです。パウロはコリントの信徒への手紙一14章2節以下で語ります。「異言を語る者は、人にではなく、神に向かって語っています。誰も聞いていないのに、霊によって秘義を語っているからです。しかし、預言をする者は、人を造り上げ、勧めをなし、励ますために、人に向かって語っています。異言を語る者は自分を造り上げますが、預言をする者は教会を造り上げます」。

(2)8節「パウロは会堂に入って、三か月間、神の国について堂々と論じ、人々の説得に務めた。しかしある者たちが、かたくなで信じようとせず、会衆の前でこの道を非難したので」。パウロの伝道方針は、真っ先にユダヤ教の会堂で伝道することでした。エフェソにも離散したユダヤ人がいたからです。旧約聖書が共通の信仰だからです。説教は聖書の御言葉によって、主イエスを証しし、説得し、洗礼へと導くことです。ところが、ユダヤ人たちは頑なで、主イエスを救い主として受け入れ、信じようとしません。旧約聖書の出エジプト記から強調される「頑なな罪」です。石のような堅い心で、福音を跳ね返してしまいます。ユダヤ人たちはパウロが語る「この道」を非難しました。「この道」は18章25節の「主の道」です。使徒言行録に8回も用いられる大切な言葉です。説教、伝道は、「キリスト教」を説くことではなく、「主の道」を説くことにあります。伝道は「キリスト教」という教え、知識に留まるのではなく、「主の道」を主イエスと共に歩むことにあります。主イエスの御足の跡を踏み従うことです。私どもの生活、生き方が変えられることです。

 9b節「パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノと言う人の講堂で毎日論じ合った」。パウロはユダヤ教の会堂から離れ、ティラノと言う人の講堂に移り、伝道をしました。ティラノと言う人は哲学者です。「講堂」は大きな講堂ではなく、哲学を教える「教室」です。昔、教会は「講義所」から始まりました。聖書を講義する部屋です。ティラノは難しい哲学の理論ではなく、具体的な生き方、生活の仕方を教えました。その教室を借りて、パウロは伝道をしました。

 10節「このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は皆、ユダヤ人もギリシア人も主の言葉を聞くことになった」。ユダヤ教の会堂からティラノの教室に移動することで、ユダヤ人だけでなく、ギリシア人も集まって来ました。

 

3.人々は皆恐れを抱き、主イエスの名を崇めるようになった

(1)11節「神は、パウロの手を通して数々の目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着けていた手拭いや前掛けを持って行って病人に当てると、病気は癒され、悪霊どもも出て行くほどであった」。最初の教会が重んじたことの一つに、癒しがあります。今日の教会も大切にすべきことです。私どもは医学の力を信頼しつつ、神の癒しが行われますよう祈ります。医学と癒し、医療と祈りは一つに結びつくことです。

 13節「ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈禱師たちの中にも、悪魔に取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』と言う者があった。ユダヤ人の祭司長スケワと言う者の7人の息子たちがこんなことをしていた」。呪術と福音は相反するものです。福音は呪術から解放します。福音こそが悪魔払いをします。悪霊からの解放をもたらします。ところが、ユダヤ人の祈禱師(呪術師)たちの中に、試しにパウロが宣べ伝えている主イエスの名によって、悪霊を追い出している者がいました。ユダヤ人の祭司長スケワと言う者の7人の息子たちです。

 15節「悪霊は彼らに言い返した。『イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。だが、一体お前たちは何者だ』」。面白いことです。悪霊たちはイエスのことも、パウロのこともよく知っていると答えた。そして逆に問い返した。「一体お前たちは何者だ」。主イエスの名によって祈り、命じる者は、「一体お前たちは何者か」と問われるのです。

 16節「そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈禱師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した」。

(2)17節「このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆、恐れを抱き、主イエスの名を崇めるようになった」。伝道は主の生ける御業がそこになされ、主を畏れ、主イエスの名を崇めることにあります。

 18節「信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行を告白し、打ち明けた。また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨5万枚分にもなった。このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった」。

4.御言葉から祈りへ

(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 1月7日の祈り イザヤ60・1~2

「愛しまつる在天の父よ、あなたのみ守りのもとに生き、あなたから生きる力を得ようとするあなたの子として、われらをかえりみてください。戦いに満ち、試練に満ちるこの世にあって、あなたの愛と慈愛の確かさの中でわれらを守ってください。われらが互いに助けあい、み名が地上において崇められ、み救いが全世界に及ぶようにと働かせてください。われらに与えてくださった希望が、われら自身の生にとっても、イエス・キリストにおいてあなたが愛されるすべての者にとっても、光と力に満ちたものとなるようにしてください。アーメン」

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