top of page

2025年8月27日

「福音の広がりの息吹、信仰で結ばれた人々の絆」

ローマの信徒への手紙16章1~16節 

矢澤美佐子

姉妹フェベ 主にあって彼女を迎え入れてください ローマ16:1~2 

(1) 神様に仕えた女性フェベ ― diakonos(奉仕者)

ケンクレアの港町に、ひとりの女性が教会生活を送っていました。名前はフェベ。あまり表には出ないけれど、教会にとってなくてならない存在でした。ギリシャ語で diakonos(ディアコノス)は「仕える人、奉仕者」、他の箇所では「執事」と訳されることもあります。港町では多くの交易が行われ、家族は、おそらく事業を営み、社会的にも影響力があり、その資源を教会のために用いたことでしょう。信仰的にも、社会的にも、精神的にも、人々を支え、祈り、働き、愛の深い人でした。港町の聖霊の風に、髪の毛をなびかせながら、皆の母として、神様のために、教会のために奉仕しました。

強く勇敢に見えるパウロも、実際には体が弱く、迫害や孤独に苦しみ、支えが必要でした。フェベは彼を支えました


(2)女性の悩みに寄り添う福音

当時の社会では、女性の地位は低く、多くの制限の中で生きていました。しかし、教会が生まれ、そこでは男女の隔てを越えた仕え合いが始まっていたのです。そして、このフェベに、パウロは重要な任務を託すのです。この手紙をローマへ。

ケンクレアイの港。小さな船が出発しようとしていました。フェベがケンクレアイの港で立ち止まった時、足は震えていたことでしょう。その手には、大切に包まれた一通の手紙がありました。パウロが心血を注ぎ、祈りと涙を込めて書いた一通の手紙。失ってはならない、必ず届けなければならない手紙でした。その一歩は、決して軽いものではありませんでした。「もし嵐が来たら。もし盗賊に襲われたら。もし、使命を果たせず倒れてしまったら」 彼女の心に、不安と恐れのさざ波が広がっていたことでしょう。けれどもフェベは、神様を信じ、仲間の祈りを胸に、一歩前へと踏み出しました。 当時、地位のない女性の名もなき小さな一歩です。けれども、小さな一歩が、歴史を変える、大きな一歩となったのです。

この時、彼女は知りません。この手紙が後に「ローマの信徒への手紙」と呼ばれ、数えきれない人々に読まれ、人々を救い、慰めと希望を与えることを。この手紙が、信仰の核心を示す光として、宗教改革を起こし、世界中の人の魂を揺さぶり、人々を真実に救っていくことになると。フェベは知りません。ただ目の前に見えているのは、不安な海と険しい道だけでした。それでも彼女は、主を信じて、震える一歩を踏み出したのです。


私たちも同じです。伝道の声をかけるとき、心の中に恐れが走ります。「断られたらどうしよう。相手に迷惑なったらどうしよう。自分にできるはずがない、働きが大きすぎる」足はすくみ、言葉は喉につかえ、結局その一歩を踏み出さずに終わってしまうことがあるかもしれません。

しかし、フェベを神様が用いました。フェベの一歩もまた、足がすくむ一歩でした。けれど、その一歩が、やがて大きな前進となり、世界を揺るがす福音を運んだのです。人間の想像を遥かに超えてきます。私たちの思いもよらぬ仕方で、誰かの心を照らし、未来の世代にまで届く、祝福の始まりです。小さな私たちの一歩が、大きく用いられていくのです。

小さな一歩を恐れていてもいい。不安があってもいい。福音を運んだ、全ての人がそうでした。けれど、フェベのように「それでも小さな一歩を踏み出すこと」 その先に、神様の驚くべき救いの御業が現されていきます。


フェベは、船旅の途中、何度も、何度も祈ったことでしょう。「主よ、この手紙が必ずローマの兄弟姉妹に届きますように。どうか私の弱い心をお守りください。神様。あなたの御手におゆだねします。導いてください。」

彼女を支えたのは、神様、教会の仲間たちの祈りでした。そして「主にお仕えしている」という、心の底から湧き出る深い喜びでした。だからこそ、パウロは彼女をローマの信徒たちに「主にあって迎え入れてほしい」と切実に願いました。

当時の女性は、裏方でスポットライトが当たることはありませんでした。それでも、神様の目には、かけがえのない存在であると、パウロは信仰をもって尊敬していました。しかし、フェベの名前を、どれほどの人が知っているでしょうか。この世の救い、福音の前進は、背後で支える無数の人々の祈りや奉仕によって支えられています。

礼拝が守られる背後には、奏楽の奉仕をしてくださる方、椅子を並べてくださる方、掃除をしてくださる方、子どもを見守る方、献金袋を用意する方、祈りで支えてくださる方がおられます。神様は、そのひとつひとつを大切に慈しんでくださり、人々を救いへ、福音の前進へと用いて、祝福してくださいます。

この短い紹介の背後には、「一人の女性を神様がいかに、大切に用いられるか」という力強い証しが刻まれています。


協力者と労苦する人々への感謝 ローマ16:3~6 

(1) プリスカとアキラ ―「神様の夢を一緒に担う人」「神様の光を一緒に運ぶ人」「神様の愛を一緒に伝える人」

プリスカ(プリスキラ)とアキラ夫妻は、コリントからエフェソで教会生活をしていました。この二人も、古い港町に住んでいました。テント職人として働きながら、パウロと共に伝道しました。パウロは彼らを「協力者」と呼びます。これは「共に働く者」「同労者」を意味し、宣教の最前線でパウロと一緒に伝道した人々を指しています。

協力者とは:「神様の夢を一緒に担う人」「神様の光を一緒に運ぶ人」「神様の愛を一緒に伝える人」

夫妻は自宅を「神様の家」として開放し、常にこの家には、祈りの声が響き、福音が語られ、笑顔が絶えませんでした。


(2) 命懸けで守った夫妻 ― 神様への信仰によって

ある夜、静けさを切り裂くように、迫害の足音が迫っていました。その家に身を寄せていたパウロは、命の危険を肌で感じていました。扉を叩く荒々しい音。プリスカとアキラの夫妻は決して力の強い人ではありません。特別な武器もありません。ただ一つ持っていたのは、「主よ、どうか共にいて助けてください」という信仰でした。その信仰に突き動かされ、彼らは、思い切って行動し、闇の中で彼を守り、逃がしたのです。恐怖で震える心と身体を強することができたのは、彼らの力ではなく、祈りとそこに働かれた神様でした。パウロは感謝して言います。「私だけでなく、異邦人のすべての教会が、彼らに感謝している」と。夫妻の愛は、一つの夜、一つの家に閉じ込められるものではありませんでした。神様が二人を用いて、若く小さな教会にも広がっていきました。私たちの隠れた働きを、神様が想像を超える祝福へと広げてくださいます。


(3) エパイネト ― 初穂として

「アジアの初穂」とは、アジア州で最初にキリストを信じた一人という意味です。その地域で、家庭で、周囲が皆、反対している所で、最初に信じる人は、震えるほどの勇気が必要です。その決断が、後に続く人々に大きな祝福へ繋がって行きます。


(4) マリア ― 労苦した人

「非常に苦労した」と紹介されるマリア。教会のために身を削って仕えた人物と想像できます。マリアの姿は、病や弱さを抱えながらも、人々の救いのために「労苦」する、今も奉仕くださる、教会員の方々の姿を思い起こすことができます。

神様はその一人ひとりを覚え、聖書の中に、その名をしっかりと刻まれました。「どんな小さな奉仕も、どんな弱さの中の労苦も、私の目には尊い。私はそれを永遠に覚える」神様は、そうおっしゃってくださっています。

誰も気づかないうちに、教会のために、礼拝のために準備をしてくださっている方。病に苦しみながらも、ベッドの上で教会のために祈り続けてくださっている方。仕事や学び、子育てに忙しい中でも、教会を忘れず祈り、できる場所で、小さな証しをして下さっている方。その一つひとつが大切に愛され、永遠に覚えられているのです。


例話:大阪の教会に通っていた頃、可愛がってくれた歳上の女性(青年)がいました。しかし、様々な悩みがあり、教会から離れて行ってしまいました。大阪の教会に説教へ行った時、誰かが親しく名前を呼んでくれたのです。あの時の女性が、その教会の長老をされており、オルガニストとして奉仕されていました。


神様の夢を一緒に担う、神様の光を一緒に運ぶ、神様の愛を一緒に伝える兄弟姉妹 ローマ16:7~9 

(1)        アンドロニコとユニア

パウロと共に牢獄に捕らえられ、信極限の試練を経験しました。ある牢獄の闇の中。冷たい石の壁に囲まれ、夜の静けさの中で聞こえるのは、鎖の音と、遠くから響く迫害のざわめきでした。その中で、パウロのそばには二人がいたのです。

一人では耐えられない夜も、共に祈る友がいたから、どんなに慰められることでしょう。

パウロはその二人を「使徒たちの間で評判の良い人たち」と呼びます。そして、「私より先にキリストにある者となった」と語ります。信仰の先輩でした。その方々に導かれ、今の私たちがあり、また私たちの存在が、若い方々にとって道しるべとなり、勇気を与えているのです。

ユニア(女性)。女性の地位が低かった時代に、彼女は堂々とパウロに覚えられ、歴史の荒波の中で、その名はしっかりと、聖書に刻まれています。神様はいつの時代も、女性をも、子どもをも、老いた者をも用いてくださいます。


(2)アンプリアト、ウルバノ、スタキス

ただ共に働く仲間ではありませんでした。困難を分かち合い、愛をもって励まし合い、福音を前へと進めた神様の家族です。


今、私たちの小さな奉仕も、弱さの中の祈りも、涙の一粒さえも、神様は決して見過ごしにされることはなく、永遠に覚えて感謝し、祝福してくださいます。


 表舞台には現れないけれど、信仰の炎を静かに燃やし続けた人々 ローマ16:10~12 

(1)アペレ

「キリストにある試された者」。そこには語り尽くせない物語が隠されています。彼は病に伏すこともあったでしょう。不条理に責められ、孤独に閉ざされる日もありました。夜の闇の中で、涙をこらえながら祈り続けることもありました。

そのアペレを支えたのは、彼自身の強さではありませんでした。神様の御手が、彼を抱きしめ、主イエスの十字架と死を超えた永遠の命が、彼に安らぎを与えていました。

今日もまた、私たちは決して一人ではありません。神様の愛の御手が私たちに伸ばされています。


(2)アリストブロとナルキソの家の人々

地位のある主人ではなく、仕える人々の方に信仰が根づきました。社会的に弱い立場の人々が、最初に福音を受け入れ、家の中から新しい価値観が、静かに、ゆっくりと築かれていったのです。

今日でも、家庭や職場、地域―そこで生きる人の姿を通して、一人の祈り、一つの優しい行動によって、福音は広がり、やがて大きな実を結んで行きます。神様が働いてくださっているからです。


(3)ヘロデオン

同じ同胞として、社会や民族の苦しみを共に背負った兄弟です。同じ苦しみを経験した仲間の存在は、パウロの孤独を癒しました。自分の痛みを理解してくれる仲間がいる時、私たちは、どれほど救われることでしょう。


(4)トリュフェナ、トリュフォサ、そしてペルシス

全て女性です。彼女たちは「主にあって労苦する」と紹介されています。子どもを抱き、家を守り、教会のために身を尽くす女性たちの姿は、まるで夜空に瞬く明るい星のようでした。


彼女は私の母でもあります。霊の家族 ローマ16:13~15 

(1)  ルフォスの母   

パウロは「私の母でもあります」と語ります。血のつながりを超え、霊の家族、神様の家族としての深い信仰の絆がありました。彼女は、ルフォス(自分の子)を育てただけでなく、多くの信徒の信仰、揺れる心を支え、教会の温かな母として皆を助けました。母を失った子がいたでしょう。家族を失った人がいたでしょう。孤独に押しつぶされそうな人もいたことでしょう。このルフォスの母に祈ってもらうこと、温かい食事を食べさせてもらうこと。多くの人が、母として愛していたのです。


(2)  アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、フィロロゴ、ユリア、ネレウスとその姉妹、オリンパ

共に支え合い、一緒に労苦を分かち合いながら、教会を支えました。一人の力は小さいですが、共に歩む仲間がいることで、困難も乗り越えていくことができます。何より、そこにはいつも希望の光、主イエスがおられます。

私たちは今日も歩み続けます。どんなに小さな祈りでも、どんなに見えない奉仕でも、神様の前では尊く、未来を照らす光になります。そのことを、この挨拶のひとつひとつが静かに、力強く教えてくれます。


聖なる口づけ ローマ16:16~27 

ローマ16章16~27節――神様の救いが、時を超えて、私たちの目に見えない形で確かに働いていることが描かれています。

聖なる口づけ:これはただの形式ではなく、ギリシャ語で「神聖な挨拶」といわれます。迫害に耐えながら、命がけで信仰を守っていた人たちが、礼拝堂に集まります。お互いが生きていることを確認し、神様に感謝し、頬や額に、そっと口づけ、ハグを交わします。恐怖や痛み、孤独、これまで労苦を抱えていた心が、温かい愛に包まれ、癒されていきます。


例話:アメリカの長老教会には、今も、同じような温かい伝統が続いています。家族を天に送り出した後、最初の主の日の礼拝の後、遺族は挨拶をします。アメリカでは、そのあと、教会の皆が一人ずつ、ご遺族の一人ひとりにしっかりとハグをするのです。そのために、ご遺族の前には、長い列ができました。一人一人、愛を込めて抱きしめながら、お互いに祈ります。

「The Lord be with you.」「And also with you.」――「主があなたと共にいますように」

アメリカの長老教会での信仰:このやわらかな触れ合いの中に、私たちは神様の愛を見ることができる。神様は、人の手や人の心を通して、痛みや孤独の中にある人々にそっと寄り添ってくださる。心からの温もりを通して、神様は癒やしを、愛を注がれると信じています。


 毎年の金沢教会のクリスマス讃美礼拝では、その年、洗礼を受けた人が手に持ったろうそくから、炎が灯されます。讃美礼拝の始まりは、1人、または2人の小さな光。かすかな揺らめきから始まります。

やがて、その炎は静かに隣の人へと渡されます。1つの光が、2つに、3つに、4つに。小さな光が、次々と繋がり、やがて礼拝堂全体をやさしく照らし出します。それは、まるで、福音の広がり、救いの広がりを、目で見ているかのようです。

 一人の信仰の火が、次々と受け継がれ、やがて世界を明るく照らしていきます。

金沢教会の讃美礼拝の光景は、まさに、過去から続く救いの歴史を映し出しているのと同時に、これから歩む未来の教会の姿を映し出しているかのようです。始まりは、小さくても、神様の救いの御業は、無限に広がる大きな光となるのです。

私たちが小さく祈ること、ささやかに手を差し伸べること、見えないところで誰かを思いやること。そんな一つひとつも、神様の御力によって、世界へと広められて行きます。今日も安心して、小さな祈りや愛を行っていきたいと思います。やがて教会全体を、世界全体を照らす光に繋がって行きます。神様が、そうしてくださいます。

石川県金沢市柿木畠5番2号

TEL 076-221-5396 FAX 076-263-3951

© 日本基督教団 金沢教会

bottom of page