1.ヤコブの逃亡
(1)創世記は「神の家族の物語」です。「アダムとエバ」、その子「カインとアベル」、「ノアとその家族」、「アブラハムとサラ」、もう一つの家族「ハガルとイシュマエル」、そして「イサクとリベカ」、その子「エサウとヤコブ」です。神の家族はいつも平安ではありません。様々な問題に直面し、対立し、混乱し、揺れ動き、破れ果てている。しかし、そこに神の御手が働き、導いています。「人間の混乱の中に神の摂理の御手」が働いています。
今、「ヤコブとエサウ物語」を黙想しています。ヤコブは兄エサウをだまし、「長子の権利」を奪い、父イサクをだまし、「神の祝福」を奪いました。アブラハム、イサクに受け継がれた「神の祝福」が、世界の全ての民族を祝福する権威があることを、誰よりも深く受け止めていました。しかし、エサウはヤコブを憎み、殺意を抱きます。母リベカはこのままでは、「カインとアベル」のように、兄弟殺しが起こることを危惧し、自分の故郷パダン・アラムのハランに住む兄ラバンの許に逃亡するよう、ヤコブに勧めました。28章はヤコブの逃亡物語です。「ヤコブ物語」の素晴らしい点は、家族が混乱し、対立する中で、高慢なヤコブは神と交わり、打ち砕かれ、練られ、変えられます。それが28章のヤコブに伸ばされた神の梯子、32章のヤコブと神の使いとの格闘です。
(2)28章のヤコブの逃亡物語は、こういう言葉から始まります。「イサクはヤコブを呼び寄せ祝福し、そして命じた」。パダン・アラムのハランに住むリベカの兄ラバンの許への逃亡を勧めたのは、リベカです。しかし、リベカから説得されたイサクはそれを受け入れています。イサクはヤコブを祝福し、送り出しました。
「お前はカナンの娘を妻としてはならない。パダン・アラムに向かい、お前の母の父ベトエルの家に行って、そこで母の兄ラバンの娘を妻としなさい」。
エサウはカナンの先住民ヘト人を妻としました(26・34~35)。異邦人を妻としました。それは長子の権利、神の祝福を受け継ぐべき者としてふさわしくないことです。ヤコブは長子の権利、神の祝福を受け継ぐ者として、自分たちの民族アラム人を妻とすることが求められました。
3節「全能の神がお前を祝福して、子孫に恵まれる者とし、その数を増やされるように。そして、お前は多くの民の集まりとなるように。また、神がアブラハムの祝福をお前とお前の子孫に与えてくださるように。それは、神がアブラハムに与えた地、お前が身を寄せているこの地を、お前が受け継ぐためである」。
アブラハム、イサクから受け継がれた「神の祝福」は、子孫の祝福と土地の祝福です。アブラハムを通して全世界の民族が祝福されることです。イサクはヤコブをパダン・アラムのハランへと送り出しました。
6節以下。エサウはヤコブが父イサクに祝福され、パダン・アラムへ送り出されたことを知りました。また、自分がカナンの娘を妻としたことを父イサクが気に入らないことを知りました。エサウは父イサクの異母兄弟イシュマエルのところへ行き、その娘ネバヨトの姉妹マハラトを妻に迎えました。
2.神の梯子
(1)10節「ヤコブはベエル・シェバをたって、ハランへと向かった。ある場所にさしかかったとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。彼はそこにあった石を取って頭の下に置き、その場所に身を横たえて眠り」。
逃亡した最初の夜です。広大な荒れ野で、ただ一人、夜を迎えます。家族が恋しくなります。家族との破れの厳しさを身に感じます。孤独と罪深さを感じます。
12節「夢を見た。すると、先端が天にまで達する階段が地に据えられていて、神の使いたちが昇り降りしていた」。
創世記に最初に出て来る夢です。夢は神の啓示として描かれます。すると、見よ、神は天と地を結ぶ階段(梯子)を据えられた。その梯子に天使たちが昇り降りしている。夜、荒野で孤独の中にあるヤコブに、神は天からの梯子を掛けられた。孤独なヤコブは神が掛けた梯子を通して、天と、神と結ばれている。バベルの塔は人間が天に向かって、神に達するために築き上げた塔です。ヤコブの梯子は神が天から地へと掛けられた梯子です。
13節「すると、主がそばに立って言われた。『私は主、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神である』」。すると、見よ、主がヤコブの傍らに立ち言われた。神がヤコブに語りかけるのは、ここが初めてです。「私は主、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神である」。神の自己紹介の言葉です。神の自己紹介の定型句として、ここで初めて語られます。「私は主、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、そして、あなたの神である」。
13b節「今あなたが身を横たえているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は地の塵のようになって、西へ東へ、北へ南へと広がってゆく。そして地上のすべての氏族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される」。
神がアブラハムに語られた「神の祝福」(12・1~3)を、ヤコブに語られます。子孫の祝福と、地上の全ての民族はあなたとあなたの子孫によって祝福される。あなたは地上の全ての民族の「祝福の基」とされる。
(2)15節「私はあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにしてもあなたを守り、この土地に連れ戻す。私はあなたに約束したことを果たすまで、決してあなたを見捨てない」。
この重要な神の御言葉はヤコブに向かって初めて語られました。「見よ、私はあなたと共にいる」。三度、「見よ」が用いられます。神の啓示、御業が行われる時に用いられる大切な御言葉です。神は「インマヌエルの神」です。「私はあなたと共にいる。あなたを守る。あなたを連れ戻す。あなたを見捨てない」。三つの重要な動詞が語られます。ヤコブの孤独な逃亡の旅は、神が共におられ、神が導かれる旅です。この御言葉は神の民が繰り返し立ち戻り、心に刻んだ御言葉です。エジプトを脱出し、約束の地を目指し、荒れ野の旅をした時。国が滅亡し、バビロンの地へ捕囚の民として連れて行かれる時。70年に及ぶバビロン捕囚が終わり、故郷へ向かって旅立つ時。神の民の原点となった御言葉です。
16節「ヤコブは眠りから覚めて言った。『本当に、主がこの場所におられるのに、私はそれを知らなかった』」。
人間の目から見れば、神がおられないような殺伐とした荒れ野です。家族との破れを身に負い、逃げ出した荒れ野です。しかし、この荒れ野に神はおられる。私は神の御臨在に気づかなかった。
17節「そして怖くなって言った。『この場所はなんと恐ろしい所だろう。ここはまさに神の家ではないか。ここは天の門だ』」。
神の御臨在に触れる時、「畏れ」が生じます。オットーは『聖なるもの』で、それを「ヌミノーゼ」と呼びました。背筋が真っ直ぐになる畏れです。神の御臨在に触れる畏れです。恐怖の「怖れ」「怖れ」とは異なります。荒れ野に神が天から梯子を掛け、神の御臨在の家とし、天に通じる門とする。神が掛けて下さった梯子を通し、神と結ばれる。御言葉によって神と繋がる。「見よ、私はあなたと共にいる。あなたがどこへ行ってもあなたを守る。あなたをこの地に連れ戻す。私はあなたに約束したことを果たすまで、あなたを決して見捨てない」。
3.ここはまさに神の家だ
(1)18節「ヤコブは朝速く起きて、頭の下に置いていた石を取り、それを柱として据え、その上に油を注いだ。そしてその場所をベテルと名付けた。その町の以前の名はルズであった」。
「ルズ」(アーモンドの木)と呼ばれた場所を、ヤコブは「ベテル」(神の家)と名付けた。アブラハムが神の召しを受けてカナンに来た時、ベテルに祭壇を築き、主の名を呼びました(12・8)。ベテルは聖所が建てられ、神を礼拝する重要な町となります。
20節「ヤコブは誓いを立てて言った。『神が私と共におられ、私の行く道を守り、食べる物、着る物を与えてくださり、私が無事、父の家に帰ることができ、そして主が私の神となられるなら、その時、柱として据えたこの石は神の家となるでしょう。そこで私は、あなたが与えてくださるすべてのものの十分の一をあなたに献げます』」。
ヤコブの誓いです。神から与えられた十分の一を神に献げます。十分の一献金の基になりました(創世記14・20,レビ記27・30,申命記14・22、アモス4・4)。
(2)主イエスはフィリポとナタナエルを弟子にした時、語られました。ヨハネ1章51節「よくよく言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」。12章32節「私は力上げられるとき、すべての人を自分のもとに引き寄せよう」。神の梯子は十字架の主イエスであると語られます。十字架にかけられ、甦られ、天に上げられた主イエス・キリストが神の梯子となり、地上を生きる私たちと繋がって下さるのです。神の家となり、天の門となり、「見よ、私はあなたと共にいる。あなたをどこでも守り、あなたを連れ戻し、あなたを見捨てない」と語られるのです。
鶴岡八幡宮の前に、雪ノ下カトリック教会と鎌倉雪ノ下教会が並んで建っています。いずれ屋根に、ヤコブの梯子と十字架が立てられています。地上の教会は神の家であり、天の門となっていると証ししている。
4.御言葉から祈りへ (1)ブルームハルト『ゆうべの祈り』(加藤常昭訳)10月7日 ヨハネ10・14~15
「愛しまつる在天の父よ、われらは感謝します。あなたの声はわれらの心のうちに届き、われらはよろこんでこう言うことがゆるされています。われらはあなたに属します、われらはあなたのものです!と。われらはそのことを標準にしていきたいと思います。そしてわれらがけっして停滞することなく、けっして再び小さな心にかえってしまうことなく、イエス・キリストにほかならぬ力のうちに、常に強くとどまっていたいのです。それゆえにわれらの家を守ってください。ひとりびとりの人の子を守ってください。われらのすべての道においてわれらを守ってください。われらを取りまく多くの危機の中にあって、強き神よ、われらと共にいてください。われらの名が天にしるされているがゆえに、常によろこばせてください。アーメン」。
