1.エルサレムへ帰る帰路で
(1)伝道者パウロは第三回伝道旅行を終え、エルサレムに向かって船で帰路に着こうとしています。しかし、帰路の途中でも、寄航した町々で教会員と交わり、伝道しています。あらゆる機会を交わりと伝道の時として用いています。パウロの伝道者としての姿勢がよく現れています。
アジア州の西にあるミレトスの港町で、パウロはエフェソの長老たちを呼び寄せ、遺言説教をしました。ミレトスから船出しました。21章はこういう言葉から始まります。
「私たちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って船出した。やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスに入港した。ここで船は、積み荷を降ろすことになっていたのである」。
(2)4a節「私たちは弟子たちを捜し出して、そこに七日間滞在した」。
パウロとその一行はティルスに七日間滞在しました。弟子たちを捜し出すためです。「弟子たち」とは、洗礼を受け、教会に連なる者たちを呼んだ、最初の呼び名です。異邦人の町ティルスにも、パウロ以外の伝道者が伝道し、教会が生まれ、教会生活をしている弟子たちがいました。初めて会う弟子たちです。教会を訪ね、弟子たちと会い、交わる。パウロはそのことを何よりも喜びとしていました。
出張で目的地に向かう途中、電車の窓から十字架が目の中に飛び込んで来ます。この町にも教会が立てられ、教会生活をされている方々がいることを想像すると、胸が熱くなります。
4b節「彼らは霊に促され、エルサレムに行かないようにと、パウロに繰り返し言った」。
ティルスの弟子たちは、エルサレムに不穏な動きがあることを聞いていたのかもしれません。彼らは聖霊に促され、パウロにエルサレムに行かないように繰り返し言いました。21章ではこの言葉が繰り返されます。
5節「しかし、滞在期間が過ぎたとき、私たちはそこをたって旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子どもを連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺でひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし、私たちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った」。
しかし、パウロはエルサレムへ向かう計画を変えようとはしません。ティルスを旅立つことを決心しました。七日間の滞在でしたが、ティルスの弟子たちは妻や子どもたちを連れて、町外れまで見送りに来てくれました。共にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わしました。ミレトスでエフェソの長老たちと別れる時と同じように、共にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わしました。別れの挨拶の言葉は、パウロの遺言説教にあったこの言葉です。20章32節「そして今、あなたがたを神とその恵みの言葉に委ねます」。
2.そして今、私は霊に促されてエルサレムに行く
(1)7節「私たちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、きょうだいたちに挨拶して、彼らのところに一日滞在した。翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。この人には預言をする四人の未婚の娘がいた」。
パウロはカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行きました。「例の七人」とは誰を指すのでしょうか。6章5節に、例の七人の名簿が出ています。食事の世話をするために選ばれた奉仕者です。執事の起源となりました。「信仰と聖霊に満ちた人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメラ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた」。
執事として選ばれたステファノは優れた説教者でもあり、最初の殉教者となりました。8章1b節以下。サウロを筆頭にユダヤ教徒たちから迫害を受けたエルサレム教会の人々は、エルサレムを離れ、サマリアに向かいました。その一人にフィリポがいました。8章4節以下。そこでキリストを伝えました。伝道者としての働きをしています。更に8章26節以下。フィリポはエチオピア人の宦官に伝道し、洗礼を授けています。最初の異邦人洗礼者となりました。そのフィリポがカイサリアで、福音宣教者として伝道しています。更に、フィリポの四人の未婚の娘たちも、預言(説教)をして、お父さんの伝道に協力しています。家族皆が福音宣教者として召され、親子で伝道しています。
(2)10節「幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガポと言う預言者が下って来た。そして、私たちのところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。『聖霊がこうお告げになっている。「エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す」』」。
ユダヤから預言者アガポがやって来ました。言葉による預言ではなく、動作による預言、象徴預言をしました。旧約の預言者エレミヤ等が行っていました。パウロの帯を取り、自分の手足を縛って言いました。「聖霊がお告げになった。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主であるパウロをこのように縛って異邦人の手に引き渡す』。
12節「私たちはこれを聞き、土地の人々と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ」。
21章は「私たちは」という言葉が繰り返されます。この使徒言行録の作者ルカも、パウロの伝道旅行に加わっていたからです。ルカはパウロの傍らにいて、パウロの伝道を助けました。パウロにとって、最も身近な存在です。そのルカが先頭に立って、パウロにエルサレムに上らないように、しきりに頼みました。身の危険があるからです。
13節「その時、パウロは答えた。『泣いたり、私の心を挫いたり、一体これはどういうことですか。私は、主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも覚悟しているのです』」。
ティルスの弟子たちも、預言者アガポも、ルカも、カイサリアの弟子たちも、聖霊に促されて、パウロにエルサレムに行かないようしきりに頼んでいます。それに対して、パウロも聖霊に捕らえられて、エルサレムに行くことを決心しているのです。パウロはエフェソの長老たちに語った遺言説教で、こう語りました。20章22節「そして今、私は聖霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきりと告げてくださっています」。
14節「パウロが私たちの説得を聞き入れようとしないので、私たちは『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ」。
パウロも、預言者アガポも、ルカも、皆、聖霊に促されて語っているのです。聖霊に促されて、一方は「私はエルサレムへ行く」と語り、もう一方は「エルサレムへ行かないように」と語っています。どちらが真実でしょうか。どちらも聖霊に促されての真実な言葉です。それ故、最後は、「主の御心が行われますように」と祈り、口をつぐみました。「主の祈り」の御言葉です。
15節「数日後、私たちは旅の準備をしてエルサレムに上った」。
私は、主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも覚悟をしている。聖霊に促されて語ったパウロの覚悟が、人々を説得しました。何故、パウロは身の危険を感じながらも、殉教の死を覚悟しながらも、エルサレム行きを決意したのでしょうか。マケドニアとアカイアの教会員たちが、エルサレム教会の貧しい人たちを援助するために献金を捧げられました。その献金と祈りを届け、エルサレム教会を助けたいと願ったからです。教会同士が祈り合い、支え合う交わりの中にあったのです。ローマの信徒への手紙15章25~29節。
3.御言葉から祈りへ
(1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳) 2月18日の祈り イザヤ40・31
「主よ、われらの神よ、われらのよき父よ、われらの心のうちに、霊のうちに、あなたより得しものゆえに感謝します。労苦・戦い・欠乏の時にも自分の人生をにないうる強い者となるために、あなたがわれらに与えてくださっている交わりを感謝します。あなたのもろもろの力をわれらの力とし、われらの強さとしてください。われらがあなたを認識し、あなたの行為の中にあなたを見ることができるように、賜物を与えてください。なおわれらを苦しめるもののもとにあっても、倦むことなく、疲れることがありませんように。聖霊をくまなく満たして、われらの中に、われらのまわりに平安をもたらし、善をもたらし、ついには地上のすべての民の間にも及ぶようにしてください。アーメン」。
