1.別れの説教・別れの挨拶
(1)使徒言行録20章18~35節は、伝道者パウロがエフェソの長老たちに語った「遺言説教」が記されています。もう二度と顔を合わせることはないと、涙を流しながら語られた説教です。心に迫る説教です。今日の説教の指針となる説教です。説教は一期一会の出来事であると思わされます。
パウロの「遺言説教」は3つに分けられます。「そして今」という言葉が3つの部分であるからです。22,25,32節。第一部は18~24節、第二部が25~31節、第三部が32~35節です。
第一部では、主から与えられた召命が語られていました。24節「しかし、自分の決められた道を走り抜き、また、神の恵みの福音を力強く証しをするという主イエスからいただいた任務を果たすためには、この命すら決して惜しいとは思いません」。
第二部はこの説教の心臓部でした。「教会憲章」と呼ばれています。教会とは何か、伝道者、長老の務めとは何かを問う時に、必ず立ち帰る御言葉です。28節「どうか、あなたがた自身と羊の群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神がご自身の血によってご自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命されたのです」。
(2)本日は第三部を黙想します。説教の結びの部分です。ここでも心惹く御言葉が語られています。その一つが32節です。「そして今、あなたがたを神とその恵みの言葉とに委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なるものとされたすべての人々と共に相続にあずからせることができるのです」。
「そして今、あなたがたを神とその恵みの言葉とに委ねます」。この「委ねる」という言葉から、別れの挨拶の言葉が生まれました。ドイツ語、フランス語では、別れの挨拶の言葉は、「あなたを神に委ねる」という意味です。再会を約束して別れますが、もしかしたらそれが最後の出会いになるかもしれません。それ故、別れの挨拶の言葉は、「神にあなたを委ねます」という思いを込めます。ドイツのアルブレヒト・ゲース牧師が『不安の夜』という本の中で、「別れなき別れ」という文章を書かれています。父も牧師であり、50年間牧会をし、80歳代で神に召されました。父が発作で倒れ、救急車で運ばれようとした時、妻にこう語りかけました。「今わたしは、神のその恵みの言葉とにあなたがたを委ねる」。パウロの別れの説教と重ね合わせました。説教はいつも、「神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねる」という祈りが注がれています。
2.そして今、あなたがたを神とその恵みの言葉とに委ねる
(1)「神とその恵みの言葉とに委ねる」。「その恵みの言葉」とは何を指しているのでしょうか。直前でパウロはこう語ります。31節。
「だから、私が三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こし、目を覚ましていなさい」。
パウロは三年間エフェソで、様々な試練に直面し、涙を流しながらも、長老、信徒一人一人に「、ひたすら教えを語り続けて来ました。この「教え」を絶えず思い起こし、目を覚ましていなさい。この「教え」とは勿論、聖書の御言葉ですが、「教会の教え」を指しています。すなわち、教会の信仰告白、教理の言葉です。
「この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に相続にあずからせることができます」。
教会の教え、信仰告白、教理の言葉は、長老を立て、教会を造り上げる力があります。長老の務めは「神の教会」を守ることです。教会は「神がご自身の血によってご自分のものとなさった神の教会」です。教会は牧師、長老のものではなく、神のものです。牧師、長老の支配の下にあるのではなく、神の御支配の下にあります。
パウロは丁寧に「神の教会」と語りました。もう一個所、「神の教会」と語っている御言葉があります。コリントの信徒への手紙一15章1節以下です。ここでパウロは教会を立てる福音、教会の信仰告白を語ります。
「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが聖書に書いてあるとおりに私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、それから12人に現れたことです」。
パウロは教会の信仰告白に、自らの信仰告白を加えます。
「そして最後に、月足らずに生まれたような私にまで現れました。私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中では最も小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって、今の私があるのです」。
神の教会を残忍な狼のように迫害したパウロに、ご復活されたキリストが現れ、捕らえ、キリストを伝える伝道者へと召されました。そのようなパウロの回心の出来事を心に刻みながら、この「遺言説教」を語っています。
(2)「この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に相続にあずからせることができるのです」。
口語訳はこう訳されていました。「御言には、あなたがたの徳を立て、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある」。
金沢南部教会を牧会していた時、大隅啓三牧師が、スコットランドの優れた説教者ジェームズ・ステュワート牧師の説教集『永遠の王者』を訳されました。その最後に、この御言葉の一句説教「わたしはあなたがたを神にゆだねる」があります。ステュワート牧師の説教の素晴らしさは御言葉による黙想、想像力です。「聖徒たちが栄光の中で相互に相会するとき、どんなことを話しあうのかと考えたことがありますか。天国でその友人たちに再会して、パウロはダマスコ途上の出来事について語り、サマリアの女はヤコブの井戸端の出来事を語り、ペトロはガリラヤ湖の漁船について語り、ザアカイはいちじく桑の木での出来事を語り、トマスは二階座敷の出来事について語るだろうと私は思います。トマスの二階座敷は、『そこで、神は私に現われ、そこで私はキリストに捕えられたのだ』ということをトマスに忘れさせることはないでしょう」。天国において、聖徒たちは皆、キリストがこの私に現れたというただ一つのことを語る。ゲース牧師が語ったように、キリスト者の別れは「別れなき別れ」である。地上での別れがあるが、キリストにあって御国での再会が約束されている。
3.受けるより与えるほうが幸いである
(1)33節「私は、他人の金銀や衣服を貪ったことはありません。ご存じのとおり、私はこの手で、私の必要なためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように労苦して弱い者を助けるように、また、主イエスご自身が『受けるよりは与えるほうが幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、私はいつも身をもって示してきました」。
ここで注目すべきは、主イエスの御言葉です。「受けるよりは与えるほうが幸いである」。この御言葉は福音書に記されていない主イエスの御言葉です。それだけに重要な御言葉です。ルカ福音書6章38節の「平地の説教」に似た言葉が語られています。「与えなさい。そうすれば、自分にも与えられる」。無償で神の恵み、キリストの十字架の恵みを受けたあなたがたは、与える幸いに生きなさい。言い換えれば、献げる幸いに生きなさい。あなたの命を主に献げて生きなさい。そこに幸いがある。パウロは長老たちに「与える幸いに生きる」ことを勧めます。
(2)36節「このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。人々は激しく泣き、パウロの首を抱いて幾度も接吻した。自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、なおさら心を痛めたのである。それから、人々はパウロを船まで見送りに行った」。
「遺言説教」の後、パウロは長老たちと、ひざまずいて祈り、祈祷会をしました。お互い涙を流しながら、首を抱いて接吻し、別れを惜しみました。ここに教会の姿があります。パウロが語ったように、これがパウロとエフェソの長老たちとの別れとなりました。
4.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 2月11日の祈り ヨハネ16・13
「愛しまつる在天の父よ、あなたの子であるわれらに聖霊を与え、地上にあなたのことを明らかにし、われらのすべての行為にあっても、われらにやどるのは人間のものだけでなく、神の力、神の真理であるようにしてください。あなたが自分のまわりにいてくださり、み国が自分を取りかこんでいるのだということが、時にわからなくなることがありましても、心はいつも強くいられるようにしてください。そして平和の力、救いの力がわれらにおいても明らかになるようにしてください。あなたは、われらに理解できないことでもすべてなさる方です。われらがすることは自分が理解できることであり、あなたはわれらを助けてくださいます。だが、あなたがおできになることを、われらはすることができません。それゆえにわれらは希望し、信じています。あなたがみ力をもって、聖霊をもって、われらの全生活をとらえ、そして心のうちに人生の真実の真理を求めて慕い嘆く多くの心を、なおとらえようとしていてくださることを。アーメン」。
